第150話 桜井遠矢と雛菊早矢(1)
俺と早矢ちゃんは、幼馴染だ。家が隣同士で、物心ついた頃にはもう一緒に遊んでいた。そして、気づいた頃には……好きになっていた。
告白したのは幼稚園の年少組みの時。そして、結婚の約束をしたのは、幼稚園の年長組の時だ。マセていた、とは思わない。俺は本気だったから。あの頃も、そして、今でもだ。
結局、小学生になっても、中学生になっても、何度も告白することにはなったけど。俺が何度告白しても、早矢ちゃんの答えは決まっている。
「私も、大好きだよ」
ああ、俺はきっと世界で一番、幸せな男に違いない。
こんなに大好きな、愛する運命の女性と、幼いころからずっと一緒に居続けることができたのだから。
俺と早矢ちゃん、お互いの思いは子供の頃から通じ合っていたけれど……恋愛小説でもないっていうのに、障害っていうのもあった。
ソレを最初に感じたのは、小学三年生の時だ。
男女の差ってのは幼稚園の頃でも多少あったものだが、小学生にもなれば、さらに輪をかけて男子と女子という意識も強まってくる。男子は男子で集まって遊ぶし、女子は女子で集まってお喋りしている。
そんな中で、学校でも放課後でも、ずっと早矢ちゃんという女子と、一緒にいたいという男子がいたら、どうだろうか。
「遠矢ぁー、お前また雛菊と一緒にいただろー」
「俺、昨日、雛菊と手ぇ繋いでるとこ見たぜ!」
「マジかよ、お前ら付き合ってんのかよー」
そんなことを言われ、俺は……当時、どうしようもないクソガキだった俺は、あろうことか『恥ずかしい』と思ってしまった。クラスみんなの好奇の視線と、囃し立てられる声に、俺は屈してしまったのだ。
そして、俺は彼女に何て言ったと思う?
「お、俺……もう、早矢ちゃんと一緒に帰らないから!」
もし、俺がタイムマシンで過去にさかのぼれるならば、必ず、この瞬間の俺をぶん殴りに行く。今でも後悔している、自分の人生の中で最大の汚点だ。
俺はつまらない自分の恥ずかしさのために、早矢ちゃんを遠ざけ、悲しませてしまったのだ。
早矢ちゃんが泣いていた、と知ったのは、それから三日も経ってからのことだった。
「ごめん、早矢ちゃん……ごめん……お、俺ぇ、好きだから! 早矢ちゃんのこと、大好きだからぁ……」
死ぬほど泣いて謝った。体中の水分を全て絞り出すような勢いで、俺は泣いた。あまりの大泣きっぷりに、早矢ちゃんの両親も慌てて止めに入るレベルだったらしい。
ともかく、俺は許された。早矢ちゃんは優しいから。彼女の優しさに甘えて、俺は許されたのだった。
それ以降、俺と彼女の仲を阻む者には、断固として抵抗することを心に誓った。
どれだけ噂されようと、馬鹿にされようと、嫉まれようと、俺は早矢ちゃんへの愛を貫く。そうと決まれば、もう、俺の心は揺れ動かなかった。
「ああー、なんだよ遠矢、また雛菊と一緒かよ。マジであのブスと付き合ってたのかー?」
「殺すぞ」
容赦はしない。俺の恋の邪魔をする者。俺の早矢ちゃんを侮辱する者。
幸い、俺は発育がいい方だった。おまけに、運動神経もそこそこ良い。小学生の喧嘩で、負けることはまずない。なにより、覚悟が違うからな。
愛は、最強の力だ。
けれどそんな俺のことを、心優しい、優しすぎる早矢ちゃんは心配してくれていた。
「遠矢くん、あんまり、私のことで喧嘩なんてしないで。私がブスなのは、事実だから……」
「何言ってんだよ、そんなことない! 早矢ちゃんは世界一可愛いよ! 俺にとっては、早矢ちゃん以外の女なんて、全部どうでもいい!」
「それに、遠矢くんはカッコいいから……私と遠矢くんとじゃ、不釣り合いに見えちゃうんだよ」
「そんなっ、釣り合ってないのは俺の方だよ!」
