第151話 桜井遠矢と雛菊早矢(2)
俺の授かった天職は『射手』だ。
『一射』:よく狙いを定めることで、弓の威力と命中率が上がる。
『気配察知』:敵の気配を察知する感知力が鋭くなる。
『弓を引く者』:弓を扱う才能の証。
初期スキルの構成は、ものの見事に弓矢を持っていなければ一般人と変わらないことを示している。早矢ちゃんの助けに飛び込んだはいいものの、ゴーマに囲まれて手も足も出ない情けない状態だったのは、俺が素手だったことが根本的な原因だ。
早矢ちゃんが倒してくれたゴーマの中に、偶然にも弓を持っている奴がいて、本当にツイてた。
そして、あの窮地を脱する大活躍を果たした早矢ちゃんの天職は、『呪術師』というものらしい。
『毒』:敵を毒の状態異常に陥れる。
『付加』:魔法の効果を物質に付加することができる。
『簡易錬成陣』:簡易的な略式錬成を行える。理解と解明。分解と再構成。
どのスキルも、実際に使ってみないとイマイチ効果のほどが分からない。『毒』がゴーマをほぼ即死させるほどの威力があったのは、幸いだ。
もし、よくあるRPGみたいに、時間をかけてしょっぱいダメージを与えるだけの強さだったら、毒が回っている間もゴーマは元気に襲い掛かって来て、そのままやられていただろう。
どうやら、この異世界の魔法ってのは、相当に強力みたいだな。
いや、早矢ちゃんが魔法の天才だから、あれだけの威力が叩き出せたのではないだろうか。ありうる、この異世界に来て、彼女の秘められた才能が開花するとか、マジでありうるよ。
だがしかし、それならそれで、早矢ちゃんにはもっと相応しい感じの天職を与えてほしかった。そうだな、『聖女』とか?
「えっと、とにかく、ダンジョンを進んで行くしかないんだよね」
「ああ、そうみたいだ」
ダンジョンの最奥にある『天送門』を使えば、この危険な場所からひとまずは脱出することができる。俺の早矢ちゃんを、こんなヤバいところに一秒たりともいさせたくない。何としてでも、『天送門』にまで辿り着かねば。
「なんだか、先は長そうだよ」
「大丈夫だよ、俺が早矢ちゃんを、必ず無事に『天送門』まで連れていくから」
ひとまず、弓が手に入ったのだ。これでゴーマ程度の魔物なら、いくらでも撃退できる。過信ではなく、純然たる事実。
辿り着いた安全地帯である妖精広場、ここへ来るまでの道中に、何度もゴーマの襲撃を返り討ちにしている。奴らの群れの内で、何体かは弓を持っているから、倒せば矢の束も手に入る。ただ、品質の方はお察し。お前ら、原始人だってもうちょっと綺麗に矢じりを削るぞ。
「遠矢くん、私も戦うよ」
「そんなのダメだ、危ないよ早矢ちゃん。最初にゴーマと戦った、あの時だけで十分だよ」
「私を守ろうとしてくれる気持ちは、凄く嬉しい……でも、私だって、遠矢くんのことを守りたいの!」
な、な、なんてことだ……怖がりな早矢ちゃんが、あんな経験をしても自ら戦うと言い張るとは。しかも、俺の身を案じて、だなんて……くそ、ダメだ、まだ泣くな。まだ感動で泣くタイミングじゃない!
