第156話 渡河作戦(1)
「ほら、ここにマンホールあるでしょ」
「あっ、本当だ」
道端にあるのは、どこからどう見てもマンホールとしかいえない、丸い金属の蓋。この遺跡街の探索を始めて、すぐにマンホールの存在には気づいたけど、汚らしい下水道を通る理由はなかったので、今まではあえて入ろうとは思わなかった。
「いくら桜井君でも、地下を通れば対応できないだろう」
「うん、流石に地面を貫通したり、下水道にいる人を感じ取ったりはできないと思う」
メイちゃんが直感でそう感じたなら、事実なのだろう。
これで、問題は本当に下水道が対岸まで繋がっているのかどうかだ。この中に入っていくのは、正直、気は進まないけれど、背に腹は代えられない。
「よし、それじゃあ行こう……ところで、マンホールってどうやって開けるの?」
確か、穴にひっかけて開く金属の棒みたいな専用器具があったよね。
このダンジョンマンホールも、小さな穴が開いているだけで、指がひっかけられるほどの穴や溝はない。
「うーん、参ったな、こういう形だと、上手く触手を絡ませてとるってわけにも――」
「ふん!」
と、メイちゃんが足踏みしたら、バコっとマンホールが浮いて、ズレました。
「開いたよ、小太郎くん」
「ありがとう。それじゃあ、危険がないかどうか、とりあえずレムに先行させるから」
メイちゃんの力技に素直に感謝しつつ、先行偵察として捨て駒役筆頭である、レム三号機を投入。
穴を覗き込むと、どうやらダンジョンの通路と同じく発光パネルでも埋め込まれているようで、薄明かりが灯っていた。最低限の視界は確保できそうだ。
下水道といっても、ただ汚いだけならいいけれど、虫とかワニのモンスターが大繁殖してたら大変だし。そういえば、下水道みたいなエリアで、魚人なジーラがいたから、アイツラが湧いてる可能性もあるな。
「グゴ、グガガ!」
ほどなくすると、マンホールから下水道に降りて行ったレム三号機から、返事がきた。
「どうやら、大丈夫みたいだね」
「私、先に入るよ」
「うん、お願い」
そうして、メイちゃんが降りた、というか、飛び降りた。穴の壁についてる梯子を使わず、そのままストーンと落ちて行ったよ。
下までそこそこの高さがあったように見えたけど……狂戦士の身体能力なら、何でもないんだろう。
一切の躊躇なくこういう行動ができるのは、狂戦士の力が馴染んできた証拠かもしれない。自分の能力に疑いがある、把握しきれていなければ、飛び降りて大丈夫かどうかの判断もつかないし。
僕は呪術の効果などは色々と実験して検証していかないと明確に理解できないけれど、他の天職だと、もっと直感的に分かるものなのだろうか。少なくとも、メイちゃんはそんな感じがする。
「小太郎くーん、大丈夫だよー」
さて、レムが降りて、メイちゃんも降りれば、とりあえず降下地点の安全確認は十分だ。僕も行くとしよう。
「キシャシャ」
「あっ、ごめん、アラクネはちょっとここで待機してて」
最も体格の大きいアラクネでは、流石にマンホールを降りることはできない。
それと、ついでにメイちゃんのメインウエポンになっているハルバードと大盾も、サイズの関係上、置いていく。
今回はルート探索だけだから、別に放棄するワケじゃないし、問題はない。
「――うん、前に通った下水道エリアとあんまり変わらないなぁ」
天道ヤンキーチームと共に通った下水道エリアと、構造はほぼ同じ。となると、やはりジーラが「ギョギョギョ!」とか言いながら襲い掛かってきそうだけど……エンカウントは今のところ発生していない。
人の住まない廃墟と化した遺跡の街だから、生活排水も流れてこないせいか、さほど臭いも感じない。むしろ、ジーラのいたエリアの方が臭かった。臭いの原因はあの魚野郎共じゃなかろうか。
「小太郎くん、この辺が川の辺りだと思うけど」
鋭い直感を発揮するメイちゃんが、特に目印のない下水道内でも教えてくれた。
「このまま真っ直ぐ行けば、対岸まで渡れそうな感じ?」
「うん、方向はあってるよ」
