第137話 ソーマユート
「おいおい、嘘だろ!?」
「何だよコレ!?」
「はっ、マジで? マジで、本物の蒼真なのか?」
どこからどう見ても、ソイツは蒼真悠斗だった。実は雲野郎の体の中に転移が発動して、今ここに飛んできました、と言われても素直に信じられるほど。
だがしかし、奴は自ら偽物であると名乗った。
霊獣・ソーマユート。
まさか、そんな偶然の一致なネーミングの霊獣が最初から存在していたとは思えない。だとすれば、最もありえそうな可能性といえば――
「みんな、落ちついて。多分、アイツは雲野郎が進化した魔物だ」
「し、進化って、どういうことなの、桃川くん」
「恐らく『精霊術士』の力で、レイナを襲うはずが、逆に取り込まれたんだ。魔物を従わせる能力と、従わせた魔物を進化させる能力が、両方合わさって、偽物の蒼真君を霊獣として造り上げたんだ」
何の物的証拠もないけれど、状況からしてこんなもんだろう。もっとも、僕の推測が正解だろうと、実は神様が本気でレイナを助けるために奇跡を起こしただけ、とかだったとしても、目の前の状況には何も変わりはない。
蒼真君にソックリではあるけれど、所詮は雲野郎という魔物に過ぎず、倒すのに躊躇する必要は一切ない。今のレイナにどこまで幻術がキマっているのかは分からないが、まずは霊獣ソーマを倒してから、説得フェイズに入るしかないだろう。
「あの偽ソーマを一気に倒す! アイツはただの魔物で、蒼真君でも人間でもない」
「よっしゃ、分かったぜ、桃川!」
「へっ、蒼真の奴には一回ヤベー目に遭わされたからな」
「偽物ぶっ殺して憂さ晴らしだべ」
「うぉおおお、蒼真を倒して、俺がレイナちゃんを救う!」
よし、皆もほどほどにヤル気になってくれている。これで偽物の姿がウチの可愛い女子生徒だったら、男として躊躇したところだけれど……ごめんね、蒼真君。男子はそこまで、君のこと慕ってるわけじゃあないから。
「行けっ、『黒髪縛り』っ!」
最弱の雲野郎が相手だと、侮ることはしない。奴は精霊術士の力で進化した霊獣である。その力がどこまで強くなっているのかは未知数だ。
だから、僕は前衛組みに丸投げすることなく、きっちり援護のために『黒髪縛り』を伸ばした。
レイナを背中に庇いつつも、優雅に立つソーマユートに向かって、僕が放った黒髪の触手は蛇のように素早く足元に忍び寄り、動きを封じるべく襲い掛かる。
よし、両方の足首にキッチリと絡んだ。
そして、次の瞬間には、上田と中井と山田の三人組が、これまでの戦闘で鍛えられた連携でもって、三方向から斬りかかる。
完全に決まった――はずだった。
「ぐはぁっ!?」
苦悶の声を上げて、三人は三人とも吹き飛ばされていた。
「シャアアアア!」
「グガアーッ!」
間髪入れずに、さらに僕がけしかけていたラプターとレムのコンビが飛び掛かる――だが、結果は同じ。
本物と同じように、流れるような素早い動作で、レムが繰り出す槍の穂先を交わしつつ、カウンターの拳を叩きこむ。それとほぼ同時に、跳躍力を活かして頭上から飛び掛かってくるラプターを、長い足が正確に腹部を蹴り抜き、弾き飛ばしていた。
足、そう、気づいた時には縛っていたはずの黒髪縛りも、バッサリと断ち切られていたのだ。
「このっ、喰らいやがれ!」
見事に打ち倒された前衛組みへ、ソーマが追撃へ移行しようか、というタイミングで、下川とヤマジュンが援護の攻撃魔法を放つ。
正確な狙いをもって放たれた水と光の矢は、命中する寸前にかき消された。
「ちいっ、アイツは風属性担当の霊獣だったのかよ」
僕の目の錯覚でなければ、前衛組みを吹っ飛ばした時も、攻撃魔法を防いだ時も、淡い緑色に輝く風のような流れが見えた。
その緑色の風は、天職『風魔術士』だった西山さんが行使していた風魔法と全く同じ。
霊獣ソーマユートは、剣を持たない無手に思えたが、すでに風魔法という強力な武器を手にしていたということだ。
「レイナの願いを邪魔する者は、この俺が全て排除する」
蒼真君と全く同じ微笑みを浮かべながら、物騒なことを言い放つ奴の周囲には、俄かに輝くエメラルドグリーンの旋風が渦巻く。
「おいおい、ヤベェ、コイツ強いぞ!」
