第168話 南国生活
「我が信徒、桃川小太郎」
「は、はいっ!」
やばい、今回は不意打ち気味だったから、ちょっとキョドってしまった。
さぁ、やってまいりました、我らがルインヒルデ様の神様時空。相変わらず、大宇宙の神秘を感じさせる、雄大で混沌とした、正に神様に相応しい謎空間でございます。
「杖を振るったか」
「あーっと……す、すみません、気づくのが随分と遅れてしまって」
多分、僕が『愚者の杖』を使ったことを言っているのだろう。それ以外に、杖と聞いて連想できることはない。
「呪術師たる者、杖の一本は振るうもの。また一歩、道を進んだと言えよう」
「ありがとうございます」
とりあえず、褒められたようで何よりだけど……ここからが怖いんだ。前回はお褒めの言葉を賜った直後に真っ二つだったからねぇ。
今回は穏便に。マジで頼みます……
「進むも退くも、そなたが選ぶがよい。あるいは停滞。安穏もまた一つの道に過ぎぬ。真実を、変革を望まば、えてして茨の道となるが故」
おっと、続きますね、ルインヒルデ様の解読不能な謎説法。僕としては、いつも一つの真実を追い求めるよりも、痛いかどうかの方が興味の中心なので、すみません、あんまり頭に入らないです。
「よい、すでに縁は結ばれ、因果は絡んでおる。たとえ、どの道を往こうとも、そなたは――」
僕は……なに? え、ちょっと、微妙に気になるところで台詞を区切るのやめましょうよ。
「新たな呪術を授ける」
あーっ、ルインヒルデ様、マジであからさまに意味深なところで台詞とめちゃったよ!
「あ、ありがとうございます」
ねぇ、こういう重要そうな台詞って、何かのフラグとかが定番だけど、何もないですよね? これ、大丈夫なんですよね? いざこうして、思わせぶりなこと言われると、不安になるんですけどぉ……
「共に歩め。偽りの影であろうと、傍にあることに変わりはない」
骨の手が、鋭い指先を指し示す。
これは、指先で刺されるパターン! 額か、目か、心臓か、大穴で金的とかは勘弁……グっと恐怖を堪えるが、何も起こらない。チラッ、と反射的に瞑っていた目を開けると、ルインヒルデ様の指は、どうやら僕の背後を示しているらしかった。
なんだろう、そこに何かがあるのか?
気にはなるけど、恐怖心の方が勝るから振り返りたくないけれど……これは、見なければいけないイベントなのだろう。結局、僕は意を決して振り向いた。
「……えっと、何、っていうか、誰」
そこには、真っ黒い人影が漂っていた。影、本当に影が人のシルエットをしているだけ。そんな文字通りの人影が、ざっと見る限り四つ、所在なさ気にユラユラと漂っていた。
そこに顔などないし、これといった身体的な特徴もない。ただシンプルな人型というだけで、違いなど一つも見当たらないのに……僕には、何故かそれらの人影には見覚えがあるような気がした。
「あっ、もしかして――」
そこで人影は弾け、影が僕の視界を、世界を覆って……
ザザーン、ザザーン、と寄せては返す波の音。眼下に広がるのは、キラキラ輝く紺碧のオーシャンビュー。海、そう、海である。
「あー」
とかだらしない声を漏らして、僕は本当にだらしない格好でビーチチェアに寝そべっている。
すぐ傍らには、小さい丸テーブルも置いてあって、その上にはキンキンに冷えたレモネードが。
燦々と降り注ぐ偽の太陽光を浴びながら、こうして綺麗な砂浜で寝そべっていると、気分はすっかり南国バカンス。うーん、過酷なダンジョン生活が嘘のようだぁ……
「……いかん。いい加減、そろそろ出発しないと」
この海岸エリアにやって来てから、とっくに一週間以上は経過している。周辺探索は済ませているし、初日の夜にはルインヒルデ様から新呪術も授かったというのに。
何だか、ここは非常に居心地がよくて、つい長居してしまっているのだ。
だって、美味しい魚は沢山とれるし、近くには甘いフルーツなんかも採取できる。森の方では、食べてくださいと言わんばかりに、丸々太ったニワトリみたいな鳥がウロウロしていて、肉も卵も取り放題だ。
