神官の願い
現在、勇者一行は大陸の南にある港から船に乗り、東へ向かった先の小さな島を目指しているらしい。彼らの目的は、聖剣の鞘だった。
勇者の持つ聖剣は本来鞘に納められるものであり、鞘と一対になって初めて聖剣としての本来の力を発揮できるそうだ。そして、来るべき陛下との戦いの為に勇者はそれを探し求めており、古い文献によると、その島に手掛かりが遺されているらしい。
かつて、聖剣を持って戦った人間の勇者は、あの支配者たる陛下に重傷を負わせ、五百年の眠りに就かせた。魔王陛下を退けるほどの力を持つ聖剣をそのままの状態で保管しては悪用されかねない、ということで先代の勇者自らが聖剣と鞘を分けて封印したらしい。
私は生まれてまだ百年ほどしか経っておらず、かつての戦いも、陛下が眠り続けていた五百年も知らない為、正直聖剣の力とやらは誇張された噂話程度に受け止めている。人間の見る、儚い願いの形だと。しかし、もしもそんな聖剣が、魔を払う聖剣が本当に存在するとすれば、それは私にとって、命を脅かす大きな脅威となるだろう。
「ヴィオラ様、一体倒しました」
「見ていたが。何故それで私の前で屈む」
「おやおや、ヴィオラ様ともあろうお方が、ペットへのご褒美の与え方もご存知でいらっしゃらないのですか?」
そこそこの付き合いなので、レドが何を言いたいかは分かる。頭でも顎の下でも撫でろと言いたいのだろう。剣の手ほどきをした事はあるが、レドはこれまでそれを特別に磨いて来た訳ではない。そう思えば、勇者一行に後れを取る事無く、敵に食らいついてそれを倒した事はまずまずの結果だと言える。しかし、私は知っている。このペットは少し甘い顔を見せれば調子に乗るのだ。そう易々と褒美を与えるつもりはない。
「お待ちください、レドさん!」
私の前で屈むレドを追って、ユノが銀髪を振り乱しながら駆け寄ってきた。彼女は焦りを滲ませる面立ちで、レドのすぐ隣に膝をつき、彼の左腕に自身の手を添える。ユノが手を添えて詠唱すれば、レドの魔物に貫かれ、血を流し続けていた腕は、治癒魔法によりどんどん癒されていった。
「こんな大怪我を負っているのに………すぐに治癒しなければ、命に関わりますよ」
ユノは諭すような静かな声でそう口にした。初対面で人間の頭をロッドで殴る、という暴挙に出ていた彼女だが、ヘリオドールさえ関わらなければ、ユノは概ね理性的で穏やかな性格をしている。治癒魔法を得意としており、戦闘中も回復役に務めていた。
「ヴィオラさんからもお諌め下さいね。レドさんは貴女の従者なのでしょう?」
「…………考えておこう」
さして剣の腕もよくないレドが、勇者一行と共に戦闘に参加出来ているのは、彼に躊躇いがないからだった。レドは痛みに鈍感で、私と違ってさして生に執着がない。だからこそ、危険と分かっていても突っ込んでいき、多少自身の身体を傷付けられても構わず敵に刃を向ける事が出来る。レドの強みはそれだった。それを諌めてしまえば、彼は途端に役立たずとなってしまうだろう。考えておく、とは口にしたものの、それを実行に移すつもりは更々なかった。
それにしても、とレドの治療を終えたユノが私を振り返る。
「ヴィオラさんは組み手でもあんなにお強くていらっしゃったのに、魔法は更にお得意なのですね」
「あんなもの、護身術程度の意味しかない」
未だ、屈んだままじっとこちらを見上げるレドに根負けして、彼の頭を軽く一撫でしながらそう答える。その途端、ぴょんと気持ち悪いほど軽やかにレドが立ち上がり、一歩後ずさった。
勇者一行に加わり、旅の道中で魔物に遭遇すれば、私は魔法使いとして戦闘に参加した。剣を持って前線で戦うよりかは、自身に守護魔法を掛けて後衛に回る方がまだ命の危険は少ないと考えたからだ。魔族に仲間意識も無ければ、魔物は人間だけではなく、魔族の事も区別なく襲う害獣だ。欠片ばかりの躊躇いもなく、私は攻撃魔法を放ち、勇者一行の勝利に貢献していた。
「そんな風に謙遜なさっては、ヘリオドール様が落ち込んでしまいますわ」
口元に手を添え、楚々として微笑むユノの視線は、お互いの怪我を確認し合い、フラムとリアと何事かを騒いでいるヘリオドールへ向けられている。普段彼女はヘリオドールに向かってだけは、寒気がするような笑顔しか向けていないので、その目を細める穏やかな微笑みは中々に新鮮な表情だった。
「ヘリオドール様が、あのように組伏せられる姿など、初めて見ましたわ」
くすくす、とユノは笑みを零す。そんな彼女の態度に疑問符を飛ばしたのはレドだった。
「以前からお知り合いなのですか?」
「え?あ……いえ、同じ王都の出身で、ヘリオドール様はあのように目立つ方ですから、何度か御姿を拝見した事があったのです」
彼女が言った目立つ方、というのはヘリオドールのあの容姿の事だろう。魔族の私から見ても理解出来る程の美丈夫で、女性と見れば無差別に口説きに掛かるあの性格では、さぞ目立った事だろう。真面目なユノなどには、その姿が不快なものとして映ったのかもしれない。
「君は、元々は何を?」
「神官をしておりました。中央神殿に所属し、聖剣の保護と管理が私の役目です。今は、フラムさんにお仕えする事が、私の一番の務めですね」
神官のような格好をしている、という印象はどうやら正解だったらしい。楚々とした穏やかなユノが、地に膝をつき、指を組んで神に祈りを捧げる姿は容易に想像がついた。
人は、どうしようもなくなったとき、神に救いを求めるらしい。私はどうにもそれを理解できない。居もしない神に祈りを捧げるよりも、目の前の圧倒的強者に命乞いをする方が、まだ幾分か生への希望を持てるように思う。
そういう意味で、神官とは私にとって人間の中でも一際気持ちの悪い生き物だった。他の人間よりは、その命が脅かされてもあからさまに怯える事はなく、粛々と嵐のように訪れる死を受け入れる者が多い。これも神のお導きなれば、と。
「早く、鞘を見付け、魔王は討ち滅ぼさなければなりません。もう人間は、十分に傷付き、蹂躙され、人生を狂わされました」
ユノは、どこか遠い目をしてそう語る。人は、叶わない夢を好む。あの、暴力をそのまま形にしたような方を、人間如きが滅ぼすなど、夢のまた夢であるというのに。
「早く終わるといいですね。全て」
彼女の言葉に答えあぐねいた私に変わり、レドが相変わらず無表情の癖に声だけ妙に明るくそう返事をする。そうですね、とユノが微笑んだところで、アルバから声が掛かった。
「そろそろ先へ進もう。日が暮れる前には町に着きたい」
年長者のアルバは、一行をよく纏めて引率していた。旅にも慣れているらしく、最終的な決定権は何事も勇者であるフラムにあるようだったが、誰もがアルバを頼りにしている。
一行と合流した町から、目指している港町までは歩いて半日ほどの距離だった。私はレドを伴い、アルバの声に従って歩みを速めた。