第182話 ナイフの正体
鬱蒼と生い茂る緑の森の中を疾走する、大きな影と、それを追いかける三つの人影。
「待てやコラぁ!」
「逃がすかオラァ!」
剣を振り回しながら枝葉を斬り払い、森の中を駆け抜けていくのは『剣士』上田。そのすぐ後ろに、斧を抱えた『戦士』中井が続く。
二人は気合いの入った怒声を上げながら、逃げる獲物を追いかける。
「ブギィイイイイ!」
豚に似た鳴き声を上げて森を逃げ回っているのは、猪のような魔物。以前、狩った大猪とは微妙に姿も異なり、サイズも一回り以上小さいが、恐らくは食用可能と思われる貴重な存在だ。
そんな猪を決死の形相で追いかけ回す彼らは、さながら原始人のようでもあった。
「うおおおおっ、届けぇーっ! 『水鞭』っ!」
上田と中井の一歩後ろに続く『水魔術士』下川が、走りながらもどうにか魔法を完成させ、渾身の『水鞭』を放つ。
手元に広がる青く輝く魔法陣から、細い水流の如き水の触手が飛び出し、逃走する猪へ迫り――ついに、その後ろ脚を絡め取る。
「ブヒィ!」
突如として急制動がかかり、猪は走る勢いのまま転倒。後ろを追いかける三人が、猪へと追いつく。
「よっしゃあ、これで終わりだぜ豚野郎ぉ!」
「肉を寄越せぇ、鍋食わせろぉーっ!」
ギラついた目で上田と中井がそれぞれの武器を振り上げ、猪へと襲い掛かる。
「おい、ちょっと待つべ! ソイツ、何か魔法使うぞっ!」
魔術士系の天職を得た故か、魔法発動の徴候を感じ取った下川が咄嗟に制止の声を上げた、次の瞬間、
「ブギギィーッ!」
猪の咆哮と共に、一挙に地面から土砂が噴き上がる。
「うおっ!?」
「ぶほぉ!」
突如として足元が爆ぜたように、土まみれになりながら上田と中井がたたらを踏む。幸いにも、即死級の威力はないようで、ダメージはない。
「ブギギ!」
だが、猪が体勢を立て直し、再び逃走を図るには十分な時間を稼ぐことはできた。
「逃がしてたまるかよぉ、『激流鞭』!」
先よりも大きな魔法陣を二つ両手に浮かべて、さらに太く激しい水流の鞭となった水属性の拘束魔法が猪の体を縛り上げる。
「今だべ!」
「うぉおおおおおっ!」
「肉ぅううううーっ!」
野郎三人組の執念により、ついに久方ぶりの猪肉を手に入れることに成功した。
パチパチ、と弾ける焚火の炎を眺めながら、満腹になった男達はだらしなく寝そべっていた。
「あー、やっぱ肉食うと満足感が違うよなぁ」
「生きてるって感じがするぜ」
土魔法を駆使して命の限り抗い続ける猪、通称『土猪』を苦労の末に狩ったからこそ、その味も格別。遥か原始の頃の人間たちが、狩猟に命をかけていた気持ちに共感できる。生きることは、狩ることと見つけたり。
「でも、塩しかねーからやっぱりちょっと物足りないべ」
げふー、とげっぷを吐きながら、満腹になったが故の贅沢を言う下川。
「それは言うなよ」
「もう桃川はいねーんだから、しょうがねぇだろ」
桃川小太郎と別れてから、早、一週間以上が過ぎようとしている。
大切な者の存在というのは、失って始めて実感できる。早くも、あの生意気なジト目の男子の顔が、恋しくてしょうがない。
蒼真悠斗とその仲間達、それから双葉芽衣子がレイナの殺害現場に乱入してからの騒ぎは、小太郎がレイナの死体を操って人質にとりながら離脱するという鬼畜な、でも不思議と「桃川らしい」と納得できるインパクトのある行動のお蔭で、上中下トリオ+山田の四人組は、ひっそりとあの場を逃れることに成功していた。
小太郎の要請で逃走用の『水霧』を撒いた下川は、そのまま仲間達に声をかけて、小太郎とほぼ同じタイミングで妖精広場を後にした。
レイナが霊獣『ソーマユート』と共に引き籠っていた妖精広場から先の通路は、幾つも分岐があったお蔭で、後から動き始めるだろう蒼真パーティに追いつかれることもなかった。また、先に進んだ小太郎と合流することもできなかったが。
