第111話 二枚の鱗
ボス猿軍団を割と楽勝で倒した僕らに、調子に乗るなよとイチャモンでもつけるかのように、ソイツは不意に現れた。
「うわっ、コイツはヤバい……」
一目で、今の僕らでは勝てないと悟る。
その姿は、毛の生えたサイだ。しかもデカい。元々、サイは大きな動物だけれど、僕が動物園で見たサイの倍以上、コイツは高さも幅もある。そのサイズは、僕が美味しく鍋にした大猪を遥かに上回る巨躯。
それなりに多彩になってきた呪術を駆使して、そこそこ戦えるようになってきたけれど……ああ、ダメだ、僕はとにかく、こういうストレートにデカくて強い、パワータイプの敵にはめっぽう弱いのだ。
「ブルルッ!」
巨大なサイの魔物は、あの大猪と同じように荒ぶっている様子。どうにも、目の前の僕らに全力の突進をぶちかましたくて仕方ない、みたいな雰囲気が伝わる。っていうか、もうすでに突進の前準備みたいに、前脚でガシガシと地面をかいてるし。
「グガガ」
「ダメだ、レム。回避に集中する」
我が身を盾に、僕を庇うように立つレムの忠誠心はありがたいけれど、このバカデカいサイの突進を受けて、レムが盾になろうがなるまいが変わりはないだろう。お手本のような無駄な犠牲ってもんだ。
今の僕らは、あの大猪の突進を崩すのが精々。それが、アイツの倍近くありそうな巨躯となれば、最早、手も足も出ない。
かといって、ただ左右に全力ダイブするだけでは回避しきれないに決まってるし、まして、背中を向けて逃げ出すなんてのはさらに選択肢としてありえない。横にも後ろにも逃げ場がないのなら……上にいくしかない。
幸い、僕らの頭上にはかなり立派な大木が立っていて、太い枝を目いっぱいに広げて緑の天井を形成している。僕の黒髪とアラクネの蜘蛛糸で、レムを抱えて樹上に逃れる。この大木なら、一発くらいはサイの突進でも受け止められそう。
その先は――ええい、まずは避けてから考える!
「来たっ!」
「ブルっ、ブゴォァアアアアアアアア!」
そして、ついに大型ダンプカーのような威圧感を伴って、巨大サイが走り出す。ヤバい、めっちゃ怖い、ってか、速い。こんなバカデカい図体していて、トップスピードに乗るのが早すぎる。
まずい、これもしかして、触手で上がっている真っ最中のところでぶち当たるんじゃなかろうか。ちょうど、あのぶっとい一本角が、こう僕の体をブッスリと貫通するような格好で。
「うわぁああああ、いけぇっ! 黒髪縛りぃーっ!」
身の毛もよだつ最悪の未来が脳裏をよぎりつつ、僕は全力で黒髪縛りのロープを放った、その時だ。
グォオオオオオっ!
鼓膜が破れんばかりの大爆音が耳をつんざくと同時に、僕の体は木の葉のように吹っ飛ばされていた。
あ、これ死んだわ。っていうか、もう死んだ?
「うわあっ! な、なん――痛ったぁ!?」
フワっとした浮遊感の直後、全身を打つ強い衝撃。ジンジンと鈍い痛みが駆け抜けるけれど……まだ、生きてる。
というか、大した怪我でもない。打ち所が良かったのか、僕は目立った外傷もなく、すぐにヨロヨロと立ち上がった。
それにしても、あの巨大サイの突進を受けたなら、こんなダメージで済むはずがない。
そんな疑問は、即座に解決。
「なっ、あ、あ、アレは……」
ソレは、あまりに巨大だった。ダンプカーのようなサイの魔物と比べても、尚、巨大。格が違う。魔物としての、いや、生物としての格が違うのだ。
その堂々とした、あまりに強く逞しい姿に、恐怖すら通り越して一種の感動すら覚える。なぜなら、それは僕が思い描く『最強』のイメージに相応しい姿だったから。
「……ドラゴン」
真紅に輝く鱗。力強く羽ばたく両翼。しなやかで長大な尾。そして、鋭い二本角の生えた獰猛な頭は、その口元から炎の吐息が漏れていた。
火竜・サラマンダー。
そうとしか呼べない、ゲームやアニメでよく見た、翼を備えた火吹き竜そのものの姿だった。
「うわ、うわぁ……」
そんなあまりにイメージ通りのサラマンダーだが、この異世界においてはどこまでも純粋に野生の存在であることを、僕にまざまざと見せつけている。
どうやら、サラマンダーは空中から急降下して、僕に向かって突進の真っ最中にあったサイを捕らえたようだった。あまりに巨大な魔物同士の衝突によって、小さな人間に過ぎない僕はその余波を受けてあっけなく吹っ飛ばされたということらしい。
捕食の決定的瞬間こそ目にできなかったが、今は胴体に深々と後ろ脚の爪を突き立てられて掴まれるサイの姿が見える。
あんな巨大なサラマンダーの接近に、全く気が付かないほどの超スピードで空中から飛び掛かられたのだ。その脚に蹴られただけで、内臓が潰れるほどの衝撃があったに違いない。その上、しっかりと鋭い爪を突き刺されて、サイはほとんど致命傷。
ブルル、と苦悶の声をあげて身を捩るサイだが、サラマンダーが火の粉が漏れる口で、その首筋を一噛みすると――サイの口と鼻から一瞬、ボっと炎が漏れ出て、それきり、ピクリとも動かなくなった。
首を噛んだ上で、炎を吐いて内側から頭を焼いたのだろう。あまりに鮮やかなトドメである。
狩りの成功を喜ぶように一声鳴いたサラマンダーは、捕らえた獲物を掴んだまま、大きな赤い翼を力強く羽ばたかせて、再び空へと舞いあがろう、としていたんだと思う。
不意に、サラマンダーが僕の方を向いた。
「あっ」
気づかれた。今更、気づかれたというのか!?
