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幸福な女



 彼と深夜に散歩をした次の日の朝、未だ眠そうに欠伸をするヘリオドールに問い掛けた。何故、君にそうまで言わしめるユノを怒らせるような態度ばかり取るのかと。

 すると、彼は意地が悪そうな笑みを浮かべる。


『もう癖のようなものだからな。それに』


 私をじっと見下ろして、まるで子どもに対するアルバのように、その手のひらを私の頭の上に乗せた。


『俺はヴィオラほど鈍感にも純粋にも出来ていないんだよ』


 ヘリオドールの返答は明確な答えではなく、鈍感も純粋も、どちらも普段ならばけして褒め言葉としては受け取れるものではない。しかし、それが思ったよりも不快とは感じなかった。私を蔑ろにしているとは、どうにも思えなかったのだ。

 結局、彼はそれ以上の言葉を語らず、話しこむ私達をレドに見咎められ、彼の言葉の真意を確かめる事はできなかった。









「ヴィオラさん、手伝って頂けませんか?」


 最後の石が東の果てにある、かつて陛下に滅ばされた国の、今にも朽ちようとしている王城にある事が分かった。すぐに旅支度を整え、私達は東の果てを目指して長い旅路を再開した。

 その道中で休憩を取っていると、ユノにそう声を掛けられた。傷によく効く薬草を見付けたので、摘むのを手伝ってほしい、という事だった。怪我の大半はユノの魔法によって完治するが、小さな怪我はこうした薬草などを用い、原始的な治療をしていた。ユノの魔力も無限ではないのだから、全ての傷を魔法で癒す訳にはいかない。


 私が了承すれば、リアも手伝おうとしたが、ユノはそれにやんわりと断りを入れて、野営地から私だけを連れだって薬草が群生しているところへ向かった。

 摘むべき薬草と、摘む際の注意点を私に伝えると、ユノはぽつりと口を開く。


「最近、リアさんと一緒に眠っているようですね」

「ああ。なんだ、気付いていたのか」


 リアは今も変わらず宿を取ったときには、決まってユノが寝静まった頃に私のベッドに潜り込んで来る。


「リアさんは、何かおっしゃっていますか?」

「いや、特に。眠れないと言って来る割に、すぐに寝入っている」

「ああ、落ち付けているんですね。良かった……」


 思わず何も良くない、と反論したくなった。望んで潜り込んですぐに寝息を立てるリアは良いかもしれない。しかし、私はその度に寝苦しい想いをしている。彼女の温度に触れる度、その温度の何とも言えない感触に、まるで危機感を抱かない自身の気持ち悪さに頭を悩ませていた。


「私が自責に駆られている事をリアさんは気付いているのですね。だからリアさんは、ヴィオラさんにしか甘えられないのでしょう」

「自責?君に何か落ち度があったのか?」


 ユノは薬草を摘みながら、柔らかく微笑んだ。彼女の笑顔は、魔族の私から見ても美しいと思う。清廉で隙がなく、完璧な微笑。唐突に、非の打ちどころのないそれが、本心を隠す仮面のように見えた。『微笑んでいる』という視覚からの情報以外、何も感じられない横顔だった。


「魔王は、初めは私にあの種を植えるつもりだったのでしょう?『聖剣の守人』である私に。その役目も果たせず、リアさんの命を危険に晒して、何が守人でしょう」


 珍しく自嘲気味にユノは語った。彼女は私に『聖剣の守人』の役目に関して誰かに伺いましたか、と尋ねた。改めて聞いたことはなかったので、私は正直に首を横に振った。


「聖剣と勇者様に心身共に尽くし、お仕えするのが私の役目です。時には勇者様の剣となり、時には盾となり、勇者様が望む全てで尽くすのです。魔王から向けられる悪意もまた、私が全て負うべきものでした」

「心身共に………それでは何か、君はもしもの事があれば、フラムの為に死ぬのか?」

「勿論です」


 ユノは躊躇う事無く肯定した。その瞬間に、私の肌が粟立つ。当然のように語る彼女は、何故自身の異常さに気付かない。自分の命さえ捨ておくようなその覚悟は、私にとって不気味でしかない。私は、絶対に嫌だ。この命は、私だけのものだ。


