第135話 無慈悲なる霧の罠
突如として、仲間全員が忽然と姿を消す、なんてまるでサスペンスホラーみたいな状況だが、ここで泣いて喚いてどうこうなるはずもない。必要なのは、的確かつ迅速な行動。
「ふぅー、落ち着け……落とし穴とか転移でもない限り、まだそれほど遠くへは行ってないはずだ」
落とし穴で下の階層に落とされたというなら、合流は難しい。転移が発動してどこかへ飛ばされたとなれば、それもまた難しい。だから、その場合の対処は考えるだけ無駄。
だから残された可能性として、メンバーが消えた方法は、アラクネの時みたいに、魔物によって連れ去られたか、催眠術だか幻術なんかで操られて、自分の足でどこかへ向かった、というのが考えられる。
ほら、あのピンク色の靄なんて、如何にも幻覚見そうな感じがするし。
「元来た道を戻ったか、左右の道に行ったか……」
何かしらの危険を察知して、僕を置き去りに元来た道を戻るように全員で逃げ出した、という可能性もありえなくはない。けど、何となくソレはないような気がする。
別に仲間を信じてるとか、そういう少年漫画的な熱い信頼の理由があるわけじゃない。わざわざ、ピンク霧のトラップ部屋が用意されていたのだ。ここまでやって来た者を、そう簡単に逃がすような温い仕掛けではないはず。
そして、霧が引いていったのは、間抜けな獲物がまんまと引っかかったから。つまり、用意された罠は適切に作動している。
僕だけ平気なのは、まぁ、『蠱毒の器』があるからだろう。
「よし、右の道から探しに行こう」
「グガガ!」
呪術師のソロ行動は危険だが、今更な話でもある。仲間とはぐれた以上は、多少のリスクをおかしてでも捜索するべきだ。
僕はラプターの手綱を引いて、すっかり霧の晴れた広間に飛び込み、右側の道へと入った。
相変わらずモコモコの通路を駆け抜けていく。これまで進んできた場所と、特に変わった様子はみられない。
「モァアアア!」
「どけーっ!」
たまに通路上に立ちはだかる雲野郎を、そのままラプターで轢き逃げしつつ、僕はしばらく周辺を散策する。
「くそ、無駄に広いエリアだな……」
思えば、コンパスに従わずに、誰かを探すように広い範囲でエリアを回っていく、というのは初めての経験だ。せいぜい、妖精広場周辺と、ボス部屋までのルート近辺の探索くらいがせいぜいだった。
こういう時に、初めてマッピングの重要性に気づかされる。
これといった特徴がどこにもない、白雲エリアは非常に道に迷いやすい。本格的に元来た道が分からなくなる前に、僕はヤバいと思って慌ててノートに道順を記し始めるのだった。二次遭難だなんて、シャレにならないよ。
「ダメだな、戻って左の道の捜索に切り替えるか――」
僕、クジ運悪いし、やっぱり最初にハズレを引いたかな、と思って戻ろうかと考え始めたその時だ。
「――っ、あ――」
声が聞こえた。確かに、人の声。
「レム、今の、聞こえた?」
「クルル!」
「そうか、ラプターの方が耳がいいんだ」
意外な能力発覚、というワケで、僕よりも明確に声を聞き取ったと主張するラプターに任せて、発信源を探し始めた。
僅かながらでも、人間の声が届く範囲だ。探せばすぐに、見つかった。
「ここか」
他に幾らでもあるような、何の変哲もない空き部屋だ。入り口は一つきり。その中からは、唸るような男の声が、というか……この声は上田か。
とりあえず、悲痛な絶叫ではないから、中で凄惨な拷問だとか、ゴーマに踊り喰いされる的な、残酷なことにはなってないと思う。聞こえてくる声と音からして、僕がアラクネに捕まった時のように、拘束されてもがいている、ような気がする。
