第115話 口車
「改めて、これからよろしく」
ヤマジュンと気分が重くなるようなパーティ事情を聞いた後、僕らは塔の妖精広場へと戻った。
とりあえず、僕を襲っておきながら、勝手にショックを受けてメソメソしていたレイナは、今は落ち着いたようで、静かに広場の隅で眠っている。麗しの眠り姫を守るように、炎の獅子エンガルドが傍らにどっかりと横たわっており、僕ら男連中へ睨みを利かせていた。
しかし、僕が気になるのは、レイナが寝ている……何だ、アレ、ベッドじゃないか。小汚い木材を箱型に組み合わせただけの雑な造りだが、どこからどう見てもベッドである。それなりに綺麗な布地がしっかりと敷き詰められており、寝具としては使えないこともない。
早くもレイナのお姫様待遇の片鱗を目にして、僕はすでにゲンナリしてきた。
「えーと、まずは今の状況を教えて欲しいんだけど。ゴーマの砦がある、みたいなこと言ってたよね?」
「おう、そうだなぁ――」
僕が話しているのは山田君だけで、隣にはヤマジュンがいる。上中下トリオは、塔の入り口で倒したゴーマ中隊の死体の処分と装備の回収などに出ているようだ。山田君だけが広場に残って、臭くて汚い面倒な仕事を押し付けていることを思えば、パーティ内でのヒエラルキーも自然と見えるというものだ。
「次の転移魔法陣があるのが、そのゴーマの砦なんだよ。奴らはダンジョンの遺跡をそのまま根城にしているから、俺らが転移するにはソイツらをぶっ殺さなきゃいけねーんだ」
「かなりの数がいる感じ?」
「ボク達がその砦まで行ったのは、コンパスに従って向かった最初だけなんだ。一目見ただけで、正面突破は無理だと思うくらいの、大きな集落を形成していたから、すぐにこの塔まで引き返したんだ」
「ゴーマだけならどうとでもなるんだけどよ、流石に、ガッチリ鎧を着こんだゴーヴがあんだけ群れてると、俺でも厳しいぜ」
「ねぇ、ゴーヴってもしかして、あのゴーマよりデカくてマッチョな隊長みたいなヤツのこと?」
「うん。あの大きいゴーマは『ゴーマ・ゴーヴ』と呼ばれていて、彼らの中では戦士階級に位置する存在なんだ」
やっぱり、そんな気はしてたけど。
「ヤマジュンはゴーマに詳しいの?」
「そうだね、何故か、ボクの魔法陣には多くのメールが届くんだ。それで、色々と詳しいことが分かったんだよ」
なるほど、やっぱりこの魔法陣には明確に受け取る情報量に個人差があるのか。これも天職の影響なのか……その割には、同じ回復職の『聖女』である蒼真桜のメール情報はこれといって凄いってこともなかったような。まぁ、僕には隠してただけかもしれないけど。
「ゴーヴはただのゴーマとはけた違いに強ぇからな。普通は部隊を率いている隊長が一体だけだけどよ、砦の方にはゴーヴだけで部隊を組んでいやがる」
「なるほど、奴らの精鋭部隊が砦を守っていると」
そりゃあ、正攻法で挑むのは厳しいな。
「それに、情報によると、ゴーヴの中には魔法を使うタイプもいるらしいんだ。ボクらは砦のゴーヴ部隊を目撃しただけだけど、もしかしたら、奥にはボスモンスターのように、さらに強力なゴーヴのボスである『ゴグマ』がいる可能性もあるよ」
ゴグマというさらに上位種も存在しているのか。
このダンジョンに跳梁跋扈しているゴーマだが、なるほど、ちゃんと強い奴らもいるからこその繁栄ぶりといったところか。
けど、そういう情報は今の僕にとっては悲報でしかない。
「ねぇ、これ詰んでない?」
「マトモに攻められねーから、俺らはいつまでもこんなところで立ち止まってんだよ!」
どうやら、このニッチもサッチもいかない状況に、山田君はかなり苛立ちを感じている様子。聞けば、この塔で生活を始めて、すでに一週間以上が経過しているという。
「今のボクらはここに籠って、たまに襲ってくるゴーマを返り討ちにしたり、砦の様子を見に行く途中で戦ったりと、そんな感じなんだ。これといって、攻略が進む手段がないんだよ」
思ったよりも、苦しい状況のようだ。まぁ、ゴーマ中隊に襲われてピンチになる程度の戦力では、砦の攻略など不可能だろう。
「……綾瀬さんが協力してくれれば、いけるんじゃないの?」
