第109話 鍋のある生活
「よーし、やるぞっ!」
初めて発動させる『魔女の釜』は、土などで鍋状の土台を作るところから始まる。『汚濁の泥人形』のお蔭で、泥遊びスキルには多少の自信がある僕としては、鍋の形を作るなんて楽勝だ。手早く作った後、鍋底に呪文と魔法陣を刻む。
「うーん……こんな感じで」
妖精胡桃の枝をペンにして、サクサクと泥の鍋底に頭に浮かぶ文字と陣を書き込んだ。
文字はいわゆる古代語、なのだろうか。よく分からない、アルファベットのような、漢字のような、象形文字のような、これといって統一性が見当らない文字というか記号の羅列である。
魔法陣の方は、僕の掌の呪印とはまた違ったデザインで、太極図のようなグルグルした感じだ。
適当に書き上げた後は、一言呪文を唱えれば発動である。
「開け、『魔女の釜』」
すると、『汚濁の泥人形』と似たような混沌のエフェクトが鍋底からドロドロと溢れだし――あっという間に、不恰好な泥の鍋は、真っ黒い大鍋へと変わっていた。
触れてみると、冷たくもなく、温かくもなく、金属のような、陶器のような、なんとも判別のしがたい、不思議な感触だ。
泥で作ってはいないけど、蓋も形勢されていた。こっちは普通に取り外せる。
開いた鍋底には、グルグルと混沌の影が渦巻いているように見える、ような、見えないような。目の錯覚なのかどうなのか、よく分からない不思議な感じ。鍋底を触っても、特に感触の変化はなかった。
「で、コイツで一体、何ができるというんだ……」
出てきたはいいけど、特にこれといって反応はない。とりあえず設置型の呪術らしく、地面から動かすことはできなかった。
「とりあえず、慣れたモノから作ってみるか」
結果が分かり切っているからこそ、変化も分かるというもの。まずは、すっかり常備薬として定着した傷薬Aを、この『魔女の釜』で作ってみよう。
「ニセタンポポの葉」
大森林ドームを進む最中にも見つけたから、十分な量がある。鞄から一束取り出し、鍋へ放り込む。
「妖精胡桃の葉」
「ガっ!」
コレは現地調達できるので、すでにレムがとってくれてまーす。
「白花の花」
「キシャ!」
コイツも妖精広場の花畑で現地調達なので、アラクネがとってくれた上に、花の部分だけちゃんと千切って渡してくれた。
料理番組のような、レムのアシスタント能力が嬉しい。
「で、これを混ぜ――」
いつものように、ぶち込んだ材料を乳棒代わりの枝で混ぜ込もうとした次の瞬間であった。鍋底に渦巻く混沌が俄かにギュルギュルと速さを増したかと思えば、葉っぱと花の材料たちがズブズブと沈み込んで行く。
「うわっ、こ、これはっ!?」
数秒後、渦の回転が元の速さに戻ってくると、よく見慣れた緑の青臭いペースト状のドロドロが、鍋の中へと浮かび上がってきた。
「もしかして、自動で完成させてくれるのか!」
凄い、凄い便利機能だぞコイツは。これでついに、僕も小鳥遊小鳥のような、魔法一発で楽チン作成の『錬成』スキルを手に入れたということなのでは。
「よし、これなら、あとはもう素材さえあれば、全て魔法が良い感じに作ってくれて――」
と、喜んだのが、十五分ほど前の僕である。
「……分かった。分かったよ、ルインヒルデ様」
『魔女の釜』:魔女の持つ釜は、ただ煮炊きするものに非ず。魔法と呪いと薬毒とを生み出す混沌の器。一見すると、ただの真っ黒い大鍋だが……実は、コレ一台で様々な調理ができる、万能器具なのです。
材料を放り込むと、僅か三秒で傷薬Aも出来上がります。見てください、この仕上がり。トロトロでしょう? こちら、手で混ぜたモノと比較すれば、その差は一目瞭然! もう、面倒な手作業とはオサラバ。パワーだってあります、固い妖精胡桃の殻だって、コイツにかければ、ガリガリガリ! ほら、一瞬で粉砕です。
ミキサーだけではありませんよ。こちら、噴水から汲んだばかりの冷たぁーい、水。コレを鍋に入れて……はい! どうです、もう沸騰してきましたよ。おっと、驚くのはまだ早い、今度は、一、二の三、はい、氷った! グツグツと沸騰していた熱湯が、何と一瞬の内に氷の塊に!
そう、この鍋にかかれば、急速な加熱も冷凍も自由自在。
さらに、鍋の中を煙で満たせば燻製に、空っぽのままなら急速乾燥で乾物だって、すぐにできます!
