第9話 遭遇・2
双葉さんへの応急処置を終えた後、とりあえず僕はひと眠りすることにした。短い間だけど色々とありすぎて、純粋に疲れていた。今日という日は、一体僕にどれだけのトラウマを刻んでくれるというのだろうか。酷な体験ばっかりだ。
結局、どれくらい寝たのかは分からないし、わざわざ電源を切ったケータイをつけてまで確認する気も起きなかったけど、とりあえず体が満足するくらいにはぐっすり眠れた。ここの芝生の上は、存外に寝心地が良い。ついでに、呪神ルインヒルデ様が登場するありがたーい夢を見ることもなかったので、寝起きもスッキリ、気分爽快である。
「双葉さんは……よし、大丈夫そうだな」
静かな寝息を立てる彼女は、牧場で昼寝をするホルスタインを連想させる。いや、決しておっぱい的な意味ではなく、長閑な雰囲気的な意味で。心なしか顔色もいいし、良い夢を見てそうな穏やかな寝顔だ。
しかしながら、無防備に眠りこける彼女を前にすると、ついプニプニしてみたくなる衝動も湧き上がる。まぁ、ヘタレな僕には手なんて出せるわけないけど。ええ勿論、僕は彼女いない歴イコール年齢の童貞少年ですよっと。
「はぁ……薬作ろ」
未だにダンジョンに出向く気がさっぱり起きない僕は、とりあえず消費してしまった傷薬Aの再生産を始めた。
正直、直感薬学で薬草の効能さえ分かれば、別に呪術師じゃなくても傷薬は作れる。呪文詠唱で一発生産、なんてゲーム的な利便さは皆無。つまり、摘んだ薬草は自らの手で地道に磨り潰していかないといけないのだ。
規則的な噴水の音だけをBGMに、僕はひたすらゴリゴリと単純作業に従事する。妖精胡桃の木から折った枝を乳棒代わりに、そして、鞄の底から発掘されたコンビニのビニール袋(小)をすり鉢代わりにして、目分量で材料を投下しては混ぜ合わせる。
ニセタンポポは葉っぱ、妖精胡桃も葉っぱだが、白百合みたいな花――ええと、コレはとりあえず白花と呼んでおこう――の、葉でも花びらでもなく、蜜に薬用効果がある。でも蜜だけを上手く絞る術がないので、花弁を千切って蜜を分泌する部分だけを放り込む。本当にこんな適当でいいのかと思うが、やっぱり直感薬学が「大丈夫、大丈夫」と脳内で囁くので、よしとしている。
ともかく、こうして作った傷薬Aは、双葉さんを癒してくれたようだし、その薬用効果は証明された。これさえあれば、多少の手傷は怖くない。
「でも……どうしようかな……」
それは傷薬についてでも、これからのダンジョン探索のことでもなく、自分が助けた双葉さんについてである。
いざ、こうして冷静になってみると、本当にこれで良かったのかと疑念が湧き上がる。いや、彼女を助けたこと自体に後悔はない。あの瞬間に、僕は微塵も見捨てるという選択肢は思い浮かばなかった。
それは僕が博愛精神に溢れる素晴らしい人格者、だからではなく、直前に無残な死体を晒す女子の姿を見ていたせいに違いない。誰かが死に行く様を、目の前で見たくなかった。ただ、それだけのことに過ぎない。
そうして助けたはいいが、問題はやはり、このバトルロイヤル同然の状況である。命を助けたからといって、双葉さんが必ずしも僕に感謝するとは限らない。
助けて、と口にはしていたものの、この状況に絶望して死を望んでいたかもしれない。あるいは、樋口のように人を蹴落とし、利用するような行動原理を抱いているかもしれないのだ。脱出できる、つまり、生き残れる人数が三人と制限されている以上、誰のことも簡単に信用はできない。
