第107話 糸使い対決(2)
動いたのは、同時だった。放つのは、糸。
僕もレムもアラクネも、メインの攻撃手段はコレである。糸の撃ち合いになるのは当然だった。
立ち位置はアラクネを中心に、僕が前、レムが後ろ。二体一の構図を生かして、僕は『蜘蛛の巣絡み』を放ち、レムは酸性糸のシャワー。
「うっ――クソ、流石は本職か」
前後の糸攻撃を、アラクネはこともなげに防ぎきり、なおかつ、僕らに対して反撃までやってきた。
アラクネが糸を放つのは、尻の先だけではなく、両手の指先と口。レムの糸を尻から出した糸束で絡め取り、僕の『蜘蛛の巣絡み』は両手で放った糸で払いのけられ、残った口から吐き出す糸が、僕へと襲い掛かった。
僕は蜘蛛の巣を撃つと同時に、身を隠そうと木陰まで移動しようといていたところに、アラクネの口糸が飛んできて、そのまま体を隠れようとしていた木に縛り付けられるように着弾した。
けれど、幸い、それほど大量の糸束ではなかったこと、腕は封じられなかったことから、すぐにレッドナイフで切り裂いて拘束を脱する。
しかしコレ、レッドナイフだから簡単に切断、というか溶断、できるけれど、普通のナイフだったらベタベタ引っ付いてすぐに切れなかったろう。危ない、装備次第では、速攻で詰んでいた。
「キシャっ、シャーっ!」
僕が脱出している間、レムがアラクネの注意を引いてくれていた。木々の間をシャカシャカと素早く動き回りながら、糸を吐きまくる。狙いを定めるというより、とりあえず撃ちまくって注意を引くことに専念している感じ。
流石はレム、自分の役回りをよく理解している。体は違っても、魂が共通だとこういう時に強い。知識と経験は、全て引き継がれているのだから。
「キシシ」
しかし、アラクネはレムの思惑など見えているとばかりに、その場を動かずに、優雅に糸の波状攻撃を放ち始めた。
尻から糸束を撃っては逃げ回るレムを狙い撃つ。両手は振るうと、指先から放たれた糸がネットのように絡まり合って大きな面を形成し、木々の間に張り付いて臨時の盾として展開させていた。レムが撃ちまくる酸性糸は、このネットの防壁によってラッキーショットさえも許さずに防がれる。
口の方は、いざという時に備えているのか、糸は出していない。
攻撃に防御に、非常時の保険。アラクネの戦い方は単なる野生の魔物というより、人に近いような気がする。曲がりなりにも、半分は人型の体を持つからだろうか。
そんなことより、僕も早く援護しなければ、レムが危ない。
「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』」
奴がレムの方を向いている今が、正攻法での『黒髪縛り』を仕掛けるチャンス。アラクネの地についた六本脚の先から、フル詠唱によって十全な耐久力を備えた黒髪の束がドっと湧き上がる。
どこまで拘束力があるかは疑問だが、とにかく、目いっぱいの出力で足を絡め取る。
「キシ、キョォアアアア!」
突如として地面から生えた髪の毛に六本脚を掴まれ、アラクネは声を荒げる。これをやったのが僕だと認識しているのだろう。上半身を捻るように、僕の方へと向き、両手を振り上げる。
「今だ、レム! 食らいつけ!」
叫びながら、右手にレッドナイフ、左手に普通のナイフ。アラクネに向けて、飛刃攻撃を仕掛ける。アラクネにはまだ口と両手が空いているから、僕の二刀投擲は防がれるだろう。
