第175話 初めての奇襲作戦
薄暗い洞窟の中を進むと、すぐにボス部屋へと辿り着いた。表は神殿風の入り口だったけど、この辺までは完全にただの洞窟だ。ボス部屋もただ大きな空間となっているだけで、扉と壁に囲われた室内になってはいない。
今、僕らはボス部屋直前の曲がり角に身を潜めている。先頭は、速度重視の奇襲用にハルバードのみを装備したメイちゃんだ。突入のタイミングは、彼女に一任している。
メイちゃんは僕のアドバイス通りに、手持ちの手鏡で角の先を映し出し、ボス部屋の内部を確認している。
僕の立ち位置からでは、小さな手鏡にあの二人の姿が映っているかどうかは分からない。けれど、倒したボスからコアを摘出していると思しき音と、洞窟の壁に反響してくる二人の喋り声がかすかに届いてくる。
そうして突入のタイミングを計り始めて、どれくらい経っただろうか。ついに、メイちゃんが動き出す。
シュッ――カラーンッ!
という物音は、メイちゃんが手ごろな石をボス部屋に向かって投げたものである。
戦闘の終わったボス部屋で、不意に物音が鳴れば、必ずそちらを向く。単純な人の心理である。よく敵拠点に潜入する系のゲームなんかでも、石を投げて敵を誘導することができる。
現実では、ゲームのマヌケな敵AIのような反応をしてくれるかどうかは未知数だったけれど、少なくとも、今回は視線の誘導に成功したようだった。
「ふっ――」
鋭い呼気だけを置き去りに、メイちゃんが消えた、と錯覚するくらいの速度でもって飛び出した。
「行くぞーっ!」
彼女の姿が消えたのを合図として、僕とレム達もボス部屋へと足を踏み入れる。
広々としたボス部屋、そのほぼ中央に、紫色の甲殻をした巨大な蟹が転がっている。アイツがボスか。デカいし四本腕だし、随所にクリスタルみたいな透き通った結晶を生やしているから、魔法攻撃も使ってきそうな雰囲気……だが、すでに奴はこと切れている。
死んだボスに、より正確にいえばコアを剥ぎ取られた後のボスに価値はない。気にするべきは、これを討伐した二人の男。
一人は大山大輔。突然の乱入者に、驚いたような表情を浮かべている。
もう一人、優先ターゲットである杉野貴志は、ボスを倒して一度背負ってしまった愛用のメイスを、奇襲と見て手にかけているが――遅い。
「はぁあああああああああああああああああっ!」
漆黒のハルバードを振り上げた狂戦士が、メイスを抜くよりも早く杉野へと襲い掛かっていた。
「うっ、ぐわぁあああああああああああっ!?」
やった! 黒き斧刃は、深々と杉野の体を切り裂く。
流石はメイちゃんだ。いくらガードが間に合わない直撃だったとはいえ、重戦士の硬い防御を見事に斬って見せた。上半身裸の杉野へ、深々と斧刃が切り裂く。
ドっと噴き上がる血飛沫。明らかに致命傷だ。タフな重戦士なら即死はしないだろうが、それでも、もう戦闘は無理な大ダメージである。
「タカぁああああっ!」
「ぐうぅ……わ、私に構うな、大ちゃん! やれぇ!」
杉野は裸の上半身を真っ赤に染めながらも、踏みとどまって叫んでいた。そして、メイちゃん必殺の一撃を防ぐのには間に合わなかったはずのメイスを、杉野は抜いて両手で確かに握っていた。
コイツ、まさかまだ諦めてないのか? いや、それ以前に、大山に何を指示したんだ。嫌な予感がする。
「レムぅーっ!」
「グガァアアアーっ!」
元より、メイちゃんに続いて大山は即座に切り伏せるつもりだった。すでに黒騎士レムは大剣を振り上げ、大山に向かって斬りかかっている――
「よくもタカを……許さねぇぞ、うぉおおおおおおおおおおおっ、『火炎防壁』っ!」