これで脱出人数が一人だったら、僕はこの場で彼女を殺すか生かすかの選択で、もっと苦しむことになっていただろう。そういう意味で、二人までは仲間にできる三人という制限は幸いだ。まだ人を信用できる余地がある――しかし、四人目が現れた瞬間に、誰かが切り捨てられるという、際どい人数制限だ。
「うーん……」
正直いって、こんなややこしい状況で、僕は双葉さんと上手く接する自信がない。共に脱出を目指す仲間になるのか、それとも不信が先だって別行動になるのか……いや、呪術師の僕からすれば、双葉さんは何としてでも仲間に引き込んでおくべきだろう。
彼女が何の天職かは不明だが、何であったとしても、今の呪術師一人というよりはマシな戦力になる。この際、天職のことを差っ引いても、単純に双葉さんの方が僕よりもパワーに優れるだろう。二の腕は僕の太ももくらいあって、セーラーの長そでがちょっとピチピチしてる。そしてプリーツスカートから伸びる太ももは、僕のウエストくらいだ。おまけに彼女は太いだけでなく、背も高い。圧倒的な体格差。ミニマム級の桃川VSヘヴィー級の双葉、勝負は誰の目にも明らかだ。
「双葉さんなら、あの鬼一匹くらいはブッ飛ばせそうな気がする」
何にしても、得難い戦力である。そもそも、すでに樋口が三人組を作っていたことを思えば、この先に出会う生徒がソロである可能性はそれほどでもないだろう。むしろ三人組と出会ったら、最悪、積極的に殺しにかかってくるかもしれない。
そして呪術師という、こと戦闘能力に欠ける天職が、さらにパーティ結成の足を引っ張る。
だが今の双葉さんなら、一人きりで、おまけに僕が命を救ったという恩もある。これ以上ないほど、仲間の勧誘に適した条件はない。
「ちくしょう……ロクな考えじゃないよ……」
要するに、双葉さんに恩を着せようって話だ。それが最も理に叶っている。僕に明確な利益がある以上、もう純粋な善意の人助けではなくなってしまった。
自分の小賢しさに自己権嫌悪を覚えるが……覚えるというだけで、僕には彼女を引き込む算段を躊躇こそするものの、結局は実行するだろう。薄汚い建前を平気で口にして、利己的な本音を隠すのだ。
はは、仲間にする前から、信用も何もあったもんじゃない。僕なら絶対、そんなヤツと組むのは御免だね。
「ん……うぅん……」
その時、双葉さんが声だけは妙に艶めかしくうめきながら、体は牛のようにのっそりと、身じろぎをした。太ももサイズの右腕が動き、ふっくらした指先が、彼女の目元をこする。
「双葉さん……起きたの?」
これから仲間に引き込もうって魂胆なのに、僕は爽やかな微笑みを浮かべることはできず、微妙に強張った表情で恐る恐るといった風に尋ねてしまう。どうやら、僕に演技の才能はないようだ。
「あ……桃川くん」
ゆっくりと瞼が開かれると共に、また、ゆっくりと彼女が僕の名を呼んだ。
「お、おはよう」
「うん……おはよう……おは――えっ、あれ、桃川、くん?」
トロンと眠そうだった目が、僕の姿を捉えるや否や、ハっと見開かれる。
「うそっ、桃川くん、なんでっ――」
「ちょっ、まだ起きない方がいいって!」
そんなに僕がいることが驚きだったのだろうか、そのまま勢いよく身を起こしそうになった双葉さんを慌てて止める。幾らなんでも、まだ腹の傷は塞がりきっていない。
「あれ、だって、私……あの……」
「大丈夫だから、落ち着いて。お腹の傷はちゃんと薬を塗っておいたから、しばらく安静にして――」
「え、お腹って――きゃっ!」
実に女の子らしい悲鳴をあげながら、双葉さんは予想以上に俊敏な動きで、セーラーの裾を下げた。樽のような腹部が男子の前に露出しているのが、よほど恥ずかしかったと見える。
「っあ! 痛っ!」
「うわっ、大丈夫!? っていうか、まだ傷は塞がってないから動かないで!」