よし、それじゃあ行くとしよう。分帰路もないから、そのまま真っ直ぐ、僕らは進んで行った――けど、三分と経たずに歩みは止まった。
「うわっ、崩れてるよ」
よりによって、ちょうど川を渡り切ったくらいの距離の地点で、下水路が崩れていた。大きな瓦礫と石壁の破片で、通路は完全に封鎖されている。
一応、水路の方には多少の隙間が空いているようで、完全に水の流れが止まってはいないようだけど……
「グ、ガガ」
念のために三号機を潜らせて調べても、人が通り抜けられるほどの穴は空いてないようだった。たとえ、通り抜けられる隙間があったとしても、崩れた場所を過ぎるまで息が続くかどうか分からない。どっちにしろ、チャレンジしてみる勇気はない。
「仕方ない、戻って別のルートを探してみよう」
「うん、そうするしかないね」
そうして、アテが外れてトボトボ引き返した。
アラクネの待つマンホールまで戻ってきて、僕が梯子に手をかけると、
「あっ、待って、小太郎くん。私が先に登るよ。出た先に、魔物がいたら危ないし」
外にはアラクネが待機しているから大丈夫だとは思うけれど、確かに、その方が安全だ。僕がマンホールから頭を出した瞬間に、暴走トラックのようにロイロプスが走り抜けて行ったら、確実に死亡事故が発生する。流石にあのサイズのモンスターが突進すると、アラクネだけで急停止させることはできないし。
もっとも、どんだけラック値低かったらそんな事故起こるんだよ、とは思うけど、わざわざメイちゃんが気を使って言ってくれたんだから、快く先を譲ろうじゃないか。
そして彼女が梯子を上り始めるのを見送る、その瞬間、僕の脳裏に電撃が走る。
も、もしかして、これパンツ見えるんじゃないの!?
プリーツスカートをフリフリさせて梯子を登っていけば、当然、下半身のガードはガラ空き。そしてメイちゃんは特にスパッツなどの防具は装備していない。パンツのみのノーガードなのは間違いない。
今まではチラチラっと、理性と誘惑の狭間に揺られながら垣間見ただけだったけれど、この状況下なら、僕が顔を上げるだけで、パーフェクトにモロ見えになるのは明らかだ。これを千載一遇のチャンスと呼ばずに、何と言おう。
「いや待て、落ち着け、これはメイちゃんの罠だ……」
理性の溶けたアホ面で、パンツに釣られて顔を上げた瞬間、メイちゃんと目が合ったら僕のダンジョン攻略はここでお終いだ。
彼女はこのパンモロ状況を分かっていて、あえて僕を試しているのかもしれない。僕の紳士力が、今こそ、試されているのかもしれないじゃないか!
「く、くそぉ……だが、しかし、これは……」
「小太郎くーん、大丈夫だから、上がって来ていいよー」
あっ、そうですか、もうサービスタイム終了ですか。
悶々と悩んでいる内に、さして高くもない梯子を登り切ったメイちゃんから、お声がかかった。
ちくしょう、滅多にないチャンスを棒に振ったか。いいや、これで良かった、良かったんじゃよ……
「はぁー、全滅かぁ……」
結局、川の向こうに渡れる下水道のルートは見つからなかった。
まったく、今日は散々な日だ。
橋はスナイパー桜井によって封鎖されているし、安全な迂回路である下水道は調べた結果全てダメだったし、おまけに梯子を登るメイちゃんのパンモロチャンスも血の滲む努力によって我慢した。
いいことなんて、一つもなかったよ。
川付近の下水道のルート探索を終えた頃には、流石に疲労も溜まって来たし、時計を確認してもとっくに夜の時刻となっていたので、ひとまず妖精広場へ引き返すことにした。今朝には、ここもオサラバかと思って出てきたのに、まさか日帰りになるとはね。
「小太郎くん、ご飯できたよー」
バナナイモとロイロプスのベーコンによるジャーマンポテトみたいなのが、今日のメニューである。
僕がその辺で拾い集めてきた、スパイスみたいなのが効いていて美味しい……けど、僕としてはいよいよ本気で桜井君と戦わなければいけないかと思うと、あんまり味の方には集中できなかった。
「うーん、どうするか……」