けれど、その真後ろからレムが飛びかかって来れば、対処のしようはない。腹から生える六本足を縛っているから、尻の糸も射角は制限される。自ら直撃コースを進むほど、レムは間抜けではない。
「キシャアアアアアアアっ!」
素早く地を駆けて、大きく跳躍してアラクネの無防備な背中に向けて牙を剥くアシダカレム。アラクネも背後の脅威に気づいてはいるだろうけど、奴の両手は僕が飛ばしたナイフを防ぐのに使ってしまっている。器用に編まれた指先ネットによって、ナイフはあえなく絡め取られ、僕が繋がった触手を操っても簡単には抜け出せそうもない有様。
でも、これでいい。アラクネはどう見ても接近戦に長けたタイプじゃない。レムが食らいつけば、振り払うのは難しい。一度レムが張りついてしまえば、僕はさらに黒髪縛りで援護して、そのまま押し切る。
行ける――という希望は、次の瞬間にあっけなく砕かれる。いや、一刀両断されたというべきか。
「キッ、シャァ……」
レムの体が、真っ二つに割れた。まるで、剣士の武技によって袈裟懸けに斬られたように。
アラクネの背中に、もう爪先が届こうかというところで、レムの蜘蛛の体はあっけなく二つに分断されて崩れ落ちた。
断面から噴き出る青い血が、不気味な血だまりを作る。そこへ、ポタリ、と青い血の雫が落ちた。
ソレは、アラクネの背後に引かれた、一本の線。
見えないほど細い、けれど、魔物の体を引き裂くほどの強度を持つ、鋼のようなワイヤーであった。
「く、くそ……最初から、誘っていたってことか……」
アラクネが動かず糸で応戦するだけだったのは、このワイヤートラップを張っていたからだろう。
「キシシ」
アラクネが笑う。笑いながら、両手の指先から放ったのは、レムを切り裂いたのと同じ硬質な蜘蛛糸ワイヤー。コレを地面の影から生える黒髪縛りに絡みつかせる。ブチブチとあっけなく引き裂かれていく音が、妙に響いて聞こえた。
「やばい、やばいぞ、これ……」
アラクネは僕の『黒髪縛り』を遥かに凌駕する糸使いだ。量、質、操作性。僕が優れているのは、影からも出せるというくらい。
だから、コイツと真正面から糸の撃ち合いをしたって、すぐに負ける。
「ちくしょう、『腐り沼』――っああ!」
勝負すら、させてはもらえなかった。
『腐り沼』を展開して、『逆舞い胡蝶』をバラ撒いてめくらましにして、ひとまずは逃げの一手、とか思ったけれど、僕は血の付いた石を投げようとしたところで、あっけなくアラクネがぶっ放した糸の一斉発射の前に捕らえられる。
「キシシ、キシ、キシ」
逃げ出した獲物を無事に回収できて、満足しているのか。捕まった時と同じような声をあげながら、糸が巻きあげられていく。
「くそ、くそぉ!」
気を付け、をするように腕と胴体が糸の束に巻きつかれて、身動きが取れない。両足は自由だけど、バタバタさせたところで意味はない。僕は無様にジタバタしながら、糸に引かれてズルズルと地面を引きずられていくのみ。
アラクネの足元には、すぐに到着してしまう。
「キシ、シャアアアアアっ!」
「ひいいいっ!」
僕の頭上で、アラクネは鋏角のついた大顎を開く。
一度、脱走した経験があるから、今度は麻痺毒を注入されるだけでなく、本格的にトドメを刺されてしまうかもしれない。
一撃で致命傷を貰えば『痛み返し』で道連れにできるけど……それじゃあ、意味がないんだって!