俺は世界で一番、可愛くて優しくて、最高に素敵な早矢ちゃんの彼氏に相応しいように、日々努力を重ねているくらいだ。体は鍛えているし、勉強だってしてる。ファッションなんて微塵も興味なかったけど、彼女の前でカッコつけるために、色々と調べたつもりだ。
その努力は、一応、それなりに実を結んでいるはずだ。
「ありがとう。でも、私と遠矢くんが一緒にいること、嫉妬しちゃう子も多いの……だから、あんまり気にしないで。私は、何か言われても、大丈夫だから」
「でも、そんな……くそ、俺はただ、早矢ちゃんと一緒にいられれば、それだけでいいのに」
「うん、遠矢くんが一緒にいてくれるから。だから、私は何があっても、大丈夫なの」
あまりの愛おしさに、胸が張り裂けそうだった。
俺達の邪魔をする奴らは許せないけれど、揉め事を大きくしてしまうと、それはそれで早矢ちゃんが悲しんでしまう。
恋愛関係っていうのは当事者同士だけでなく、周囲の人にも関わりのあることだっていうのを理解したのは、中学生の頃だったかな。多感な時期だ。男女の恋愛ってのに、特に敏感にもなってくる頃でもある。
幸いというべきか、俺は覚悟が決まっていたし、早矢ちゃんからこういう話も小学校高学年のあたりからされていたので、思ったよりも簡単に人間関係の面倒事を回避する術を身に着けた。
中学に入ると、本当に色気づいてくる、特に女子が。だから、大して関わり合いにもなってないくせに、すぐに好きだとか言い出しやがる。
お蔭で、俺は何度も女子から告白された。いや、お前の名前すら知らないんだけど、みたいな子も何人かいたな。
俺なんて、他の男子よりちょっと背が高くて、ちょっと運動ができて、ちょっと勉強ができて、そんな程度だ。顔は別に普通だと思うし、もし他の奴よりカッコよく見えたとしたら、それは髪型をカッコつけてるだけのことだ。あと、自分の体型に見合った服を着ていれば、スタイルもそれなりに良くみえるし。
そんな、他よりちょっとだけマシという程度の理由で告白してくる女なんて、あまりに軽すぎて軽蔑の感情すら湧いてしまう。本当の愛がどういうものか、知りもしない、頭の軽い女ばかり――しかし、俺のくだらない感情など抑え込んで、告白してきた女どもは、丁重にお断りしなければいけない。
女ってのは、すぐに嫉妬する生き物だ。俺は早矢ちゃんが好きだから、お前なんぞ眼中にねーよ、と馬鹿正直に語れば、奴らは100%の確率で早矢ちゃんを恨むのだ。おいおい、自分の魅力のなさを棚に上げて、世界一の女の子に嫉妬するなんて、どこまで愚かで醜いんだと思うが、女ってのはそんなもんだ。つまり、早矢ちゃんは女ではなく、女神なのだ。
慣れれば、そう難しいものじゃない。流石に十人以上も経験すれば、告白の上手な断り方っていうのも身につくものだ。少なくとも、断った途端に激高されたり、泣き出されたりすることはなくなった。
そうやって、俺は中学時代を乗り切った。
高校生になると、多少は落ち着いて来るのか、中学の頃よりは色恋沙汰で大騒ぎするようなことは減った。堂々と「俺達は付き合っているんだぜ!」と公言するカップルも、クラスに一組や二組はあるようになっていた。
俺にとっては過ごしやすい環境になったと言えるが……
「わー、蒼真君って、なんか凄いね。アイドルみたい」
蒼真悠斗の存在に、俺は生まれて初めて、男として嫉妬を覚えた。
俺は早矢ちゃんに相応しい男となるため、あの小学三年生の頃から出来る限りの努力を重ねてきた。そのお蔭で、クラスメイトの男子よりもちょっとはマシな魅力を持つくらいにはなっているという自負がある。
だが、蒼真悠斗は格が違った。生まれもった美貌、何より、その身から発するオーラ。綺麗なテレビドラマの中から飛び出してきた、フィクションの世界の人物のような、圧倒的な美男子だ。
