兄という乱心
「私は人間だとすれば何歳くらいに見える?」
尖った耳を人間らしい丸い耳へと変化させ、背の羽をしまった。元々それほど人間と差異のある見た目では無かったので、あとは縦長の瞳孔を人間のような丸いものにし、牙を隠せば人間であるレドから『人間にしか見えない』とのお墨付きを得ることができた。
紫の長い髪も目の色も、人間としてそう珍しいものでも無く、服装も人間の国でよく見掛ける型のものに変えた。露出を好まないので長いスカートのものを選んだが、左足の太ももの真ん中まで切れ込みが入っており、足を動かすのに問題は無かった。
魔界でしか咲かない薬草を売れば纏まった金になったので、レドにも旅に向いた装束を与え、いくつかガントレットなどの防具も付けさせた。これで盾くらいにはなるだろう。人間の町に入ると、他にもいくつかの装備や道具を整える。休憩と今後の相談の為に町外れの広場に腰を落ちつけ、パンに葉野菜と燻製肉を挟んだものにかぶり付いていたレドに問い掛けた。
ふむ、とわざとらしいような仕草で考える様子を見せたレドは、若干首を傾げて口を開く。年若く笑顔の似合う娘がするにはいいが、無表情の男がする仕草と思えばうすら寒さがある。
「そうですね………十八、九といったところでしょうか」
「そんなものか。おまえはいくつなんだ」
「俺は………」
一度天を仰いだレドが、今度は自身の空いた方の掌をじっと眺め、指を一本ずつ折り曲げていく。どうやら年齢を数えているらしい。
レドは背が高く、普段並んで立つと私の目の前に彼の肩辺りがくるので、こうして隣に座るとレドの横顔が珍しく近かった。
「おそらく、二十三か、四くらいだったと思います」
「レドの方が年上に見えるのか」
その答えを受けて一つ頷き、今後の事を考える。勇者一行は今、人間の大陸を南下している。どこかで接触を図り、旅に同行する事が狙いだ。勇者は聖剣を管理する神殿の管理下にあり、神殿で多くの兵を用意されていたが、旅立ちの途中で魔族に襲われてしまい、止むをえず全ての兵を殿にしてその場から逃げた。結局今は勇者を含めた五人で旅をしているらしく、戦力が増える事は望ましいと思うだろう。その相手が信頼に足るならば。
相手を信用させるには、どういった『人間』だと偽ればいいだろうか。私とレドの関係にも不自然さのない設定が必要だった。
「よし、私とおまえは兄妹という事にしよう。おまえが兄で、私が妹だ。二人で旅をしているとするなら、血縁者が適当だろう」
口いっぱいに最後の一口を頬張ったレドは、いつもの無表情で大きく口を膨らませたままもぐもぐと私を見つめ、やがてごくん、と傍目にも分かりやすくそれを呑み込んだ。あまりに勢いよくがっついていたので、もしかすると味が気に入ったのかもしれない。
よく考えれば、彼が私のところへ来て以来、およそ十五年ぶりの人間の食事ではないのだろうか。表情が無で固定されているので全く美味しそうには見えないが。
「それは、難しくはありませんか?」
「何故だ」
「それです。そしてこれです」
「………もっと分かりやすく言え。おまえの話はいつもよく分からん」
一つ、鷹揚に頷いたレドが私の疑問に答える。
「兄に対してヴィオラ様のように尊大な妹も珍しいでしょうし、私のように妹に敬語を使う兄も早々いないでしょう」
そこまで言われ、ようやくレドの伝えたい事が分かった。力が全てである魔族にとって生まれた順などさしたる意味を持たないが、人間は生まれた順に特別な意味を与え、何かとそれを引き合いに出すらしい。少なくとも、妹が兄を敬わず、兄が妹に丁寧過ぎる、というのはあまり相応しくないはずだ。
「よし、では私も妹らしく演技をしよう。おまえも敬語を止めて構わない」
「ほう、例えばどのように?」
どのように、と聞かれて私は少し考える。すると、その広場にいる兄妹らしき幼い子どもの姿が目に留まり、ぼんやりとした想像ができた。
「そうだな。いや……そうだね、こういうのはどうかな、兄さん」
似合わない事を承知で、出来るだけ自然に笑顔を浮かべようとする。レド曰く仏頂面が多い私が、人間のように笑おうと思うと骨が折れる。魔王陛下もよく笑う方であり、魔族ももちろん喜怒哀楽の感情はあるが、人間の表情のそれに比べるとやはりうすら寒かったり、攻撃的過ぎるらしい。
慣れない表情に流石に少々気恥ずかしさを感じ、思わず目を逸らして俯いてしまった。なんとか恐る恐る視線だけで見上てみれば、何故かレドが自身の顔面を手のひらで覆って天を仰いでいる。素直に引いた。
「…………思った以上の、破壊力でした…。俺の妹くそ可愛い」
「おい待て、それは演技か?演技から出てる言葉か?」
「もちろんじゃないか、ヴィオラ。そんなに眉間に皺を寄せちゃ、可愛い顔が台無しだゾ」
「やめろ!!!」
人差し指で額をツンと押され、全身に鳥肌が立った。行動も台詞もかなり気持ち悪いが、無表情で言ってのける辺り、余計に気持ち悪さが増していた。だめだ、こいつに兄妹役なんてさせたら私の精神がもたない。
即刻その接し方を改めさせると、レドは不満げな声こそ上げたもののすぐに従った。私の態度とレドの敬語に違和感がないよう話し合い、結局『魔族に襲われ家族も領地も亡くした元貴族の令嬢と、その従者』という事になった。
わざわざ貴族令嬢でなくてもいいだろう、と言えば、その偉そうな態度にはそのくらいの身分が必要ですよ、と生意気な事を言われる。大層余計なお世話だった。