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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第9章:魅了
132/519

第128話 レイナ・A・綾瀬と男達

 ヤマジュンと愛莉が語り合った日から、また何日かが経過した。ひとまず、愛莉は素直に彼のアドバイスを受け入れたようで、これまで放置気味だった三人の相手をするようになっていた。

 一方の山田はあからさまな不満を漏らしていたが、それでも友人であるヤマジュンになだめられると、実力行使に訴えるほど短絡的な行動は自制できるようだった。

 この感じなら、しばらくはやっていけそうだ。ヤマジュンは再びバランスと取り戻しつつあるパーティの雰囲気を実感し、そう思った。

 紅一点であり、最大のトラブルの元である女子生徒の姫野愛莉は、口先と体を使って男を手玉にとれるだけの能力を持つ。それでいて、ヤマジュンの意見に耳を傾ける理性と損得勘定もできる。男が五人も集まった中で、一人きりとなる女子が、むしろ愛莉で良かったとさえ思えるほど。

 きっと他の女子だったなら、こうはいかない。女が貞操を守れば、男は餓える。誰か一人に身を捧げても、選ばれなかった男の嫉妬は避けられない。あるいは、不特定多数に体を売ったとしても、果たして愛莉ほど上手く立ち回れるかどうか。

 少なくとも、ヤマジュンが知る限り二年七組の女子で、今の愛莉のように振る舞える者は一人もいなかった。愛莉が隠れた才能、または謎の能力が覚醒したことで、奇跡的に彼女が男を操るサキュバスのようになれただけのこと。

「あるいは、そうなることが、この異世界の神の意思なのかも……」

 なんて、確かめようのないことを、ヤマジュンもつい考えてしまう。

 しかし、異世界に呼び出された二年七組の生徒達、彼らの命運を神が握っているというのなら、その出会いもまた、神に定められたものなのかもしれない。

 それは、いつものように妖精広場で休息をとっている最中のことだった。

 そこで、これまでは偶然巡り合っただけの彼らだったが、初めて妖精広場に転移してくる者の様子を目撃した。

 噴水の前、広場のほぼ中央に、突如として白く眩い光で魔法陣が描かれる。すでに彼らも利用経験のある、転移の魔法陣と全く同じ文様だ。

 その魔法陣が芝生の上に踊ると共に、閃光のように白い光が弾ける。あまりの眩しさに、誰もが目を瞑り――そして、再び開いた時に、彼女はそこにいた。

「ふぅー、良かったぁ、ありがとね、エンちゃん!」

 輝くような笑顔は、きっと目の錯覚ではない。魔法陣より現れた、その小さく可憐な少女は、淡雪のように真っ白い肌に煌めくプラチナブロンドのツインテール。そして、爛々と輝く大きなスカイブルーの瞳は、子猫のように大きく円ら。

 金髪碧眼のクラスメイトなど、二年七組にはたった一人だけ。その姿を、他の誰かと見紛うことはないし、彼女の容姿を忘れることもありえない。

 レイナ・アーデルハイド・綾瀬。

 美少女揃いの二年七組にあっても、一二を争う最高の美貌を誇る女子生徒が、ここで合流することとなったのだった。




「な、なに……なによ、これ……」

 姫野愛莉は、異世界召喚される前の冴えない地味な女子生徒に戻ったかのような錯覚に襲われていた。

 妖精広場の噴水、その縁にちょこんと腰掛ける金髪美少女レイナ。そして、彼女の前に傅くように集まる、男達。

「うぅ……怖かったよぅ……早くユウくんに会いたい……」

 どこまでも庇護欲をそそる、か弱い乙女のすすり泣き。その声音は、良くも悪くも戦いに慣れた、勇敢な男子生徒諸君の心に火をつける。

「大丈夫だよ、レイナちゃんのことは、俺が絶対守るから!」

「そうだ、俺らと一緒なら安全だから」

「戦いにも慣れてるからな、俺らはかなり強いぜ」

「レイナちゃんは、ただ俺達についてくるだけでいいべ」

 愛莉も聞いたことがないほど、彼らの言葉は勇ましさと優しさと、くどいほどの甘さに溢れている。

 レイナがこの妖精広場に現れてから、まだ五分と経ってはいない。

 だが、今や男子連中はすっかりレイナに夢中。本来なら、同じ女子である愛莉が率先してレイナに声をかけて、話をしていくべきなのだが、あまりの彼らの熱狂ぶりに、全く入り込む隙がなかった。