そりゃあ、嫉妬もするさ。焦りもするさ。
も、もしかして、早矢ちゃん、もう俺のことなんて……
「でも、私は遠矢くんが一番カッコいいと思うよ。だって、私の彼氏だもん」
早矢ちゃぁーん! いいんだよね、その言葉、俺、信じていいんだよね。
なら、信じるよ。だから、蒼真悠斗に嫉妬もしない。
アイツは俺が見てきた中で、最強にカッコいい男だが……でも、早矢ちゃんが俺のことを一番だと言ってくれるなら、それで十分だ。
俺は、世界で一番の男になりたいワケじゃない。ただ、早矢ちゃんの一番になれれば、いいだけだから。
「早矢ちゃん……他に、気になる男子っている?」
でも、俺の弱い心が、ついこんな情けないことを聞いてしまったのを許しておくれ。
「他にって、あ、天道君とか? 天道君も、凄く女子に人気あるよね」
天道龍一。確かに、アイツもカッコいい。少なくとも、努力を重ねてイケメン枠に滑り込んだような俺よりも、遥かに。蒼真悠斗に匹敵する男は、彼だけだ。
「でも、怖い人はちょっと……」
うんうん、そうだよね、早矢ちゃんは不良生徒になんて見向きもしないよね。
大丈夫、いざとなったら、俺は天道でも、黒高四天王が相手でも、君を守るから。
「他には?」
しつこい、と怒られそうだけど、聞いてしまった。
「うーん、あの二人を除いたら、本当に遠矢くんが一番カッコいいと思うよ? なんだかんだで、その、女子の間では気になるって、噂になってるし」
ふーん、他の女子の話とかは、どうでもいいや。蒼真悠斗と天道龍一が、せいぜいミーハーな女子生徒達を引きつけてくれればそれでいい。俺はその間に、早矢ちゃんと心置きなくイチャイチャできる。
「あっ、気になるっていったら、えっと、その……桃川君、かな」
「ええっ!?」
桃川って、あのクラスで一番小さい女顔の奴だよな。も、もしかして早矢ちゃん、ああいうのが好みだったんじゃあ……
「桃川君って、女の子みたいに可愛い顔してるよね……正直、私よりも全然、可愛いよね……まさか男子に顔で負けるとは思わなくって……」
早矢ちゃんが、どんよりと暗いオーラに包み込まれている。
お、おのれぇ、桃川ぁ……早矢ちゃんの、ささやかな女子としてのプライドを、その可愛い顔であっけなくへし折りやがって。ええい、月のでない晩に、狙撃してくれようか。
「ねぇ、遠矢くんは、その……気になる女子とかって、いないの?」
「いないよ」
俺達と同じ学年の生徒には、目を見張るほどの美少女が何人もいる。蒼真悠斗の妹の、蒼真桜を筆頭に、今すぐアイドルで通用しそうな子が、かなりの人数が揃っていた。
けれど、それはあくまで、客観的な容姿の話に過ぎない。
「早矢ちゃんが、俺の一番だから」
「ふふっ、私も、遠矢くんが一番だよ」
自然と重なる、唇。
初めてのキスは、幼稚園の頃に済ませた。小学生の頃でも、何度か、いや、割と何度もやった。
でも、恋人同士なんだと意識してキスしたのは、中学の頃が初めてか。
それから、俺は早矢ちゃんを、女性として意識しながらキスをする。そのたびに、心臓が張り裂けそうなほどにドキドキしてしょうがないんだ。
好きで、好きで、大好きで……ああ、本当に、愛している。
俺は君に出会うために、生まれて来たんだ。俺は、君と共に歩むために、生きているんだ。
ずっと傍に。一生、一緒にいる。
だから――
「はぁ……はぁ……早矢ちゃん!」
この、忌まわしい異世界ダンジョンに放り出されて、俺は真っ先に早矢ちゃんを探しに飛び出した。
辛うじて残っていた理性が、ここでは戦う力が必要だからと訴えかけ、急いで天職だけは授かって来た。
俺の天職は『射手』だった。
