第142話 呪術師VS精霊術士(1)
2018年6月1日
申し訳ありません。例によって予約投稿を忘れたので、遅れて投稿となりました。
白雲ギリースーツを身に纏って、僕はゆっくりと壁伝いに動いてゆく。
僕の目的はレイナの殺害。ただ、この一点のみ。
今、レイナは妖精広場で一人きり。殺すならば、有無を言わさず最初の一撃で仕留めたい。アイツにはまだ、水精霊『セイラム』という霊獣が残っているのだから。
「……よし、まだ気づいてないな」
そっと入り口から中を覗けば、不安そうに膝を抱えて座り込むレイナの姿が見えた。小さな美少女が一人ぼっちで項垂れている様子は、なんとも庇護欲をそそるが、僕にとっては楽な獲物に過ぎない。へへっ、チョロいもんだぜ……きっと、僕にとって最大の強みは、レイナという美少女に対して、一切の同情や誘惑がされないことだろう。
アイツはその可愛い外見だけで、ありとあらゆる人間から、善意と庇護を一身に浴びて生きてきた。それが奴にとって当たり前の世界の在り方だとするならば、なるほど、僕みたいな存在はまさに天敵に等しいか。
「ちっ、ちょっと距離があるな」
僕の持てる手段で、人間を素早く一撃で殺傷するには、黒髪縛りでナイフを振るう飛刃攻撃しかない。
だが、ここから一発で刺し殺すには、少しばかり遠い。黒髪縛りのコントロール性能なら外すことはないが、急所を一撃で刺せるかどうかは、正直怪しい。
どうする、思い切って飛び出して、距離を詰めるか。
いや、一瞬でも危機を察知すれば、レイナの反応に関わらず自発的に霊獣は飛び出してくる。ならば、まだ気づかれていない、この状況をギリギリまで利用するべきだろう。
「這い寄れ――『黒髪縛り』」
ナイフ一本を握らせて、蛇のように静かに黒髪縛りを伸ばしてゆく。広場の芝生で隠れよう、ゆっくりと地を這わせていく。
音は立てなかったはず、けれど、隠すには芝生では足りな過ぎたか。
「っ!? な、なに! 誰かいるの!?」
レイナに勘付かれてしまった。くそっ、あともう一息だったというのに。
「ちいっ、勘のいいガキは、嫌いだよっ!」
僕は入り口から飛び出し、一気に黒髪縛りをレイナへと伸ばす。地面から飛び出すような勢いで一直線に跳ね上がったナイフは、僕の狙い通りに奴の首に伸びるが――
「キャアアアアアアアアアアっ!」
レイナの悲鳴と共に、広場の噴水から何かが飛び出す。いや、中から飛び出したのではなく、水そのものが動いたのだ。
「コォオオ……」
静かに、うめき声のような、呼吸音のような不思議な音を発するソレは、確かに女のような姿をしていた。水で構築された、透明な体。流水のロングヘアに、マネキン人形のような無機質な美人顔。モデルのような体型で、ワンピース状の衣装を纏ったシルエット。
コイツが最後の霊獣、水精霊『セイラム』と見て間違いない。
そして、セイラムは主を守るという霊獣の使命を、見事に全うしていた。
「触手を触手で止められたのは、流石に僕も初めての経験だよ」
僕の飛刃攻撃は、セイラムの腕から伸びる『水鞭』によって、見事に絡め取られていた。ナイフはどっぷりと水の塊が纏わりつき、どう頑張っても振り解けない。
くそ、触手のパワーは向こうの方が上か。
「い、いや……どうして、桃川君がここに……」
「さぁ、どうしてだろうな。でも、僕が何しに来たのかは、分かってるだろ?」
言いながら、黒髪縛りを解除。奴の水に捕まった以上、もうどうしようもない。
「お願い、やめて……なんで、どうして私のこと、放っておいてくれないの! 私、なんにも悪いことなんてしてないのに!」
「ああ、そうだよ、よく分かってるじゃあないか。レイナ、お前は何もしなかった――だからこそ、こんなに許せないっ!」
パワーで敵わないなら、数ならどうだ。
僕は両掌の呪印を解放し、『赤髪括り』を何本もの束となって繰り出す。一本一本は大した太さはないけれど、レイナに傷を負わせるには十分な溶解力がある。この内の一本でも、アイツの体に届けば――