以前に小鳥遊小鳥の拉致未遂に、レイナ殺害の共謀という嫌疑を蒼真悠斗にかけられていることから、下川はあの場で彼らに取り入るのは不可能と判断し、自分達だけでの離脱を選んだ。その選択を非難できる者はいない……いや、山田だけは唯一、蒼真悠斗に対して後ろめたいことは何もないので、あのまま彼らの仲間に加わることも可能な立場であったが、状況に流されたせいで、今の状態に特に文句は言いだしていない。
もっとも山田からしても、いざ蒼真悠斗が妹の桜を筆頭に、二年七組の美少女勢揃いで引き連れている姿を見て、あの輪に飛び込もうとは思うまい。
ともかく、蒼真悠斗からは距離を置きたい三人組と、流れでそのまま一緒にいる山田を含めた四人は、再びダンジョン攻略を進めることになった。
あれから、石造りのダンジョンを抜けて、今はまたゴーマの砦があったジャングルのように、屋外へと出た。
あのジャングルと似たような植生の森が広がっているが、その一方で、白い砂浜と紺碧の海も広がっている。どうやらここは南の島のような場所で、その海岸線に出たようだった。
今までならば、ただノートに描いた魔法陣のコンパスに従って先へ進むだけだったが……小太郎と共に過ごしたことで、最早、妖精広場にある胡桃だけで飢えを凌いで先へ進む、という真似はできなくなった。年頃の男が四人もいるのだ。肉、肉が食いたいに決まっている。
単純な肉食欲求も理由の大半を占めるが、下川は小太郎が食べきれなかった分の猪肉を、干し肉やらベーコンやらにして、保存食にしていたことも覚えている。そして、レイナ救出の作戦前夜に食べた、猪ベーコンの鍋の味も、忘れていない。
これからダンジョンを進むなら、ああいった保存食も必要だろうと下川は考えた。勿論、上田と中井、山田も賛成する。
というワケで、海辺エリアに出た四人組は、まず当面の食料確保から行動開始したのだった。
そして始まる、男達のサバイバル生活。
この蛇の肉は食えるのか。あの美味しそうな果物は、本当に美味しい果物なのか。毒があるのでは。もし毒に当たった場合、小太郎から支給されていた解毒薬を飲めばいいが、もしそれでも治せないほどの猛毒だったら……
食べられそうなものはそこら中にある。けれど、どれが危険な毒、あるいは寄生虫やらウイルスやらがあるか、分かったものではない。
『直感薬学』という呪術がどれほど素晴らしいモノであったか、彼らが改めて実感することになる。
それでも、ある程度の博打を覚悟で、食べられそうなものは食べてみた。代表的なものが、魚である。
海の中には、見るからに様々な魚が泳いでいるのが明らかだった。当然、これを捕まえようという発想はすぐに出る。
山田が、地味に釣りが趣味だったことは幸いだった。ヤマジュンと割とあちこち行ったことがある、と思い出話をしたら、涙が止まらなくなったのは不運である。
さらに不運なことに、釣竿も糸もないことだ。
これもきっと器用な小太郎がいれば、蜘蛛糸の呪術などを活用し、チョイチョイですぐに準備できたのだろうが、何か工作ができそうなスキルを持つメンバーは、今は一人もいない。
結局、二日ほどかけて、木の枝を削り出して作った竿と、植物の蔦を細く編んだ糸と、魔物の骨を削って針を作り、どうにかこうにか、釣り具一式を完成させた。
釣果は、まぁまぁ。男四人の腹を満たすだけの魚が、常にとれるとは限らない。
それでも、ある程度の魚と、その釣った魚がちゃんと無事に食べられることが分かっただけでも僥倖であろう。
釣りによる魚の調達は山田に任せ、上中下トリオは狩人となって、唯一知っている食べられる魔物である大猪を探し、ジャングルへと分け入った。
茂みの向こうから襲い掛かってくるラプターに、気持ちの悪い昆虫型モンスター。挙句の果てには自由自在に蔦を動かし、消化液を吐きかけてくる植物のモンスターまで現れる始末。
見るからに食用に適さない魔物との戦いを続けながら、本日、ついに大猪ではないが、良く似た土猪を発見し、今に至るというワケだ。