上田の呻き声の他には、魔物の鳴き声や足音なども聞こえない。ここには上田一人だけが捕まっているか、魔物がいても、せいぜい一体か二体。
背後をとられないよう、もう一度、部屋入り口の周りを確認しておく。
これで、上田が偽物の幻覚じゃなければいいんだけど。
「よし、一気に行こう」
こっくりと頷く、レムとラプター。僕を含めれば三人分の戦力だ。魔物がいても、一気に抑えられる、はず。
どうか、アラクネ以上の強敵系雑魚モンスがいたりしませんように、と祈りながら、僕は部屋へと突入を仕掛けた。
「喰らえーっ! 黒髪しば――」
「桜っ! 桜ぁああああ! あぁあああああああああああああああ!」
と、素っ裸で絶叫している上田がそこにいた。
何が何だかわからない。僕は今、これほど目の前の状況が飲み込めない事態に遭遇したことはない。
落ち着け、とりあえず、見たことをありのままに理解しよう。
まず、上田。何故か蒼真桜の名前を叫んでいる。そして、全裸である。
もうこの時点で考えることを放棄したいが、これも罠による異常事態のせいだと言い聞かせて、真面目に観察した。
変態的な状態の上田は、部屋のど真ん中でうつ伏せになって、激しくもがいている。特に腰の辺りが……と、これだけなら床でオナってんのかと思える体勢なのだが、上田の下にはやけにモコモコとした白い人型、そう、雲野郎がいるのだ。
まさか溜まりに溜まって、最弱モンスな雲野郎を押し倒したワケではないだろう。コイツはむしろ、誘ったほうと考えるべき。
「あー、なるほど、ハニートラップだったってワケか」
この状況から察するに、それが最も妥当な解答だろう。
あのピンクの霧は、人間に幻術をしかけるガス。そして幻術にかかった者は、この雲野郎のことが自分の好きな人、あるいは超エロい人に見えて、あとはご覧の有様というワケだ。
果たして、このまま淫夢の中でヤリ続けた結果どうなるのかは不明だが、まぁ、ロクなことにはならないだろう。多分、雲野郎は魔力を吸収する魔物なんじゃないかと思う。
それにしても、僕がこの罠に引っかかっていれば、メイちゃんか蘭堂さんが現れて誘惑してくれたんだろうか。もし、この先に力及ばず倒れることがあれば、僕は絶対、この罠で死ねなかったことを後悔するに違いない。ああ、夢でもいいから、爆乳ハーレムを体験したかったなぁ……
「おのれ上田、自分だけイイ夢見やがって――喰らえ、黒髪縛り!」
そして死ね、雲野郎の偽蒼真桜! おらっ、桜死ねっ!
ルインヒルデ様にお叱りを受けそうなほど、超個人的なダサい恨み節全開で、僕は上田を黒髪縛りで拘束して雲野郎から引き剥がし、間髪入れずにレムをけしかけ雲野郎を倒す。
手足を縛られた裸の上田が無様に床に転がるのと、レムがナイフで雲野郎の頭を一閃するのは、ほぼ同時。
「モォオオアア……」
重低音のショボい断末魔を響かせて、雲野郎は風船が萎むように息絶える。
さて、問題なのは、強引に中断させた上田が、ちゃんと目覚めるかどうか。つい勢いで、思いっきり引っぺがしてしまったが、幻術とかって、途中で無理に目覚めさせると心が帰って来れないとか云々で正気には戻らない、なんてパターンもある。もし雲野郎のハニトラ幻術がこのテの設定だったら、僕は上田を間接的に殺したようなものになってしまうのだが……
「おい、上田! しっかりしろ!」
「んっ、うぅ……さ、桜?」
「馬鹿野郎! 僕の顔が超絶美少女に見えるかよ! いいから目を覚ませ!」
「……ハっ!? あ、あれ、桃川!? な、なんで桃川がここに、っていうか、俺の桜はどこに」
