第170話 痕跡
海岸線を歩き始めて、二日たった。
「……やっぱり、尾行けられてるな」
どうやら、あの赤ラプターは僕らを執拗に付け狙っているらしい。
執念深い奴だ。熊は一度自分の獲物と決めたらずっと追いかける強い執着心を持つというけど、ラプターも同じ習性を持つのか。それとも、大勢の手下を殺した、僕らに対する復讐心か。
理由はどうあれ、奴らが僕らを追跡してることは間違いない。
夜襲以来、ラプターは一度も襲って来てはいない。いないのだが、奴らはつかず離れずの距離を維持しながら、ずっと追いかけてきている。
ラプターの群れを時折、見かけるのだ。別の群れならばいいのだが、僕らを見かけても襲ってこないのは、監視の命令が徹底されているから。
念のために、こちらから偵察もしてみた。
桜井君との戦いで使ったように、レムを野鳥の『屍人形』とすることで、戦闘力は皆無だけど、飛行による目視の索敵能力を手に入れることができるのだ。赤ラプターによって無残に破壊されたレム三号機の代わりに、このレム鳥を複数作って、全方位に放つ。
そうして、僕らの後方で赤ラプターの姿をチラっと目撃したと、レム鳥は教えてくれた。この結果を聞いて、奴らもたまたま、同じ方向に動いていると考えるほど、僕は呑気ではない。
奴との戦いで、僕は色々と反省させられた。あの一戦は、僕に落ち度はあったけれど……ボスである赤ラプターの狡猾さも恐るべきものであった。
まず、海岸に出た僕らを待ち構えていたように現れた三匹の大蟹は、赤ラプターがあそこまでおびき寄せていたと推測、いや、今なら確信できる。
ここ二日、海岸線を進むことで、大蟹の魔物の習性もある程度、判明している。餌を探して波打ち際をウロついているか、砂浜に潜って休んでいるか、というのが基本的なパターン。潜ってる状態で近くを通ると、音か震動を感知して襲ってくる。
しかし、森の方まで逃げ込めば、それ以上は追って来ない。
僕らがたった数日で分かるような生態情報である。長年、このエリアで活動してきた赤ラプターが、大蟹の習性を知らないはずがない。潜ってる大蟹を起こしてアクティブにすることも、ラプターの俊足を生かして特定の地点まで誘導することも、十分に可能だろう。いざとなれば、自分らのテリトリーである森に飛び込めば簡単に逃げ切れる。
だから、このエリアでは滅多に見かけないだろう、僕ら人間という初見の獲物に対し、赤ラプターは、自分達の有利な森で戦うだけでなく、海岸まで移動された場合にも備えて、大蟹を用意していた……と、僕は考えている。
もし、こんなMPK染みた罠なんて、単なる僕の被害妄想だったとしても、構わない。少なくとも、あの赤ラプターと相対するならば、奴がこれくらいの知能を持っていると想定すべきなのだ。アイツは戦闘能力も高いが、何より恐れるべきなのは、その高い知能だと僕は思っている。スケルトンの残骸をボードにして毒沼を渡るとか、咄嗟の判断力、応用力にも優れている。
正直、下手なボスモンスターよりもよほど厄介な存在だ。たまにRPGでも、何故かボスよりも強い、調整ミスったとしか思えない強敵雑魚モンスとかいるよね。
「小太郎くん、私が行って倒して来ようか?」
「いや、こっちの方から打って出るには、相手が悪すぎる」
「大丈夫だよ、私ならあの赤いラプターでも倒せるから!」
「戦えばメイちゃんの方が強いよ。だから、アイツは絶対にメイちゃんとの戦いは避ける。むしろ、そんな強敵が僕の傍から離れた時こそ、奴にとって最大のチャンスになる」
恐らく、赤ラプターの群れが、完全に森に隠れるワケでもなく、それとなく僕らに存在がバレるような動きをしているのは、気づいて欲しいからだ。