当然だ。弓道は小学生の頃から続けている。なんのことはない、ただ何となく、早矢ちゃんがクラブ活動で始めたから、俺も一緒になって始めただけのこと。
でも、彼女と同じことをやるならば、カッコ悪いところは見せられない。真剣に打ちこんださ。腕前は、それなりのつもり。全国大会で優勝できるほどではないが。
しかし、弓を持たない『射手』に、一体どれだけの力があるっていうんだ。
弓道部の弓矢? そんなもん部室に置いてあるに決まっている。教室に持ち込んでいた蒼真桜がイレギュラーなだけだ。
こんなことになるなら、教室で無理にでも強奪するべきだったか。
いや、でも、あの時は崩壊する教室の中で、離れないよう早矢ちゃんを抱きしめているのに精一杯だったから……くそ、確かにこの腕に抱いていたはずなのに、崩れ去った教室から暗闇の空間に落ちて、意識を失ってしまった。恐らく、その間に手離してしまったのだろう。
せめて、すぐ近くに早矢ちゃんも落とされていると信じたいが……
「きゃああああーっ!」
「早矢ちゃん!」
悲鳴。その声を、聞き違えるはずがない。この俺が、彼女の声だけは。
俺の彼女、世界で一番大切で、ただ一人愛する女性、雛菊早矢の下へ。俺は全力疾走で向かった。
私と遠矢くんは、幼馴染です。家が隣同士で、物心ついた頃には、もう一緒に遊んでいた。そして、気づいた頃には……好きになっていました。
告白されたのは幼稚園の年少組の時。
「早矢ちゃん、大好き!」
「私も大好きだよ」
笑顔で答えた。嬉しかった。
私は幼稚園児の頃に、すでに思いが通じ合うことの喜びを知ってしまったのだ。なんていう、贅沢なんだろう。
だから、なのかな……私は、男の子と恋愛するのが、恥ずかしくなるほどの、ブスだった。
「ああー、なんだよ遠矢、また雛菊と一緒かよ。マジであのブスと付き合ってたのかー?」
小学生の頃、クラスの男子が教室中に響くほどの声で、そんなことを言い放った。
酷い台詞。でも、事実なの。
あの男子が、特別に意地が悪かっただけじゃない。むしろ、彼は遠矢くんと一緒に遊びたかっただけの、良い子な方。
誰だってそう思う。
遠矢くんは、あの頃から、もうカッコよかったから。
小学生の男子は、足が速いとモテる。遠矢くんは、学校で一番だった。運動会のリレーは、いつもアンカーで、そして、必ず1位でゴールするヒーローでした。特に、6年生の最後の時なんかは、前の人が転んじゃって最下位になっちゃったけど、遠矢くんが一気にごぼう抜きして1位になって……ああ、あの時の遠矢くんは、本当にカッコよかったな。
はっ、違う違う、彼のカッコいい思い出話ではなく、とにかく、遠矢くんはモテるのです。
凛々しい目元に、鼻筋の通った端正な顔立ちは、成長と共にどんどん男性としての魅力が増していく。背もスラリと高く、それでいて筋肉もついていて力強さもある。足が速いだけじゃなくて、運動神経も抜群。
勿論、球技大会でも遠矢くんはヒーローだった。遠矢くんがいれば、絶対に優勝した。
カッコよくて、スタイルもよくて、そんな男子が、スポーツで大活躍した後、汗まみれだけど最高に爽やかな笑顔を浮かべれば、もう、遠矢くんのことを、好きにならない女子なんていないよ。
でも、その笑顔はいつも、私にだけ向けられていた。
嬉しかった。とっても嬉しかった――けれど、嬉しいだけじゃない。あんなに素敵な遠矢くんを独占しているのが、こんな、私のようなブス女なのだ。
一重まぶたの細い目に、丸顔の下膨れ。鼻は低いし、髪の毛は変な天パでワカメみたいだし……唯一、私の顔で褒められる部分があるなら、歯並びくらいです。
体だって、女性としての魅力に欠ける貧相なもの。胸なんて、ブラをつけている意味がないほどのサイズだし。足も短いし。太ってはいないだけ、マシだと思いたいです。
