第108話 鍋
温かい皆の気持ちを受け取り、ほどほどに勇気と希望が湧いたところで、今度こそ出発だ。貰ったモノは気持ちだけでなく、しっかりと有効活用させてもらおう。レムは芳崎さんの斧を握り、アラクネは野々宮さんの槍を握り、僕は蘭堂さんのパンツを握り、いや、貴重品として厳重に鞄の底に保管して、準備も万端。
「うーん、乗り心地はアシダカの方が良かったかも」
「キシ、キョアァ……」
乗り物の快適さの味を占めた僕は、颯爽とアラクネの背中に跨ってみたが、アシダカよりも腹部が丸く膨らんでいるから、足場があまりよろしくない。乗れないほどでもないけど、長時間乗っていると確実に疲れるだろう。
「別に謝らなくてもいいよ。とりあえず、このまま行ってみて」
「キシャっ!」
ソロソロと歩き出したアラクネと、それに続くレム。今やレムの人型は、すっかりご主人様である僕よりも肉体的にはタフになったようで、この起伏の大きな森の中でも、飛んで跳ねてよじ登って、元気よく突き進んで行く。
これだけの移動力がなければ、アラクネ戦にも間に合わなかっただろう。本当に、天道君からの報酬の素材を贅沢に使って、強化しておいて良かったよ。
そんなワケで、レムの健脚と、アラクネの蜘蛛としての機動性が合わさり、道行は順調そのもの。
「ブゴ、ブゴッ! ボォオアアアアアアアアアアアアアっ!」
茂みの向こうから、突如として大猪が突撃してきても、
「シャアアアっ!」
「ガガォオッ!」
アラクネの圧倒的な量の粘着糸により大猪も突進を止められて、グルグル巻きになって転んだところで、大振りの芳崎アックスを振り上げたレムが、情け容赦ない強烈な一撃を叩き込む。
「おお、この二人が揃えば、大猪も瞬殺だよ」
僕とアシダカのコンビであれほど苦戦した強敵を、こうも一方的に仕留められるのだ。感動もひとしおである。ついでに、レムが鋭い貫手で大猪のどてっ腹をぶち抜いたかと思えば、血塗れのコアを一発で取り出してくれたりして、さらに嬉しい。レム、戦闘能力だけでなく、コアの摘出技術も上がっているとは……どこまでも向上心の高い奴である。
「僕一人でも、こんなに戦力が充実する日が来ようとは」
レムとアラクネのコンビ、いやまぁ、中身はどっちもレムなので実質一人だけど、ともかく、頼れる味方のお蔭で、ちょっとくらい雑魚モンスターに絡まれても、余裕で対処ができる。
ゴーマの小隊や赤犬の群れといったお馴染みの面子をはじめ、この大きな森林ドームには他にも、鋭い爪を持ってピョンピョン跳ねて襲い掛かってくる猿のような奴や、麻痺毒持ちの黄色い毒カエルや、腐食液を吐いてくる小っこいバジリスクみたいなトカゲなど、色々と出現した。だが、どれもレムとアラクネの敵ではない。一応、僕も『黒髪縛り』とかで援護なのか嫌がらせなのか、微妙なラインの支援もできるし。
「結構、素材も溜まってきたなぁ」
折角、いろんな魔物を倒してきたから、コアは勿論、使えそうな素材もできるだけ剥ぎ取って来た。ゴーマからは例によってマシな武器を厳選して、他の魔物は爪や牙や毒腺など。大猪は美味しい肉が食べられると直感薬学が教えてくれたので、ほとんど丸ごと持ってきた。
数々の素材は、アラクネが糸で包んで背中に置いている。大猪なんかの大物は、僕を捕まえた時のように繭で包み込んだ上で、そのまま引きずっている。アラクネは細身だけれど、普通の人間よりも遥かに強いパワーを持っているから、多少大きな獲物を引きずって歩いても、さして労力にはならないようだ。
でも流石に嵩張った荷物を持って歩くのはアレだし、そろそろ妖精広場につきたいものだ。あんまり遠いようだったら、捨てていくこともやぶさかではない……
「ガ」
先導するレムが、敵発見の合図を上げる。ピタリとアラクネは止まり、僕は静かに降りて、レムが示す方向をそっと覗きこんだ。
「うわっ、結構な数がいるな」
茂みを覗き込んだ先にいたのは、ゴーマの群れだった。ここから、ゆるやかな傾斜を下った先に川が流れていて、そこの河原でゴーマの部隊が休憩をしているようだった。