どうすれば、あの神業的な腕前を持つ『射手』の攻撃を潜り抜け、接近することができるか。より具体的にいえば、メイちゃんを無傷で桜井君の前に立たせるか、である。
彼女の主装備の一つとなっている『ダークタワーシールド』は、かなり分厚い漆黒の大盾だが、果たして、本気になった桜井君の一撃を止められるかどうか、不安が残る。弓の武技を使われれば、この重厚な盾すら貫いてきそうな予感がするのだ。
だから盾の装甲のみを頼りに、強引に橋を突っ切るだけ、というのは実行するにはリスクが高すぎる。
ならば、レムを総動員して囮を増やすというのはどうだろうか……いや、数が増えたところで、一緒に渡っても真っ先にメイちゃんを狙うだろう。桜井君の直感力なら、数ばかり増やしたレムの集団を見ても、大した戦闘力がないことをすぐに見抜いて、後回しにする。
そもそも、接近戦にまで持ち込んだとしても、『射手』を極めつつある桜井君を、ゴライアスの力を取り込んだレム初号機でも太刀打ちできるかどうか。スキルや武技がなくても、超人的な身体能力を獲得していれば、ただナイフや剣を持っているだけで、桜井君は十分な近接戦闘能力を持つことになる。
やはり確実に彼を倒すには、メイちゃんをぶつけるしかないのだ。
でも、安全確実に彼女を接近させるための方法が見つからない。
「はぁ……分身にも『痛み返し』が発動すればなぁ」
やはり本人の肉体そのものに効果があると思しき『痛み返し』は、残念ながら、『双影』では発動しない。もし、これできたなら、チート級の最強自爆コンボが完成したというのに。
「いや、待てよ、分身が歩いていくだけでも、桜井君は僕本人が来たと思うんじゃないか?」
最初の接触の時点で、僕は『痛み返し』の効果を彼に伝えている。
だから、絶対に一撃必殺はしてこない。やるとするならば、カスリ傷でも負わせて、ダメージ反射の効果を実証してからということになる。
「ダメだな、傷をつけられた時点で、次はヘッドショットで消える」
分身には『痛み返し』がないのだから、傷をつけてもそのまま。桜井君からすれば、僕の言った能力は単なるハッタリだと確信して、二射目は容赦なく殺しにかかってくる。
結果的に、分身を進ませても橋の半ばで倒れるだけだろう。彼に接近するまでには至らない。
「あっ、そうか、分身を歩かせる必要もないんだ」
ようやく、僕の頭に閃きが走る。
「そうだ、分身の僕を、メイちゃんの盾にすればいいんだ!」
その天才的な発想が出た勢いで、僕はザバーンと湯船から立ち上がる。
「小太郎くーん、呼んだー?」
「よ、呼んでない! 呼んでないから!」
今にもペラい黒髪織の仕切をめくって、風呂場に入って来そうなメイちゃんを慌てて止める。
あ、あぶねー、止めるのがあと2秒遅れてたら、確実に踏み込まれていたよ。僕は入浴中のメイちゃんをウッカリ覗いてしまうラッキースケベは望むところだけれど、僕の裸が彼女に見られるのは何も嬉しくない。自慢できるほど立派なモノがついてるワケでもないし。かといって、短くとも小さくともない、普通、そう、フツーだよフツー。
「ともかく、上がったら早速、実験してみよう」
それから五分と経たずに入浴を終えて、僕は今度こそ本当にメイちゃんを呼んだ。
「これから、ちょっとした実験をするから」
「実験?」
「うん、僕の分身を、見分けられるかどうか」
メイちゃんには、僕の最新呪術である『双影』のことは話している。効果を説明しただけで、まだ実際に見せてはいないから、これで初披露となる。
「じゃあ、ちょっと後ろ向いてて」
「うん」
さて、それじゃあちょっと、張り切って分身するか。
「重ね、映し、立て、その身は全にして一なる、虚無の実像――『双影』」
気合いを入れて、フル詠唱。僕の足元の影から、モヤモヤと黒い煙のようなモノが立ち上り、次の瞬間には、人型を形成し、僕と全く同じ姿が現れた。
レイナ戦の時に使った時は学ラン姿だったけど、呪術を使ったその時の服装が反映されるため、今回はジャージにTシャツ姿である。