「馬鹿野郎、桃川! レイナちゃんに危険な戦いさせるワケにはいかねーだろが!」
凄い剣幕で山田君が怒鳴る。うわー、これは、ちょっと無理かなぁ……
「でも、綾瀬さんの霊獣って、めっちゃ強いでしょ? 別に綾瀬さん本人は、安全な場所にでも隠れてもらっていればいい話で――」
「そういう問題じゃねぇ! 桃川、テメーも男だろ、男なら、女を守るのは当然だろうが!」
うーん、ずっとメイちゃんに守ってもらってた僕からすると、まるで共感できない理論だ。女の子でも余裕で男より強くなれるこの世界で、フェミニズムって一体何の意味があるのか。山田君も剣崎明日那みたいに、メイちゃんと決闘してフルボッコにされれば考えを改めてくれるかもしれない。
あー、メイちゃんと会いたいなー、戦って揺れるおっぱい眺めたいなー。
「おい、聞いてんのか、桃川!」
「あ、うん、聞いてるって。分かったよ」
レイナの天職は『ニート』ってことで納得しておく。
とりあえず、メンバーで一番強い山田君がこういう認識でいる以上、レイナをみんなで説得して戦闘に協力してもらう、という策は一旦諦めた方がいいだろう。
しかし、参ったな、山田君がここまでレイナにイカれているとは……まぁ、今の自分が一番レイナにアピールできるのが、戦いで守る、という点だから、絶対にここは譲れないのだろう。
モテない男の見栄ってのは、こういう時に頑固になりやがる。
「それじゃあ、砦は何としても男だけで攻略するという方針でいいんだね?」
「あったりめぇよ!」
「うん、それしかないよね」
ヤル気だけの山田君に、苦笑のヤマジュン。僕も一緒に苦笑いしようかな。
「それなら、次はこの周辺の地形とか出現する魔物の情報と、山田君達の天職能力を詳しく教えて欲しいんだけど」
「お、おう……まぁいいか。俺の天職は――」
あ、山田君バカだな。
完全に僕の勢いに押されて、自分の能力を普通に喋りはじめたぞ。これが天然の演技だったら、相当なモノだ。
特に何かを隠す素振りもなく、正直にベラベラと喋ってくれた山田君と、絶妙のタイミングで補足してくれるヤマジュンとの、二人の話を総合して、ようやくはっきりと現状と現有戦力が明らかになった。
山田元気・天職『重戦士』
『弾き』:武器や防具を用いて、敵の攻撃を弾き返す。
『弾き返し』:より強く、速く、重く、敵の攻撃を弾き返す。
『鉄皮』:鉄の如き硬さの皮膚となる。
『鋼身』:鋼の如き硬さの肉体となる。
『一打』:打撃攻撃力強化。
『撃破』:強烈な打撃による衝撃波。
山川純一郎・天職『治癒術士』
『微回復』:負傷を微かに回復させる、光の治癒魔法。
『光矢』:光属性の下級攻撃魔法。
『光盾』:光属性の下級防御魔法。
『光精霊召喚』:下級の光精霊を召喚する。
『閃光』:目が眩むほどの強い閃光を放つ。
『小回復』:負傷を回復させる、光の治癒魔法。
『古代語解読・序』:古代語を読み解ける。第三種制限。
上田洋平・天職『剣士』
『一閃』:斬撃攻撃力強化。
『一穿』:刺突攻撃力強化。
『見切り』:敵の攻撃に反応できる。
『疾駆』:移動速度強化。
『連撃』:斬撃による連続攻撃。
中井将太・天職『戦士』
『一打』:打撃攻撃力強化。
『弾き』:武器や防具を用いて、敵の攻撃を弾き返す。
『鉄皮』:鉄の如き硬さの皮膚となる。
『投擲』:投擲攻撃力強化。
『乱撃』:打撃による連続攻撃。
下川淳之介・天職『水魔術士』
『水矢』:水属性の下級攻撃魔法。
『水盾』:水属性の下級防御魔法。
『水霧』:霧を発生させて、視界を遮る下級隠蔽魔法。
『水流撃』:水属性の下級範囲攻撃魔法。
『水流鞭』:水の鞭を形成し、自在に振るう下級拘束魔法。
二人の懇切丁寧な説明のお蔭で、かなり詳細な天職能力が判明した。
もっとも、ゴーマ中隊との戦いを観察した結果から、僕が推測したのとそう変わりないもので、これといって目新しい発見はない。
隠し事でもされない限り、とは当然思うけれども、下川君の『水流鞭』も教えてくれたから、恐らくこれで全ての能力だと思われる。