これ一台で、焼く、煮る、炊く、冷ます、燻す、乾かす、すり潰す……ありとあらゆる調理が少々の魔力消費で簡単便利に即完了! 正にキッチンの革命児『魔女の釜』、一家に一台、料理のお供に。今ならさらに、もう一台つけて――
と、まぁ、こんな感じの性能であることが、僕の実験結果によって判明した。
「いや、凄い、凄い鍋だよ、コレは……」
それは認めよう。コレさえあれば、僕だって一人暮らしで自炊する自信が持てそうなほど、素晴らしい調理器具である。
そう、コレは所詮、魔力で動くだけの、調理器具でしかなかった。
「マジで『錬成』とかチートだろ」
魔力で様々な調理法を再現するのは現代の科学技術でも難しい便利能力だけれど……僕はすでに、呪文と魔法陣一発だけで、思い通りのモノを創造する『賢者』の力を見てしまっている。そう、小鳥遊小鳥の手にかかれば、魔物の素材とベースになる武器があれば、『レッドナイフ』が作れてしまうのだ。
けれど、僕の『魔女の釜』はどう使っても、魔法の武器を作り出すことはできない。薬の材料を手で混ぜなくても済むようになっただけ。その薬にしたって、材料が揃っていたとしても、調合方法が間違っていれば、何の効果も発揮しないゴミが出来上がるだけ。
素材と魔法さえあれば、後は全自動で最高の結果をもたらしてくれる、安易なクラフト能力なんて……そうだよね、呪術師の僕が、得られるはずがないよね……
「いい、いいんだ……泥人形は自動で素材をいい感じに取り込んでくれるし……この鍋だって、製法さえ確立できれば、薬も毒も作れるはずだし……」
それでも、楽チンな錬成能力キタコレと期待してから沈んでしまった僕のテンションが元に戻るまでは、ややしばらくの時間を要するのだった。
「おおっ、良い匂い!」
付属品の黒い蓋をとると、モワっと湯気が噴き上がる。鍋の中は薄らと茶色く濁ったスープがグツグツと煮えたぎっており、食欲をそそる油の香りがほんのりと鼻を刺激した。
もう、こんなもんでいいだろう。
僕はゴーマの所持品にあった木のお椀みたいな器と、枝を組み合わせて作成したおたまで、熱々の鍋をすくった。
「――うん、美味い。そのまま焼くより、こっちのが美味しいかも」
というのが、僕が初めて作った大猪の牡丹鍋の感想である。
折角『魔女の釜』という万能調理器具があるというコトで、本日の食事に作ってみたのだ。鍋で調理ができるということで、森林ドームを探索して食べられる食材がないか調べて回った。その結果、得られたのはデカいシメジみたいなキノコと、一応、食べられるらしい野草。
そうして大猪と謎のキノコと草の、ダンジョン牡丹鍋が完成した。
食材も怪しければ、料理の知識もスキルもない僕が作っても、ほどほどに美味しいと思える出来栄えなのだから、やはりメイちゃんが作っていれば……というか、この『魔女の釜』って、彼女にこそ必要なスキルだったのではないだろうかと、切に思う。
「これ、余ったらそのまま冷凍できるの、めっちゃ便利だよね」
小さ目の鍋に作ったとはいえ、元から小食な僕が鍋一杯を空にすることはない。半分ほど余ったら、そのまま冷凍モードにすれば、勝手に冷えてくれる。設定温度は0度で。温度計なんてないから、水がギリギリで凍らないあたりの温度を狙って調整した。
加熱も冷凍も、魔力を使うけれど、大した消費量ではない。それに、ある程度の魔力を注いでおけば、別にずっと念じていなくても効果は維持される。だから、魔力が続く限りはこのまま冷えててくれるのだ。
「よし、それじゃあ……毒薬、試してみるか」
この妖精広場に辿り着いてから、もう三日以上は経過している。僕は『魔女の釜』で色々な製法を試せるようになったから、それだけ実験するにも時間を費やした。ひとまずは、ここを拠点にして先へ進むための準備を整えようと思っている。
だから、この広場の前後に広がる大森林ドームを探索しては、雑魚モンスターを狩っての素材集めや、薬草毒草の採取も本格的に行っている。僕一人ではどれだけ時間があっても厳しいけれど、レムとアラクネがいれば、魔物狩りも採取もかなり捗る。
特にアラクネの糸があれば、獲物を生きたまま捕らえられるから、凄い便利だ。
「キシシ」
「あっ、おかえり」
ちょうど、アラクネが狩りから戻って来てくれた。首尾は上々。ズルズルと引きずられる蜘蛛糸の繭が、三つある。その内の一つからは、ゴーマの黒い足がはみ出しているのが見えた。