気分は正に、蛇に睨まれた蛙。いや、僕とドラゴンとでは、それ以上の格の違いがあるってものだろう。だってコイツは、僕を軽く轢き殺せるサイを難なく捕食する、食物連鎖のピラミッドで二段階は上にある生き物だ。
「いや、それはないだろ……」
サラマンダーは兎を狩るのにも全力を尽くす獅子の心でも持っているのか、あまりにちっぽけな僕という存在に向かって、大口を開けると、その内に轟々と真っ赤な炎を灯らせる。
どこからどう見ても、ファイアブレス発射の予備動作ですね。分かります。
バカ野郎、オーバーキルもいいところだ。足の爪先でちょっと蹴飛ばしただけで即死するような小動物の僕に向かって、思いっきり息を吸い込んでぶっ放すブレスを吐きかけようと言うのだ。
恐らく、いや、間違いなく、放たれれば僕は消し炭となる。
やめろ、考え直せ、僕を撃てば『痛み返し』でお前も焼け死ぬぞ。火にはめっちゃ強いサラマンダーだろうけど、焼死するんだぞ。お仲間に情けないと笑われるような死に様だ。ここは僕のような雑魚のことなんて、見なかったことにして立ち去るのがお互いにとって最善の――なんて交渉が、野生のドラゴンに通用するわけないよね。
ヒュウウッ――ボッ!
と、紅蓮の猛火が弾けた。
「うわぁーっ!」
何も考える間もなく、僕の目の前に灼熱の火球が迫って来る。サラマンダーの口腔より放たれた火の球ブレスは、とんでもない速さで飛来してきているはずなのだが、死が迫る寸前にはスローで見える、みたいな現象のお蔭か、不思議とはっきり見えた。
火を噴く魔物はオルトロス以来だが、アイツの攻撃がただの火遊びだったのだと理解させられる。これが、本物のブレス。なるほど、天道君がジーラの大群を一撃で殲滅したあの炎魔法と同じ、いや、それ以上の威力が籠っているのだと分かる。
僕の体よりも大きいサラマンダーの火球は、ただ火の球になっているだけでなく、そこに莫大な熱量が圧縮されていると感じる。これが炸裂すれば、きっとミサイルのような爆発力も発揮して、直撃すれば塵も残らず消え去るだろうし、近くにいても余裕で焼死か爆死できるだろう。
そして、そんな超威力のブレスを、僕の手札でどうこうできるはずもなく――
「熱っつ!」
と、思わず叫んだ声は、直後に轟いた大爆音によってかき消された。
その大音量に耳がキーンとなりつつも、吹き荒れる熱波に晒されて、僕の体は二転三転して地面を転がり、ドーンと木の根元に当たってようやく止まった。痛い。
「い、生きてる……」
頭を振って、立ち上がる。
何で僕は生きている。外したのか。いや、ドラゴンがそんなノーコンなワケがない。
あの火球は僕の数メートルは頭上を通過して行って、背後の密林の奥で炸裂した。
つまり、サラマンダーは最初から僕を狙っていたのではなく、別の相手に向かって攻撃したのだ。
その正体が何なのか――振り向き見れば、僕は三度、その巨大な魔物の姿に息を呑む。
「こ、今度はティラノサウルスかよ!?」
子供の頃、恐竜図鑑で何度も見たままの姿が、目の前にあった。
サラマンダーに匹敵する巨躯は、逞しい二本脚によって立っている。手のような前脚は小さく、長い尻尾と大きな頭部が水平になる体は、ゴアと同じ肉食恐竜そのものの体型だ。
だが、コイツは人間サイズのゴアを遥かに上回る、人類が想像した古代の大型肉食恐竜そのものの姿だから、迫力は桁違い。こんなデカい奴が、一体いつ現れたんだ。全然気づかなかったよ。
鼻の頭から尻尾の先まで黒一色。見るからに固そうな、金属質な光沢を宿す大きく分厚い黒鱗に覆われて、なるほど、この黒鉄の巨躯ならば、サラマンダーのブレスが直撃しても耐えられるだろうと思えた。そして、事実として奴は耐えた。だから、まだ立っている。
ゴォアアアアアアアアアアアアアアっ!