フゥー、力技でなんとかなって、良かったよ。この幻術は叩けば目覚めるチョロいタイプなようだ。
「上田君、君はダンジョンの罠にかかって、今まで幻を見ていたんだよ」
「ま、幻……? う、嘘だ、俺は確かに桜と……」
「蒼真桜とヤった?」
「うっ、そ、それは……なんで、っていうか……そうか、ハハっ、夢、だったのかよ……」
うわぁ、ここまで愕然とした表情をする人を見るのって、僕はじめてだよ。
いやしかし、上田のリアクションを笑えまい。僕だって双葉蘭堂コンビで淫夢をお送りされていたら、泣いて喚いて夢の続きを望んだに違いない。早々に現実を受け入れた上田は、かなりマシな方だろう。
「とりあえず、ガッカリするのと、詳しい事情説明は、服を着てもらってからでいいかな?」
「うおっ! そ、そうだよな、悪ぃ……」
物凄くバツが悪そうに、いそいそとそこら辺に脱ぎ散らかされた制服と下着を拾い集める上田の姿は、男としてこの上なく、情けなくも悲しいものだった。
「――というワケで、他のみんなも近くで罠にハマってるというか、ハメているというか、そんな感じでいるのは間違いない」
「桃川、今はそういう下ネタは勘弁してくれや」
元気のない上田を仲間に加えて、他のメンバー探しを続行。
上田がこの辺にいたということは、やはり僕の見立て通り、それほど遠くにまでは行っていない。雲野郎の幻術にかけられたまま、どこか適当な場所まで歩かされているのだと思われる。
とりあえず、近くにいると分かれば、捜索のヤル気もでるってもんだ。手作りのエリアマップを確認したり書き足しながら、僕らは少しずつ捜索範囲を広げていく。
「おっ、声が聞こえたぞ。多分、これは中井だな」
盗賊ほどではないけれど、剣士上田は鋭い五感を持つ。ラプターよりも、さらに耳がいい。
「こっちだ」
上田の先導に従って進めば、すぐに僕の耳にも声が届いてきた。
「うぉおおおおおっ! 明日那っ! なかに出すぞっ!」
ふむ、中井のお相手は剣崎明日那の模様。あんな暴力ヒス女の、いったい何がいいんだか。
「今いいところみたいだから、もう少し待ってあげようか?」
「その親切心は残酷すぎるだろ、桃川」
「そんなこと言って、自分がイケなかったからってひがんでるの?」
「お前俺になんの恨みがあるんだよ!?」
僕の下ネタ攻撃を前に、上田は頭を抱えている。いいじゃないか、僕なんか1秒もイイ夢見れてないんだから。
「おああああ、い、イクっ! でるっ、でっ――」
「はい黒髪縛りー」
そして、さぁ行け、剣士上田。雲野郎の偽剣崎明日那をぶっ殺せー。
「……へ、へへっ……嘘、だよな……こんなの、ドッキリだろ」
さっきと同じように、力づくで幻術を解いてやると、中井はこれが現実だと信じたくないのか、虚ろな目でそんな腑抜けたことをのたまった。
「中井君、残念だけど、嘘じゃないよ」
「おら中井、寝ぼけてねーで、さっさと目ぇ覚ませ」
「く、くそっ……ちくしょう……俺、本気だったのに、マジで明日那のこと……」
「あーもー、そういうのいいから、早く服着てよね」
「う、うぅ……」
どこまでも女々しくメソメソしながら、中井も脱ぎ散らかしていた制服を拾い集めて、着替えるのだった。
まったく、山田みたいに女のことでナイーヴになるのは止めて欲しい。傍から見ているこっちからすると、果てしなくメンドくさい。
しかしながら、そう突き放す物言いというのも、可哀想だろう。
「……なるほど、ただエロいだけじゃなく、シチュエーションまできっちり用意するとはね」
上田と中井の二人から、さらに詳しく幻術にかかった時のことを聞いた。