「うぅ……ご、ごめんなさい……」
涙目になりながら謝る双葉さん。こんな時に不謹慎だけど、叱られた子犬みたいな表情で、ちょっと可愛い。これで丸い顔じゃなかったら、普通に美少女だったろう。目は円らで大きいし、顔のパーツ自体は整っている。
「血、出てない?」
「うん……大丈夫……」
とりあえず、塞がりかけた傷が再びばっくり開くという大惨事は免れたようだ。
「あ、あの……桃川くんが、助けてくれたんだよ、ね?」
おずおずといった感じで、双葉さんが問いかけてくる。純粋な光が宿っているような丸い瞳に見つめられて、少しばかり心が揺らぐ。
覚悟を決めろ、桃川小太郎。ここからが本番、何としても彼女に上手く恩を着せて、仲間に引き込むんだ。
「うん、僕がここに来た時、双葉さんが倒れていたから。すぐに薬を塗って応急処置したんだ。助かって良かったよ」
「あ、ありがとう……本当に、桃川くんが助けてくれたんだね。私、夢を見ているのかと思ったよ」
どうやら、僕に「助けて」と言ったあの時の記憶が、おぼろげながらも残っているようだ。よし、これで間違いなく僕が彼女を助けたということは証明されただろう。
「私、もう死んじゃうんだって思って……凄く、怖くて……でも、桃川くんが来てくれて、本当に嬉しかったの……私なんかを、また助けてくれるんだって、嬉しくて……ありがとう、桃川くん、ありがとう……うぅ……」
「え、ちょっと双葉さん、そんな、泣かないで……」
九死に一生を得て感極まったのだろうか、双葉さんがメソメソと泣き出してしまい、何かもう話どころじゃない感じに。
「うぅ、桃川くん、ありがとう……ふぅええん!」
「う、うん、大丈夫、もう大丈夫だから、落ち着いて――」
そんなこんなで、しばらく泣いてる双葉さんをなだめることに。
何て言うか、こんな子を小賢しく仲間に引き込もうとばかり考えている自分が本当に嫌になってくる。
こういう時は、もっとこう、彼女を慰めることだけに集中できていればかっこいいんだけど。雑念ばかりがゴチャゴチャと湧き上がって、僕は上辺だけの言葉を双葉さんにかけることしかできなかった。
「ごめんね、桃川くん。もう、大丈夫だから」
それでも、時間という偉大なる解決策によって、双葉さんは無事に落ち着きを取り戻した。これでようやく、まともに話ができる準備が整った。
「それでさ、とりあえず怪我した状況を教えてくれないかな」
焦ってはいけない。まずは情報収集だ。僕は彼女が倒れた経緯について全く把握していない。その辺をしっかりと確認してから、本題に入っても遅くはないだろう。
「あ、あの、私……えっと……」
最初の質問としてはぶつけられて当然のものをチョイスしたつもりだったのだが、双葉さんの表情は再び曇ってゆく。何だ、そんなにマズいことを聞いてしまったのか。
ええい、クイックロードでもう一度選択肢を選び直しだ! 混乱した頭ではそんな馬鹿なことしか思い浮かばない。
「わ、私……うぅ……」
再び目からポロポロと涙が零れ始める双葉さんを前に、僕は自分にとことんカウンセリングの才能がないことを悟った。
いや、諦めるな。才能はなくても、事情は聞き出さなければ話は進まないだろう。もう彼女が泣いていても、構わずに話を引き出すしかない。
「落ち着いて双葉さん、大丈夫だから。とりあえず、最初から、そうだ、教室から出て行った後から順番に話してくれればいいよ」
「う、うん……」
メソメソと泣きながらも、双葉さんはこっくりと頷く。よし、話す意思はあるようだ。
「ゆっくりでいいから」
「うん、ありがとう桃川くん……あのね、私――」
 