 結果、愛莉だけ噴水から離れ、一人で様子見という寂しいポジション。それは、単に蚊帳の外という疎外感だけではなく、玉座から転がり落ちた女王の気分に近い。

 噴水に座るレイナと、彼女を囲む男、そして、その外側にいる自分。この立ち位置が、イコールでパーティ内での序列を現すのだと、無意識的に理解してしまった。

「まぁまぁ、皆ちょっと落ち着いて。綾瀬さんも大変だったようだし、まずは落ちついて、ゆっくり休んでもらった方がいいんじゃないかな」

 男の中でも、ヤマジュンだけが冷静で建設的な意見を出すが、登場から僅か五分で姫の座から転落した愛莉としては、最早、冷静に同意することもできはしない。

 レイナがパーティに加わるのか。冗談じゃない。

 愛莉は恐れた。レイナ・A・綾瀬、ただ彼女がそこにいるだけで、このダンジョンに落とされてから、築き上げた己の魅力と努力の結晶が、脆くも崩れ去ろうとしていることに。

「お、落ち着け、私。まだ、慌てる様な時間じゃない……」

 あざといほど悲劇のヒロインぶる涙のレイナを見るだけで、怒りで目の前が真っ赤になりそうだが、愛莉の理性はどうにかそれを抑え込むだけの力がまだ残っていた。

 認めよう。確かに、レイナ・A・綾瀬は可愛い。美貌という点では、自分と彼女とでは天と地ほどの差がある。そんなの、分かり切っていたこと。

「ふ、ふふ……頭の中お花畑のアンタは知らないでしょ。所詮、男ってのは性欲の塊なのよ」

 私には、まだ体がある。

 可愛い見た目だけでは、男の性欲は満たされない。実際に触れて、女の体で奉仕してやることで、初めてソレが満たされる。

「蒼真悠斗のことしか眼中にないアンタじゃあ、他の男の相手なんてできるわけない」

 けれど、私はできる。事実、今までもそうしてきたし、これからもそうするつもり。

 容姿が劣っているなど百も承知。体を使って、強い男に取り入ること。それが、愛莉が身に着けたダンジョンでの能力であり、生存戦略。

 そう『淫魔』である自分しか、餓えた男達を満たしてあげることはできない。

「ふん、せいぜい今だけ、ちやほやされてりゃいいのよ……どうせアンタみたいな他人に気の一つも使えない天然ワガママ女なんて、すぐに面倒くさいお荷物になる。可愛いだけのアンタは、女としてじゃなくて、ただのペット扱いがいいところよ」

 男に性欲という、決して切り離せない生理的欲求が存在する以上、愛莉の女としての価値は絶対だ。どうせ高嶺の花など見ているだけで、男なら必ずヤラせてくれる手近な女を選ぶに決まっている。