「でも俺は、早矢ちゃんにもしものことがあったらと思うと」
「それは私も同じだよ。ねぇ、遠矢くん、私にも天職の力があるの。だから、一緒に頑張ろう。遠矢くんと一緒なら、私は怖がらずに戦える。必ず、遠矢くんの力になるから!」
「さ、早矢ちゃん……うぅ……」
もうダメだ、涙腺崩壊。俺は彼女の気持ちが嬉しくて、もうこれ以上の意地を張ることはできなかった。
そして、全く彼女の言う通りだったということが、すぐに判明した。
「す、凄ぇ……普通に弓矢だ」
「ふぅ、錬成が上手くいってよかった」
早矢ちゃんは早速、『簡易錬成陣』を使って、ゴーマの鹵獲品であるボロ弓を改造した。
錬成、というのは、どうやら魔力を使い、術者の意思に従って自由自在に物質を変化させることができるらしい。なんか、錬金術師みたいだ。そういう漫画あったよな。
オンボロの弓でも、錬成で修復すれば綺麗になるし、補強材料として木材を錬成陣に放り込めば、融合させて、強化することもできた。とりあえず、今回は妖精広場にあった胡桃の木の枝を使った。
そうして完成したのが、立派な屈曲型短弓である。
ゴーマの弓は弧を描くシンプルな形だったが、錬成後にはM字型になっている。たしかこういう形状の方が、反発力が高まるんだったか。
勿論、外観だって今にも弦が切れそうなオンボロではなく、新品同様の綺麗さ。
さらに、セットで矢の方も束で錬成し直すことで、鋭い矢じりの美しい矢にしてくれた。この弓矢を使えば、威力も射程も精度も段違いだ。
そして、それを使うのは天職『射手』の力を持つ俺である。
「やっぱり、遠距離武器は強いな」
相手がゴーマ程度なら、戦いというより、一方的な虐殺だ。
まず『気配察知』で、先に俺が敵を発見できる。
ゴーマの群れは、基本的に十体前後の数。先手を打てれば、まず二、三体は射殺できる。これで正確に矢が飛んでくる方向が判断できず、右往左往しているようなら、そのまま順番に撃っていくだけ。
俺の居場所が分かって、矢を撃ち返したり、武器を構えて突撃してきても……俺と奴らの間には百メートル以上も距離がある。『射手』の力を得た今の俺なら、歩いて後退しながらでも、それなり以上の命中率を誇る。落ち着いて、近づいてきた順に射殺していけば、十体程度など辿り着く前に軽く全滅だ。
矢で反撃してくる奴は、無視していい。こっちは早矢ちゃんの短弓の射程を生かして攻撃しているのだ。ゴーマの弓では、その場から撃っても矢が届かない。たとえ、射程内にまで近づけたとしても、ゴーマの腕前ではまず命中することはない。お前ら、もうちょっと練習してから狩りに出かけろよ。
こんな感じで、ゴーマとか狼とかスケルトンとか、それくらいの魔物は難なく倒してダンジョン攻略は進んだ。
たまに強敵っぽい、矢一発で倒せなさそうな大きな魔物が出ても、
「――『毒』・『付加』」
早矢ちゃんが俺の矢に『毒』の効果を付加した毒矢で射れば、図体のデカい奴、深く矢が刺さらない固い奴、などでも、毒が回って簡単に倒せる。
その代表例が、俺達が初めて遭遇したボスだろう。
ソイツは、メイスと盾を装備した巨大なスケルトンだった。
ただのスケルトンは道中に何度も戦って、ヘッドショット一発で頭蓋骨を砕いて倒してきた。だが図体がデカいだけあって、矢が直撃しても分厚い頭蓋骨には僅かにヒビが入るだけ。
しかし、矢じりに『付加』された『毒』が効いた。どう見てもスケルトンは命のある動物ではないが、それでも魔法の毒は骨の体も蝕むらしい。
早矢ちゃんが直接放つ『毒』の援護もあって、ボススケルトンの動きは鈍り、固い骨がボロボロと風化したような変化が起こっていた。
そこへ矢を撃ち込めば、あっけないほどボスの骨格は砕ける。毒の影響を受けると、骨が脆くなるようだ。
ダメージが通るようになれば、後は一方的。ボススケルトンが振り回すメイスの間合いに入る前に、矢を撃ちまくって全身を粉砕する。
「ふぅー、早矢ちゃんの『毒』が無かったら、ヤバかった」
「ううん、遠矢くんの力があるから、倒せたんだよ」
「俺は別に……いや、そうだ、やっぱり、俺と早矢ちゃん二人の力がないとダメなんだ」
ボスを相手してハッキリとそう実感した。この巨大スケルトンは、俺だけでも、早矢ちゃんだけでも、倒すことはできなかった。
「うん、そうだよ、遠矢くん。ふふふ、これからもよろしくね」
「ああ、早矢ちゃん、ずっと一緒だよ」
俺と早矢ちゃんのダンジョン攻略は、何度かピンチもあったけど、割と順調な方だろう。
