第106話 糸使い対決(1)
「はぁ……はぁ……」
アラクネの巣がある森林エリアを脱し、見慣れた石造りの通路に入ってしばらく進み、ようやくアシダカレムの暴走が止まった。
「レム……もう二度と、勝手に走り出さないで……」
「キシィ……」
僕に怒られたせいか、レムがあからさまに落ち込んだように、がっくりと脚を折りたたんで、胴体を地面にペターンとさせている。心なしか、ギラギラ光る赤い八つ目も、輝きがくすんでいるように見えた。
そういえば、レムのことを怒ったのって、初めてだったような気がする。魂があるそうだし、やっぱりご主人様からお叱りを受けるのはショックだという感情なんかも、育っているのだろう。
そう思うと、より一層、可愛く見えてくる。不気味なデカくて黒いアシダカグモの姿でも。
「基本的に、僕が乗る時は指示に従って。でも、魔物に襲われて危ない時は、レムの判断に任せるよ。レムのことは、信じてるから、命を任せられる」
そりゃあ、僕が創り出したサーヴァントだし、当たり前のことだけど。見るだけで相手を支配しちゃう系のチート能力者でも敵にしない限り、レムが僕を裏切ることはありえない。
「キシャっ、シャアアアア!」
そんな当たり前の言葉でも、ヤル気を取り戻したのか、レムは元気に吠えた。うーん、蜘蛛のモンスターに威嚇されてるようにしか思えないけど、喜んでいるからいいか。
「それじゃあ、行こう」
「シャ!」
再び蜘蛛の背に乗っかると、シャカシャカと通路を歩き出した。
改めて思うけど……これ、物凄い便利だぞ。
何だかんだで、僕はこれまでダンジョンを歩いて進んできた。時に一人で、時にメイちゃんに裾を握られ、そしてまたある時は、二年七組の美少女達に囲まれて。そんないい思い出なんて何一つないダンジョン歩きだけど、これだけは言える。歩くと、疲れる。
「す、凄い……楽チンだ……」
人類が初めて馬を乗りこなした時、こんな感動を味わったのだろうか。ほどよいスピードで進んで行くアシダカの背中の上で、僕は乗り物の偉大さを心の底から実感した。
自分で歩かなくてもいい。何かもう、これだけで物凄いチート能力な気がしてきたよ。
「シャッ」
通路を抜けて、次の森林ドームへと入ると、ピタリと蜘蛛の足は止まった。
「何かいるの?」
「シャシャ」
どうやら、魔物とエンカウントしたようだ。
僕はソロソロと背中から降りて、レッドナイフを抜く。今のところ、僕には気配というか、物音みたいなのは何も聞こえないのだけれど……
「ブゴォオオオっ!」
すぐに、レムが察知した魔物は現れた。獲物に対して忍び寄る、という概念はないのだろう。怒り狂った豚のような鳴き声をあげながら、ドスドスと大地を駆ける音を響かせて、ソイツは猛然と真正面から突進してきた。
「大猪だ!」
ずんぐりした体格の茶色い毛皮の獣を見れば、猪というより他はないだろう。黒い蹄をしているから、天道君から貰った素材の中で、レムの足パーツに使ったのと同じ種類と見て間違いない。
大猪、と言ってもいいくらいのサイズはあると思うけど、ボスではないから、まだ常識的な大きさだとは思う。もっとも、普通に動物の猪に突進されても、ボッキリ骨が折れて重傷だろうから、油断はできない。この大猪は、牙が二本じゃなくて、欲張りにも四本もついてるし。正面衝突したら、貧弱な呪術師など一撃で逝ける。
「糸で迎え撃つ、レム、合わせて」
「キシャアア!」
真っ直ぐに突進してきてくれるなら、僕でも確実に命中させられる。それに今は『赤髪括り』と似たような酸性の糸を吐けるアシダカの体を持つレムもいる。二人で仕掛ければ、突進も止められ――
「ボォオオオオオオオオ!」
「っ!?」
ダメだ。僕が投げた『蜘蛛糸絡み』も、レムの黄色い酸性糸も、少しばかり体に絡みついたくらいじゃ大猪はビクともしない。突進の勢いとパワーでもって、糸の波状攻撃を真っ向から突っ切ってくる。
「キシャ!」
「うわっ!」