 それは、これまで彼らと少なくない回数、体を重ねてきた愛莉が感じた、真理である。

「――いや、今日はいいわ」

 しかし、その日の晩、愛莉は山田に断られた。

「えっ……ど、どうしたの、山田君? もしかして、体調が悪いの?」

 的外れなことを聞いていると、自分でも思った。すでにして、愛莉は気付いている。

 いつもなら、一も二もなく覆いかぶさってくる、盛った野良犬のような山田だが……今、愛莉を見る目には、まったく情欲の色が映っていない。

 まさか、ありえない。思いつつも、認めざるを得なかった。

 男の性欲という真理が、今正に、覆ったのだと。

「おい、レイナちゃんがいるんだから、もうこういうのはあんまよくねーだろ」

「なに言ってるの、山田君。我慢するのは良くないよ。あの子だって寝てるし、いつもより静かにやれば大丈夫だし――」

 と、いつものように山田の体へ両腕を絡ませるが、それはすげなく振り払われた。

「うるせぇな、とにかく今はそんな気分じゃねーんだよ。いいから今日は寝ろって」

 禁欲の決意は固い、とでも示すように、山田は目を瞑り、愛莉に背を向けて転がった。

「う、嘘……嘘よ、こんなの……」

 山田が自分を拒絶した。正常な性欲を持つ男が、この『淫魔』である愛莉を前に、断った。

 今だけ、こんな反応は、きっとレイナがやってきたばかりの今だけに決まっている。三日もたてば、我慢の限界で必ずしたくなる。男の性欲は、絶体――

「うーん、今日はやめとくわ」

「いやー、レイナちゃんがいるしなぁ」

「こういうのは、もう控えた方がいいべ」

 次の日は上田、その次の日は中井、そしてまた次の日は、下川に断られた。さらに翌日、三日が経過し、禁欲など限界であろう山田へ再び誘いをかけたが……

「俺、もうお前とはヤラねぇ……レイナちゃんに、ダセェところは見せられないっつーか、後ろめたいことは、したくねぇ」

 覚悟を決めた男の目で、そんな自分勝手な宣言を愛莉は突きつけられた。

「ふ、ふっ、ふざけんな、このクソ野郎! 今まで散々ヤラせてやったってのによぉ、どの口が誠実ぶった戯言ぬかしてんだ! なにがレイナちゃん(ハート)だよ、腐れロリコンかよテメーは、キモいんだよ、自分の顔考えてモノ言えよ! なに、好きなの? レイナちゃん(笑)のこと好きなの? ガチ恋なの? 無理に決まってんだろ、頭湧いてんのかよ、鏡貸してやるからもう一回よく自分のブサイク面を直視しろ。大体、あのぶりっ子クソロリ女は蒼真悠斗のことしか見てねーから、お前らなんか眼中にないから、尽くすだけ無駄だから。命張ってアイツ守っても、何の見返りもねーし、ありがとうの一言も言えるかどうか怪しい奴だって。そんなドクズ相手にマジになるとかイカれてるから、現実見ろよ、お前みたいのは、いいから黙って私を守ってりゃいいんだよ。大体、あんだけ好きにヤっておいて、今更、真面目に恋愛なんかする権利なんかお前らにはねーから! アホみたいな夢みてないで、私を見ろ! 私に尽くせ! バカな男共はみんな、私の奴隷やってりゃいいんだっての!」

 なんて、怒り狂って叫ぶはずだった罵声を、喉元ギリギリで抑え込む。

 愛莉は自分の立場を理解している。男の力を借りねばならない彼女は、究極的には男の機嫌を損ねるワケにはいかない。感情的に怒って喚くだけでは、男の気持ちを戻すことはできない。

 自分にあるのは、男をその気にさせて気持ちよくさせてやることだけ。決して、自らの命令を一方的に従わせる、洗脳のような強制力はないのだ。

 故に、女として、『淫魔』としての魅力が通じなくなった今……姫野愛莉は、正に無力な女子生徒に戻ってしまったのだった。




 レイナ・A・綾瀬を加え、ダンジョン攻略は続く。

「しゃあ、行くぞテメーら!」

「おう!」

「やってやるぜ!」

「へへっ、レイナちゃんにいいとこ見せるべ」

 戦闘担当の男達の士気は高い。彼らは武勇を競い合うように、勇ましく魔物へと挑みかかり、蹴散らしていく。

 決して、戦いで一番活躍した者が、レイナからご褒美がもらえるというワケではない。彼女は一切、彼らに何も与えない。レイナはただ、見ているだけ。

 応援することも、励ますことも、まして、戦いに疲れた彼らを労うこともない。

 それでも、彼らは嬉々として戦う。

 何故か――決まっている、レイナが魅力的だからだ。

 彼女が何も与えなくても、男は尽くす。ただ、彼女が見ているというだけで、尽くしてしまうのだ。

 男にとっては、それでいい。何も得るモノがなくとも、心はそれで満たされるのだから。

 しかし、そんな悪魔的な魅力を放つ女を、同性たる別の女が見れば、どう思うか。

「くそ、くそ……クソクソクソクソ……」

 嫉妬に狂うとは、正にこのこと。

 己の女としての魅力を武器にする『淫魔』である姫野愛莉は、同じく女の武器を無自覚に使うレイナを前に、手も足も出ず圧倒的な敗北を喫したのである。

 愛莉は、自分の体まで使って、ようやく彼らを味方につけた。だというのに、レイナは自ら一切何もせず、ただ悲しそうにすすり泣いてグズっているだけで、男全員を従わせたのだ。