瞬間、黒騎士レムの前に立ちふさがるのは、巨大な炎の壁。
「グガっ!」
そのあまりの大きさと勢いに、さしもの黒騎士レムも飛び込むのに二の足を踏む。それでいい、あのまま飛び込んでいれば、かなり深刻なダメージが入っただろう。
しかし、まずい、これは、
「メイちゃん!」
「ふふっ、くっくっく……桃川君、彼女の心配をする前に、自分を気にするべきだよ」
返って来たその言葉は、紛れもなく杉野のものだ。轟々と燃え盛る炎の壁に遮られ、向こう側にいる奴の姿はみえない。
けれど、この余裕のある口ぶりは、とても瀕死の重傷を負っているとは思えない。
「杉野っ! くそ、どういうことだ、効いてなかったのか」
「効いたさ、死ぬかと思ったよ」
「小太郎くん、こっちは任せて! 次は必ず殺し切るっ!」
「おお、怖い怖い。信じがたいけれど、君は双葉さん、なのかなぁ? 劇的なダイエットに成功といったところか、見違えたよ、こんなに美人だったとはね。悪いけれど、私は女性に興味はなかったから、全然気付かなかったよ」
とりあえず、メイちゃんは戦闘続行の意思はあるようだ。だが、饒舌に喋る杉野の様子からして、やはり奇襲による負傷を完全回復したような状態にありそう。
これでは、単なる真っ向勝負の構図。最も避けたかった状態だけれど、この期に及んでは仕方ない。
「メイちゃん、無理しないで。火の壁を突破して、どうにか援護するから――」
「へっ、バカが! そんなこと、させるワケねぇだろうが」
怒りの籠った叫びと共に、炎の壁から、大山が僕の前へと姿を現す。
どういうつもりだ。火の壁で僕らを分断し、まずは二人がかりでメイちゃんを仕留めにかかると思ったのだけれど。
「よくも舐めた真似してくれやがったなぁ、桃川。テメぇ、覚悟できてんだろうなぁ、ええっ!」
「……男らしく、サシで勝負、ってとこ?」
「女のガキみてぇな面して、よく言ったなぁ。ああ、そうだ、その通りだぜ。桃川ぁ、テメーの相手は、このっ、俺だっ!」
キレのある動きで、ビシっと空手の構えをとる大山。
参ったな、二人に分かれてそれぞれ決闘に持ち込まれるとは。完全に予想外の展開に転がってしまったけれど……僕にはレムがついている。相手が大山一人なら、まだ十分に勝機はある!
「行くぞ、レム! アイツを倒せ!」
「かかってぇ……こいやぁ!」
「……どうして」
「さぁ、どうして、だろうねぇ」
轟々と荒れ狂う炎の壁を背に芽衣子は、血塗れでありながら、全く苦痛を感じさせない余裕の笑みを浮かべる杉野と相対していた。
すでに杉野は大きなメイスを構え、打ち込む隙を与えないがっちりとした防御の体勢を整えている。芽衣子をしても、何も考えずに切りかかるには躊躇われる威圧感を発している。
お互いにギリギリの間合いを保ちながら、しばしの睨み合い。その最中で、芽衣子は杉野の姿を観察して、ようやく気付く。
まず、奇襲による先制攻撃で与えた傷が、癒えていること。綺麗に塞がってはおらず、歪な創傷の痕が残っている。傷痕に、確かに残っている血の跡からして、杉野の幻を斬った、というワケではなさそうだ。重戦士が、小太郎の『双影』のような分身技を持っているとも考え難い。
ならば、本人を確かに切り裂いたが、直後に一瞬で回復を果たしたということになる。斬った傍から超回復、などと前のエリアで相手にしたハイゾンビのボスを思い出す。アレと似たような能力を持っているのかとも思ったが、芽衣子は一つの解答に思い至った。
「まさか、『生命の雫』」
「んん、もしかして、同じモノを持っているのかな? いやぁ、凄いレアアイテムが手に入ったと思ったんだけどねぇ」
どうやら、アタリらしい。