「はぁ……やっぱ、桃川って凄かったんだな」
「今じゃ風呂もハンモックもねぇからなぁ」
「おい、シャワーがあるだけありがたく思え」
水魔術士の下川がいるお蔭で、頭から水を浴びることはできている。下川からすると、野郎共の裸体に水を浴びせる作業は、何とも萎えるものであるが。
せめて、あのブスではあるけどヤリ放題だった愛莉でもいれば、随分と気持ちも違っただろうけれど。
しかしながら、女が一人もいない、男だけの四人だからこそ、こうして足りないモノだらけのサバイバル生活でも、それなりに面白おかしくやっていけているのか、と下川は今更ながらに思ったりもした。
「なぁ、桃川ってさ……やっぱ、最初からレイナちゃんのこと、殺すつもりだったんだべか」
たき火をぼんやりと見つめながら、何となく、下川が零した疑問の言葉。
返事はない。けれど、上田と中井、二人の渋い表情が、答えているも同然だった。
「おい、その話は」
「やめた方がいいんじゃねぇのか」
「いや、山田もう寝てるし、お前らとはちゃんと話したいと思ってたんだよ。だから、聞いてくれや」
小太郎がパーティに加入してからは、ゴーマの砦攻略に、白雲野郎の幻術で分断され、レイナの乱心からの救出作戦と、心休まる暇のない緊張の連続であった。
けれどパーティを率いる小太郎がいなくなり、何かと騒動の中心だったレイナが死んだことで、下川は改めて現状と、あの頃の状況を省みることができたのだった。
「アイツはさ、レイナちゃんのこと、最初っから可愛くもなんともねぇクソガキみたいに思ってたんだべ」
「あー、なるほどな。分かる。レイナちゃんによくあんな冷たい態度とれるなって、俺ちょっと思ってたし」
「まぁ、桃川はあのブタバと付き合ってるようなデブ専だからな。好みじゃねーんだろ」
上田も中井も、小太郎が全くレイナのことを特別扱いしない態度だったことを思い出し、うんうんと頷く。が、その頷きがピタリと止まる。
「おい、ちょっと待て。あの時いた双葉って、なんかすげー痩せてなかった?」
「っていうか、桃川と一緒に行ったあの爆乳女って、やっぱ本物の双葉だったのかよ」
レイナが刺され、蒼真悠斗が乱入し、あまりに劇的な展開の連続で半ば状況についていけなかったのだが、いざ振り返ってみれば、あの時、小太郎が「メイちゃん」と呼んでいた女子生徒は、自分達が知っている双葉芽衣子の姿とは、あまりにもかけ離れたものだった。
一目見た時、「あの女子は誰?」とまず真っ先に思ったものだ。
雰囲気的に、どうやらあの爆乳美女が双葉芽衣子らしい、ということは察したのだが、こうして落ち着いて振り返ってみれば、どう考えてもおかしい。
「あれはダイエット成功ってレベルじゃねーべ!?」
「双葉ってあんなにヤバかったのかよ」
「ちくしょう、それを分かっていて桃川の奴、手を出したってワケか」
汚い、流石呪術師、汚い。
奴は天職を授かる前の学園生活の頃から、特大のダイヤの原石である双葉芽衣子をモノにしていたということだ。きっと、付き合ってからはあの手この手でダイエットさせてグラビアアイドルも裸足で逃げ出す奇跡のプロポーションを作り上げるつもりだったのだろう。何という遠大な育成計画。
「桃川ヤベーなアイツ」
「いやでも桃川ならマジでやりそうだし」
「うーん、俺は桃川は普通にデブでも良かったと思うけど。アイツ、おっぱい大きければ何でもいいタイプだってヤマジュンから聞いたことあるべ」
「ったく、胸ってのはただデカけりゃいいってもんじゃねぇってのに」
「あんまりデカすぎるとキモいよな。やっぱ、形もハリもある美巨乳が最強」
「俺はそこまで高望みはしないべ。でも黒乳首は無理」
そのまま、しばらくの間おっぱい談義が続く。男が集まって、この話題で盛り上がらないはずがない。
「で、何の話だっけ?」
「あー、えっと、桃川がレイナちゃん殺す気だったって話、だったような」