でも、ダメだ、もう僕に残された手札では、どうにもなら――
「キッ、ギィイイアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
突如として、アラクネの胸から鋭い刃が生えた。
刺されたんだ。後ろから。
誰が? いや、そんなの、見れば分かる。アラクネの胸を貫いた刃の形は、ナイトマンティスの鎌と同じなのだから。
「レム!」
「グゴゴ、ガァアアアアアアアアアっ!」
雄たけびと共に、アラクネの胸元を大きく切り裂き、さらに、返す刀で首を落とす。突然の不意打ちによって致命傷を負ったアラクネは、あっけなく地面へと倒れ伏した。ドクドクと流れゆく血を見て、コイツのは赤いのか、なんてことをボンヤリと思ってしまった。
「はぁ……ありがとう、レム、マジで助かったよ……」
「ガガ」
アラクネの背中から、人型の初号機レムが降り立つ。ガキン、と血の付いたカマキリブレードを格納する様が、今はやたらカッコよく見えた。
「よくここが……いや、アシダカの感覚もあるから、場所はすぐ分かるんだよね」
だから、よく間に合ってくれた、という方が正解だろう。レムの方も、いきなりアシダカがやられたから、かなり焦ったんじゃないかなと思う。
「ともかく、これで一安心だよ」
追跡者たるアラクネは倒れ、僕の最大戦力である初号機レムとの合流も果たしたのだから。ようやく、僕のソロ攻略にも光明が見えたというものだ。
「よし、それじゃあ……」
早速、出発だ、と、その前に、やるべきことが僕にはあった。
ほら、そこに、アラクネの死体があるじゃろ?
「おお……中々の出来じゃないか!」
魔力切れが心配だったけれど、無事にアラクネを『怨嗟の屍人形』に仕立て上げることに成功した。
黄色と黒の女郎蜘蛛のようなカラーリングは、黄色部分が紫色になり、如何にもアンデッド的な色合いに変わっている。目に見える変化といえばその程度で、あとはアラクネそのままの姿をしている。まぁ、泥人形と違って屍人形は素材をそのまま生かす形で使うから、外観の変化は色くらいのものだ。
姿がそのままということは、その身に宿す能力もそのままということで……
「キシャっ!」
僕の思いに応えるように、アラクネはさっきの戦いの中で見せた、蜘蛛糸テクニックの数々を披露してくれる。口と尻から糸を吐き、指先から放つ糸は瞬時にネットのように編むこともでき、そして、アシダカを仕留めた例の鋼鉄ワイヤーも出せた。
「改めて見ると、やっぱり凄いな……僕も、これくらい使えるようにならないかな」
『黒髪縛り』の三つ編みから始まり、『赤髪括り』の発明、それから『蜘蛛の巣絡み』という技も編み出した。これまで『黒髪縛り』は僕の期待に応え続けてきた。ならば、練習次第では僕もより硬質な鋼鉄の黒髪触手とか、より蜘蛛糸に近い粘着質の糸だとか、そういうのも再現できるようになるかもしれない。
思うに、新たな技の習得に重要なのは、本物を目で見て触って理解を深めること。イメージが明確な形になっていれば、魔法の理はそれに応えてくれる……はずだ。
折角、アラクネというちょうどいい見本がいるのだから、この機会に練習していこう。まぁ、こんなところでのんびりしていられないから、妖精広場についてから詳しく考えよう。
さっさと出発すべきではあるけれど、僕はもう一つ、確認しておきたいことがあった。
「ねぇ、レム、それってもしかして……」
レムはその背中に、二振りの武器を背負っていた。それを問えば、レムは右手と左手に、どこか見覚えのあるソレを握って、僕に見せてくれた。
「やっぱり、野々宮さんの槍と、芳崎さんの斧だ」
見覚えがあるのも当然。短い間だったけれど、それでも共に蘭堂さんのレベリングと、地底湖で死闘を潜り抜けた、仲間の武器である。
「ひょっとして、餞別ってやつ?」
「ガガ」
レムが頷く。人の言葉を喋れないレムには、それ以上の説明をすることはできない。でも、十分だった。