まだ蒼真悠斗率いるパーティと共にいた頃、リビングアーマーの闊歩する宮殿エリアで手に入れた、緊急蘇生アイテム、それが『生命の雫』である。致命傷を負った際に、一度だけ回復するという効果を有する、使い捨てのマジックアイテムであるが……なるほど、今回のような奇襲を受けた時にも、凄まじい効力を発揮するわけだ。
チッ、と内心で舌打ちする思いの芽衣子である。
「おお、怖い、凄まじい殺気だ。女の子がしていい顔じゃあないね」
「大人しく降参するなら、苦しまずに殺してあげるけど」
「あの気弱で温厚そうな双葉さんが言うとは、一体どんな経験をしたんだか――おっと!」
芽衣子の高速の踏み込みと共に、ハルバードが降り下ろされる。
「ぐっ、なんてぇパワーだ!」
両手で握った大きなメイスで、芽衣子の一撃を見事に受けてみせる杉野。だが、たったの一発で攻撃が終わるはずもない。
「ふんっ、はぁっ!」
「おまけに、このスピード!」
目にも止まらぬ連続斬撃。叩きつけ、薙ぎ払い、切り上げ、さらには突き。斧の刃と槍の穂先とを併せ持つ、独特の刀身をもつハルバードを巧みに操ってみせる。しかし、超重量の大振りな刃を持つ『黒鉄のナイトハルバード』が振り回される様は、華麗というよりも、圧倒的な暴力の体現。
その凶暴な斬撃は、さながら黒い嵐と化して重戦士を襲う。
「これは、堪らん――『ハード・カウンター』っ!」
かろうじて防ぐだけの押しに押される杉野であったが、ここぞというタイミングで、相手の攻撃に対する防御の武技『ハード・カウンター』を発動させる。
より頑強な力を宿したメイスが、凶悪なハルバードの刃を力ずくで弾き飛ばす。
「んっ」
これまでにない、強い弾かれ方に芽衣子の体がかすかに揺らぐ。大きな長柄武器のハルバードが災いし、返す刀で叩きつけるには一瞬の隙が生じてしまう。
「ヤァアアッ!」
鋭い気合いの声と共に、杉野は間合いを詰めて芽衣子へと肉薄。メイスによる打撃、ではなく、繰り出したのは何も持たぬ右手であった。
元々、柔道部の杉野は武器による斬り合いよりも、近距離での格闘戦の方が強い。狙うは、芽衣子が纏うセーラー服の襟首。
女子を相手に技をかけたことなど一度もないが、相手は自分よりもパワーとスピードに優れる超人だ。何の遠慮もいらない。
真っ直ぐ、無駄なく、迷いなく突き出された杉野の手はしかし、虚しく虚空を掴む。
「だぁっ!」
上半身を後ろに倒れ込まんばかりに逸らして、芽衣子は杉野の掴みを回避してみせた。咄嗟の回避、いや、ブルンと弾む規格外の大きな胸にさえ、突き出した杉野の手がかすることもなく避けきったのは、その動きは完全に見切っていたからこそ。
流石の杉野も、こんな無茶な動きで掴みを逃れた者は見たことがない。だが、天職を授かり超人的な身体能力を持てば、あながち不可能でもないのだ。真っ当な柔道の経験がかえって仇となったかもしれない。
杉野が次の有効打を放つよりも、芽衣子の反撃の方が早かった。
スカートを翻して、芽衣子の左足が跳ねあがる。上体逸らしの回避行動と同時に繰り出した蹴りである。
むっちりと肉付きのよい長い足だが、そこには筋肉だけでは持ち得ない狂戦士としての桁外れの脚力を宿している。
「ごふっ!?」
鉄槌のような芽衣子の蹴りが、杉野の分厚い腹筋で守られた腹部を正確に射ぬく。クリーンヒット。だが、耐えた。
並みの人間だったら、腹に抱える内臓が軒並み破裂するところだったが、重戦士が持つ『鉄皮』と『鋼身』による二重防御をさらに強化された、『鉄壁皮』と『鉄鋼体』を習得している杉野だからこそ、痛烈な鈍痛程度で耐えることができた。