「ど、どうするよ、勝てんのか俺らで!?」
「くっそぉ、許さん、許さんぞ、蒼真ぁ!」
吹き飛ばされはしたものの、さほどダメージは負っていない前衛三人組みが立ち上がる。ラプターとレムも、さして損傷はなく、のっそりと起き上がり攻撃構えをとる。
風魔法使いのソーマは、かなり強そうではあるが……みんなを一撃で殺せなかったことを思えば、絶望的な戦力差というワケではないだろう。
ならば、何としてでもコイツはここで倒しておきたい。ただでさえ、エンガルドやラムデインの霊獣は、レイナのみを最優先に行動する面倒なケモノ風情だというのに、この上さらに、人の言葉を喋る奴まで加わるとなれば、厄介なことこの上ない。
そして何より、蒼真悠斗そのものの姿をしているソーマユートがいる限り、元々現実の見えていないレイナは、ますます現実を見ずにワガママ放題だろう。全く、冗談じゃない。ゴーマの砦攻略で、ようやくこのクソニートが働き始めたというのに。
気は進まないが、レイナを仲間としてこれからも連れていくことを思えば――いや、待てよ。
「みんな、退いて! 撤退だ!」
叫びつつ、今度は僕から先に逃げ出す真似はしない。撤退命令を出すなら、命令者は最低でも逃げ出すのは二番目じゃないと、恨まれるってのはオルトロス戦で学習済みだ。
「撤退だぁ?」
「いいのかよ?」
「おい、桃川! ここで退けるかよ!」
強そうな霊獣ソーマを相手に、気が退けるのか上田と中井はすぐに動きを止めてくれた。山田もアホみたいなことを叫んでいるが、一人で斬りかかる勇気もないのか、明らかに攻撃には躊躇していた。
下川も次なる攻撃魔法の詠唱こそ済ませているものの、冷静に成り行きを見守るために、放つ素振りはみせない。勿論、ヤマジュンも攻撃の手を止めている。
よし、ひとまず、何となくの流れで戦いに突入することは避けられた。これで、話をするだけの状況は整った。
「レイナ! 僕らはお前の邪魔はしない! すぐにここから出ていく!」
そう、レイナと決別する、お別れの話だ。
「おい、桃川、何勝手なことを――」
「みんなも、言いたいことはあると思うけど、今は退いて。このままじゃあ、殺し合いになるだけだ」
山田を筆頭に、レイナを見捨てる主張をする僕に反対意見が出ようとするが、機先を制して黙らせる。みんなだって、分かっているだろう。コイツと戦えば、無事じゃ済まないってことは。
「けどよ!」
「レイナちゃんを、見捨てるワケにはいかねーべ、桃川」
「今のレイナは、僕らに助けを求めてはいない。このまま無理に戦えば、嫌がるレイナは絶対にエンガルドとラムデインを出す」
霊獣二体、いや、ソーマユートを加えれば三体か。ソレら全てを相手にすることの意味は、僕よりもレイナとの付き合い長いみんなの方が、よく知っているはず。
今のレイナは、別に霊獣ソーマに捕まって人質になっているワケじゃあない。自ら望んでアイツと一緒にいるんだ。邪魔をすれば、レイナは怒り心頭で、平気で霊獣を繰り出すのに躊躇はない。
「だから、今は退くんだ」
僕らとレイナの戦力差は歴然だ。ここで戦っても、得られるものは何一つない。
だから一旦ここは退いて、レイナを救出するための作戦を練り直す――と、みんなにはこの場では思わせておいて、僕の本命は、レイナを諦めるよう、みんなを説得することだ。
そもそも、非協力的に極まるレイナは、パーティメンバーとして置いておくには非常に危険な存在だ。そりゃあ『精霊術士』としての能力は魅力的だが、その強さを補って余りあるほどのお荷物ぶりを発揮するのがレイナという女だ。
何より、彼女は僕を嫌っているだろう。その強い力が、いつ僕へと矛先が向けられるか、分かったものじゃない。ムシャクシャしてやった、という動機がお似合いだ。
そんなレイナでも、山田を筆頭に、みんなにとってはクラスを代表する超絶美少女であり、命に代えても守ってあげたいと思える、大切な女の子である。その容姿という魅力のみで、コイツはどんなに非協力的でも、メンバーから甘く優しい庇護を一身に受けてきた。
しかし、その魅力が全く通用しない僕のような男からすれば、こんなに邪魔な役立たずの仲間など、全く必要性を感じない。