新しい美味な食材があればメイちゃんは張り切るし、僕もそれに甘んじてしまう。ダンジョン攻略をすっかり忘れた、平和な狩猟採取生活で、僕は余暇と『簡易錬成陣』を活かして、道具や家具の作成なんか始めちゃったりして。
このビーチチェアは『簡易錬成陣』で、その辺で伐採してきた木を加工して作ったものだし、丸テーブルもそう。レモネードの入ったカップも木製だ。
近くで採取できたフルーツの中に、レモンのように爽やかな酸味のあるものがあったから、手持ちのハチミツを使ってレモネードモドキは簡単に作れた。妖精広場には綺麗な水があるし、『魔女の釜』を使えば冷蔵も冷凍もお手軽にできる。
そういえば、最近はメイちゃんが完全に『魔女の釜』を使いこなしているんだよね。ある程度、機能まで弄れるようになってきた。だから、僕が用途に応じて作る鍋の数も、徐々に減っていっている。
現在は、メインの加熱用とサブの予備、の二種類が幾つかあれば事足りている。これは、その時に食べる料理だけでなく、保存食や調味料の作成にも使われている。
魚はそのまま干物にできるし、海水を利用して塩を作ることもできる。ゴーマの岩塩とは一味違う、というか、僕ら日本人が食べているのは海水塩だから、何とも舌に馴染む懐かしい味わいで、また一段階、ダンジョンサバイバルにおける食事レベルが上がった感じがする。
懐かしい味といえば、ついに醤油……ではないが、その類似品である漁醤も作られた。
魚醤は、魚を塩漬けにして発酵させて作る調味料だ。ナンプラー、とかが有名らしいけど、僕は名前を聞いたくらいで食べた記憶は特にない。
原料とする魚の種類によって、かなり風味も違ってくるのだとメイちゃんは力説していて、このダンジョンプールでとれた魚を順番に試して、最も美味しい魚醤の研究に彼女はつい先日まで熱中していたものだ。
その情熱と研究成果が実を結び、ついにメイちゃん納得の魚醤が完成。ペロっとすると「む、これは醤油!」と一瞬舌が勘違いするほどに、醤油に近い味。けれど、確かな魚の旨味と風味が漂う……もしかして醤油より美味しいのでは?
調味料の進展も目覚ましいが、何げに果物が普通に採取できる、というのが僕にもメイちゃんにも一番嬉しいことだったように思う。いやだって、普段の食事にデザートがつけられるってことだよ? これは物凄い贅沢、いや、進歩だと断言できるね。
このレモネードを作ったレモンモドキがとれるように、この辺では柑橘類に近しい味わいの果実がそれなりに発見できている。あと、南国といえばかかせないと言わんばかりに、ヤシの木みたいなのも、よく見かけた。
でも、一番のお気に入りは、桃とマンゴーの合いの子みたいな芳醇な甘味を誇る、通称『モモマンゴー』である。凄い美味しい、だが、めっちゃレアだ。まだ二個しか見つかってないし。
コイツは見つけ次第、食うと固く決めている。僕とメイちゃんで半分こ……いや、僕は三分の一、メイちゃんは三分の二でいいよ。遠慮しないで、たんとお食べ。
ともかく、そんな恵まれた食糧事情もあって、こうして砂浜で日光浴なんていう、平和ボケ極まる所業ができるワケだ。
「はぁ、サバイバル生活を豊かにしたって、しょうがないんだよなぁ」
正直、ここで一生、のんびりスローライフというのは、そう悪い選択肢ではないかもしれない。食べ物は美味しいし、ルインヒルデ様の呪術があれば快適な生活環境も維持できるし、なにより、メイちゃんと二人なら寂しくもない。まぁ、彼女からすると、ここで僕を相手にアダムとイヴになるのは御免だろうけどね。
「小太郎くーん、お昼ご飯できたよー」
と、甘い声で僕を呼んでくれる声に振り向けば……あー、やっぱり、アダムとイヴになりたいかも、としみじみ思わせてくれる魅力的な彼女の姿がそこにある。
にこやかな笑顔で駆け寄ってくるメイちゃんは、いつものセーラー服ではなく、白いビキニだ。惜しげもなく晒される、一瞬で理性を溶かしかねない凶悪なほどの色香を振りまく豊満な肉体が弾む。ああ、上下に揺れる、その特大サイズの胸元が、パツパツになったビキニブラが今にも弾け飛びそうで、というか、弾けてくれ、なんて祈らずにはいられない……あっ、すみません、ルインヒルデ様、今の祈りはナシで、ナシでお願いします!