先の戦闘で『水流鞭』の出番はないから、僕を騙そうと思えば、この魔法は隠しておける。けれど、僕は委員長達から小鳥遊小鳥が襲われた事件を聞いて、そこで下川君が『水流鞭』という魔法を使ったことを知っている。
向こうは、僕がこの魔法の存在を知っていることを、知らないのだ。だから、出来る限り能力を隠そうと思えば、『水流鞭』の存在は明らかにしないはず。
なんだけど、こうして普通に教えてくれたってことは、そういうことなのだ。まぁ、こんなレイナファンクラブのメンバー同士、きっちり口裏合わせるような連携なんかとれるはずもないか。
それにしても、ここまで進んで来たってことは、ボス戦含めてそれなりにダンジョンを攻略してきたはずなのだが、それにしては習得している能力が少ないように感じる。持ってる能力の数だけなら、僕はみんなの倍以上あることになるけれど……よく考えると、みんなの能力って大抵、即戦力級だったり、使い勝手が良い万能だったりと、高性能な効果なものばかり。
例えば上田君の『剣士』の初期スキル『一閃』『見切り』『疾駆』だけで、攻撃と回避が両立できて、剣さえ持てばすぐにでもゴーマ相手に戦える。
要するに、百個のゴミスキルは一個の強スキルには及ばないってことだ。重要なのは、スキルの数じゃなくて効果の強さ。
それにしたって、四人もいてゴーマ中隊相手に苦戦を強いる彼らを思うと、同じように近接戦闘職であるジュリマリと比べれば、やはり随分と弱いように見える。多分、ジュリマリだって凄い効果のチートスキルを持っている感じではなかったし、スキル構成としては彼らとそう大差はないはず。
同じスキルを持っていても、実力には雲泥の差が現れてくる。ということは、やはり個人の才能やセンス、というのも戦う上で重要なのだろう。
「ありがとう、よく分かったよ」
「おい、それじゃあ桃川はどうなんだよ」
「ボクも、桃川君の天職は気になるな」
というワケで、僕の方も天職『呪術師』を紹介しておく。勿論、あまり知られたくないネタは隠しておくけども。
とりあえず、僕にとってしっかりアピールしておくべき点は、『痛み返し』があるからくれぐれもフレンドリーファイアには注意しろよ、ということと、『汚濁の泥人形』ことレムのことだ。
「さっきの戦いで見た通り、強い魔物の素材があれば、それだけ強力な泥人形が作れるんだよね」
早速、素材クレクレである。
さぁ、お前ら、この呪術師様に雑魚モンス素材でいいから、ありったけ献上するがよい。
「泥人形、かぁ……ソレって、やっぱ魔物みてぇな姿になるんだよな?」
「泥人形は基本的にスケルトン型になるし、屍人形だとそのまま魔物の姿だし」
「ふーん、そんじゃあ、ダメだな」
「はい?」
おい、何言ってんだ山田。ロリコンこじらせてボケたのか。
「だってよ、魔物の姿ってことは、レイナちゃんを怖がらせちまうじゃねぇか」
なるほど、そう来たか。どうやら、僕は山田君のことを少々、見くびっていたようだ。
まさか、ここまでレイナにイカレちまってるとは……おいコラ山田てめぇマジでフザけんじゃねぇぞ。
「も、桃川くん、残念だけど、確かに山田君の言う通り、魔物の姿の使い魔を出してしまったら、きっとまた綾瀬さんは泣きながら霊獣をけしかてくるよ。もし作るとしたら、彼女の目の届かないところに置いておくか、見えないような小さいモノにするとか」
「……うん、そうだよね」
ヤマジュン、物凄い気の利かせ方である。完全に僕がキレそうになってたのを悟って、瞬時にこんなアシストするとは。
僕は確かに呪術師だけど、すぐに他人を恨んだり、逆恨んだりするほど沸点低くはないつもりだ。でも、僕の可愛いレムの復活を妨害しようってんなら、そりゃあ割と本気で腹も立つってもんだ。
レムは僕の生命線であると同時に、共に死線を潜り抜けてきた相棒である。一刻も早い復活を望むのは当然……だけれど、ヤマジュンの言うことも、困ったことに正しいのだ。
多分、いや、まず間違いなく、そのままレムを創れば、またレイナの奴が騒ぐ。下手すれば、あのバカ女は僕のことを邪悪な魔物使いとか勝手に敵認定して、忌々しい霊獣で殺しにかかって来るかもしれないのだ。
これまで通り、レムを常に僕の傍に置いておくわけにはいかない。