それが私。こんな、どうしようもない石コロのような女が、ダイヤモンドのようにキラキラ輝く遠矢くんの好意を、一身に受けていればどうなるか。
嫉妬、嫉妬、嫉妬の嵐。罵詈雑言と誹謗中傷の雨霰。
ねぇ、遠矢くん、中学の頃に私といっつも一緒にいた、可愛い女子のお友達。彼女達はね、私の友達でも何でもないの。私と一緒にいれば、遠矢くんと一緒にいられるから、友達のフリをしていただけなの。
「おい、早く遠矢と別れろよ」
「テメーみてぇなクソブスと付き合ってる遠矢君が可哀想とか思わないの?」
「スマホ持ってんだろ? ちょっと今から電話かけて別れろよ」
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
彼女達に対する恨みよりも、私は自分の弱さが、情けなくて仕方がなかった。
遠矢くんは私の彼氏だから。そう言い張って、抵抗することすらできない。
だって、心の片隅で思ってしまうの。本当は、ずっと思っていたの。
遠矢くんには、もっと、彼女として相応しい女の子が、いるんじゃないのかって。
私は可愛くもないし、美しくもない。それでいて、容姿を補えるほどの豊かな才能も、天才的な頭脳もない。そして、容姿も才能も劣るくせに、何よりも、心が弱く、劣っている。
もし、私の心がもう少しだけ強ければ。あと、ほんの少しの勇気と、自信を持てれば……私はきっと、堂々と彼の愛を受け入れて、幸せに過ごせたはず。
けれど結局、私にはその、ほんのちょっとの強さすらなかった。
どれだけ酷いことを言われても、一言も言いかえすことなく、ただジッと耐えるだけ。ううん、耐える、なんて立派なモノじゃない。ただ言われるがまま、なすがまま、それだけのこと。
何も言わず、何もせず、ただ、メソメソと泣くだけの弱い私。
そうしていると、彼女達も我慢ができなくなってきて、遠矢くんに告白するのです。こんなどうしようもない、顔も心も醜い最低の女から男を奪うなんて、きっととても簡単なことだと感じたのでしょう。
確かに、私は弱い。でも、遠矢くんは強いから。
結局、どんなに可愛い女子に告白されても、遠矢くんは即答でフっていた。
その度に私は……ああ、よかった。まだ私は、遠矢くんの彼女でいられるんだ。そう、身勝手に安堵する。
自分は何もできないくせに、遠矢くんの強さに、甘えて、頼って……本当に、どうしようもないほど、私という女は最低です。
「ねぇ、遠矢くんは、その……気になる女子とかって、いないの?」
「いないよ。早矢ちゃんが、俺の一番だから」
「ふふっ、私も、遠矢くんが一番だよ」
白嶺学園に入学してから、ようやく、陰湿なドロドロの嫉妬の嵐は収まった。
きっと、遠矢くんよりもカッコいい、蒼真君に天道君という男子がいるから。ほとんどの女子は、彼らに夢中。中には、学園のアイドルのような二人のことは諦めて、カッコよさでは三番手の遠矢くんを狙う子もいるみたいだけど。
それでも、中学の頃よりは、ずっと平和だった。
友達も、本当の友達ができた。特に、長江有希子さんは特別だ。
クラスの中では地味で大人しい、けれど、私なんかよりはずっと可愛らしい顔立ちをした長江さんだけど、彼女は私と遠矢くんの仲を素直に祝福してくれた。そんな人は、同年代の女子で初めて出会った。
遠矢くんに気がなくても、私みたいなブスにイケメンの彼氏がいれば、嫉まれないはずがないでしょう。
でも、不思議と長江さんには、そういう気持ちが全くなかった。
ううん、不思議でもなんでもない。だって、彼女は心から愛する人がいるのだから。でもでも、それがよりによって、あの怖い樋口君だとは思わなかったけど……大丈夫、今でも、このことは誰にも言ってないから、安心して長江さん!