赤犬や猿、他に鹿のような魔物の死骸があって、それぞれ血抜きをしたり、皮を剥いだりと、狩った獲物の加工も行っていた。
「なんだ、アイツ……一体だけ、随分とデカいヤツがいるぞ」
ゴーマは僕と同じ程度の背丈で小柄だから、奴らの中にあって、確実に頭一つ分は大きい個体がいた。どうやら、部隊の隊長のようで、獲物の加工は下っ端に任せて、自分はふんぞりかえって、何かギャーギャーと言っている。
「あっ、もしかしてアイツ、ゾンビになってた奴なのか」
初見のはずなのに、どこかで見覚えあるような気がしたのは、これまで散々、戦ってきたゾンビと似たような姿だからだ。あのゾンビ、どうにも背は高いけどゴーマっぽいから、そういうタイプの奴もいるのだと思っていたけど、こうして実物を前にすると、それが本当であったと証明された。
もっとも、コイツは狩り部隊のリーダーだからか、ゾンビになってた奴らに比べると、逞しく筋肉が隆起しているマッシブな体型だけど。
ともかく、明らかに普通のゴーマよりも強そうな奴が率いている以上、要注意だ。初見の相手はできれば避けたいところだけれど……ここは先に奴らを発見した、先手をとれる状況を生かそう。この先、マッチョゴーマも普通に出現するようになるかもしれないし。
「それじゃあ、やるか」
まずはアラクネに動いてもらう。蜘蛛の魔物だし、元から粘着糸を飛ばして獲物を捉える狩人だから、隠密行動はお手の物。のんびり狩りの獲物を処理しているゴーマ部隊に気づかれないよう、周囲に蜘蛛糸を張っていく。
開けた河原で、大人数を相手に突っ込むのは愚策。それは、奴らが何体いても平気で蹴散らせる戦力がなければ、やってはいけない。今のレムならやってやれないこともなさそうだけど、リスクは避けたい。あのマッチョゴーマの実力も、未知数だし。
そんなワケで、できるだけ有利な状況を作り上げてから、仕掛けるのだ。
「キシシ」
「よし、準備完了だな」
最後に、僕はアラクネが木の上に作ってくれた、粘着力のない糸だけで編んだ蜘蛛の巣の上に陣取る。別に、僕もわざわざ敵の前に姿を晒さなくちゃいけない道理はない。木の上に隠れ潜み、援護に徹するだけで十分だ。他のクラスメイトが仲間だったら、こんなチキンプレイは許してくれそうもないけど、レムもアラクネも僕の忠実な下僕だから、こういう保身的なこともガンガンやっていけるのは、精神的にも強みだ。
「――広がれ『腐り沼』」
木の上から、遠隔展開用の血の付いた小石を投げ込んで、戦闘開始だ。
『腐り沼』はちょうど砂利が広がる河原と森の境目あたりに展開。音もなく、ドロドロと毒沼が広がるだけだから、これだけでは、まだ奴らは気付かない。
「シャアアアっ!」
そこに、アラクネが尻尾から糸を飛ばし、河原で作業中のゴーマを捕え、そのまま展開中の『腐り沼』へと引きずり込んで、ようやく、ゴーマ部隊は奇襲されたことに気が付いた。
強酸性の水辺に放り込まれてゴーマが絶叫を上げると共に、お仲間が襲撃者の姿、つまり、アラクネと、その隣に立つレムを確認して、一斉に憤怒の雄たけびを上げて駆け出す。隊長のマッチョゴーマも、やっちまえ、とばかりに剣を振り回して手下をけしかけている。
「キシャっ!」
「――『赤髪括り』」
真っ直ぐに突撃してくるゴーマ達に対し、アラクネは続けて糸で絡め取っては沼に放り込み、僕は沼からそのまま編み上げた『赤髪括り』を出せるだけ出して、届く範囲の奴らにけしかける。
「ンバァアアアアアアアアアっ!」
「オガァアアアアアアっ!!」
毒沼に落ちた者、あるいは、『赤髪括り』の束に巻きつかれた者は、即座に皮膚が焼け爛れ始め、その苦痛にのたうちまわって叫び声を上げる。即死はしない、けど、とてもマトモに戦える状態ではない。そういう負傷者へのトドメは、後回しでいい。
五体か六体は、これだけで戦闘不能まで追い込んだ。だが、まだまだ奴らは怯まず押し寄せてくる。この毒沼だけで防ぎきれる数ではない。