吹っ飛んで倒れた。大猪に轢かれたか、と思ったけれど、すぐにレムがすんでのところで弾き飛ばしてくれたのだと気付く。
危ない。真っ直ぐ突進してくるだけ、といっても相手はゲームのプログラムではなく、現実に生きている魔物という生物。ちょっとくらい横に移動したくらいでは、普通に軌道修正してぶつかってくるに決まってる。
突進を回避するには、『騎士』や『戦士』の運動能力と瞬発力がなければ、確実とはいかない。
「ブゴっ、フゴっ!」
僕もレムも何とか突進を避けたせいで、大猪はしばらく進んでから止まり、すぐにまた僕らを狙って振り返る。
まずい、次の突進は避けきれないだろう。衝突の前に何としても奴を止めなければ。
けど、どうする、あの勢いじゃあ『腐り沼』を張っても確実に突破してくるぞ。黒い蹄は凄い硬質で頑丈だから、最悪、全く毒沼でも溶かせないかもしれない。いや、『腐れる汚泥人形』なら……ダメか、アレも所詮は泥で体が構成されているから、衝撃にはさほど強くはない。
ああ、マズい、マズいぞ。少しは強くなった気がしてたけど、ストレートなパワータイプが相手だと、こうも相性が悪いとは。
「ブゴォオオオっ!」
ちょ、ちょっと待てよ、まだ作戦決まってないから!
なんて心の叫びをあげたところで、モンスターが止まってくれるはずもない。
「キシャアア!」
レムは自分の身を盾にしてでも僕を守ると吠えているけれど……体格差を考えると、アシダカの体では、大猪の突進を喰らえばバラバラになるだろう。それは、無為な犠牲というものだ。
「ああ、ちくしょう……あんまり、技みたいなのに頼りたくないんだけど」
仕方がない。上手くいく保証はないけれど、今、僕が持つ呪術を駆使して、奴の突進を止めてみようじゃないか。
「広がれ、『腐り沼』」
血の付いた小石を投げて、僕の数メートル手前に展開させておく。ないよりはマシ、あと、目印代わりみたいなものだ。
不気味な沸き立つ毒沼の出現を目にしても、大猪は全く怯むことなく走り続ける。まぁ、突破力には自信があるだろうから、そうするだろう。
さて、ここからが本番だ。後はもう、僕がこれまでで培った戦闘経験に頼るより他はない。
「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』」
久しぶりに使ったから、フル詠唱で。今は少しでも、相手の動きを鈍らせて欲しい。
効果のほどは、全く実感できないけど。
ともかく、次の一撃が本命だ。外せば、次はない。
「やあっ!」
渾身の一投は、黒髪縛りで握ったレッドナイフによる飛刃攻撃。狙いは、奴の左前脚。
「ブォオオオオオオオオオオオオオオオオっ!」
よし、命中だ!
やや胴体よりの肩口だけど、ちゃんと当たった。突き刺さったレッドナイフは轟々と火を噴いて焼いてくれているだろうけど、もう相手まで十メートルを切った至近距離にまで詰め寄っていれば、大猪も根性を見せて走り続ける。
だから、奴を止めるにはもうひと押しが必要なんだ。
「行けっ! 『逆舞い胡蝶』!」
左手にケチらずたっぷりとっておいた傷薬A。それを全て発動につぎ込む。輝く蝶が群れとなって飛び立ち、迫りくる大猪へと殺到していく。
「プギィイイイっ!?」
そして、突き刺さるレッドナイフの傷口に触れれば、奴はもう走っていられないほどの激痛に襲われる。甲高い悲痛な叫び声を聞きながら、僕は無我夢中で左側へとダイブした。
「――やった、倒れたぞ!」
ダイブから起き上がって、僕はようやく、大猪が転倒したことを確認する。倒れる瞬間を眺めていられるほど、余裕はなかったからね。
蝶による激痛で、大猪は左前足の機能を失い、そこから崩れ落ちるように転んだ。それによって突進のルートがズレたから、僕がダイビングする程度の回避力で何とかなったのだ。
けれど、『逆舞い胡蝶』は傷に当たると痛いだけで、さらに傷口を広げて追加ダメージを与えるワケではない。大猪はガクガクと足を震わせながらも、すぐに立ち上がろうとする。