ともかく、そんな長江さんとの交友は、私の気持ちに大きな変化を与えてくれた。今でも覚えている、彼女の衝撃的な一言。
「雛菊さん、ちゃんと桜井君の愛に応えてあげないと、ダメだよ」
結局のところ、私は自分のことしか考えていなかったのだと、打ちのめされた。その言葉は、中学時代に浴びせられた、どんな酷い台詞よりも、私の心を深く抉った。
けれど、そのことに気づいて、認めて、受け入れられて、私はようやく、少しずつ変わっていくことができました。
遠矢くんは、私なんかよりもずっと体も心も成長して、どんどんカッコよくて素敵な男性になっていくけれど――ブスでダメな私は、そんな彼に、少しずつでも釣り合えるように、努力したいと思えるようになったのです。
私は、自分のダメなところに絶望している場合じゃない。
遠矢くんは、子供の頃からずっと、変わらずに、私のことを愛してくれているのです。
それなら、私は彼の愛に報いなければいけない。
本当に、相応しいかどうかじゃない。今この瞬間に彼が求めてくれるなら、私は、私の全部を捧げよう。
だから、怖くもないし、恥ずかしくもない。本当は、ちょっと怖かったし、すっごく恥ずかしかったけど……初体験は痛いってよく聞くけど、ねぇ、どうして痛かった私じゃなくて、遠矢くんの方が泣いてるの? でも、嬉しいよ、本当に優しいね、遠矢くん。
私の名前は雛菊早矢。桜井遠矢の恋人。
愛する彼のためならば、私は何でもしてあげたいし……きっと、何でもできる。
だから……だから……神様、私に、勇気をください!
「早矢ちゃん、大丈夫……俺が絶対、早矢ちゃんを、守るから……」
突然の異世界召喚。
ワケも分からず、いきなり放り出されたダンジョンで、私は魔物に襲われた。
真っ黒い、ゴキブリが人型になったみたいな、あまりに醜悪でおぞましい魔物は、その手に錆びたナイフや斧などの凶器を握り、私達を取り囲んでいた。
魔物に遭遇して、あまりの恐怖に泣き叫んだら、すぐに遠矢くんが来てくれた。
でも、本当は……遠矢くんだって、怖いのです。
「と、遠矢くん、でもぉ……」
「大丈夫、だから」
魔物の数が、多すぎる。
黒い魔物は、背も小さいし、手足も細くて、あんまり力が強そうには見えない。でも、十人以上の集団で、全員が武器を持っている。
対して、遠矢くんは素手。あの崩れ落ちる教室から、そのまま放り出されたままの格好のようです。
こんなの、いくら遠矢くんでも、勝てないよ。
「ブゲゲ!」
「グバ! ガブラァ!」
魔物は、私達が無力な獲物だと分かっているようで、笑いながら取り囲んでいる。まるで、これからどうやっていたぶって殺そうか、もったいぶるように、襲い掛かって来ない。
でも、もう、次の瞬間には、四方から錆びついた凶器が振るわれるのではないか。
死ぬ。死んでしまう。
怖い……けど、遠矢くんが、死んじゃうほうが、もっと怖い。
私なんて、死んでもいい。どうなってもいい。だって、遠矢くんが、今までずっと、ずうっと、愛してくれたから!