まず、前回の戦いで、こっちの戦力も向こうは把握している。メイちゃんという大蟹もラプターも束でかかっても敵わないとんでもない奴がいること。それに次いで、痛みも恐れもなく戦い続けられる黒騎士レム。最大戦力はこの二人。逆にいえば、この二人以外は、チョロい。
ならば、赤ラプターは是非とも、その最大戦力が僕の傍を離れる好機を待っている。メイちゃんの戦力を頼って単独で討伐に向かわせれば、恐らくは、群れの半数を囮にして足止めし、もう半分で僕を襲うことだろう。
「だから、絶対にメイちゃんか黒騎士が、僕の傍を離れるような隙を見せたらダメなんだよね」
「そ、そっか……小太郎くん、そこまで考えるなんて、やっぱり凄いよ」
いや、僕じゃなくても、あの戦いを経験すれば誰でも思いつくレベルだよ。いや、メイちゃんくらい強くなると、姑息な戦術なんてあんまり考えなくなるのかもしれないけど。
はぁ、僕も狂戦士パワーで無双とかしてみたいなぁ……現実って残酷だよね。『毒』も発動見てから回避余裕でした、って感じだし。強敵ばっかで嫌になるよ。
「ともかく、明確な隙を見せなければ、奴らは襲ってこない。このエリアはラプターにとってはホームグラウンドだから、きっといつまでだって追跡し続けられる。長期戦で勝つ自信があるんだ」
「それじゃあ、ここのボスを倒して転移するまで、ずっと無視してた方がいいのかな?」
「いや、できれば早めに叩いておきたい。今はいいけど、この先、僕らがまた別の強い魔物と戦って消耗したりすれば、奴らは仕掛けてくる」
つまり、ちょっとでも苦戦するような戦闘が発生しただけで、赤ラプター部隊の襲撃フラグが立ち、そのまま僕らはデッドエンドまっしぐらだ。
勿論、ボスまで何事もなく順調に進むことができれば何の問題もないけれど……奴らを放置しておくには、あまりにリスクが高すぎる。
「うーん、じゃあ、どうすればいいのかなぁ」
「そこで、赤ラプター部隊を誘き出す作戦をしたいんだけど」
夜襲の一戦で、こちらの手の内は奴らにバレてはいるけれど、その全てが開かされているワケではないからね。
「とりあえず、あの遺跡がある場所で拠点を確保してからがいいかな」
僕らの視線の先には、広々とした綺麗なビーチが続く海岸線に沿うように立ち並ぶ、多くの建造物が見えた。かなり高めのビルもあって、さながらホテルといったところだろうか。本当に、ハワイかどっかの南国リゾートみたいな風情である。
もっとも、前のエリアである遺跡街と同じように、半分ほど植物に侵蝕されていて、ポストアポカリプス的な雰囲気満点の廃墟だけど。
森はラプターの領域。けど、人工物たる建物がある場所は、僕ら人間の領域だってことを、思い知らせてやる。
海岸沿いのリゾート風遺跡群へと辿り着く。これだけ大きな建物が並んでいれば、どこかに妖精広場があるかもしれないし、なかったとしても、一時的な拠点とするには十分だ。
ということで、まずは拠点探し。
「うーん、とりあえず、あそこが第一候補かな」
緑に覆われた廃墟の中でも、何故か一つだけやけに綺麗な状態で残っているビルがある。綺麗といっても、廃墟であることは一目瞭然の荒れ具合ではあるものの、崩れた箇所は見当たらず、大きなヒビもない。何と言っても、ここだけ避けるかのように植物が生い茂っていないのだ。周辺に広がる、庭園のような場所にも緑の侵蝕を許してはいない。
ここだけ植物を枯らす毒素でも満ちているのか、それとも、建築物を保全する魔法の結界が今でも機能しているのか。できれば後者であって欲しいと願いながら、僕らはそこへ足を踏み入れた。
