第138話 告白未遂
僕らはそのまま、このエリアのスタート地点である妖精広場へと戻ってきた。
ヤマジュンの怪我はかなりの重傷だ。早く処置したかったが、妖精広場以外の場所でやれば、雲野郎をはじめ、どんな邪魔が入るか分かったものではない。
とりあえず、最低限の応急処置として、手持ちの薬をざっと塗った上で、少しでも止血するために体を黒髪で縛っておいた。揺れるラプターの背中に固定するためにも、黒髪縛りは役に立った。
そうして広場へ戻ると、すぐに治療に入る。といっても、医者でも治癒術士でもない僕に、できることなど限られているが。
「ゆっくり下ろして」
「おう、揺らすなよ」
「や、ヤマジュン、しっかりしろ!」
まずは噴水の傍に、血まみれのヤマジュンを寝かせ、上着を脱がせる。学ランとワイシャツのボタンを外して前を開けて、真っ赤に染まったシャツをまくる。
「うっ、これは……」
ダメかもしれない。素直に、そう思った。
風の刃は、左肩から右の脇腹にかけて、大きな斜め一文字となって体を切り裂いていた。大きな創傷はとめどなく鮮血を溢れさせ、体中を赤く染めている。
こんな深手を、本当に傷薬Aだけで治せるのか。治ったとしても、もう手遅れなほど血が流れ出てしまっていたら……ええい、考えるな、今は集中しろ!
手早く水でざっと体を洗い流し、引っくり返した鞄からタッパーに詰め込まれた傷薬をすくう。多ければいいってもんでもないが、ケチっている場合でもない。傷口を埋めるように、薬を塗りたくっていく。
「う、くっ……うぅ……」
薬が沁みるのか、苦しげにヤマジュンが呻き声をあげる。悪いけれど、こればかりは我慢してもらわなければならない。
「おい、桃川、ヤマジュンは治るのかよ!?」
「やめろって、山田、騒ぐなよ」
狼狽して半泣きの山田に詰め寄られても、僕は「大丈夫」とは答えられなかった。無責任でもいいから、ここは大丈夫だと言わなければいけない場面だったと、上田が山田を止めている辺りで気づいたのだが、言い直すには遅かった。
「……桃川くん……そこに、いるの」
「ヤマジュン!?」
苦悶の声で呻くだけだったヤマジュンが、はっきりと言葉を話した。今にも消え入りそうな小さな声だが、確かに意識はあるようだ。
「無理して喋らない方がいい、傷に響くかも――」
「いいんだ……き、聞いて欲しい……多分、最後だと、思うから……」
こういうやり取り、漫画で読んだこと何度もあるな、なんてくだらない思考が頭の片隅を過るのは、目の前の現実から目を背けようとする、一種の逃避なのだろうか。
そうであったとしても、僕には、死にゆく仲間の言葉に耳を傾ける、という定番の役目を演じるより他はない。
だって、そうだろ。現実として、大切な仲間が死ぬかもしれないというのに、その最後の言葉を聞き逃そう、遮ろうなんて、思うはずがない。
「古代語のこと、分かる限りノートに書いておいたから……ごめんね、桃川くん、もっと、ちゃんと教えたかったんだけど……」
「いいよ、そんなの、十分だよ。ありがとう、必ず見るから」
ちくしょう、そんな形見を残すみたいなこと、言わないでくれよ。
「上田君……君は、一番勇気がある……この先、恐ろしい魔物が立ちはだかった時、きっと、君が最初に斬り込んで、活路を、開いて……」
「くそ、何だよヤマジュン、そんなカッコいいこと、今聞きたくねぇよ!」
「中井君は、ふふ、意外と気遣いができるよね……三人の連携の要は、君だ……君なら、誰とだって、上手く戦っていける、はずだから……」
「へ、へへっ、よく見てるじゃねぇか。そうだよ、俺のお蔭で、上手く戦えてんだ!」
「下川君、咄嗟の判断力と機転は、君が一番だ……ありがとう、さっきも、君のお蔭で、あの場を脱することができたよ……」
「そんなこと……お、俺がもっと、早く動けていれば……」
「山田君とは、この中じゃあ一番、付き合いが長いよね……今まで、僕と友達でいてくれて、本当にありがとう」
「ばっ、バカヤロぉ……そんな、死ぬみたいなこと言うなよ!」
「みんなを、守ってあげて……君が一番、強いんだ……だから、怖がらないで、もっと、みんなのことを、仲間として信じてあげて欲しい」
「分かった、分かったよ! だから、頼むよ……ヤマジュン……」
僕も、誰も、今ばかりは大泣きに泣く山田のことを馬鹿にはできない。みんな同じだから。涙をこらえるなんて、できるはずない。
「桃川くん……君がリーダーだ。みんなを導いて行けるのは、君しかいない……」
「僕は、そんなんじゃないよ……今までだって、ヤマジュンがいたから、何とかやってこれただけなんだ」
「大丈夫だよ……天職の力が及ばなくても、桃川くんには、勇気も知恵も、優しさだって……たとえ、人を殺めてしまっていたとしても、ね」
まさか、ヤマジュンは僕が樋口を殺したことに、気づいていたっていうのか。
「ボクは、君が正しい行いをしたと、そう信じているし、信じられる」
「どうして、そこまで言い切れるのさ。僕は何も、大したことはしてない……」
「それは……ボクが君のことを……んっ、ぐっ、げほっ!」
ついに限界が訪れたのか、ヤマジュンは台詞の半ばで激しくせき込んだ。同時に血も吐いて、口元を赤く汚していく。