「良かった、上手く捕まえてこれたみたいだね」
「シャアっ!」
いい子だ、と撫でてやると、アラクネは喜んでいるのか威嚇しているのか、よく分からない感じで唸った。ちなみに撫でた場所は、アラクネの人型でおっぱいみたいに膨らみがある胸元なんだけど、やっぱり硬質な外皮に覆われているので、柔らかくもなんともなかった。セクハラじゃないよ、純粋な学術的な探究心というやつだよ。
「ようこそゴーマ君、呪術師の秘密の実験室へ……」
むふふ、と暗い笑みを浮かべながら、僕は無様に捕まって繭の中でもがいている元気のいいゴーマへ言い放った。
初日の段階で、試作品となる毒薬は完成してある。といっても、傷薬と同じように、ただ混ぜただけの簡単なモノだけれど。
用意したのは三つ。
『アラクネの毒』:アラクネの牙から分泌される毒。僕には通じなかったけれど、獲物を捕まえるための麻痺の効果がある。
『黄色カエルの毒』:恐らく横道一が使っていたのと同じ麻痺毒。黄色いカエルで、奴と同じように、よく伸びる舌先にはトゲトゲがついていて、そこから毒液が染み出るようになっていた。
『クモカエルの毒』:アラクネと黄色カエル、両方から採取した毒液を混ぜただけのモノ。
ひとまず、この三つをゴーマ相手に試してみる。単体で使った方がいいのか、それとも混ぜると倍増とはいかずとも多少は効果が増すのか。他の材料と組み合わせたり、熱したり冷ましたりで、どう変化するのか、などなど、試したいことは色々あるけれど、まずはこれだけで使ってみよう。
「それにしても、これ、人体実験だよなぁ……」
広場のすぐ外に、大木の間に巨大な蜘蛛の巣の壁をアラクネに作らせて、ここに哀れな実験動物を張り付けている。
まずは記念すべき実験体一号であるゴーマ君が、手足と頭を縛り付けられ、大の字になって磔になっている。ムガムガ、と呻きながら身を捩っているが、ただのゴーマ程度の腕力では、アラクネの拘束など破れるはずもない。
見ていてちょっと哀れな気もしてくれるけど……まぁ、お前らだって僕を見つけ次第殺そうとするし、すでにクラスメイトを殺して食べているから、酷いことしているのはお互い様だろう。残念ながら、我らが人類は野蛮で薄汚いゴーマと和平を結ぶことは永遠にないのだ。
今更、ゴーマ相手に躊躇なんてあるはずもない。というワケで、僕は粛々と、この麻痺毒効果検証のための、人体風実験を開始した。
やり方は簡単。採取した毒液を小さなナイフの刃先に着けて、軽く切りつけるだけ。この程度の接触で、どの程度の麻痺が見られるのか、観察する。これで、即効性のありそうなモノだけを選んで、改良していけばいい。
どうか、上手くいきますように。そう祈りながら、ゴーマの腕をサクっと。
「ムグっ、グムム、グムォアア――」
それから、さらに三日が経過した。
「……ひとまず、これで完成かな」
僕はついに、実戦に耐えられるだけの即効性を持つ麻痺毒の精製に成功した。と言っても、元からモンスターの毒は強力だったから、後はほんとちょっと手を加えるだけのことだったけれど。
『クモカエルの麻痺毒』:アラクネと黄色カエルの毒液をベースに、バジリスクの骨粉、マンドラゴラの粉末、松明の油を混ぜ合わせ、僕の血を少々加えたもの。ゴーマなら、この麻痺毒を塗った針の一刺しで、白目を剥いて気絶する。
作るのに素材も手間もそれなりにかかるけれど、それでもかなり強力な麻痺毒が出来たと思う。
コイツを塗った刃物で切り付ければ、ほんのちょっとの切り傷でも、ゴーマや赤犬といった雑魚モンスターなら、一発で麻痺る。麻痺というか、体を痙攣させながら、白目を剥いて気絶するのだから、かなり効いていると見える。
あの大猪だって、クモカエルの麻痺毒にかかれば、突進の最中でも転倒して、動きが止まるのだ。これなら、バジリスク級のボス相手にも、効果が期待できそうだ。
それにしても、マンドラゴラと僕の血液は、泥人形の時にも効果を発揮してくれる、割と万能な素材である。本人の血液ってのはあらゆる呪術の基本なのだろうか。マンドラゴラについては、まぁ、流石は有名なだけあるということで。やはり、集めておいて損はなかった。
「そろそろ、ここも出発かな」
気が付けば、一週間近く、ここに籠っていた。素材の採取に森に行くし、毒薬精製のためには、器などの小物も用意しなければいけなかったし、やることはいくらでもあった。こういうことは一度始めてしまうと、つい熱中してしまうしね。