正々堂々と真正面から入ってみると、なるほど、想像した通り、広々としたエントランスとなっている。外観からして、如何にもホテルっぽいと思ったけれど、三階あたりまで吹き抜けになっている構造に、随所にみられる宮殿のような凝った装飾の名残からして、少なくとも見栄えを重視した造りであることには間違いない。
「ギョギョッ、ギョォオオアアアッ!」
そして、ジーラの従業員が、何百年ぶりか分からないお客様である僕らを元気にお出迎え。
「この中にジーラがいるってことは、宝箱でもあるのかな」
「いいものがあるといいね」
数匹のジーラをメイちゃんが瞬殺し、スケルトンを召喚して死体を運び出させておく。ここを拠点にするなら、魔物の死体なんて置きっぱなしにはできないからね。臭いし汚いし、他の魔物が寄って来るし。
面倒な仕事を都合のいいスケルトン達にお任せしつつ、ホテル探索といこう。
「ジーラ以外、ここに来る奴はいないみたいだ」
二階と三階で、それぞれ数匹のジーラとエンカウントして始末しただけで、他の魔物は見当たらない。遺跡街でも、何かしらの野生の魔物が廃墟内に住みついていたり、ウロついたりしていたものだけど、ここはそういう感じではなさそう。あくまで、ジーラが宝箱でも探しに、探索しているだけといった様子である。
やはり、植物を枯らし、魔物も遠ざける毒が……
「小太郎くん、そこの広間に大きいジャジーラがいる、んだけど……死んでるみたい」
先行してクリアリングしているメイちゃんが、報告してくれる。
扉が外れて開け放たれたままとなっている多目的ホールみたいな広間を覗けば、確かに床に倒れたジャジーラと、周囲に複数のジーラの死体が転がっている。
いつかのゴーマの罠、のように待ち伏せを警戒して、僕らは慎重に周囲を探ってから、満を持して広間へ突入する。
足を踏み入れても、何も起こらない。罠はなく、純粋に、ここにはジーラ共の死体が転がっているだけの模様。
「ねぇ、これって、仲間割れでもしたのかな?」
「このデカいジャジーラは強そうだから、さっき蹴散らしてきた奴らがコイツを仕留めたとは思えない」
ならば、他の魔物に襲われたのか――という予想は、簡単にジャジーラを検死すれば、すぐに誤りだと分かった。
「胸元が切り開かれて、抉られている……コアを摘出したんだ。クラスメイトがいる」
「っ!?」
僕の検死結果を聞いて、メイちゃんの警戒心が一段階跳ね上がったようだ。ハルバードを油断なく構え、広間の入り口を向く。
「かなり血が乾いているから、少なくとも半日以上は経過してる。ここを拠点にしていない限りは、もう近くにはいないと思うけど」
もう少し、死体の検分をしておきたい。メイちゃんとレムには厳重な警戒態勢をとらせて、僕は他のジーラも含めて確認していく。
まず、一番の大物であるジャジーラは、胸を切り開かれてコアを抉り出された跡がある。けれど、死因は頭部が半分ほど潰れていることから、強烈な殴打による撲殺と断定できる。
このジャジーラは僕らが今まで見た奴よりも偉いのか、兜のように大きな貝殻を被っている。だが、その分厚い貝殻ごと頭が砕かれているのだ。
打撃系の武技を使って、一撃で仕留めたと思われる。
他のジーラも、似たような打撃の跡が見られた。頭がほとんど吹っ飛んだ奴に、胴体が歪に凹んでいる奴もいて、中々に凄惨な有様だ。
「ん、コイツは殴られてない……これは、焼けたのか」
ここに転がるジーラの半分は撲殺されているが、もう半分は黒焦げになっている。
これは、どう考えても炎魔法で焼いたとしか思えない。
焼け焦げているのは全身ではなく、顔面や胸、腹、などピンポイントで狙われてる。室内だから大爆発の魔法は避けたのか。あるいは、急所を正確に焼く攻撃スタイルなのか。
ジーラはゴーマ並みの雑魚モンスであることを差し引いても、ここでの戦いは中々に鮮やかな勝利を飾ったと思える。まぁ、このエリアまで進んで来れたなら、それ相応の実力も身についていて当然か。