 これを同じ女として、屈辱じゃなくて何というべきか。理不尽、圧倒的理不尽。

 女性であれば、容姿の格差、というのは誰でも身に染みて理解できている。男とて、イケメンとブサメンの格差など言われるが、女性のソレに比べれば無きに等しいレベルだろう。

 分かってはいる。とっくに分かり切っている、女性として至極当たり前の格差はしかし……今、この時ほど姫野愛莉は憎んだことはない。

 そして、その憎悪に近い強烈な嫉妬心の向かう矛先は、当然、一つしかない。

「クソ、クソ……レイナ殺す、マジで殺す」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて、姫野さん」

 今すぐ噴水でちやほやされているレイナを、渾身の『光矢ルクスサギタ』でスナイプしないのは、ひとえにヤマジュンの甲斐甲斐しい説得の成果である。

「お、おち、落ちついてなんて、いられるワケないでしょ!」

「声が大きいよ、今、騒ぎになったら、よくないことになる」

 ギリリ、と歯ぎしりして、愛莉は押し黙るより他はない。ヤマジュンの言う通り、あまり大声で騒ぎだすのは得策ではない。

 演技なのかマジなのか、ともかくレイナはとんでもなく怖がりだ。魔物でなくとも、同じクラスメイトが大声でわめき散らせば、それだけで怯えて泣きだすかもしれない。そうなれば、今やレイナの虜となっている男連中の敵意が、一斉に向けられるのは自明の理だ。

「姫野さんの気持ちは分かる、なんて安易には言えないけれど、今がどういう立場にあって、姫野さんがとても辛い気持ちを味わっているというのは、分かっているよ」

「そう、そうだよ……そうなの……私、辛い、こんな仕打ち、耐えられないよ!」

 うんうん、とヤマジュンが優しく肩を抱くと、愛莉は静かに泣き始めた。そのまま、恋人のように抱きしめながら愛莉をなだめ続ける。

 彼女が泣きやむ頃には、すっかりパーティメンバーは寝静まっていた。

「姫野さん、辛いとは思うけれど、今は耐えるしかないよ。とにかく、女子が綾瀬さんと姫野さんの二人だけ、っていう状況が悪いんだ」

「無理、無理だよぉ……もぅ、マジ無理ぃ……」

 今にも手首を切りかねない、落ち込み具合の愛莉。ヤマジュンはそんなダウナー状態の彼女を相手にしても、嫌な顔どころか、溜息一つつかずに、親身になって励まし続けた。

「ボクらが合流したのはつい最近だし、きっとそう遠くない内に、他のクラスメイトとも会えると思うんだ」

「でもぉ、そんなの、いつになるか分かんないじゃん」

「ボクらみたいな普通の生徒でも、天職の力があれば、こうして進んで来れたんだ。他のみんなも必ずダンジョンを進み続けている。だから、絶対にまたクラスのみんなが集まる時が来るよ」

「……本当?」

「本当だよ。そうしたら、もう姫野さんは、何も辛い思いをしなくてもいいし、無理をしなくたっていい。だから、それまで一緒に頑張ろう」

 ヤマジュンの言う通り、努力はした。愛莉は頑張った。

 極力、レイナのことは無視して、気にしないように、意識しないように努める。けれど、ついこの間まで自分の体に夢中になっていた奴らが、甘い声でレイナに媚を売っている姿を見る度に、フツフツと腸が煮えくり返るような憎悪と、再び彼らを振り向かせるだけの魅力はない自分のブサイク加減に絶望しそうになる。

 それでも、何とか耐えた。ヤマジュンが励ましてくれたから。自分は魅力的な女性なんだと、抱きしめて寝てくれたこともあった。

『淫魔』としての本能か、ヤマジュンとヤってみたくて堪らなかったが、愛莉の人としての理性が、ただ母親のように優しく抱きしめて添い寝してくれる彼に対して、襲い掛かるのを止めてくれた。

