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手の内に残るは



 私に陛下のお考えなど分かるはずがない。とりあえず生き残ったことだけ理解すれば、安堵から涙が溢れ返って来た。加えて唇まで震え始め、泣きながら笑って生き繋いだことに歓喜した。

 震える手足を叱咤して立ち上がると、レドの息を確認する。頭から血を流してはいるが、殴られたか何かで気を失っているだけのようだった。二、三度顔をぺちぺちと叩けば、ぼんやりとした様子ながら目を覚ました。


 そのまま息吐く間もなく駆け抜け、魔界を後にした。魔界を出て、人間の世界らしい、広く青い空の下で呼吸をし、空気を肺に巡らせる。心臓が痛いほどに脈打ち、手足の先まで血液が巡っていく感覚に、生き残った実感が再び湧いてきてまた涙を流した。


 陛下の命令で、私はもうリア達と顔を合わせる事は叶わない。だから、花はレドに持たせて彼に渡しに行かせる事にした。普段からレドのことなど歯牙にも掛けていない陛下は今回も彼の事を口にしなかった。レドが彼らに会う事自体は見咎められないだろう。


 彼らの出身である王都に向かい、私だけは近くの森に潜んでレドの帰りを待った。そう時間も掛からず、彼は私の元へと戻る。その両手に、持ち切れないほどの食べ物を抱えて。


「何をやっている………」

「勇者一行の一時帰還ということで、すごい騒ぎですよ。出店も多数あって、選ぶのに難儀してしまいました」

「ああ、そうか。良かったな」


 呆れた調子でそう答えれば、レドは無表情ながら満足そうに一つずつ口の中に突っ込んでいく。ゆっくり食べろと何度か言った事はあるが、改善された事は一度もなかった。


「渡せたのか?」

「ええ、ヴィオラ様の事をとても心配されていましたよ」

「私が魔族である事は伝えたのか?」

「いいえ?必要ないでしょう」


 私もその判断に納得する。下手に魔族だと伝えて、渡した花を罠だと勘違いして飲んでもらえないと困る。もっとも、伝えたところで、あっさりと飲んでくれるような気もする。リア達は、救いようもないお人好しだった。そんな彼らだから、どうか少しでも長く生きてくれと、願ってしまった。


「これからどうされるのですか?」

「さあな。気に入る土地でも探して旅をするさ」


 陛下とフラム達には絶対に会う訳にはいかない。私は今も当然、死にたくはない。自らこの命を危険に晒すような真似は、叶うならば二度としたくなかった。

 陛下だけではなく、他の魔族も油断ならなかった。私は、陛下の一番近くであの方に仕えてきた。ある意味で陛下の庇護下にあったのだ。それが気に入らない魔族は当然沢山いたので、陛下を裏切った私を、その大義名分の元に殺そうとする奴がいないとも言いきれない。しばらくは、身を隠す旅を続ける事になりそうだった。


「また、人間のふりをしてですか?」

「魔族の姿はこの土地では目立つだろう」


 陛下に会う訳にはいかないとなれば、魔界に私の居場所はなかった。至極当然の事を口にするレドの向かいに歩み寄って、彼を見上げる。私の胸ほどしかない小さかった人間の子どもは、気付けば頭一個分ほど私よりも大きくなっていた。人にとっては、それほど長い年月だったのだろう。

 彼の左胸に右手を添える。


「何事ですか、破廉恥な」

「うるさいぞ」


 そのまま目を閉じて、レドの中に魔力を流し込む。彼の心臓から私の魔力が全身に行きわたり、血液と共に再びそれが心臓に集約する。ぱきん、と何かが外れるような感覚がした。それはきっと、レドにも感じられたことだろう。


「ヴィオラ様…?」


 やるべき事を終え、彼から一歩分の距離を取る。そこにはもう、私の可愛くないペットは存在せず、驚くときでさえ無表情の人間の男が立っていた。


「どこへでも行け。おまえはもう自由だ」


 彼に掛けていた呪いを解いた。これでもう、レドは私の意向一つで心臓が弾ける事はない。どこにでもいる、人間と同じ身体を手に入れた。好きなように感じ、好きなように動き、好きなように発言することが許される。もうこれ以上、私に従う必要はない。


「長く世話になったな。精々、好きに生きろ」


 それだけ告げ、わずかばかりの荷を背負い直して、その場から立ち去ろうとする。あまり長居して、フラム達に遭遇する訳にはいかなかった。わずかとは言え、危険な可能性は全て潰さなければならない。


「………分かりました、では」


 レドから明瞭な返事を受け取り、一つ頷いて一歩、二歩、と歩き始める。しかし、五歩ほど歩いたところで堪えかねて振り返った。


「何故、付いてくる?」

「好きに生きろとおっしゃられたので、貴女のおそばを選びました」


 あっけらかんとそう口にされ、私は空いた口が塞がらなかった。


「私は、いつ殺されるともしれないんだぞ」

「存じておりますよ。ご安心下さい。貴女が死ぬときは、寂しくないようお供して差し上げます」


 平然と、彼はそう語った。私の事を見下ろして、まるで当たり前の事のように付け加える。


「ペットは最期まで面倒を見るのが常識ですよ」

「そういう話をしているんじゃない」


 妙に愉快気なレドの言葉に、何故かぞわりと寒気がして、私は一歩後退した。いつも通りの彼らしいふざけた言葉が、常とは違うように感じられる。すると、同じ分だけレドが距離を詰めて来た。左手に残っていた最後のパンを一口で平らげて、弾んだ調子で彼が口を開く。


「今の俺の気持ちが分かりますか?貴女は全てを失いました。住む家も、帰る世界も、属する種族も、支配者たる王も。貴女にはもう、何もありません。貴女の手の内に残ったのは自身と、俺だけです。ああ、何という僥倖でしょう!」


 息が、止まりそう。魔王陛下と対峙したときとはまた別種の恐怖心が、私の中で芽吹く。レドが、少しだけ屈んで私の顔を覗き込んだ。今の空気が、何なのかちっとも分からない。それでも、異様であることだけは感じられた。理解できないものは、総じて恐ろしいものだ。

 彼は変わらず無表情だった。しかしまるで、笑った顔が浮かび上がって来そうだと思った。嘲りの滲ん、だ。


「ざまあみろ」




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