「他に変わった外傷はナシ……ってことは、打撃技の戦士と炎魔術士のコンビかな」
レイナのようなニート野郎を抱えていなければ、二人組の犯行ということになる。そして、僕には打撃と炎のコンビという条件に、すぐピンときた。
「大山杉野のゲイカップルか」
まだヤマジュンもレイナも生きていた頃、ゴーマの城を突破して転移した直後に、現れてはコアを奪っていった奴らだ。
自己紹介をした時、確かに大山は『炎魔術士』、杉野は『重戦士』と言っていた。
「どうするの、小太郎くん。殺すの?」
殺す、と言えば躊躇なく殺しに行ける、という確固たる意志を秘めた視線で、メイちゃんが僕を見つめている。彼女には、あの二人にコアを奪われた経緯も話しているから、すでに敵対関係に近い状態ということは、理解もしている。
「……あまり、殺したくはないかな」
「でも、コアを奪ったんだよね?」
ならば、殺されて奪い返されても、奴らは文句言えないだろう。残酷ながらも、実にシンプルな論理。
「命は奪われてないから、なんて言ったら、偽善に過ぎるかな」
「ううん、いいんだよ。小太郎くんがこれ以上、手を汚す必要なんてないから。全部、私に任せて」
だって、狂戦士だから、なんて本気なのか冗談なのか、笑って言う彼女に、僕の心は少しだけ締め付けられた。
「いや、ごめん、気持ちの問題じゃないんだ。杉野の天職は『重戦士』でかなり強い。大山の実力も未知数だし。彼らと戦うのは、正直リスクが高すぎる」
馬鹿正直に正面対決をしたとしても、あまりメリットはない。
「もし戦うなら、不意を突いて一気に仕留めたい。大山だけでも始末できれば、完全にこっちが優位に立てる……いや、これはむしろ、チャンスなのか」
恐らく、このエリアに大山杉野がいると気付いたのは、僕の方が先だ。そう、向こうはまだ、僕らがここにいることを知らないのだ。
「分かった、それじゃあ二人を探して、襲う機会を待てばいいんだね。ふふふ、何だか、私達もラプターと同じことしてるね」
そうだ、僕らも赤ラプターに追われている状態なのである。
ラプターは僕らを追い、僕らはクラスメイトを追う。何とも奇妙な一方通行関係の出来上がり。
「下手すると、赤ラプターと二人を同時に相手することになる、けど……」
上手く処理すれば、赤ラプターも倒し、二人も倒すことができるはず。もしかすれば、赤ラプターを誘導して大山杉野にぶつけることができれば――いや、待て、焦るな。
二兎を追う者は、と言うじゃないか。それに、僕はこういうギャンブルめいた作戦は性に合わない。これでも僕は堅実な方だから。小心者ともいう。
「よし、決めた。まずは当初の作戦通り、ここを拠点にして赤ラプターの追撃部隊を叩いて、後顧の憂いを断つ。その後に、大山杉野の動向を探って、機会を窺う」
大山杉野に焦って仕掛ける必要はない。もしかすれば、二人はこのエリアのボスに敗れて死ぬかもしれないし。
向こうはまだ僕らの存在に気づいていないのだから、放置していても安全だ。急に引き返してこない限り、後ろを追う僕らのことに気づきようもない。
だから、まずは僕らを狙う赤ラプターの対処が先。各個撃破は戦術の基本ってね。
「それじゃあ、まずはこのホテルをさっさと制圧しちゃおうか」
「うん、分かったよ」
結論からいえば、もう他に魔物はいなかったので、早々に安全確保は終わった。
ただし、このホテルには三つもの宝箱があって、それらは全て、先に訪れていた大山杉野コンビによって中身が持ち去られた後であった。
早い者勝ちなのは当たり前のことだけど、空の宝箱を見つけるのが、こんなに悔しい気持ちになるとは……