 愛莉は理不尽な現状に耐え、女としてのプライドもギリギリで保ち、何とかダンジョンを進み続けたが――張りつめた糸のような我慢は、ちょっとしたアクシデントで、切れてしまうものだった。

 その日その時、ついに限界が訪れる。

「キャァーっ!」

 けたたましい、レイナの悲鳴が響きわたる。耳障り極まる彼女の悲鳴だが、この状況下においては、気にするだけの余裕もなかった。

「キョォアアアア!」

「バウ! バウバウッ!」

 襲いかかって来た魔物は、ラプターとゴア。ここは、とうとうダンジョンを抜けたのか、外に広がるジャングルだ。

 おっかなビックリ、どこまでも開けた広大なジャングルへと分け入った、すぐ後のことである。

 まず、前方にラプターの群れが現れ、戦闘が始まった。順当に男四人で対処できる強さと数。しかし、ここで獲物の横取りを狙ってか、背後からゴアの群れが奇襲をしかけてきた。

「うぉおおおお! レイナちゃん、大丈夫かっ!」

 真っ先にフォローに駆けつけたのは、山田である。ラプターの残りは三人に押し付け、自分だけレイナのピンチに登場する美味しいとこ取りだが、ゴアと正面きってやり合える力を持つのは『重戦士』の彼だけである。

 最善の迎撃体勢ではあるが、山田一人だけでは止められるゴアの数も限られた。

「バウッ! バォオオオアアアアッ!」

「いやぁああああああああああああっ!」

 大口を開けて迫りくるゴアを前に、死ぬほどの絶叫を上げる愛莉。これまで最優先で守られていたのが、レイナ中心の陣形になったせいで、愛莉は自然と敵の接近を許しやすい立ち位置にまで追いやられてしまったのだ。

「いや! 助けて、死ぬ! マジ無理っ!」

 正に死にもの狂いの叫びをあげながら、無様に転がるように愛莉は安全地帯を求めて走る。

 山田の近くは危険。最前線。上中下トリオも諦めの悪いラプターの群れと戦っていて、まだまだ危ない。ヤマジュンは果敢に光魔法でゴアに対して応戦しているが、攻撃をしているだけ、ゴアの注目も引いて狙われやすい。

 当然、最も安全な場所は、中央に位置するレイナの傍。なにより、彼女の『精霊術士』としての能力によって呼び出された、強力な霊獣『エンガルド』が控えているのだ。

 最悪、ラプターかゴアに突破されても、とんでもなく強い炎魔法を行使する獅子のエンガルドがいれば、どうとでも防げる。レイナは『重戦士』山田よりも遥かに強くて頼りになるボディガードを引き連れているのだから、彼女の安全は絶対的に保障されている。

 これまでの道中で、すでにレイナの力を理解している愛莉は、一目散にレイナの下へと向かった。

「ガアッ!」

「ひゃああっ!?」

 しかし、飛び掛からんばかりの勢いで走って来た愛莉を危険とみなしたのか、エンガルドは獰猛な牙を剥き出しにして威嚇。人の言葉は通じない獅子の精霊だが、これ以上近づくと命はない、という意思はこれ以上なく明確に伝わった。