あの状況下で、僕は死んだとみなして追いかけないという判断は正しい。残念ではあるが、恨む気持ちはない。
それでも、僕の下へ向かうレムを見て、みんなはそれなりに応援してくれるだけの気持ちはあったということなのだ。それも、野々宮さんと芳崎さんが、わざわざ使い慣れた愛用の武器を持たせるくらい、思ってくれた。
「ギ、ゴゴ」
レムは続けて、鞄の中から、布に包まれた丸いモノを取り出す。
「これもそうなの?」
「ガガ」
「蘭堂さんから?」
「ガッ」
ノー、ということは、天道君からってことになる。一体、何なんだろう……
「うわっ!?」
布の包みをとると、出てきたのは髑髏であった。
「な、な、何だよ、スケルトンの首なんか寄越して、どういうつも――」
『召喚術士の髑髏』:天職『召喚術士』を授かった者の髑髏。
「っ!? ま、まさか、これ……」
直感薬学が働き、これがスケルトンの頭ではなく、別物であると教えてくれた。その名前、説明文からして……間違いなく、クラスメイトの誰かの髑髏だ。
このダンジョンで天職を授かった者といえば、僕ら二年七組の生徒しかありえない。そして、この髑髏を天道君が持っていたということは、彼もまた、すでにクラスメイトの誰かを殺しているということだろう。
もし、敵ではなく仲間として認めていた者の遺骨であったなら、僕に餞別としてくれるはずはない。これは、天道君にとっては、数ある戦利品の内の一つに過ぎないもので、呪術師という禍々しいイメージの天職を持つ僕に贈るには、ちょうどいい餞別だったといったところか。
「こんなの、どう使えっていうんだよ……」
今すぐレムの素材として取り込んでも効果はない、っていうのは何となく察した。直感薬学が働けば、他の呪術の素材としてどうなのかも、ある程度まで分かるといった感覚。
現状、僕にとっては無意味に不気味なインテリアにしかならない本物髑髏だけれど……わざわざレムに持たせたということは、天道君なりに、何か思うところがあるということだろう。
とりあえず、天道君の思惑なんて、本人がいない以上、知る由もない。召喚術士だった誰かの髑髏の利用法は、ひとまず保留。
「ところで、蘭堂さんからは何もないの?」
「ガガ、ゴ、グガガ!」
どうやら、これが本命らしい。蘭堂さんとは一番仲良くなれた気がしてたのに、何も餞別がなかったら、ちょっと、いや、結構寂しかった。別に、何か役に立つモノをくれよってワケじゃない、こういうのは気持ち。この際、ボールペンとか消しゴムとか、彼女のモノなら何でもいい。
「ゴガガっ!」
ジャーン、と鞄の中からもったいぶって取り出したのは、何だこれ、小さな布きれ?
もしかして、ハンカチでも持たせてくれたのかと思って、レムから受け取り開いてみると……僕の目の前には、野性的な魅力全開の、豹柄の布地が翻った。そしてソレは、ハンカチのような四角形ではなく、三角形に近い形状をした、つまり、その布の正体は――
「うわっ、これ、パ、パンツ……圧倒的パンツ!」
どこからどう見ても、そうだとしか思えない。
蘭堂さん、サービス良すぎだろ。
でも、ぶっちゃけて言おう。嬉しい。僕はコレを貰って、心の底から湧き上がる歓喜の念を抑えられないでいる。ワクワクが止まらねぇ……
「ありがとう、蘭堂さん……僕、頑張るよ」
この際、僕が蘭堂さんのパンチラを期待して見ていたことがバレていたのかとか、僕がパンツ貰って喜ぶような男だと思われていたのかとか、今の蘭堂さんはノーパンでダンジョン攻略しているのかとか、気になることは色々あるけれど、ひとまず置いておこう。
僕は彼女の豹柄パンツを貰って、確かに、この過酷なダンジョンをソロで進み続ける勇気が湧いたのだから。
マジでありがとう、蘭堂さん。実に男心が分かっていらっしゃる。
ちなみにこのパンツ、洗濯したての石鹸の香りがした。べ、別に、ちょっと残念とか、思ってないんだからね!