「そうだべ、なんで脱線してんだよ。俺、結構真面目に切り出したんだけど」
悪い悪い、と言いながら、ようやく本題に戻ってくる。
「けどよ、もしそうだったとして……桃川のこと、恨むのか?」
「山田が聞いたらマジギレしそうだけど」
「桃川が俺らを騙してレイナちゃんを殺る気だったかも、って気づいた時には、酷ぇと思ったけど……よく考えたら、まぁ、それもしょうがねーのかな、って思えてきてよ」
何と言えばいいか分からない、何が正しいのか分からない。そんな気持ちの滲む複雑な表情で、下川は語った。
そもそもレイナを失った今となって、どうして自分達があんなにむきになってレイナに構っていたのか、分からなくなっていた。あれほど彼女を守らなければ、と思っていたはずなのに――いざ失ってみれば、不思議と絶望的な喪失感には襲われなかった。
それは、子供の頃は何よりも大事だった宝物が、何年か経てばただのガラクタに思えるような、そんな感覚。
「桃川からしたら、やっぱレイナちゃんは最初っからお荷物だったワケで。そのくせ、霊獣とかいうヤベー奴らがいるし、下手に扱うこともできねぇ。もし、レイナちゃんが愛莉みたいなブスだったらよ、俺らも桃川と同じ気持ちになるんじゃねーべか」
「うーん」
「それは、まぁ、そうかもだけどよぉ」
小太郎の行動は、あの時、あのパーティメンバーの中では、誰よりも合理的だった。ゴーマの砦という強大な障害を前にして、もし小太郎がいなければ、彼の推測通りにやってきたゴーマの討伐隊によって、密林塔を襲われあえなく討たれただろう。
もっとも、その場合はレイナだけは霊獣の力で生き残れるが。
「でも、殺すのはちょっと、な……」
「あの時の桃川、なんかヤバかったからな。本物の人殺しって思ったら、フツーにゾっとしたっつーか」
レイナを殺され、怒り心頭の蒼真悠斗を相手に、レイナの死体を盾にして、芽衣子を引き連れ悠然と去って行った小太郎。その一連の姿は、魔物を殺すのには慣れても、人間を殺したことはない彼らにとっては、どこか狂気を感じさせるには十分すぎた。
「まぁな。結果的に蒼真から逃げられたワケだけど……あの土壇場でアレができる桃川は、やっぱヤベーよ」
「なぁ、もしかして桃川って、レイナちゃんの前にも誰か殺してるんじゃねぇか?」
「ああ、もう人殺したことあるから、あの時も余裕だったみたいな?」
上田と中井のやり取りを聞いて、下川は少しだけ考え込む。
眉をひそめて悩むような表情……だが、すぐに決断を下したように、口を開いた。
「なぁ、お前らさ、気付かなかったか?」
「はぁ?」
「何が?」
「桃川がレイナちゃん刺したナイフ……あれ、樋口の持ってたバタフライナイフだべ」
何度か見せてもらったことがある、だけではない。
下川は一度、樋口と街で遊び歩いている時に、黒高の生徒に絡まれて喧嘩沙汰になって、樋口がそのナイフを抜いたことを見たことがある。
流石に相手を刺すことはなかったが、バタフライナイフという凶器をチラつかせてハッタリかましながら、ビビった奴を蹴り飛ばし、樋口一人で三人以上はいた黒高生を追い散らした光景は、下川の脳裏に今も憧れと共に焼き付いて離れない。
正直、樋口がナイフを常に持っていることを、最初は内心でガキっぽいと馬鹿にしていたものだが、いざナイフを使いこなして不良共を撃退した姿を見て、評価は一転した。
樋口はただ、カッコつけてナイフを持っているのではない。彼はナイフを武器として使いこなせる技量と度胸があるからこそ、信頼を置いて持っているのだと。
だから、下川は樋口が愛用していたバタフライナイフのことは、よく覚えている。これといった目立つ特徴はなくても、一目で樋口のモノだと分かるくらいには。
だから、小太郎が握りしめていた血塗れのナイフを見た瞬間に、気付いてしまった。
「桃川はさ、樋口のこと……殺しているんじゃねーべか」




