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重みに潰される



 死に掛けた者が地面に這いつくばり、縋るように手を伸ばす姿を見るのが好きだった。安堵するのだ。ああなるのが私でなくて良かった、とその光景は私の心を慰めた。私はまだ生きている。その為の一つの犠牲かと思えば、その死に感謝さえ抱く程だった。


 他者の死などその程度のものだ。それを惜しんだ事も悔んだこともなかった。私にとって必要なものも大切なものも、私自身の命だけだった。


「ヴィオラ、レドと喧嘩したの?」


 かつて栄華を誇った亡国を目前にし、リアに教えられながら野営中の食事を作っていると、彼女にそう尋ねられた。あの裏切り者とはしばらく口を利いていない。そして、彼を避けている私にレド自身も気付いているのだろう。何かとそばに付いて回っていた彼の方も、私から距離を置いていた。


「喧嘩、ではないな」


 思えば、レドと喧嘩などした事がなかった。当然だ。私は主人で彼はペットだ。そもそも喧嘩が出来るような対等な立場ではなかった。


「じゃあ、何なの?」

「………何だろうな」


 レドはずっと自分の事を『人間ではない』と口にしていた。けれど、先日彼が語った無表情の理由は、いかにも人間臭いものだった。レドの事は、彼が幼い頃から知っている。彼は昔から笑う事も怒る事も、当然泣く事も無かった。それがまるで、人間らしい事を口にしたのだ。

 レドの事を、彼が言うように人間以外の何かと思っていた訳ではない。私が拾ったペットは確かに人間の子どもだった。しかし、今の私は、人間であると改めて認識した彼をペットとしてこれまでのように扱うことに、妙な居心地の悪さを感じていた。


「うーん、よく分からないけど、言いたい事があるなら早めに言った方がいいよ」

「そういう訳じゃないんだが」

「うん。そうかもしれないけど、言いたい事が分かってからいつでも言えるかは分からないし」


 芋の皮を剥く私の顔を横から覗き込んで、リアはにっこりと彼女らしく笑う。


「私、ヴィオラのこと好きだよ」


 突然の言葉に、ナイフを持つ手が滑りそうになった。


「何だ、急に」

「言える内に言っておこうと思って」


 翳りのない笑顔でそう告げたリアは、しかしすぐに顔を背けた。その微かな違和感で、彼女の言葉の意味を思い知る。言える内、というのは生きている内に、という意味だろう。

 彼女が陛下に種を植え付けられ、花が咲くまでの期限である半年まで、半分の時が流れた。リアの横腹を這う花は、並ぶ肋骨の中ほどを過ぎ、胸にまで届こうとしている。


 これまで何人も見て来た、死に掛けながら縋る手のひらを再度思い起こす。それがもしリアの手だったならば、私はどうするのだろう。

 少なくとも、それが私でなくて良かったとは、どうしても思えそうになかった。









 私は魔族である為に、人間であるフラム達よりは頑丈に出来ていた。彼らならば重傷となるような怪我も、私ならば彼らほどの痛手にはならない。ただ、今の私は魔族である正体を隠し、人間に擬態している。それほどの怪我を負えば、魔族である正体を隠す魔法に、綻びくらいは出来てしまうかもしれない。

 そうなれば、もう彼らと旅を続ける事は出来なくなるだろう。裏切り者だと罵られ、殺されるかもしれない。彼らは随分強くなった。いや、しかし。きっと、泣くのだろう。罵る事も責め立てる事もなく、どうして、と悲しそうに泣くのだ。その顔を想像するだけで、心臓が捩切れそうだと思った。


「おまえ、何を……」


 最後の石を求め、ようやくそれを守る聖獣との戦いに至った。最後の白い石を守る聖獣は、光の魔法を得意とした。魔族は闇の魔力が強い。当然例に漏れない私も、闇の魔法が得意であり、光の魔法とは相性が悪かった。こちらの攻撃も有効だが、相手の攻撃もよく効く。