「はぁ、ふぅ……ごめん、ボクはもう……」
「ヤマジュン、しっかりして。大丈夫だから、ちゃんと傷薬は塗った。僕が鎧熊にやられて瀕死だったけど、それでもこの薬で治ったんだ。だから絶対、大丈夫!」
「そう、だね……ありがとう……」
もう意識すら保っていられないのだろう。血の気の失せた顔で、ヤマジュンはとうとう瞼を落とす。
「お願い、桃川くん……手を、握っていて、くれないかな……少し、寒いんだ」
「うん」
僕は静かに、ヤマジュンの手を両手で、祈るように握りしめた。
「ありがとう……これで、もう、怖くないよ」
「大丈夫、安心して……次に目が覚めたら、傷は、治っているから……」
ダメだ、泣くなよ。こんな泣き顔で言っても、説得力は皆無だろう。
信じなければ。他の誰でもない、僕が、ヤマジュンの傷は治るんだと、今この瞬間だけでも信じないといけないのに……
「みんな……おやすみ」
「うん、おやすみ、ヤマジュン……」
最初に行動を起こせたのは、上田だった。
「……なぁ、いつまでも、ヤマジュンをこのままには、しておくワケにはいかねぇだろ」
「そう、だよな……」
「おう、そうだべ」
中井と下川が、続いて立ち上がる。
「ま、待てよお前ら! なに、勝手なことしようとしてんだよ!」
そして、上中下トリオが動き始めたところで、山田が叫んだ。
「勝手なことってなんだよ」
「落ち着けよ、山田。まぁ、気持ちは分かるけどよ」
「もう、ヤマジュンは――」
「うるせぇ! ヤマジュンはまだ、死んでねぇ!」
ああ、馬鹿だ、本当に馬鹿だよ、山田。
ヤマジュンはもう、死んだんだよ。
呼吸が止まった。心臓も止まってる。オマケに瞳孔反射だって確認した。死の三徴候というらしい。
光を当てても、瞳孔が開きっぱなしになる、反応しないということは、脳の機能が失われていることを示しているらしい。瞳孔反射は脳幹から出る神経が司っているからだ。
肺、心臓、脳、これら全ての不可逆的な機能停止を医学的には『死』と定義されている。
「ヤマジュンは、死んだんだよ」
だから、僕ははっきりと言い切った。
綺麗な死に顔ではある。眠るように、というありふれた表現だけれど、正にその通り。今にも、目を覚ましそうな気さえするが……所詮、それは残された者の願望にすぎない。
僕は、僕自身でヤマジュンの死を確認した。まだ、これから傷薬が効くんじゃないのかと、変な希望を持たないように。きっと神様が助けてくれるとか、ありえない奇跡を願って、時間を無駄にしないように。
「現実を見るんだ、山田君」
僕も立ち上がる。
まず、するべきことは、ヤマジュンの遺体を埋葬することだろう。
「ち、ちくしょう……ちくしょう……」
いまだ大粒の涙を零しながら、僕らと一緒に、妖精胡桃の木の根元に穴を掘るのを手伝った山田は、なんだかんだで、この中ではヤマジュンと一番の友人だ。実に情が厚く、友達甲斐のある山田の傍らで、僕はすっかり涙が乾いて久しい。
頭の中では、すでに悲しみとは別な思考が走り出していた。
ヤマジュンは、僕ら全員に惜しまれ、悲しまれ、痛ましい死を迎えた。テレビドラマでありそうなほどの、悲痛な散り様。
だがしかし、その死には何も、意味はない。正直に言って、ヤマジュンは無駄死にだ。
確かに、彼は僕を庇って致命傷を負ったのだから、命を救ったことにはなる。だが、それだけだ。
誰かを助けることは、実に尊い行いだが、それで自らの命を落としては本末転倒というものだろう。誰かを助けるならば、自分の命に代えてはいけない。必ず助ける者も、助けられる者も、生還しなければ意味なんてない……いや、違う。意味がないんじゃなくて、ただ、納得がいかないだけなんだ。
どうして、僕を助けた。あの風の刃を喰らったら、ヤバい、なんてのは分かっていたはずだろう。少なくとも、僕だったらあの状況下では動けない。絶対に動かない。自分の命が、何よりも大切だからだ。
命を捨ててでも僕を守りたかったのか、それとも、そこまで考える間もなく、反射的に庇ってしまうほどのお人良しだったのか。今となっては、あの瞬間のヤマジュンの気持ちなど、誰にも分らない。
重要なのは、いつも結果だ。気持ち、なんてのは所詮、後付けの理由でしかない。今はただ、山川純一郎という少年が、死んでしまった。それが全て。
理不尽だと思った。納得なんて、いくはずもない。彼が死んでいい理由なんて、どこにもなかったはずだろう。一体、どこの誰が、二年七組の良心、ヤマジュンを恨むというのだ。
こんなこと、あってはらない。あっていいはずがない。
そういう気持ちを、人は何と呼ぶか――『怒り』だ。
だから、もう悲しみはない。涙も流れない。
掘った穴にヤマジュンの遺体を下ろして、最後のお別れとばかりに、妖精広場の花畑から作った花束を捧げて、土を被せていく。その時、皆はまた泣いていた。馬鹿にする者もいないし、カッコつける必要もない。
泣いていなかったのは、僕だけだった。
つまり、皆の中で、僕だけが、怒り狂っていたのだ。
「レイナ……お前は殺す」
それは、二度目の誓い。人を殺す、という確かな怨念の発露。
ヤマジュンに無為な犠牲を強いた、レイナ・A・綾瀬は、僕が必ず呪い殺してやる。