「ちょ、ちょっと、何でよ、助けてよ! 今はヤバいんだって!」

「キャァー、いやぁー、怖いよぉーっ! ユウくん助けてぇーっ!」

 必死にピンチを訴えかけるが、安全圏にいるはずのレイナ自身が、子供のように泣きわめいていて、まるで話が通じない。

 無理に通れば、エンガルドは容赦なく愛莉に噛み付く。愛莉も護衛対象として受け入れさせるには、レイナの命令が必要。

 しかし、そのレイナが全く聞く耳を持てなければ……

「バウバウっ!」

「うわぁああああああああああっ! 『光矢ルクス・サギタ』ぁああああああああっ!」」

 人間、追い詰められれば、何でもやるものだ。この時、愛莉は初めて、魔物に対して攻撃魔法を放った。彼女にとっての、初戦闘である。

「はぁ……はぁ……」

 気が付けば、戦いは終わっていた。どうやら、ラプターもゴアも、不利を悟って退散したようだ。

 愛莉は呆然としていて、ほとんど戦っていた記憶がない。ただ、ひたすらに目の前に迫って来たゴアに向かって、魔法をぶっ放していた、ような気がするだけ。

 けれど、それが曖昧な夢ではなく確かな現実であると、魔力を消費した疲労感が証明してくれる。そして何より、命の危険を感じた鮮明な恐怖が、脳裏に焼き付いて離れない。

「レイナちゃん、大丈夫だったか!?」

「怖い思いさせて、ごめんな」

 そんな男共の声を聞いて、同時に、思い出す。

 そうだ、レイナ、あの女が……

「えっ、なに、姫野さん、どうしたの?」

 愛莉は無言でレイナに近づいた。彼女を囲む、山田と上田の間に強引に割り込んで、レイナの前に立つ。

 戦いが終わって、エンガルドはもう魔法陣に戻っている。ボディガードはいない、今だからこそ、その一撃は実現した。

 パァン! と、乾いた音が静けさを取り戻した密林に響き渡る。

 見事なまでの、平手打ち。

 姫野愛莉、渾身のビンタが、レイナの小さなほっぺたに炸裂した。

「ふぇっ、えっ――」

「このクソアマがぁっ! よくも私を見殺しにしようと――」

 頬をぶたれてレイナが大泣きするのと、罵倒と共に殴り掛からんと再び愛莉が手を上げるのは、ほぼ同時だった。

 突如として発生した、女同士の仲間割れ。だが、目の前でレイナが叩かれた、というだけで、山田以下、男子の行動は早かった。

「おいっ、なにやってんだよお前!」

「やめろって!」

 二度目のビンタが叩き込まれる前に、山田と上田が慌てて愛莉を取り押さえる。

「あああぁーっ! クソっ、レイナぁ、テメーマジで許さねーからなぁーっ!」

 聞くに堪えないレイナへの罵詈雑言を発しながら、鬼のような形相で暴れる愛莉。髪を振り乱し、全力でもがく愛莉だが、今や天職の力で腕力も増大した男二人に抑えられれば、身動きがとれなくなる。

「ふぇえーん、ええぇーん! 痛いよぉーっ!」

「綾瀬さん、大丈夫、大丈夫だから! ボクがすぐ治すからね――『微回復レッサーヒール』」

 ヤマジュンが真っ先にレイナの治療、というにも大袈裟だが、ともかく彼女の相手を優先したのには、理由があった。

 これ以上、レイナが泣きわめくままにしておけば、彼女に仕える忠実なシモベたる霊獣が黙ってはいない。今、どれか一体でも現れれば、レイナをぶった犯人である姫野愛莉の命はない。最悪の場合、周囲の者全てがレイナを泣かせる敵と断じて、襲い掛かってくるかもしれないのだ。

 霊獣はレイナの言うことを理解しているし、並みの動物よりも遥かに高い知能を持っていると判断できるが、人の言葉が通じない以上、いざという時に話し合いでの解決は不可能。機嫌を損ねた時点で、誤解を解く機会もなく、強制バトルに突入である。

 ヤマジュンはそれとなく、レイナから漂う魔力の気配で、もう次の瞬間にはエンガルドが飛び出してきかねない雰囲気を察していた。

 故に、とにかくレイナを落ち着かせるのを最優先として、治癒魔法でビンタの痛みを消すことにしたのだが――その対応が、愛莉の心を傷つけた。

「そんな……山川君も、レイナの味方、なの……」

 怒り狂いながらも、愛莉は心のどこかで、期待していた。言い逃れできないほど、レイナから理不尽な仕打ちを受けた今こそ、自分は彼女を糾弾する権利がある。そして、それをヤマジュンだけは擁護してくれる、味方であると。

 しかし、真っ先に泣きわめくレイナの傍へ駆け寄り、治癒魔法を施すヤマジュンの姿が、愛莉の身勝手ながらも、確かな信頼を裏切ったのも、また事実。どうして、自分の傍に来てくれないのか、助けてくれないのか、レイナが悪いと、言ってくれないのか。