致命的なダメージは防げたものの、インパクトの衝撃までは上手く散らすことはできなかった。クラス一の巨体を誇る杉野の体は、少しだけ宙を浮いて吹き飛ばされる。
幸い、芽衣子の追撃は免れた。無理な体勢で蹴りを放っては、即座にハルバードを叩きこむことはできなかったようだ。
芽衣子が再びハルバードを構え直し、杉野は蹴りで飛ばされた体勢を立て直す。再び間合いが開き、仕切り直しの様相を呈していた。
「キックだけじゃダメか。やっぱり、硬いね」
「恐ろしい、こんな力を女子が持っているなんて」
「蒼真君はもっと強いよ」
「ははは、こんなところに来ても、彼は特別なのかい」
愛する男と、必ずここを脱出すると心に決めた。どんな手段を使っても、どれだけ犠牲を払っても、彼だけは、必ず。
固く決意はしたものの、芽衣子の強さに、おまけにまだ上がいると聞かされれば、うんざりしてくるものだ。
「敵わないなぁ、双葉さんには」
「諦める気になった?」
「敵わないけれど、負ける気はしないね」
言いながら、杉野は開いた間合いからさらに逃れるように、ジリジリと後ずさる。
「逃げるの?」
「逃げるさ、逃げ回って、時間稼ぎが今の私にとっての最善策だよ」
「無駄なことを」
「君は、桃川君のことが心配じゃあないのかな?」
その問いに、芽衣子は沈黙で答えた。
心配じゃないといえば嘘になるが、焦りはない。小太郎は一人ではない。黒騎士レムの性能は、自分ほどではないが相当なモノである。少なくとも、火の玉を十発、二十発と当たったところでビクともしない。
それに今はアルファもいるし、ボス部屋前には荷物を置いて戦闘準備を整えたアラクネもいる。スケルトンとハイゾンビは弱いけれど、小太郎を守る盾としては十分な数が揃っている。
そして何より、これだけの手駒を揃えていて、小太郎が簡単に負けるはずがない。
何故なら、もっとも危険とされている『重戦士』杉野は、この自分がしっかりと押さえているのだから。
「ふっふっふ、どうやら君は、一つ勘違いをしているようだ」
「勘違い、何を」
「本気を出した大ちゃんはね、私よりも強いよ?」
変わらぬ杉野の微笑み、だが、どこか猛獣を思わせる獰猛さ。ハッタリではない、芽衣子は直感でそう思った。
「大ちゃんは必ず、桃川君を倒すだろう。そうしたら、二対一だ。大ちゃんと二人なら、君を倒せる」
「くっ!」
背後に広がる、炎の壁を見やる。どうする、火傷を覚悟で、今すぐ飛び込んで合流すべきか。
「おっと、背中を見せてくれるなら好都合。隙さえあれば、私も遠慮なくこの鉄棒を叩き込めるよ」
杉野の力は、芽衣子には及ばない。だが、ほんの僅かな隙で、致命的な一撃を喰らう。両者には、さほどの実力差はない。
武器を構えた杉野を前に、安易に背中を見せるのは、あまりに危険であった。
「こ、小太郎くん……」
不安のあまりに、眉をひそめたのは一瞬のこと。芽衣子の心は、すぐに決まる。
見上げた芽衣子の顔は、正に狂戦士に相応しい、悪鬼羅刹の如き憤怒の色を浮かべていた。
「ああ、分かる、その気持ち、凄くよく分かるよ。双葉さん、いい恋をしたんだね」
怒りの強さは思いの強さ。杉野はそれを、よく知っている。
「本当に残念だよ。こんな状況じゃなければ、君達の恋路、素直に応援もできたんだけどな」
「私もだよ――じゃあ、死んで」
「ははっ、お断りだねっ!」
狂戦士の猛攻と、防御に徹する重戦士。見えない時間制限付きの戦いが、始まった。
2019年1月18日
来週の黒の魔王は2話連続更新なので、呪術師はお休み・・・したかったのですが、通常通りに更新いたします。いよいよ12章の山場となるバトルですので、どうぞご期待ください。