思えば、最初の頃に比べて、俺達も随分と強くなった気がする。
『穿撃』:放った矢の貫通力を高める。
『衝波』:矢の貫通力を衝撃波へ変換する。
『流星』:流れ落ちる星の如く、光り輝く重き一撃は、大地を穿つ。
弓の武技である、攻撃スキルが増えたお蔭で、単純に攻撃力は上昇している。『穿撃』を使えば、最初のボスの巨大スケルトンの頭蓋骨も一発でぶち抜けるだろう。あるいは『衝波』なら砕くこともできる。
『流星』は、何故か着弾すると爆発を引き起こす、いわゆる一つの必殺技みたいなモノだ。コイツを使う時は、えらく弓を引くのが重くなるし、放つまでに溜めを要する。早矢ちゃん曰く、俺の魔力が矢へと収束しているのだとか。攻撃魔法と似たような原理らしい。
確かに、矢じりが青白い輝きを放つのは、如何にも魔法っぽい。そして、文字通り流星のように輝く尾を引きながら飛んで行っては、着弾と共に大爆発。
弓矢一発とは思えない威力だが、あまりに派手すぎて俺の基本戦法である狙撃に向かないんだよな。コイツを撃ち込んだら、一発で潜伏場所がバレちまう。
だから、普段はあまり『流星』の出番はない。
『索敵』:敵の存在を、より鋭く、正確に察知する。
『直感』:第六感により、様々な危険を直感的に察知する。
まず、俺の探知能力が向上し、ほぼ確実に先手をとれるようになった。『索敵』は『気配察知』よりも高性能だし、『直感』のお蔭で、罠などを含めて危険を回避できる。
この二つのスキルのお蔭で、より安全な立ち回りが可能となった。
『気配遮断』:気配を断ち、影のように身を潜め、静かに行動できる。
さらに、このスキルを習得したことで、俺は先制攻撃で一発決めても、なかなか相手に居場所が悟られにくくなった。ゴーマ程度では、俺を見つけることはできない。
『隠形』:完全に気配を断ち、影に溶け込み身を隠し、無音で行動できる。
繰り返し奇襲を成功させることで、スキルが強化というか進化というか、より強力な効果のある『隠形』となった。
これになると、ゴーマよりも感覚が優れる魔物でも、容易に俺を発見できなくなった。狼や恐竜みたいな奴らでも、隠れ潜む俺を見つけられないのを思えば、臭いもかなりのレベルで誤魔化せているようだ。
あまりに敵が俺の存在に気づかないので、透明人間にでもなったような気分だが、姿を晒せば普通に見つかる。あくまで隠れ潜んでいる状態の時に、非常に見つけづらくなる、という効果だ。
他にも、攻撃以外のサポートスキルみたいなのが充実してきた。
『鷹目』:鷹の目のように、遠くのモノを正確に捉えることができる。
『風読』:風の流れを感じ、予測できるようになる。
『疾駆』:疾風の如く、走ることができる。
双眼鏡を覗いたように遠くが見える『鷹目』に、矢の弾道に大きな影響を与える風を正確に感じとれる『風読』。これらの能力が合わされば、俺の奇襲能力は更に高まる。
ついでに、いざという時も『疾駆』で走れば、素早く逃げ出すこともできるから、安心である。早矢ちゃんは軽いから、抱えて逃げても結構な速度で走れるんだぜ。
しかし、俺の『射手』としての力に最も大きな影響を与えているのは、初期スキルの中で、効果が全く分からなかった『弓を引く者』だった。
どうやら、コイツの効果は弓矢を扱う動作全般に作用しているらしい。戦い続ける中で、自然と分かって来た。
矢の命中率は勿論、走ったり跳んだりしながらでも、弓を引いて放つ動作の安定性。さらには、矢を二本、三本と同時に番えては正確に射る器用さ。矢羽を千切って、狙ってカーブさせる曲芸染みた真似だってできる。
俺が弓を使えば使うほど、そして矢で敵を射殺せば射殺すほど、このスキルの力が増大していくのを感じた。最早、スキル補正というより、これくらい出来て当たり前、と自然に感じさせるところが『弓を引く者』の凄いところだ。
そうして、正しく超人的な弓の腕前を持つに至った俺だが、勿論、成長しているのは早矢ちゃんも同じだ。
『呪導錬成陣』:基礎的な錬成に、自らの魔力によって呪術を刻む。深淵なる禁忌探究の始まり。
まず、早矢ちゃんがちょっとヤバそうな感じの新しい錬成陣スキルを習得した結果、俺の弓矢が物凄いことになった。
『黒角弓』:上質な地竜の角を用いた大弓。呪術の影響により黒化している。