 その絶望は、とうとう愛莉から怒りで暴れるだけの元気を奪い去る。

「ふ、ふふっ……そう、そういうこと、どうせ、私なんて……ふふ、うっ、うぅうう……」

 突然、暴れるのを止めて、メソメソと泣き始めた愛莉に、困惑しつつも、山田と上田はとりあえず解放した。

 拘束を解かれた愛莉は、崩れ落ちるようにその場にへたり込み、両手で顔を覆って泣きだした。

 だが、そんな悲痛な姿を、山田も上田も一顧だにしない。すでにして、二人の注目はレイナに向けられていた。

「レイナちゃん、大丈夫か? 痛くない?」

「すげー音してたからな、腫れてないべか」

「治癒魔法をかけたから、もう痛みも何もないよ。これで大丈夫だから」

「けど、ヒデェことしやがる」

「可哀想に、レイナちゃん」

 ああ、またしても、レイナは男達に囲まれてる。涙で霞む視界の向こうで、愛莉はその光景を眺めていた。

 身に沁みるほどの疎外感と孤独感。どこにも味方なんていない。

 けれど、愛莉にとっての不幸は、そこで終わりではなかった。

「おい、レイナちゃんに謝れよ、愛莉!」

「いきなり平手打ちかますとか、どうかしてるぜお前!」

「そうだ、謝れ!」

「これはいくらなんでも姫野が悪いべ」

 その言葉は、さながら罪人に振るわれる鞭のように、愛莉を打ちのめした。雷に打たれたようなショックに全身が震える。

「なっ……あ……」

 何故、自分が責められなければいけないのか、愛莉は本気で分からなかった。ワケが分からない。

 自分はさっきの戦闘で、死にそうになったのだ。ゴアが目の前まで迫っていて、あの恐ろしい大口に、今にも咬みつかれそうで。本気で、死ぬと思った。

 だから、助けを求めた。

 けれど、それを拒絶したのはレイナの方だ。助ける力がありながら、私を見捨てようとした。いや、あのタイミングで拒絶するなど、間接的な殺人も同然だ。

「あっ、違っ、私……悪くな……」

 私は悪くない。助けようともしなかった、レイナが悪い。

 けれど、言葉となって出てきてくれない。胸がつかえて、息が苦しくて、思いは上手く声になってくれない。

「謝れよ!」

「謝れ!」

「お前、レイナちゃんをぶったんだぞ!」

「いいから早く謝れって!」

 糾弾の言葉、一つ一つが鋭い刃となって、愛莉の心を貫く。

 どうして、どうして、どうして――私は何も、悪いくないのに!

「待って、みんな、落ち着いてよ! 姫野さんだって、さっきの戦いで危なかったから、少し混乱してしまっただけで――」

 愛莉には、もう何も聞こえなかった。

 レイナは誰のことを省みることもなく、メソメソし続けるだけで。山田も上中下トリオも、そんな彼女の姿に、怒り心頭で愛莉を責めるだけ。ヤマジュンのなだめる言葉は、虚しく響く。その理性的な正しい言葉は、レイナにも山田にもトリオにも、愛莉にだって、届くことはなかった。

 ここが、限界だった。ただでさえ、我慢の限界。その上さらに、お前が悪い、謝れよ、なんて責め立てられれば――

「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 今度こそ、本当に狂ってしまったかのような絶叫をあげて、愛莉は走り出した。いや、逃げたのだ。現実から。あまりに、自分に対して冷たく厳しい、残酷なほどのリアル。

 そんなものから逃げ出して、何が悪い。

「あっ、待って、ダメだ、姫野さん!」

 あまりに突然の逃亡に、一瞬、呆気にとられたのがまずかった。ヤマジュンが慌てて彼女の背中を追おうとした時には、もう、深く生い茂る密林の影に、僅かに翻るセーラー服のようなものが見えただけだった。

「姫野さん、戻って! お願いだから、早く、戻ってきてれくれーっ!」

 ダンジョンで一人はぐれることの危険性など、今更、言うまでもない。だがしかし、そんな当たり前のことも忘れて、愛莉はただ、何もかもから逃げ出したくて、走り始めてしまった。

 どうしようもないほどの自暴自棄。省みる余裕などあるはずもなく、ただ怒りと絶望とに狂いそうになりながらも――しかし、悲しいほどに卑しい、人間としての生存本能は、残っていた。