彼が生き残ってくれるなら、私は――
「お、お、お願い、効いて――『毒』っ!」
授かった天職の力を信じて、私は祈るように両手を組んで叫んだ。
「ブッ、ゲ……オバァアッ!?」
すると、今にも遠矢くんへナイフを刺そうと構えていた魔物が、血を吐いて倒れた。
「『毒』! 『毒』! 『毒』っ!」
私は、とにかく叫んだ。毒の魔法らしい、その力をひたすらに解き放つ。
「ウゲェエエーっ!」
次々と、魔物は苦しみもがいて倒れていく。一人、また一人。私の魔法、効いてる!
「ブググ、ブルガァアアアアアアアッ!」
でも、私は魔法を叫ぶのに無我夢中で、前の方しか向いていなかった。魔物は十人以上いて、私達を取り囲んでいたのだから、当然、後ろに何人もいる。
毒の魔法『毒』は、一回につき、一人しか倒せない。順番に、見える範囲で。
だから、後ろに陣取っている魔物に、対処できない。
おぞましい奇声に反応して、慌てて振り向いた時には、もう斧を振り上げて襲い掛かってくる魔物が、すぐ目の前にいた。
「――俺の早矢ちゃんに、手ェ出してんじゃねぇぞゴキブリ野郎ぉ!」
遠矢くんの激しい叫びとは裏腹に、ストン、と静かに、魔物の額に矢が突き刺さった。
「グッ、ゲェ……」
突き刺さった矢の勢いに負けたように、斧を高々と振り上げたまま、ぱたりと魔物は後ろへと倒れ込んだ。
「ははっ、弓さえ手にはいれば、余裕だな」
遠矢くんは、私が『毒』で倒した魔物が持っていた、今にも弦が千切れてしまいそうなボロっちい弓を構えて、笑っていた。
わー、遠矢くん、カッコいいなぁ……なんて、場違いにも見惚れていたら、もう、戦いは終わっていました。
「ふぅ、矢の数が足りてよかった。しかし、天職の力ってのは凄いな、百発百中だよ」
「遠矢くん……よかった、よかったよぉ……」
「ごめんな、早矢ちゃん、すぐに助けることができなくて。それどころか、俺の方が助けられたよ」
恐怖と緊張から解放されて、私は遠矢くんに抱き着いて泣きだした。
本当は、その場で泣きわめいているなんて危なかったのだろうけど、彼は嫌な顔ひとつせずに、いつもみたいに私のことを優しく抱きしめ続けてくれました。
そうやって、心が落ち着いてから、私はようやく聞くことができた。
「ねぇ、遠矢くんの天職って、やっぱり『射手』なの?」
「ああ、そうだよ」
ある意味、当然かもしれない。私も一緒に弓道は続けてるけど、大して上達しない下手くそのまま。でも、遠矢くんには才能があった。白嶺学園の弓道部で、蒼真さんと張り合えるのは、遠矢くんだけだし。
「でも、早矢ちゃんは違う天職みたいだね」
「あっ、うん……わ、私の天職は、ね……」
「早矢ちゃん、言いたくなかったら、無理に言わなくてもいいよ」
「ううん、いいの、遠矢くんには聞いて欲しい」
もう、遠矢くんは心配しすぎだよ。
でも、言い淀んでしまったのも本当。だって、ちょっと言いにくい感じだったから。
「私の天職は……『呪術師』なの」