 油断していた訳ではなかった。けれど、この戦いが終わる事を恐れていたようにも思う。白い石を手に入れ、フラムが鞘を手に入れれば、彼らは魔界に向かうだろう。しかし、きっとそこが彼らの墓場になる。いくら強くなったとはいえ、未だ陛下に勝てるとは到底思えなかった。

 私はそのときにどうするのだろう。陛下に逆らう馬鹿な奴らだったと、嘲笑う事ができるだろうか。その答えを出す事が、とても恐ろしかった。


 そんな事を考えてしまったとき、聖獣の魔法が私にまで迫った。どうにも避けられそうにない。失敗した、と後悔が過る。私が死ぬほどの力はないだろう。しかし、私の正体くらいは晒されるかもしれない。それ、なのに、


「油断大敵ですよ」


 レドが、私の前に、向かい合うように立った。いつもの無表情で、その割に声は妙に軽妙に。まるで何でも無い事のようにその背に魔法を受け、やがて身体は崩れ落ちた。当たり前だ。彼は脆弱な人間なのだから、あの攻撃に耐えられるはずもない。

 落ちて来た身体が、私に圧し掛かる。なんて重い身体だと思った。ずしりと、私が潰されてしまうのではないかと思った。


 私達を庇うようにアルバとヘリオドールが前に立ち、ユノがレドに回復魔法を掛ける。フラムは剣を構えて聖獣に斬りかかり、リアは彼を援護するように詠唱を始める。


「おまえ、本当に、何なんだ………」


 呆然と、言葉が漏れた。最近ずっと考えていた事がある。レドは、私が人間としての意見を求める度に、自分は人間ではないと主張した。けれど、両親の弔いに表情を殺し続ける彼は、一体人間以外の何だと言うのだろう。

 なあ、憎くない訳がないだろう?あのときの彼の言葉の意味が今なら分かる。『死んだ方がましだ』レドはあの幼い日に、確かにそう口にした。別に死にたかった訳ではないだろう。ただきっと、彼は『両親のいない世界では生きたくなかった』のだ。


 そんな世界で、彼は何故今も生きているのだろう。私は彼の命を縛った。私に逆らえば死ぬようにと呪った。けれど、彼から死は奪っていない。レドが自ら命を絶とうとすれば、その願いは容易く叶えられた事だろう。

 レドが私のように、生に執着しているようには見えない。殴られ蹴られ殺されそうになっても、彼は彼のままで、気味が悪いほど平然としていた。死んだ方がましな世界で、何故他者にその命を縛られた状態でペットとして生きられるのだ。


「俺は、ただ、ずうっと、貴女のものですよ」


 切れ切れにレドが語る。焼けて爛れた背から肉が出て血が滲む。レドは痛みに鈍い。けれど、痛みを全く感じない訳ではないだろう。

 その重みを抱きとめて潰されながら、急にレドのことが分からなくなった。彼は私のもので、そう『物』だから、その心情など慮る必要もなく、そういうものとして接していた。

 けれど彼は人間だった。人間だったならば、きっとリア達のように、笑い、泣き、怒るのだろう。そういう心があるのだろう。

 そんな、彼は、どういう気持ちで、


 仇である魔族の巣窟で暮らして来たんだ?


 彼はその憎しみを問えば、決まって自分は人間じゃないと言った。憎んでいるとも憎んでいないとも口にしなかった。

 どんな気持ちで、平然とした顔で、私のペットとして居続けた?飄々と暮らして、殴られボロ雑巾にされる生活を受け入れていた?分からない。


 どうしてあのとき、私に声を掛けた。絶望しきったという顔をして、眠っているときだけようやく泣いているような状態だったのに、どうして手を触れて来た。意味が分からなかった。けれど不快ではなかった。だから好きにさせていた。リアに触れられるようになった今、ようやく理解できた。あれはきっと、慰めだったのだ。


「どうして………」


 レドの事が分からない。けれど、ただ一つ分かることがあるとすれば。私は、無駄口も叩かず眠る彼を、とても腹立たしいと思う。もしもリア達が笑えないような世界になってしまっても、きっと私は同じように思うだろう。



 もう私には選択肢など残されていないのだと、諦めるしかなかった。



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