「キョァアアア!」

「ひいっ!?」

 不意に、耳に届いたラプターの鳴き声に、愛莉は我を取り戻した。

 そして、その時には何もかもが手遅れだった。

「ひっ、あ……ヤダ……どこ、ここ……」

 右を見ても、左を見ても、アマゾンのジャングルが如き深緑の密林。しかし、仲間の姿はどこにもない。声も聞こえない。

 代わりに響いてくるのは、獰猛な魔物の鳴き声のみ。ラプターの甲高い鳴き声が、そこかしこから聞こえてきた。

「あ、ああぁ……やだ、やだやだ、無理だから、ホント無理だからぁ」

 ことここに至って、ようやく愛莉は現実を見つめ直す。

 耐えがたい精神的苦痛から逃げ出した結果、愚かにも、心どころか、命そのものを散らす危険な状況に、自ら足を進めてしまったのだと。

 元『治癒術士』にして『淫魔』の愛莉に、戦闘能力は使い慣れない『光矢ルクス・サギタ』一つきり。とても一人では生きてはいけない。そんなこと、分かり切っていたから、体を売って男に取り入って来たのだろう。

 だというのに、愛莉は自ら、その命綱たる男の庇護を捨ててしまったのだ。

「キョア、キョァ」

「キオオッ、アアー」

 一人きりの愛莉を、チョロい獲物だと判断したのか。あるいは、先ほど戦った群れの生き残りで、彼女を知っていたのか。

 ラプターは堂々と緑の茂みを割って、愛莉の前に姿を現した。

「ひ、ひいいいっ!?」

 完全に四方を囲まれている。囲まれてなどいなくても、愛莉に勝ち目はない。

 絶対的な命の危機、真の恐怖を前に、愛莉の頭の中は真っ白。最早、馬鹿なことをしたと後悔する余裕も、レイナに恨みの炎を燃やす気力も、根こそぎ奪われている。

 あっ、死んだ。最後に頭の中に残ったのは、どこまでも冷静で現実的な、つぶやきだった。

「――『炎砲イグニス・ブラスト』っ!」

 その時、紅蓮の猛火が目の前を駆け抜けて行った。鮮やかな赤い炎は、今にも飛び掛からんとしていた餓えたラプターの姿を、一気に塗りつぶしていく。

「キョァオオオアアアアアっ!」

「はぁあああああ――『双烈ブレイザー』っ!」

 揺らめく炎の向こう側で、連続した剣閃が瞬く。轟く、ラプターの悲鳴。次々と血飛沫が舞い、的確に、迅速に、踊る刃はラプターを屠っていった。

「キアアアアアアアアアアっ!」

 突然の乱入者を前に、危機を察知したラプターは一目散に逃げ去っていく。敵が去ったのを見届けたようなタイミングで、密林で燃え盛っていた炎は急激に衰えて行き、あっという間に消えていた。

「あっ……」

 そして、幻のように消え去った炎の壁の向こうに、一人の少年が佇んでいるのを、愛莉は見た。

「あっ、あー、えっと……愛莉、大丈夫?」

 間の抜けた、ちょっとしまらない声をかけるのは、眼鏡の少年。

「は、はっ、陽真くぅうーん!」

 かくして、『淫魔』姫野愛莉は、『魔法剣士』中嶋陽真と、元鞘に収まるのだった。

 2018年2月23日


 第9章はこれで完結です。

 姫野愛莉の話、章の頭と終わりで合計5話、とかなり長くなってしまいました・・・せめて、このどうしようもないドロドロ具合を楽しんでいただければ幸いです。

 詳しいことは、また後日に活動報告で書いていきたいと思います。

 それでは、次回もお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
ここに来て章タイトルの「魅了」したのが誰か分かるの草
中嶋君カッケー、タイミング良すぎてストーキングを思わせる。 天啓とかなんか変なもの生やしちゃって慌てて駆けつけてきたのかな?
[良い点] 女として不純ではあるけれど、なかなかどうして憎めない姫野さん。 興味深いキャラだ。 絶望と希望は表裏一体と言うが、運命めいた奇跡の再会は神の采配を思わせる。 まあ、ともかく、元鞘に戻れて…
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