「分かった、綾瀬さんに配慮して、とりあえず目の届かない塔の外に置いておくことにするよ」
「いいや、それもダメだな。レイナちゃんは、たまに散歩しに塔の外まで出てくることもあるからな」
「それ本気で言ってるの? そんな理由でレムを、貴重な戦力を作らないって、本気で思ってる?」
「なんだとぉ、もしまたレイナちゃんを泣かせるようなことがあったら、お前どうすんだ、責任とれんのかぁ!」
ダメだ、コイツはもう末期だな。完全に手遅れ。どうしてこんなになるまで放っておいた。
あまりに無茶苦茶な山田の言い分に、僕は怒りを通り越して気が遠くなった。同じクラスメイトと話をしている気分じゃない。これなら、まだゴーマの方が円滑なコミュニケーションが図れそうな気がしてくるよ。
現実逃避はさておいて、山田がガチでこんなトチ狂ったことを主張しているとすれば、これはつまり、彼にとってレイナの気分ってのは、自分達の命をかけた戦いよりも優先すべき事柄なのだ。たとえ、ほんの僅かな可能性でも、それで彼女が気分を害する危険があるならば、絶対に許さない。
だから、レイナがレムを見て取り乱してしまった前科がある以上、山田は何が何でも絶対にレムを再生させることを許さないだろう。
何の論理性もない、単なる感情論。そして、ソレで自分が彼女を守っているという自己満足に繋がると……ちっ、ただでさえ大した戦力じゃないってのに、モテない男の恋愛オナニーに付き合ってる余裕なんかあるわけないだろう。
はぁ、仕方ない。それじゃあ、ここはちょっとやり方を変えてみるか。
「責任、かぁ……それじゃあ、もしその時は、山田君が綾瀬さんを止めてくれればいいんじゃないかな。ほら、こう、男らしく泣いている彼女を抱きしめて、とかさ」
「なっ!?」
あからさまに、顔を赤らめて驚く山田。自分がレイナを抱きしめているシーンでも妄想しているのだろうか。どんだけ分かりやすい反応なんだ。
もし反応がイマイチだったら、ただの冗談で済ませようと思ったけれど、想像以上の食いつきの良さ。これなら、上手くいくかも。
「僕が思うに、綾瀬さんは不安なんだよ。だから、大したことじゃなくても、すぐに怖がったりするんだ。そして、そういう恐怖から守ってあげられるのは、僕らの中で一番強い、山田君だけなんじゃないのかな」
「そ、そっかぁ?」
「そうだよ。綾瀬さんはただちょっと怖がりすぎているだけなんだから、レムのことだって、ちゃんと説明すれば分かってくれるはずだよ。だからさぁ、もし万が一、綾瀬さんが隠しているレムを見つけてしまって、泣き出してしまったら……まず、山田君が綾瀬さんをギュっと抱きしめて、落ち着かせて欲しいな」
「ばっ、ば、ばかやろっ、桃川、お前、そんな……俺が、レイナちゃんを抱きしめっ、とか、できるわけねーしぃ……」
「なに弱気なこと言ってるんだよ! 山田君しかこの役目はできないんだよ? このパーティのリーダーなんだから、メンバーで唯一の女子の綾瀬さんのこと、責任もって慰めてあげなきゃダメだじゃあないか。強い男として、当然のことでしょ」
「でっ、でもよ……そんなのやったら、セクハラとか思われたり……」
「大丈夫だよ、僕もヤマジュンも一緒になって、きちんと綾瀬さんに事情説明するからさ。そもそも、泣き出すくらい取り乱してしまうんだから、それくらいしないと止められないでしょ? これは仕方がないことで、最善の対処方法だよ。やましいことなんて、何もないじゃないか」
「そ、そうか……そうだよな! うっし、そこまで言うなら仕方ねェ、桃川、いざって時は、レイナちゃんのことは俺に任せておけ!」
山田、チョロい。
僕の大して上手くもない口車に、ここまであっさり乗ってくるとは、コイツは本当に進学校と名高い白嶺学園の入学試験に合格しているんだろうか。
いや、学力と頭の良さは必ずしもイコールじゃないし、恋は盲目っていうし、エロいことほど自分の都合のいい方に捉えがちになるし、まぁ、モテない童貞男子高校生なんて、こんなもんなのかもしれない。僕だって、堂々とメイちゃんか蘭堂さんにラッキースケベな感じで抱き着けるチャンスがあるんなら、後先考えずに乗るだろうし。