「うん、今行くよ」
と、若干前かがみになりつつ、僕は平静を装いながら彼女の呼びかけに答えた。
「水着を作ったのは失敗だったかな……」
ほら、ここ海だし、暑いし、試しに水着でも作ってみる? 制服が濡れても困るしー、などと軽い気持ちで作ってみたのが、あのメイちゃんの白ビキニである。うん、正直に言うと、下心はありました。というか、下心しかありませんでした。
実際、今の僕が蜘蛛糸でチョイチョイすれば、多少の衣類を編み出すことは可能だ。なんなら、アラクネから糸を出してもらって、それを『簡易錬成』で編んでもいい。
今や衣食住の衣すらも担当できる僕の呪術によって、特に難しいこともなく、この海岸エリア探索用の水着装備という名の、蜘蛛糸白ビキニは完成した。
ぶっちゃけ、作ってる最中からしてムラムラしたものだが、いざ完成した品をメイちゃんが喜んで身に着けた時は……いや、これ以上は語るまい。強いて言うならば、僕の水着である蜘蛛糸製海パンには、急遽セット装備としてパレオを追加したくらいかな。ほら、腰に一枚巻いておけば、隠蔽用に便利なんだよね。
「うん、やっぱこの南国生活は早くやめた方がいいな」
平和な環境に美味しいご飯、そして魅惑的な刺激もあるこの生活を続けていれば、本当にダンジョン攻略のヤル気が失せてしまうかもしれない。
それはダメだ。僕は日本に帰りたいし、そうでなくても、いつ何が起こるか分からないダンジョンなんて場所に永住するのも御免だ。
そして何より、ここに辿り着くまでに、どれだけの犠牲を出したと思ってる……僕が殺した奴。僕が守れなかった人。全て含めて、僕に停滞を許さない。僕自身が、許すわけにはいかないだろう。
「とりあえず、明日から頑張ろう」
今日がバカンス最後と割り切って、せいぜい、あと半日だけはのんびりさせてもらっても、バチはあたるまい。
「よーっし、行くぞ!」
名残惜しくも、これまでで最も居心地の良かった海辺の妖精広場を、ついに僕らは出発した。
コンパスを確認する限りでは、しばらく海岸線を歩いていくことになりそうだ。魔物と遭遇すれば、波打ち際での戦いとなるから、装備はいまだ水着のままである。
防御力皆無だけど、元々、制服しか着ていないから、大して違いはない。流石に僕は上半身裸なのは落ち着かないので、シャツくらいは着ているけど。
一方、メイちゃんは堂々たるビキニ姿。今日も僕の隣で、その自慢のたわわがボインボインである。うっ、いかん、落ち着け、このままでは魅了されて冷静な判断力を失ってしまうぅ……
「あっ、小太郎くん、何かでてきたよ」
ちょうどいいところでエンカウント。ようやく僕は魅惑の肢体から目を逸らすに足る理由を得た。
「やっぱり、ジーラが出るのか」
押し寄せる波から、次々と飛び出してきたのは、見覚えのある魚影、もとい、人影である。魚人の形容がピッタリな、魚面の人型魔物だ。地底湖で戦った以来だけど、姿は大して変わらな……海に住んでるせいか、若干、色が鮮やかな気がする。
「ちょっと大きいのもいるね。ゴーヴみたいな感じかな」
「うん、確か『ジャジーラ』とか言うんだっけ」
ほとんど頼りにしてない自前のメール情報だけど、今回は珍しく更新されていた。僕とメイちゃん、どちらのノートにもジーラ系の魔物についての情報が記載されていたのだ。
「なるほど、覚悟はしてたけど、キモいね」
僕らの前に現れたジーラの群れの中で、頭一つ抜きん出た身長と、がっしりした体格の奴が、何体か混じっている。ゴーマに混じるゴーヴと同じ感じで、見れば一発で判別がつく。
そして、このジーラ版ゴーヴたるジャジーラの特徴は、ジーラよりも大きなヒレを持つことと、胴や手足がフジツボに覆われていることだ。
海で膝を擦りむいたら、後日、膝の中にフジツボがビッシリ……という都市伝説があるように、歪な丸い殻が大量に密集している外見は、見る者によっては背筋を凍らせるほどの気味悪さだ。
で、そんなフジツボを鎧のように張り付けているのがジャジーラだ。実際、ナマクラな刃では、甲殻同然のフジツボを切り裂くことはできないだろう。
「ねぇ、小太郎くん。大きなフジツボは高級食材で、酒蒸しにすると凄く美味し――」
「アイツのは食べられないから、諦めて倒そう!」
悪いけど、今回はメイちゃんの飽くなき食への探究心は抑えてもらうより他はない。若干、残念そうな表情で、キシャーと威嚇しているジーラ軍団に向かって突っ込んで行った。
それにしても、ビキニ姿でゴツいハルバードと大盾を振り回す姿は、なかなかにファンタジックであった。