「やだぁーっ! 助けて、セイさん!」
「ルルルァアアア」
レイナの呼びかけに応えて、セイラムが歌うような声と共に動き出す。魔法を放つように両手をかざすと、次の瞬間には怒涛の如き水流の渦が放たれる。僕の触手の数に対抗するために、奴が選んだのは量ってことか。
圧倒的な水量に、針金のような細さの赤髪の束は、レイナの前であっけなく押し流され、効力を失ってゆく。元々は『腐り沼』の毒液を触手状に仕上げたものだから、大量の水に晒されれば、洗い流されるように溶けてゆく。
水流の渦をぶち抜いて、赤髪をレイナにまで届かせるのは不可能だ。くそ、防御は完璧かよ。
さて、次はどうするか……と考える余裕は、僕には与えられなかった。
「ぐほっ!?」
突如として、腹に剛速球のデッドボールを食らったような、強烈な衝撃と痛み。僕は思いっきり苦悶の声をあげて、膝をついて倒れ込む。
「う、ぐぅ……い、痛ってぇ……いきなり撃ちやがって、このクソ精霊が」
どうやら、僕はセイラムから撃たれた水の攻撃魔法を喰らったらしい。小さな水の球が、一直線に飛んでくるのがチラっと見えたから。
「オオッ、コォオオ……」
「ああっ、どうしたの、セイさん、痛いの!?」
「は、はは……そんな精霊みたいな奴でも、『痛み返し』は効くのか」
ああ、良かった。と、腹部を抑えて痛がるような素振りをみせるセイラムを見て、心の底から安堵する。
これで最悪、『痛み返し』でダメージを与える、鎧熊戦法も通用する。けれど、瀕死の重傷でセイラムを仕留めるところまで持って行っても、その後でレイナを殺すだけの力は残しておかないといけない。
逃げられたら厄介だし、最悪、レイナ自身にトドメを刺されてしまう可能性だってある。あまり、無茶はできないし、したくもないが――
「ルルッ、オォアアアアッ!」
思わぬ反撃に怒ったように、粗ぶった声を上げて、俄かにセイラムが浮かび上がる噴水が激しく波立つ。ザブンザブンと溢れんばかりに波打ちながら、渦を巻いてゆく。
何だ、津波みたいな大技でも繰り出そうってのか。けど、範囲攻撃で僕を叩き潰せば、アイツだって無事では済まないと、すでに体で分かっているはずだ。
だが、どういうつもりにしろ、このまま大人しく敵の動きを待ってやる義理はない。でも残念だけど、こういう時に邪魔できるような遠距離攻撃手段なんてないんだけどね。
仕方ないので、とりあえず嫌がらせ程度にでもなればいいかと割り切って、目いっぱいに黒髪触手を伸ばす。セイラムに、ではなく、レイナに向けて。
「ァアアアアアアアアアアアッ!」
しかし、僕が黒髪を伸ばした半ばで、セイラムが襲い掛かってくる。文字通り、女の姿の本体そのものが、僕に向かって飛びかかって来たのだ。
ワンピースのスカート状の中には、僕の赤髪括りを洗い流したような激しい水流が渦巻いていて、噴水に繋がってはいるようだ。その姿は、どこか半人半蛇のラミアのよう。水の竜巻が蛇の下半身のように、うねりながら伸びている様なんてそっくりだろう。
そして、凄まじい勢いで飛び掛かってくるセイラムに対し、僕にできる対処などたかが知れる。
「う、うわぁーっ!?」
などと無様に叫びながら、慌てて身を翻して逃げよう――としたところで、あっけなく捕まった。水の両腕が僕の体をホールドし、目の前には透き通った女の体。
そのまま抱きしめられるようにして、僕は――溺れた。
「ふがっ! あっ、がぼぼぼっ!?」
当たり前だ。セイラムの体は全て水で作られている。精霊の体として、魔力や何やらが通っていて、特別な液体になっているのだろうけれど、物質的には完全に水のまま。
そんな中に、生身の人間である僕が取り込まれれば、溺れるに決まっている。
「がっ、ぶがが!」
でも、『痛み返し』が通用するなら、僕が溺れて苦しむのも、そのままセイラムに反映され――ない!?