「とりあえず、僕としてはレムを創れるなら、戦いの準備は十分だよ」
さて、これで僕の戦闘準備を滞りなく進めることはできるけれど、次に問題となってくるのは、ゴーマの砦を実際にどう攻略するかという方法だ。
「その砦って、ここから近いの?」
「実際に何キロあるのかは分からないけれど、ここから歩いていくと一日かかるよ。朝に出発して、日が暮れそうな頃に、砦を見つけたんだ」
コンパスがあるから、道に迷うことなく真っ直ぐ進めたはずだけど、それでも結構、時間がかかっている。いや、人の足でジャングルの中を一日もかけずに進んだ距離なんて、大したものじゃないというべきか。
「その時って、綾瀬さんも一緒だった?」
「おう、ボスを倒してそのまんま転移する気で行ったからな」
「このジャングルの中を歩く時は、綾瀬さんはエンガルドに乗っているから、ボクらの方がついていくのは大変なんだよね」
なるほどね。となると、塔と砦の距離はおおよそ20キロメートルくらいだろう。
人間が一日で歩ける距離は大体30キロが平均で、歩兵だと50キロくらいだそうな。彼らはただの高校生だけど、今は天職の力がある。あまり足場がよろしくないジャングルの中でも、天職能力があれば、一日で20キロくらいは踏破できるだろう。
「僕らが一日で行けるってことは、向こうも一日あればこっちに来れるってことだよね」
むしろ、密林暮らしの奴らの方が、行軍速度は早いだろう。
「っていうか、さっき塔の入り口で戦ってたのって、もしかして、砦の奴らがここに攻めてきたからなんじゃないの!?」
「あー、そうかもな」
「ボクらは砦の攻略を諦めて、この塔に引き返してからずっと、レベルアップしようと思って付近のゴーマやモンスターを倒して回っていたんだ。だから、流石にゴーマ側もボクらのことを放っておけなくなった可能性が……」
「なんてこった」
砦の攻略どころか、むしろこっちが攻略される側じゃあないかよ。
そもそも、ゲームじゃないんだから、雑魚モンスターは無限湧きのランダムエンカウントと決まってはいない。砦という大きな集落の近くで、何体も仲間が殺害されれば、いくらバカなゴーマでも襲撃者が近くに潜んでいると気付く。ならば当然、戦力を結集させて、その脅威を排除すべく打って出てくるだろう。
「まぁ、大丈夫だろ。奴らはさっき返り討ちにしてやったじゃねーか」
「アレはただの偵察隊で、本隊が控えているかもしれないだろ。全員ゴーヴで構成された、精鋭部隊も出てきてない」
奴らは砦の守備隊として、絶対に動かないという可能性もあるけれど。
「この塔は危ない。今すぐにでも、一つ手前の妖精広場に撤退するべきだよ」
「うん、ボクもここは一旦、逃げた方がいいかなとは思うんだけど……」
「俺ら、転移してこの塔に来たから、他の妖精広場がどこにあるか、分かんねーんだよ」
ええい、どこまでも使えない。けど、転移してくるってことは、確かにそういう状況になることだってあるだろう。
「いや、大丈夫、僕は前の妖精広場からここまで歩いてきたから!」
そうだ、僕がゴーマに毒薬の人体実験したり、魔女の釜で猪鍋を食べたり、お風呂に入ったりした、あの妖精広場にまで撤退できれば、ひとまずは砦のゴーマ軍団からは逃れられそうな気がする――
「でも、桃川君、戻る道が分かるの? コンパスは転移の方向しか指さないから、戻る時の道標にはならないと思うんだけれど……」
おずおずと、ちょっと気まずそうなヤマジュンの台詞を理解するのに、僕はたっぷり十秒くらいかかった。
普通の方位磁針は、常に北を指し示す。だから、それを起点として東西南北の全ての方角を確認することができる。
けれど、この魔法陣コンパスは、最寄りの転移魔法陣の方向を指し示す。その進行方向が分かるだけで、方角を割り出すことはできない。さらに言えば、途中で示す方向が変わることすらある。
ただコンパスの逆方向へと進めば、手前の妖精広場に戻れるワケではない。
「し、しまったぁーっ!」
どうやら、僕らはこの塔で覚悟を決めて、迫りくるゴーマ軍団を迎え撃たなくてはいけないようだ。