今、僕の前には黒い鱗を持つジャジーラが、槍を片手に雄たけびをあげていた。
「ギョォーギョッギョッギョッ!」
「ふぅー、なんとか完成できた」
僕らに喧嘩を売ってきた命知らずなジーラ部隊は、生乳魅惑のマーメイドなメイちゃんによって一方的に殺戮された。ちょっとくらい返り血がついても、すぐ洗い流せるからいいよねー、とか言ってたメイちゃん、マジでバーサーカー。でも、そんなところが魅力的。
というワケで、僕は残った死体の再利用で、奴らの中で一番強そうなガタイのいいジャジーラを材料に、『屍人形』を作り上げたのだ。
黒騎士とアラクネと三号機、オマケに最近ではスケルトン部隊も行使していることから、四体目のレムを使うにはちょっとばかり制御がキツい。この数を全員フルで戦闘させたら、それぞれの性能を最大限に引き出すのはかなり難しい。
だから、このジャジーラを加えたところで、さして戦力には貢献できない。それでも、僕は自分の限界を承知で、コイツを『屍人形』にした。
「それじゃあ、頼んだよ」
「グギョギョ!」
奇怪な鳴き声で返事をくれながら、黒いジャジーラは海へと飛び込んで行った。
おお、流石は魚人だけあって、スイスイと泳いで行くぞ。その魚影はあっという間に波間に消えて、見えなくなった。
「小太郎くん、どうして放流したの?」
血を洗い流してきたメイちゃんが、海を眺めながら問うてくる。うん、濡れたせいで水着姿がさらに艶めかしく……
「ちょっと海の中を探っておこうかと思って」
何と言っても、ここはダンジョン。そして、正確には海ではなく、海を模した巨大プールである。
最近ではすっかり、海産物をとる恵みの海でしかなかったけれど、こうして当たり前にジーラが出てくる以上、魔物も生息している。あるいは、この青い海の中には、魔物とは違う別な何かがあったりするかもしれない。
それが危険な魔法トラップなのか、宝箱満載の沈没船なのか、そんなのは分からないけど。
「海の中がどうなってるのか、全然見えないからね。ちょっと気になってたんだよ」
「うーん、普通の海って感じだったけどな」
南国生活を満喫していたあの海辺では、ちょっとくらいは素潜りしている。貝とかウニとかとれて、美味しかったよね。
「あの辺は、何故か凄い平和だったからね。でも、この辺になってくると、もしかしたら海底にジーラの巣とかあるかもしれないし」
「流石に、海の底まで潰しに行くのは無理かも」
「いや、そういうのは避けたいねって話で」
すでに戦って滅ぼす前提で話すのやめようよ。頭まで狂戦士化されるのは、ちょっと困るかな。
「とりあえず、海中調査はレムに任せて、僕らはそろそろ野営する場所でも探そ――」
その時、ザッパーン! と激しい水しぶきが遠く海面で噴き上がった。遠目に見ても分かるほど、巨大な何かが飛び出したのだ。
「わわっ、なにあれ、クジラみたいな、サメみたいな」
明らかに大型の水棲モンスターの登場。だが、僕らの砂浜からは遠い海の上にいるものだから、メイちゃんの声はクジラツアーに参加した観光客のように呑気なものだ。
確かに、今の僕らに危険はない。ないのだけれど、あのサラマンダーやサンダーティラノに匹敵する巨躯と、離れていても何となく分かる圧倒的な気配から、僕の背筋はうすら寒くなってしまう。
「巨大サメとか大王イカとかは想像してたけど、まさか、モササウルスが出てくるとはなー」
見えたのは一瞬だったけれど、ワニのような頭に、クジラ並みに巨大なヒレと体を持つ姿は、僕が知る限りではモササウルスに最も近い。
白亜紀後期に生息していた、肉食海棲爬虫類。分かりやすく言えば、海の恐竜である。
そして、僕が放ったジャジーラは、どうやらアイツに食われたようだった。レムとの繋がりの一つが、たった今、ぶっつり途切れたから。
「まぁ、この海が思った以上に危険ってことが分かったよ」
「アレがボスだったらどうしよう」
うわっ、メイちゃん、嫌な予想しないでよ。水中戦とか絶対無理。ゲームでも水中ステージは大抵クソだし。リアルで水の中で戦うとか、人間には不可能……ああ、そういえば天道君は、地底湖のボスに水中戦挑んでたっけ。
「その時は、水中戦スキルを授かれるよう、頑張って祈ろうよ」
僕は多分無理だけど、メイちゃんならワンチャンいける気がしないでもない。
「うーん、今から海の中で戦う練習しておいた方がいいかな。折角、水着だし」
「無理しなくていいよ」
とりあえず、僕らは海から飛び出す魔物にだけ注意しておこう。海の中にさえ入らなければ、そこにどれだけヤバい奴が生息していようと、安全確実にスルーできるのだから。