今の俺が装備している、トリケラトプスみたいな恐竜型ボスの巨大な二本角を材料に作りだされた、大きな黒い弓。漆塗りみたいに艶やかな黒一色に染まった二本角の弓は、最初の頃に使っていたものに比べると、弦を引くのが何倍も重い。普通の人では、この弓を引くことすらできないだろう。早矢ちゃんでは何センチも引けなかったし。
しかし、俺ならコイツを十全に扱える。『射手』として身体能力が上がっているのか、それとも『弓を引く者』の恩恵か、今の俺にはコイツぐらいの強弓がよく馴染む。
そして、この『黒角弓』より放たれる矢の威力は、強烈の一言に尽きる。
正面から突撃してくる大猪を撃てば、眉間から入り、体内を完全に貫通し、尻を飛び出し、百メートルは後方にあった木の幹に深々とつき刺さる。おおよそ百メートル以内なら、大体の魔物の毛皮も甲殻も貫通する威力だ。流石に、鎧熊クラスの硬さになると、武技を併用しなければ貫けないが。
ゴーマのような雑魚なら、百メートルを超えたさらに長い距離でも、当たれば即死級の威力を維持できる。
普通に矢を射かけるだけで、これだけの攻撃力。
だが『呪術師』である早矢ちゃんの真価は、弓よりもむしろ、矢の方だろう。
『毒矢』:『毒』が付加された毒の矢。
『猛毒矢』:『猛毒』が付加された強い毒の矢。
『麻痺毒矢』:『麻痺』が付加された毒の矢。
『黒矢』:黒化した矢。
『黒化』:黒色魔力による基本的な浸食作用。
まず、毒矢が強くなった。『猛毒矢』になると、大きな魔物でも一発でぶっ倒れるほどの強烈な毒性を誇る。
だが、魔物の中には毒に対する耐性を持つヤツもいるようで、必ず効くとも限らない。しかしながら、耐性があるからといって、全ての毒を防げるわけでもないようだ。『毒』は効かなくても、『麻痺』は効く、という魔物もいたし。
どっちも通用しない毒に強い上に、防御も固いような奴を相手にするときは、『黒矢』を使う。
早矢ちゃんの『黒化』という呪術は、魔力をモノに流すことで、強化できる。彼女の力によって、黒一色に染まった矢は、普通の矢と比べて遥かに威力が高い。
この『黒矢』を用いて武技を放てば、分厚い甲殻を持つルークスパイダーも易々と貫いてみせる。どうやら黒化したことで付与された魔力が、武技の威力も増大させる効果もあるようだ。『黒矢』で『流星』をぶっ放すのが、今の俺が持ちうる最大威力の技だ。
矢の他にも、先端が矢じりではなく、着弾すると衝撃で割れる玉に変えた、グレネードみたいなのもある。
『炎玉』:火の魔石を用いた点火装置と可燃性の油を詰めた玉。
『煙玉』:『黒煙』を封じた玉。
『毒煙玉』:『毒(ポワゾン』の煙を封じた玉。
『眠り玉』:『睡眠』の霧を封じた玉。
これらの玉はテニスボール大で、全て彼女の錬成によって作られている。玉がくっついているから、普通の矢に比べて貫通力も飛距離も大きく落ちるが、敵の集団の真ん中に落とせばそれでいい話だ。放物線を描いて、いい場所で炸裂すれば、上手くいけば敵を一網打尽にできる。
特に『眠り玉』は、相手に効果が気づかれにくいので、使い勝手がいい。コイツのお蔭で、ゴーマの根城に楽勝で侵入できた。
城にいた、デカいゴーマの大ボスであるゴグマも、黒角弓と黒矢と武技があれば、頭に一発撃ち込むだけでカタがついた。
苦難を乗り越え、俺達は強くなった――そう、思いあがってしまった。
ゴーマ城から転移を果たして、広大な遺跡の街の攻略を始めた時、俺達はこれまでにない強敵と出会ってしまった。
「くそ、相性が悪すぎる……」
ソイツは、鎧兜で完全武装した騎士だった。だが、中には誰も入っていない。鎧だけで動く、リビングアーマーと呼ぶべき魔物。
上等な武器を持ち、スケルトンとは比べ物にならない戦闘能力を誇る。そして、何より恐るべきなのは、その頑丈さとタフさだ。
スケルトンには『毒』も通って骨が脆くなったりしたが、リビングアーマーには全く通用しなかった。毒も猛毒も麻痺も、どれも効果がない。コイツは状態異常全般に、完全な耐性を持つのだろう。
ならば、あとは力押し。あのゴツい鎧は、かなりの防御力を持つが、俺の矢なら貫ける。そう、確かに俺の矢はリビングアーマーを貫いた。だが、それだけだった。
奴はコレといった弱点がない。兜に矢が突き立っても、リビングアーマーは平然と動き続ける。胴体に何十と矢を撃ち込んでハリネズミにしてやっても、痛がる素振りすらない。膝を撃っても、動きが鈍りすらしない。
基本的に、先手を打って頭などの弱点を狙撃することで勝利を重ねてきた俺にとって、どこを射抜いても大してダメージが通らないリビングアーマーは、最悪の相性にある敵だった。