お返しとばかりに、ティラノが吠えると同時に、巨大なアギトを開き――なんだ、バチバチとスパークが散っている。まさか、コイツは雷のブレスを撃てるのか!?
バリバリと音を立てて、黒い巨体に鮮やかな紫に輝くラインが浮かび上がる。ソレは背中から尻尾にかける背面が特に強く輝き、全身から電力を振り絞っているかのような現象だった。
そして次の瞬間、目いっぱいに開かれた口腔より、眩い雷光が迸った。
「わぁあああああああああああああああ!」
またしても、僕の間近で炸裂する巨大モンスターのブレス攻撃。爆音と爆風が僕を翻弄して、また別の木へとぶち当たる。
「い、痛ったぁ、あ、うわぁああああっ!」
立ち上がろうとしたところで、僕はすぐに頭を引っ込めて地べたを這った。
サンダーブレスを放った直後、ティラノは雄たけびを上げて突進を開始。ティラノサウルスって、確か時速50キロくらいで走ると推測されてたけど、明らかに100キロ超えてそうな物凄い速度でダッシュしてきるんですけど!
あ、今度こそ轢かれて死んだな、と思った瞬間、その重厚な巨躯からは信じられないほどの大ジャンプ。無様に伏せった僕の遥か頭上を、悠々と飛び越えていくティラノは、サラマンダーが仕留めたサイの下へ、大地を揺らして着地を決めた。
重なる、ドラゴンと恐竜の咆哮。
見れば、サラマンダーはサンダーブレスを回避したためか、サイから離れた距離に立っていた。そして、離れた隙に飛び込んでいったティラノが、サイの体に齧りつく。
獲物を横取りしようとするティラノに対し、サラマンダーが怒りの声をあげる。
「うわぁーっ! やめて、もうやめてくれぇーっ!」
僕の涙の叫びなど届くはずもなく、二体の大型モンスターによる熾烈な獲物争いが始まった。
僕にできることは、もうその場で小さく蹲って、嵐が去るのを待つだけだった。
何が起こっているのか、もう分からない。ただ、恐ろしいほどの轟音と震動が響きわたり、激しい戦いが繰り広げられていることが、何となく感じられるだけ。
そして、いつしかその音が遠のいて行っていることに、しばら経ってからようやく気が付いた。
「は、はは……やった、助かったぞ……」
このダンジョンに来てから、もう何度目になるか分からないけれど、生の喜びを噛み締める。
周囲の木々はほとんど薙ぎ倒されて、巨大な魔物が争った形跡が生々しく残っている。僕が無事なのは奇跡みたいな荒れ果てよう。
よく見れば、大きな獣道のように、一方向に向かって倒れた木が続くところがあり、どうやらその方向に向かって二体は去って行ったようだ。耳を澄ませば、風に乗って獰猛な竜の咆哮が聞こえてくるような気がした。
「レムもアラクネも、無事で良かった」
「ガガ」
「キシャ」
頭を上げてから、ようやく、僕の上に覆いかぶさるように守ってくれていた、レムとアラクネの存在に気が付いた。マジで涙が出るほどの忠誠心である。ありがとう、レム。たとえ、健気なガードが全く無意味なレベルの戦いだったとはいえ、それでも、ありたい気持ちは本当だよ。
そうして、奇跡的に僕らは全員無事で嵐を乗り切った。
それにしても、こんな規格外のモンスターバトルに巻き込まれるとは……改めて、異世界の魔物の強大さを思い知った。やはり、ゴーマや犬や猿なんて雑魚に過ぎず、上には遥か上がいるのだ。
「ああ、どうかこの先、あんな奴がボス部屋にいませんように……」
途端に先行きが不安になってきた。
でも、いいこともあった。
「おお、こ、これは……サラマンダーと、ティラノの鱗!」
同格のモンスター同士が争ったせいで、強固な鱗も剥がれるほどの戦いだったのだろう。よく探せば、そこら辺に何枚か、真紅の鱗と、漆黒の鱗が落っこちていた。あまり綺麗ではなく、割れたような破片だけれど、僕にとってはありがたい収穫だ。
『火竜の鱗片』:火竜の鱗の欠片。成体になったばかりの若い個体だが、十分な硬度と火耐性を持つ。
『大型地竜の鱗片』:大型地竜の黒い鱗の欠片。成体になったばかりの若い個体だが、十分な硬度と雷耐性を持つ。
二枚の鱗を見比べていると、『直感薬学』がそう教えてくれた。
「アイツら、あれからまだ成長するのか……」
そして、あの二体の将来性に僕は戦々恐々とするのだった。