けど、奴が足を止めたこのチャンス、逃すワケがないだろ。
「行けっ、レム! 『黒髪縛り』!」
「キシャアアアアアアアアアアっ!」
僕は渾身の黒髪縛りで立ち上がろうとする大猪を地面に繋ぎ止め、その間に、レムが飛びかかって圧し掛かる。
アシダカレムは酸性糸を吐きまくり、大猪の野太い胴体をグルグル巻きに縛りあげた上で、鋭い鋏角を備えた口で頭に齧りついた。
それからは、死にもの狂いで大猪が暴れ回る。まるで、蜘蛛の巣に捉えられた羽虫のように、もがき、苦しみ……それでも、僕とレムは、一度捕らえた獲物を決して離しはしない。
「……はぁ、はぁ……やっと、死んだか……」
どれだけの間、僕は奴を縛り続けただろう。ブヒブヒ叫びながらのたうち回る大猪が、ついに沈黙した。
「キシャ!」
レムは口元を真っ赤に染めながら、勝利の雄たけびをあげるように、大猪の上で叫んだ。
「結構、危なかった……やっぱり、ソロだと厳しいな」
きっと、野々宮さんや芳崎さんからすると、この大猪など片手間で倒せる雑魚モンスターでしかないだろう。相性が悪かった、というのもあるけれど、ダンジョンの中では言い訳にもならない。
僕を倒すには、大猪くらいのパワーさえあれば楽勝なのだ。ボスモンスターでなくても、そこらの魔物でも普通に持ち得るスペックだ。
初期の頃に比べれば、今の僕はかなり強くなった方だけど……やはり、呪術師のソロプレイは雑魚モンス相手に即死もありうるハードモードである。
「これは、誰でもいいから、早いところ仲間を見つけないと」
ただし横道は除く。ガチの猟奇殺人鬼はノー、アイツはもうゴーマと同じ魔物みたいなものだし。
「レム、とにかく先を急ごう」
この際、大猪からとれるコアも諦めよう。こんな血生臭いところにいると、他の魔物がいつ寄って来るとも限らない。
「シャっ!」
と、レムが鋭く鳴いたのは、ただの返事ではなく……うわ、マジかよ、もう次の魔物が現れたってのか!?
「レム、どこから来る!」
鈍い僕は相変わらず、魔物の襲来を察知できない。静かな森にしか思えないけれど……
「キシャっ!」
答えの代わりに、レムは口から糸を吐いた。酸性糸のシャワーは、前後左右、そのどこでもなく、頭上であった。
「っ!? 『蜘蛛の巣絡み』っ!」
ピンと来たのは、二度目だったからか。僕は何も考えず、直感に従ってレムが噴き出した空中へと黒髪の投網を放った――次の瞬間、上空より真っ白い糸が絡みついてきた。
「うわっ、わあっ!」
慌てて走り、木陰へと移動。蜘蛛糸の網は、殺到する白い糸の束をへばりつかせながら、ゆったりと落下していく。その糸の塊が地面に落ちるよりも前に、襲撃者は僕の前へと姿を露わした。
「キョアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
女の金切声のような不気味な雄たけびを上げるのは、上半身が人型で、下半身が蜘蛛型である、
「アラクネ……まさか、僕を追いかけて来たのか」
そうとしか思えなかった。アラクネの顔の見分けなんかつかないけれど、コイツらがゴーマみたいに何匹もその辺をウロウロしているとも思えない。
「キシシ、キシ、キシキシキシキシ」
必殺の奇襲が失敗したのに、逃げずに堂々と正面対決を選んだのは、よほど自信があるからか。それとも、危険を承知でも一度捕らえた獲物は逃がさないという執着心があるからか。
「ここで、倒すしかない」
全力疾走のアシダカレムに乗って移動したにも関わらず、こうも簡単に追いつかれたのだ。移動速度は圧倒的にアラクネの方が上。ついでに、逃げた獲物を追いかける追跡力も。
僕がアラクネから逃げ延びるには、もう、倒すより他はないのだ。
「来いよ、欲張って僕を追いかけてきたこと、後悔させてやる!」
後がないから、せめて威勢よく声をあげながら、僕はアラクネへと挑むことを覚悟した。