そう、だから今こそ、レイナ・A・綾瀬を、パーティから切り捨てる時が来たのだ。
霊獣ソーマユートという、まやかしの思い人を得て満足している彼女は、僕らの説得や呼びかけなんかでは、絶対に甘い夢から覚めることはないだろう。彼女は今も雲野郎の幻術に囚われたままなのか、それとも、自ら望んで幻惑の世界に浸り続けているのか、どっちなのかは分からない。けれど、彼女自身が、現実を受け入れることを拒絶しているのだということは、ハッキリと分かっている。
こうなってしまった以上、もう、僕らではどうしようもない。恐らく、本物の蒼真君を連れてこない限り、レイナは何が何でも動かない。
何故なら、彼女にとって、ここが蒼真悠斗と一緒にいられる、楽園なのだから。
「なぁ、これはしょうがないだろ」
「ああ、確かに、このまま戦ったらヤバいしな」
「戦略的撤退だべ」
よし、上中下トリオの、意思は決まった。
風を纏って立つ霊獣ソーマの姿に、警戒しつつも、ゆっくりと上田と中井の前衛コンビは後ずさりを始めた。無論、僕もラプターとレムを下がらせ始める。
「く、くそ……レイナちゃん、必ず、俺が助けに行くからな……」
未練タラタラな山田だが、仲間がみんな引けば、流石に一人でいく勇気もない。大人しく、撤退の構えを見せてくれた。
「桃川くん、これで、いいんだね?」
「うん、こうするしかないよ」
ヤマジュンだけは、僕の意図を察しているのだろう。彼が見つめるのは、置き去りにされてゆくレイナではなく、彼女を斬り捨てる決断を果たした、僕なのだから。
その残酷な選択を、分かっていても、彼は止めない。本当に、ありがたいことだよ。
「レイナ、その霊獣を引かせろ。僕らは大人しくここから出ていくし、もう二度とお前の邪魔もしない」
いまだ風を纏い続けて臨戦態勢をとる霊獣ソーマが不安だ。こちらが背中を向けた途端に『風刃』をぶっ放されては堪らない。
こちらの意図を伝えて、レイナの方にも引かせなければ、安全に撤退できる保証がない。
まぁ、流石にアイツだって余計な殺し合いをしたいワケじゃないだろうし、今回ばかりは大人しく言うことを聞き入れて――
「嘘」
細い眉をひそめて、愛らしい、けれど、確かに怒ったような表情で、レイナは僕に向かってそう言った。
「嘘、嘘……桃川君は、嘘ばっかり」
「なんだって」
聞こえなかったワケじゃない。ただ、レイナの台詞の意味が、本当に分からなかっただけ。
「嘘吐き、本当は私の邪魔するんでしょ!」
「な、なに言ってるんだよ、何で僕がここで嘘をつかなきゃ――」
「私にホントのことなんて、一度も話したことないくせに!」
コイツが何でこんなヒスってんのか理解不能。だけど、その台詞だけは不思議と納得できる。
ああ、そうだよな、僕は一度もレイナに、本心を語ったことはない。
なんだよお前、意外と鋭いじゃないかよ。
「嘘吐きは嫌い、嘘ばっかりで、騙そうとして、意地悪で、嫌い、嫌い、桃川君は大嫌い!」
「だから、何だって言うんだよ。僕はもう二度と、お前の前には現れない。そんなに僕のことが嫌いなら、それでいいじゃないか」
「嘘だっ! 絶対、また私に意地悪なことするんでしょ! 私、やっと、やっとユウくんと会えたのに――私とユウくんの邪魔を、桃川君は絶対にするっ!」
感情が爆発したように、レイナはもう半泣き状態で絶叫した。
正直、あまりに馬鹿らしくて、もう付き合いきれない。僕の言葉を全て嘘だというならば、もう何も語るまい。どうせ、ここでコイツとはオサラバだ。黙って出て行けば、それで全て済む話――
「――ああ、分かったよ、レイナ。俺が、桃川を殺そう」
「なっ!?」
俄かに迸る、肌をビリビリ刺すような恐ろしい気配。これが殺気というやつなのか、それとも、魔力の余波なのか。
僕を殺すと宣言したのは、他でもない、霊獣ソーマユートである。
「桃川、お前はレイナを傷つけた」
「なん、だと……」
「俺は、レイナを傷つける全ての存在を許さない」
無造作に掲げられたソーマの右手には、目に見えるほどの濃密なグリーンの輝きが集う。
まずい、コレは、かなり強力な風魔法が来るっ!