「コォオオオオ……」
僕を体の中に沈めたセイラムは、静かな声を漏らすのみ。必死で手足をバタつかせてはもがき苦しむ僕とは対照的に、奴は全く苦しんでいる様子は見られない。
ま、まさか……水の精霊だから、溺れる、つまり、溺死という概念が存在しないのか!?
概念云々はさておいても、セイラムには呼吸器官がない。生きるために呼吸という機能が備わってない以上、僕の窒息という苦しみは、生体的に反映させることが不可能なのだ。
水の球を喰らって苦しんでいたから、多少は物理攻撃が通るってことなんだろうけど……ちくしょう、まさか、あの一撃で攻略法を編み出されるとは。思わぬ『痛み返し』の弱点発覚である。
霊獣のくせに、意外と頭が回る。
「がっ、ごぼぼ……」
相手を賞賛している場合じゃない。早いところ、具体的にはあと一分くらいで、この状況を打開しなければ、僕は死ぬ。
時間もなければ、僕に打てる手段も乏しい。体の内側から、一発でブッ飛ばせる破壊力の技なんて、あるはずもない。
そして何より、援軍という誰かの助けを期待することができない。何故なら、僕自身の作戦によって、レムもみんなも置いてきたのだから。
「ぐ、ごふ……」
あっ、ヤバい、もう息が苦しくなってきた――
「――く、くそっ! もうダメだぁーっ!」
悲鳴染みた上田の叫び声は、直後に響き渡った爆音によってかき消される。
妖精広場の前で、上田と中井、そして山田の三人組みは、爆発の衝撃によって吹き飛ばされては、仲良く床へと這いつくばった。かなりの衝撃によって、一瞬、意識が飛びかけた。
「おい、大丈夫か! しっかりするべ!」
魔術士クラスとして、後ろに控えていた下川だけは爆発の難を逃れており、倒れ込んだ仲間達に向かって必死に呼びかける。その甲斐もあってか、三人は苦しげな呻き声をあげながらも、どうにかこうにか立ち上がる。
「さて、いい加減に、死んでもらおうか。早く戻らないと、レイナが寂しがるから」
濛々と煙る黒煙の向こうから、忌まわしい男の声が響く。無論、それは霊獣ソーマユートのもの。
「なぁ、これもうヤバくね?」
「あー、ダメかもしんねーな」
「クソッ! まだなのかよ、桃川はなにやってんだ!」
作戦は成功していた。
霊獣をおびき出し、この妖精広場まで誘導。しかも、最後は分身の小太郎が発動させた捨て身の『腐り沼』のお蔭で、飛びかかったエンガルドにそれなりのダメージを与えることもできた。
それと同時に、再び広場の外へと飛び出た仲間達は、その場に用意していた荒い作りの丸太の柵を立てて、入り口を塞ぐ。さらに、下川がフル詠唱込みで、渾身の『水盾』を構築させて、守りを固める。
小太郎の作戦通り、おびき出した霊獣を全て広場へと閉じ込める形となった。
それからは、ひたすら耐えるだけ。小太郎がレイナを説得して、霊獣の召喚を解除させるまでの間、時間を稼がなければならない。
しかし、当たり前のことだが、閉じ込められた霊獣は、全力で入り口の突破を図る。エンガルドの巨躯に体当たりされたり、ブレス攻撃を撃ちこまれたり。
どれだけの間、霊獣の猛攻撃に耐えられたか分からない。正確な時間など確認する余裕など、誰にもないから。
そうして、すぐに限界は訪れる。
エンガルドが放った何度目かの火球。その爆発に、とうとう下川の水の守りも、頑張って作った丸太の柵も、あえなく吹き飛ばされる。力いっぱい柵で入り口を抑え込んでいた、三人組のパワーとスタミナの、限界でもあった。