今回は立派な毒が完成したという確かな成果も得られたし、一週間かけた甲斐はあったと思う。
「アラクネのお蔭で、僕の黒髪縛りも成長できたしね」
蜘蛛の巣に磔にされ、クモカエルの麻痺毒でビクンビクンしながら痙攣中の実験体ゴーマに向かって、僕は手を伸ばす。
「切り裂け――『銀髪断ち』」
中空にキラリと光る、一筋の線。それは美しい銀色の長い髪の毛が、一本だけ抜けて風に舞ったように見えるけれど、ソレがゴーマの首へと絡みつくと――ブチリ、と肉を裂く音を立てて、首元からドクドクと黒い鮮血が迸る。
僕の手の平から放たれる、硬質な鋼線のような触手、それが『銀髪断ち』だ。アラクネの必殺技である鋼鉄ワイヤーをじっくりと観察し、時には指先を切りながら、ソレを真似て作り上げた『黒髪縛り』の新たな派生技。
その威力は見ての通り。細い髪の毛のような一本だけで、首をくくれば容易く肉を引き裂く。さらに魔力を込めえれば……ゴキリと太い首の骨までも、断ち切ってみせる。
これまでの触手に比べれば、その質は格段に高い。それだけ、発動にも時間がかかるし、一本だけでもそれなりに魔力を消耗したりするけれど。この辺は使い込んで行けば、解消できる問題だから大丈夫だろう。
勿論、コレとセットで粘着質の糸を再現する『蜘蛛糸縛り』も習得した。こっちの魔力消費は黒髪以上、赤髪未満といったところ。発動にも時間はほとんどかからない、便利な呪術だ。すぐにでも『蜘蛛の巣絡み』と組み合わせて、実戦投入できるだろう。
『黒髪縛り』の派生技を編み出すコツは、『魔女の釜』にある。実は、釜の中で弄り回すと、上手くいく。というか、生やした黒髪の質を変化させやすいし、変化を正確に感じやすい。
果たして、単純に魔法的な影響で形質変化が発生しているのか、それとも、分子の配列を変更したりといった科学的な変化が実行されているのか。そこまでは分からないけれど、求める方向性への変化を、『魔女の釜』を利用することで上手く実現できるというのは間違いない。
ある意味で、呪術の改造手段とも呼べるだろう。なんだかんだで、『魔女の釜』には色々と可能性がありそうだ。
「やれるだけのことは、やったはず」
薬、毒、装備、呪術。もうこれ以上、この場に留まっていても、向上できそうなモノはない。満を持して、出発の時が来た――
「その前に、お風呂入って、寝てからにしよう」
英気を養うのも大切だしね。
簡単に湯を沸かせる『魔女の釜』を使えば、お風呂に入れると気付いたのは、広場生活二日目の夜だった。少しばかり魔力は使うけれど、全身が入るほどの大きさで泥の型を作り上げれば、そのままのサイズで鍋として形成してくれるのだ。
水は勿論、噴水から引く。幸い、妖精像の足元にある高い位置から水が湧き出ているので、ここにホースを突っ込めば、地面に置いてある低い位置の浴槽へと、サイフォンの原理で自動的に水を引き込める。
えっ、ホースなんてどこから持って来たのかって? 今の僕にかかれば『黒髪縛り』を、水を漏らさないホース状に作り替えることなんて造作もない。二時間くらいで完成したよ。試行錯誤しつつ、集中力と魔力、かなり消耗してしまった。
「ああー、生き返るぅー」
素っ裸でザバーンと熱い湯の満ちた鍋、『魔女の湯』に身を沈めると、もうダンジョンにいながら天国の気分が味わえる。やっぱり日本人は、風呂に入らないとダメになるよ。
「あー、もう、メイちゃんと蘭堂さんと一緒に入れたら、マジで極楽浄土だよ」
その場に本人がいないのをいいことに、僕は欲望だだ漏れのだらけきった態度。こういう時は、一人だと本当にリラックスできる。
ついでに、『蜘蛛糸縛り』でしなりのあるやわらかい質の糸が出せるようになってるので、ソレを利用してハンモックも作ってある。ある意味では風呂以上に重要な、柔らかい寝床である。
僕、ハンモックってちょっと憧れだったんだよね。最初、あやふやなイメージで適当に張ったら、飛び乗った瞬間にグルンッ! って一回転して落っこちたのは、僕とレムだけの秘密だよ?
ともかく『魔女の釜』のお蔭で、ダンジョン内でも一気に文明的な生活が送れるようになったけれど……やはり、こんなところに一生住むのは御免だ。
さぁ、明日から頑張って、命がけのダンジョン攻略に挑もう。
 