「もういいよ。こっち向いて」
「うわぁ、本当に小太郎くんが二人いる!?」
素直なメイちゃんの驚きリアクション。僕も散々確認したけれど、外見的には本物と分身は全く同一。しげしげと眺めてみても、角度を変えて見ても、色が違うとか艶が違うとかちょっと透けているとか、そういうことも一切ない。
「見ての通り、外見は完璧だけれど、直感の鋭い人にはバレるかもしれないから」
「だから桜井君に挑む前に、狂戦士の直感力があるメイちゃんに見分けがつくかどうか、試してみたかったんだよね」
先に分身を喋らせ、次に僕が喋る。こうして実際に声に出して喋らせても、分身と本物に違いはない。CVが変わるとか、そういう演出もありません。
「な、なるほど……でも、うーん、これはどっちが本物なのか、分からないよ」
「本当に分からない?」
「僕が本物の小太郎だよ!」
「騙されないで、僕が本物だよメイちゃん!」
「え、えっ!? う、うぅーん、分かんないよぉー」
調子に乗って、漫画でよくある仲間に化ける能力の敵が現れた的なことをやってみる。メイちゃんは割と本気でオロオロして、僕と分身を交互に見つめては、うんうんと唸っている。
「やっぱり、見分けはつかいないんだ?」
「うん、どっちが本物なのか、全然分かんないよ。でも――こっちが本物な気がする!」
と、彼女は迷いなく、本物、というか、本体の方の僕へと迫り、勢いのまま抱き着かれた。
「うわっ、ちょっ――」
胸が当たってる、顔に。当たってるっていうか、これ、もう埋もれるよ。す、凄い、顔面に温かく柔らかい感触が、とにかく凄い良い匂い。何言ってんのか、よく分かんない。
「どう、当たり?」
「う、うん、当たり」
「やったー」
とか言いながら、さらにギュっと抱きしめられて、ヤバい、溺れる、おっぱいに……
「ふぅ……それにしても、何で本物が分かったの?」
「何でだろう、勘、かなぁ? こっちが本当の小太郎くんの体だ、って何となく思ったの」
「そっか」
まずいなぁ、そんなアバウトな勘で分身を見分けられてしまったら、桜井君にも速攻で正体を見破られてしまうかもしれない。盾役の僕が偽物の分身と判断されてしまえば、その時点で盾としての意味を失う。
「ちょっと、もう一回いい?」
「うん、いいよ」
彼女の勘がどの程度の的中率か、それも検証しておく必要がある。これで、五分五分の結果になるのなら、ただのヤマ勘ってことで心配する必要はないのだけれど……
「――こっちが本物の小太郎くん!」
そして、おっぱいに溺れ続ける僕。
メイちゃん、どうしていちいち抱き着くんだろう。
十回連続でその大きすぎる爆乳に顔を埋めては、完全に理性のとろけきった僕の頭では、そんな疑問を抱くこともなかった。何かもう、ずっとこのままでいたい……
「ハッ!?」
「小太郎くん、ボーっとして、どうしたの?」
そのでっかいおっぱいに顔を埋めてどうにもならない男がいたら、ソイツは真正のホモだけだろう。
けれど、ここは意地でも平静を装わなければいけない場面だ。ちくしょう、メイちゃんに抱き着かれまくって、おっぱいがいっぱいで完全に頭が回ってなかった。
「と、とにかく、メイちゃんの正解率が100%なんだけど。そんなに、分かるもんなの?」
「うーん、私は何となく分かる、けど……多分、他の人は絶対に分からないと思うな」
「付き合いが長いから、微妙な気配の違いとか分かるのかな」
「うん、きっとそうだよ。小太郎くんのこと、分かってあげられるのは、私だけだよ」
この甘く危険な実験の果てに、とりあえず分身の正体が即座に看破される可能性は低そう、ということは分かったけれど……やはり、不安は残る。
ここはもう一つくらい、何か手を打っておきたいところだけれど、さて、今の僕に、他に何ができるだろうか。
2018年 9月6日
本日、私が住んでいる北海道で大きな地震がありました。幸い、私の住む場所ではすでに電力も復旧しているので、こうして無事に投稿できております。
以上、生存報告でした。