「グルルルゥ……」
と、獰猛な唸り声をあげて、黒煙の向こうから歩み出てくるエンガルドは、実に不機嫌そうである。余計な手間をかけさせやがって、という心の声が聞こえてきそうなほど。
小太郎の嫌がらせのような毒沼攻撃によって、真紅の毛皮の体には、ところどころ爛れたような傷跡があるが、エンガルド自身の戦闘能力にさほど衰えはみられない。
怒りに燃えるエンガルドに、静かな殺意を迸らせるソーマ。おまけに、ほぼ無傷のラムデインも背後に控えている。
作戦通り、時間は稼げた。しかし、まだ戦いが終わらない。小太郎がまだ、レイナの幻術解除に成功していことは明らかだ。
あと、どれだけ時間を稼げばいい。どれだけ耐えればいい。終わりの見えないゴールが、途轍もない不安となって圧し掛かる。
「こ、これはもう……最後の手段を使うしかねーべ」
引きつった顔で、下川が言う。
「マジか」
「でも、それしかねーよな……」
「おい、こんなの絶対ヤバいだろ!」
小太郎が授けた、最後の策はまだ残っている。いや、それは苦肉の策という表現に相応しい、非常に効果の怪しいものであった。
「そりゃあ、ヤバいに決まってるけどよぉ」
「こんな状況じゃあ、もう、コイツに頼るしかねーだろが!」
覚悟を決めた、上田と中井。己を奮い立たせるように叫びながら、ポケットから小太郎に託されたモノを取り出した。
「くそっ、くっそぉ……もう、どうなっても知らねーぞっ!」
二人の勢いに流されて、ついに山田を意を決してポケットをまさぐった。
三人組が取り出したのは、小さな皮袋。すでに口は半開きで、中身が少しばかりこぼれている。
ソレは、白い粉だった。
そう、ゴーマの麻薬である。
「柵が破られて、霊獣と真っ向勝負になったら、コレを使って。普通に戦うよりは、時間を稼げるはず――だって、この麻薬を使えば、痛みも恐怖も、感じなくなるからね」
淡々と本物の麻薬を、前衛三人に手渡す小太郎を前に、彼らは初めてこの小さな男子生徒を恐ろしいと思った。同時に、悟る。なるほど、これが『呪術師』かと。
こんなヤバいモノを託す小太郎に文句の一つでもつけたかったが、全くもって、彼の言う通り。真っ向勝負で霊獣相手に敵うはずがない。そこそこのダメージを喰らえば、もう痛みで戦闘を継続するのも困難となる。
そして、相手は慈悲の心など持たない、レイナの忠実な奴隷たる霊獣。戦う力と意思を喪失したところで、降服を認められることなどありはしない。
だからこそ、体が動く限り、戦い続ける。それが、生き残るために、最も長く時間を稼げる方法だ。
そして、そんな無茶を実現させるのは、小太郎の言う通り。痛みも恐怖も消し去る、麻薬の他には手段がなかった。
「大丈夫、ちゃんと解毒薬を混ぜて調整してあるから、一発で廃人になったりジャンキーになったりはしないから。一回だけなら、本当に大丈夫だから、ね」
何の慰めにもならない、桃川の怪しいフォローを信じるワケではないが――この期に及んでは、頼らざるを得なかった。
かくして、上田と中井と山田は、禁断の薬物へと手を染めた。
「うっ、ぐぅ!」
「おごごごぉ……」
「うっ、ぉおおおおおおっ、あぁああああああああああああああああああああああっ!」