まず、僕が先頭切って広間を渡りに行った直後、ピンクの霧が入り口を越えて通路にまで溢れて来たと言う。あまりに濃密で完全な視界不良。それでいて、四方から魔物と思しき唸り声まで聞こえてくる始末。
これはどうにもならない、と思って桃色の五里霧中を逃げ出し、結果、全員が離れ離れになったらしい。
「うわっ、コレはヤベぇことになったな、って思ってたらよ……」
「通路の向こうから、傷だらけのあす、け、剣崎が歩いてきたんだよ」
「俺は桜ちゃんだった」
つまり、ここから本格的な幻術のスタートってワケだ。
自分の思い人と、偶然を装っての出会いを演出した上で、二人きりの悲劇的に絶望的なシチュエーションを盛り上げる。
上田が見た偽桜も、中井の偽明日那も、揃って自分の友人達で組んでいたパーティが全滅し、命からがら逃げてきた。もうダメだ、助けてお願い、貴方にしか頼れないの! みたいな感じで男心をくすぐって、そのままベッドイン……
「そんな理由で男と寝る尻軽女は、ハリウッド映画のヒロインだけで十分だよ」
「うるせー桃川、お前にあの時の俺の気持ちが分かってたまるか!」
「そうだ、俺は本気で明日那を守るんだって、マジで誓ったんだぞ!」
「そんな都合のいい展開、あるわけないじゃん」
「分かってるよ!」
「分かってる、けど、よぉ……」
「いや、ごめん、気持ちは分かるよ。僕だって同じメにあったらコロっと騙される自信あるし」
それにしても、中々に高度な幻術である。雲野郎がこれらの筋書きを考えているとは思えないから、本人の記憶を利用している……自己暗示、みたいな感じ? 自分がこの女を抱くに相応しい理由を自らでっちあげるから、どんなにご都合主義でも違和感もないし、気づきもしない。いや、気づきたくない、これが現実なんだと信じたくなるほどの、甘い夢となる。
こんな真似ができるとなると、ピンクの霧にあるのは、単なる麻薬的な幻覚成分というより、テレパシーみたいな魔法能力が効果の本質である可能性もでてくる。
うん、まぁ、魔法も呪術も普通にある異世界なら、テレパシーくらいあってもおかしくない。
待てよ、そうなると、『賢者』小鳥遊小鳥が僕らの天職を見抜いていたのは、ゲーム的にステータスを隠し見ているのではなく、テレパシーによって心を読んでいるから、という線も考えられるのか。
そうでなかったとしても、『賢者』ならこのテのテレパシー能力を持っていてもありえなくはないし、最悪、誰にも秘密で隠し通している可能性も……ただのビビりかブリっ子かと思っていたが、次に合流した時はもっと気を付けて接しよう。
ああ、そういえば、小鳥遊小鳥といえば……
「ねぇ、下川君のお相手は」
「ああ、小鳥遊さんで間違いねぇな」
「うん、違いねぇ」
上田と中井を連れて捜索すること十五分、僕らは下川の声を捕捉したのだった。
「はぁ、はぁ……こ、小鳥ちゃん、それはヤバいって、ヤバっ、あっ、んぁあああーっ!」
三度目ともなると、うんざりしてくる。ただでさえ男のあえぎ声なんて、聞くに堪えないと言うのに。自己主張の激しいAV男優はマジで消えて欲しい。
「桃川、せめてもの情けだ」
「俺らにやらせてくれ」
「うん、二人に任せるよ」
正直、全裸で盛ってる男子を止める作業なんて、きつい、汚い、危険、と3K仕事もいいところ。代われる人がいるなら、積極的に代わっていきたいし、わざわざそれを買って出てくれると言うなんて、うん、下川君、友達に恵まれたね。羨ましいよ、ホント。
なんて、樋口のような感想を抱きつつ、早くも上中下トリオが揃うのだった。