「遠矢くん、逃げよう。あの鎧は多分、光とかの属性じゃないと倒せないし、止めるならバラバラにするくらいにしないと」
「流石に『衝破』だけじゃ、アイツを粉砕するのは無理だ……逃げるしかないか」
あるいは『黒矢』の『流星』なら、半壊くらいはさせられるかもしれない。だが、リビングアーマーはボスとして現れたワケじゃない。奴らは普通に、複数で組んで街中をウロついているのだ。全てを倒していくのは不可能だった。
「行くよ、遠矢くん――『黒煙』!」
早矢ちゃんが逃走用の煙幕をバラまくと同時に、俺もこっちに向かって襲い掛かろうとしているリビングアーマーに対し、『煙玉』を撃ち込む。
俄かに漂う濃密な黒煙は、完全に奴らの探知能力を奪う。せいぜい、弓矢を装備している奴が、苦し紛れに射かけてくる程度。
そんなの、当たるワケがない……はずだった。
「――あっ!?」
最悪に不幸な事故だった。
煙幕の向こうから飛来した一本の矢が、偶然にも、早矢ちゃんに命中した。逃げるために、背中を向けて走り出していた彼女を、後ろから貫く。血塗れの矢じりが、早矢ちゃんの脇腹から飛び出してる。
「早矢ちゃん!? そ、そんな……」
矢が刺さった彼女を目撃した瞬間、俺の頭の中は真っ白になってしまう。
「と、遠矢くん……止まったら、ダメ……早く、逃げないと」
凄まじい激痛に襲われているはずなのに、早矢ちゃんは悲鳴一つ上げることなく、気丈にそう訴えかけた。確かに、彼女の言う通り。煙幕の向こうでは、リビングアーマーがこっちを追いかけてきている。ここでグズグズしていれば、奴らに追いつかれてしまう。
ああ、早矢ちゃん、君は何て強い人なんだろう。俺なんて、その傷ついた姿を見ただけで、何も考えられなくなりそうだったというのに。
落ち着け、俺がパニックになれば、どうしようもない。
「早矢ちゃん、しっかり掴まってて!」
「うん、ごめんね、遠矢くん……」
俺は早矢ちゃんを背負って、『疾駆』を駆使した全力疾走でその場を急速離脱。幸い、リビングアーマーの移動速度はそれほどでもない。
それに、この遺跡の街の攻略を始めて一週間近くが経過している。その間に、どうやら奴らは決まった場所を巡回しているだけで、そこを外れれば追いかけてはこない、というのも分かっている。
妖精広場まで戻るには遠すぎる。
だが、リビングアーマーの活動範囲外、それでいて、周囲の見通しが良く、守りやすい、比較的安全な場所は幾つか心当たりをつけている。
とりあえず、俺はその内の一つである、大きな川の岸辺に建つ、高層マンションみたいな建物に駆け込み、最上階まで登った。
ひとまず、ここまで来れば一安心。一刻も早く、早矢ちゃんを治療しなければ。
「はぁ……はぁ……と、遠矢くん、ごめんね、私がドジだから、矢に、当たって……」
「大丈夫、大丈夫だから、すぐに治るよ、こんな傷!」
早矢ちゃんの顔から、血の気が引いて真っ青になっている。矢傷は一つ、まだ抜いてもいないから、それほどの出血量でもないはずだ。けれど、顔面蒼白で弱々しくつぶやく彼女を見ているだけで、どんどん俺の心の中に不安感が広がっていく。
怖い、怖い……早矢ちゃんを、彼女を失ってしまうのが、何よりも恐ろしい。
ああ、ちくしょう、こんなことならポーションを温存しておけば良かった!
前々回のボスには苦戦させられて、俺もかなりの手傷を負ってしまった。確かに、生きるか死ぬかギリギリの重傷ではあった。偶然、宝箱から一つだけ入手した魔法の回復薬であるポーションを、早矢ちゃんが泣きながら俺に使ってくれたのだ。
本当に、こんなことになるなら、彼女の好意に甘えず、俺はどんな重傷でも我慢して耐えるべきだったんだ……しかし、後悔しても遅すぎる。
今、俺達の手元にある薬といえば、最初の頃からコツコツと集めてきた、四葉のクローバーしかない。
「遠矢くん……私……」
「喋らない方がいい。俺がずっと傍にいるから、安心して……必ず、傷は治るから」
矢を抜き、傷口にクローバーをつぎ込み、できるだけの処置は完了した。
だから、もう俺にできることは、彼女の白くて細い手を、握りしめて励ますくらい。
「ありがとう、遠矢くん」
ああ、神様、お願いだ……どうか、どうか早矢ちゃんの命を助けてください……彼女が救われるなら、俺は何でもする。どんなことでもできる、だから、どうか、早矢ちゃんを……