「待て、やめろっ、僕は――」
「レイナは俺が守る――『疾風剣「(エール・クリスサギタ)』」
言い訳する暇もなく、大きな風の刃が霊獣ソーマより放たれた。
ああ、ダメだ、これは死んだ。
僕の反射神経と運動能力では、一度、放たれた攻撃魔法を見てから回避することなど不可能だ。無論、防ぐ手段もない。黒髪縛りを一本、出すのさえ間に合わないだろう。
ああ、こんなことなら、レムかラプター、どっちか片方だけでも、傍に置いておけば良かった。どっちも攻撃を任せたせいで、少し離れた位置。
僕が攻撃されて慌てて戻って来るだろうけど、二人のスピードでは間に合わない。
つまり、僕は全く無防備なまま、攻撃魔法の直撃を許すより他はない――
「桃川くんっ!」
ドンっ! という衝撃は、僕が押された時のものか、それとも間抜けに芝生を転がった時のものか。
気が付けば、僕は鮮血の花が咲き誇るのを、馬鹿みたいに見上げていた。
「……ヤマジュン」
「うっ、あ……もも、か……」
ヤマジュンの胴体から、凄まじい勢いで血が噴き上がり、そのまま仰向けに倒れ込んでゆく。
「ヤマジュン!? そんな、何で――」
「邪魔が入ったか。まぁ、いい、次は当てる」
他人事のように平坦なソーマの声が耳に入る。その台詞の意味は分かっているはずなのに、僕はただ、血塗れのヤマジュンの体を前に、頭が上手く回らない。
何で、どうして、僕を庇ったんだ。
「――『水霧』っ!」
ワケが分からず呆然としていた僕の意思に反して、状況はめまぐるしく変わる。俄かに白い濃霧が立ち込め、どんどん視界を覆っていく。
「桃川、しっかりするべ!」
「おい、さっさと逃げるぞ!」
「山田ぁ! お前も早く来い!」
僕の腕を掴んで、強引に立ち上がらせてくれたのは、下川だ。
そこでようやく、下川が『水霧』を張って、霧に紛れて逃げようとしているのだと理解できた。
この状況下で、よく咄嗟に動けたものだ。素直に感心する、と同時に、ショックで真っ白になりかけていた頭が、やっと再起動してくれた。
「ラプターにヤマジュンを乗せて! まだ息がある!」
「よっし、中井、足の方持て!」
「うし、いくぞ、せーの!」
少々手荒だが、滑り込むように僕の下へとはせ参じたラプターへ、上田と中井が一気に血塗れのヤマジュンを乗せた。
誰かが背負っていくよりも、ラプターに乗せた方が素早く搬送できる。なにより、モタモタしていたらソーマの追撃が飛んでくる。
「下川君、先導して!」
「こっちだ、行くべ!」
唯一、この霧の中を見通せる術者の下川を先頭に、僕らは妖精広場からの撤退を図る。
すぐ近くに、ビュンビュンと霧を割いて飛来してくる風の刃を感じたが、霊獣といえども視界不良のせいか、見当違いの方向へ飛んでいくのみ。
「広がれ、『腐り沼』っ!」
最後に、一応の足止めとして『腐り沼』を出入り口の前に広げてから、僕らは妖精広場から這う這うの体で逃げ出すのだった。