僕が指示の声を出すまでもなく、レムとアラクネはちょうどいいところで見切りをつけて、森の中へと引き返す。
「ゾブラ、ゲブ、ボァレェエエエ!」
「奴らを逃がすな、追え!」 とでも言っているのだろうか。相変わらず意味不明な汚いゴーマ語を叫びながら、マッチョ隊長も大振りの斧を携えて最後尾を駆けだす。
よし、いいぞ、森の中はバッチリ蜘蛛の巣を張りまくったトラップゾーンだ。無策に突っ込んできてくれるのは大歓迎。
「ムゴっ! ウガァアアアア!」
早速、間抜けな獲物が一匹かかったようだ。続けて、二匹、三匹、同じような声が響きわたってくる。
ゆっくり逃げるアラクネとレムに対し、左右から挟み込むように動いた奴らが、その先で蜘蛛の巣に引っかかったのだ。アラクネの粘着糸で編まれた蜘蛛の巣からは、そう簡単に逃れることはできない。レッドナイフのような、焼き切ることができる魔法の刃でもない限り。
「広がれ、『腐り沼』」
ほどほどにゴーマが追いついてきたところで、『腐り沼』の第二陣を展開。こっちは、あらかじめ六芒星の魔法陣付きでセッティングしたモノだから、第一陣よりもさらに広く、深い。その『腐り沼』を盾にするように、アラクネが回り込む。背後と左右は蜘蛛の巣で封鎖済み。そしてレムは、泥人形は『腐り沼』で溶けないという性質を生かし、沼のど真ん中に堂々と立って、追ってくるゴーマどもを待ち構えた。
「バァアアアアアっ!?」
そして、例によってアラクネの糸に囚われて沼に引きずり込まれ、僕もまた『赤髪括り』の束を操作して、ゴーマにダメージを入れていく。
勿論、それだけで全滅まで追い込めるほど甘くはない。まだまだ僕とアラクネの攻撃が及ばない連中は沢山おり、そいつらは武器を構えて……明らかに、毒沼に踏み込むのを躊躇していた。
「ガァアアアアアアアっ!」
そんな水場でビビってるゴーマを、レムが斧で一撃。それから、メイちゃんのように雄たけびを上げながら、斧を振り回して次々とゴーマへと斬りかかっていく。狂戦士を真似するかのような荒々しい戦いぶりだが、ちゃんと自分は毒沼も平気、敵は毒沼で溶ける、というアドバンテージを理解した上で、ゴーマに囲まれないよう、毒の水辺を行ったり来たり、上手く立ち回りながら戦っている。
「グォオオオラァアアアアアアアアアアアアアアっ!」
ゴーマの半分以上が死亡か負傷といった中で、ついに奥の方から手下の情けない体たらくに業を煮やしたように、怒り狂った雄たけびを上げて、マッチョゴーマが駈け込んで来た。いよいよ、ボスとの戦いだな。
「シャアアっ!」
アラクネは真っ先にボスゴーマへと糸束を飛ばす。
「ウォガっ!」
尻から放たれた粘着糸の束は、ボスゴーマが振るった斧の鋭い一撃によって、あっけなく切り裂かれる。あの斧、そんなに業物なのか……いや、あれは『武技』だ。恐らく『一閃』あたりだろう。委員長パーティの時に、剣崎や夏川さんが使っているのを散々見てきたから間違いない。
ちっ、ゴーマのくせに、武技まで習得しているとは。ただ図体がデカいだけでなく、武技の力まで持っているとなると、見た目以上の危険度だ。
「厄介だな……」
けど、どうにもならないレベルでもない。
「キシャアアっ!」
「――『黒髪縛り』」
アラクネは尻と口の両方から糸を吐き出し、僕はそれと合わせて『黒髪縛り』を発動。
再び『一閃』でアラクネの糸を迎え撃つが、それで切り払えるのは尻尾の糸のみ。タイミングと軌道を変えて放たれた口の糸までは防げないし、同時に僕の『黒髪縛り』も足元から這い上がってくる。
「ムガガっ、ンガァアアアアアアアアっ!」
腕に絡みつくアラクネの糸と、足首を縛る黒髪。けたたましい雄たけびと共に、そのマッチョな筋肉が大きく隆起し、力づくで解こうとするが、
「グガアアアっ!」
その隙を逃さず、レムが襲い掛かる。
肉厚の斧の刃は、情け容赦なくボスゴーマを袈裟懸けに切り裂いた。かなりの深手。だが、ボスゴーマは血飛沫を上げながらも、さらに吠える。
「ガガ!」
けれど、それだけ。隙なく、二撃目をレムが叩き込めば、ついにボスゴーマも膝を屈して倒れ込む。そこからさらに、レムはボスの首を斧で落とし、完全にトドメを刺し切った。
「グゲっ!?」
「ブベァアアアア!」
ボスが割とあっけなく斬殺され、ようやくゴーマ共も勝ち目がない戦いだと理解したようだ。情けないダミ声を上げながら、一目散に逃げ出していく――その先で、張ってあった蜘蛛の巣に絡め取られて、結局、逃げ切れた奴は一匹か二匹かといったところ。
「ふぅ、大した奴じゃなくて、良かった……二人とも、お疲れ様!」
マッチョゴーマ率いる狩猟部隊を倒した後、進むこと約三十分。僕らはついに、妖精広場を発見した。
「あぁー、やっと落ち着いて休めるぅ……」
ソロになると、安全地帯のありがたみも倍増である。
荷物を放り出し、ゴロンと柔らかい芝生の上に寝そべると、もう起き上がれない。ちょっと、おやすみなさい……
そんな感じで、一も二もなく眠りついた僕は、思うさま惰眠を貪ってから、ようやく目覚める。
「んん……?」
ぼんやり寝ぼけ頭に、パチパチという音が聞こえてくる。見れば、赤々とした焚火が灯っていた。
「ガガ!」
「ああ、うん、おはよう」
レムが仰々しく頭を下げて挨拶してくれる。どうやら焚火を起こしたのはレムのようで、その傍らには薄らと白い油と筋の浮いた赤い肉の塊が、大きな葉っぱの皿の上に乗っていた。
「もしかして、大猪の肉?」
「グガ」
頷いて肯定してくれるレム。
「キシシシ」
そこに、妖精胡桃と水が満タンになったペットボトルの水を持った、アラクネも現れた。
「ありがとう、ご飯、食べるよ」
食事の用意までしてくれるレムの成長ぶりに感動しながら、僕はありがたくいただくことにした。
起き抜けではあるけれど、沼地の妖精広場で蛇のかば焼きを食べて以来、肉を口にしていない。普通に腹は減っていたし、レムがメイちゃんの見よう見まねで大猪の肉を焼いている内に、さらに空腹感は増していった。ああ、この肉の焼ける臭いが、堪らない。
「――ん、ちょっと固いし臭みもあるけど、普通に美味い」
やはり豚肉に近い味わい。固さと臭みは、処理と調理の問題だろうか。メイちゃんがやってくれたら、きっと絶品になりそうな気がする。
早く合流して、一緒に猪肉にかぶりつきたいものだ。
「ごちそうさま」
さて、睡眠もとって、腹も膨れて、次の行動を考えよう。
とりあえず、一人でもダンジョンを進むことに変わりはない。一応、コンパスもこの広場を出た先に広がる、次なる大森林ドームの奥を示しているから、道は開けている。
「先は急ぎたい、けど……」
レムとアラクネは心強い味方だけれど、やはり呪術師の僕としては、他の仲間がいないのは大いに不安なところ。少なくとも、地底湖の巨大ワニ型リザードマンみたいなボスが相手になれば、勝ち目がない。
「出来る範囲で、備えるしかないか」
メイちゃんか蘭堂さん達、どちらかでもいいから一刻も早く合流したい。けど、焦ったところでどうしようもない。
いいさ、どうせ一人なのだから、時間も気にせずゆっくりと準備に実験と、色々やっておこう。
「そういえば、コレ、まだ一度も試したことなかったんだよなぁ……」
『魔女の釜』:魔女の持つ釜は、ただ煮炊きするものに非ず。魔法と呪いと薬毒とを生み出す混沌の器。
そう、『蠱毒の器』とセットで獲得した、ルインヒルデ様の言う『混沌の器』シリーズである。
この呪術を習得したのは、バジリスクを倒した後だったから……転移した先で樋口と再会して、奴をぶっ殺してやった後は、蘭堂さんに拾われて、と、立て続けに仲間が変わっていったから、このどう見てもクリエイト系の呪術をゆっくりと試す時間も余裕もなかったのだ。
でも、一人になった今こそ、コイツの性能をじっくりと検証できるというもの。
「ちょうど、毒が作れそうな素材もあるし」
僕が呪術師となってから、もう随分と経ったような気がするけれど、今こそ、毒薬デビューを果たす時なのかもしれない。
 