「何故、そうも簡単に命を懸けられる」

「簡単ではありませんよ。けれど私はもうずっと、そういう風に生きてきました。勇者様にお仕えする事が、私の夢だったのです」


 理解出来ないと思うこの心が、顔に出ていたのかもしれない。ユノは少しだけ苦笑するように小首を傾げ、私に目を向けた。


「昔、勇者様みたいに素敵な方に、転んだところを助け起こしてもらったんです。その方への憧れから、こんなところまで来てしまいました」


 苦笑から、不意に真剣な表情を浮かべたユノが、まるで射るような瞳で私を見つめる。


「ヴィオラさん、誰かを愛した事はありますか?」


 震えるようにして、首を横に振った。ない、そんな事はあるはずがない。愛なんてそんな、見た事がないものは分からない。時々見掛ける人間の書物に載っているそれは、やはりそんなものはいらないと思えるものだった。他者の事を心から信じ、安らぎを覚え、気を許すなど。余りに危険で、愚かな行いじゃないか。


「―――――私は、愛しています。その方と共に生きる事も、共に死ぬことも出来ません。私がその方の為に出来る事は何一つありません。それでも、愛しています」


 ユノが笑う。見たこともないような、晴れやかな顔で。その癖どこか恥じらうように頬を染めて、楚々としたいつもの彼女らしくない、満面の笑顔で口にする。


「誰かを愛する事は、とても希少で幸福な事でしょう。私は、そう。幸福なのです。だから、もう私は十分に幸福だから、命を懸ける事に躊躇いはありません」


 少しでも生き長らえる事ほど、幸福な事が私には分からない。しかし、私には彼女の語る愛も分からない。それならば、私が知らないだけで、もしかすると本当に生きる事よりも愛の方が、価値があるのかもしれない。そう考えて、すぐに頭の中で否定する。心を塗りつぶすほどのこの死への真っ暗な恐怖を、覆すものなどありはしない。―――――そうだろう?


 口の中がからからに乾いていた。すみません変な事を、とまるで恥じらうように口にして薬草摘みを再開したユノへ、私は呆然と口を開いた。


「………君は、ヘリオドールを愛しているから、死すらも怖くはないと言うのか?」


 その瞬間、魔族である私が対応できないほどの早さでユノがこちらを振り返った。目をまん丸と見開き、真っ白になっていた顔は、一瞬にして首や耳まで真っ赤に染まった。


「なっなっな、何故!彼だと!」


 乱暴に、ユノに両腕を掴まれる。その反動で、せっかく摘んだ薬草が地面に散らばってしまった。いつも丁寧な所作の彼女にしては随分乱暴だった。


「先日ヘリオドールから彼が元勇者候補で、幼い君を助け起こした事があると聞いたから、てっきりそうだと思ったのだが、違うのか?」

「そんっ、えっ、えっ、あの………絶対、絶対言わないで下さいね!」


 顔を真っ赤にしたままのユノは、そのまま必死の形相で私に訴えた。顔に熱が集まっている為か目は潤み、今にも泣き出してしまいそうだと思った。


「知られてそう困るような………」

「困ります!すごく困ります!お願いです!どうかどうかどうか、あの方には……!」


 言わないでと言う割に否定はしないので、どうやら私の推測が当たっているらしい。まるで懇願するように、私の肩を掴んでいた彼女の両手が私の両手を握り込む。


「一方的に、想っているだけで良いのです。けして、ご迷惑はお掛けしたくありません」


 その声さえ震えているようだった。彼女に感謝すらしている様子だったヘリオドールは、今の話を聞かされたところで邪険にするとは思えなかったが、あまりにも必死にユノが縋ってくるので勢いに呑まれて頷いた。

 顔は赤いままだが、ユノはそれでようやく安心したようで、私から手を離し、大きな溜息をつく。


「すみません、勝手に喋っておいてこんなお願いをして……」

「それは別に構わないが」


 ユノは俯いたまま、のろのろと薬草摘みを再開する。始めは緩慢だった動作も徐々に手早くなり、必要な分の薬草を確保すると、皆が待っている野営地へと戻った。









 ユノの想いの丈を聞いて、初めて気付いた事がある。ユノとヘリオドールは、彼が女性の尻を追いかけて彼女がそれを咎めるとき以外では、滅多に二人で会話をする事がない。どうもお互い嫌い合っている訳ではないようなのに、お互いに避けているのだと思っていた。

 しかし、よくよく観察してみれば、二人はお互いにけして目を合わせないよう、遠くから相手を見つめている事がある。例えば誰かと会話する横顔を、例えば空を見上げる後ろ姿を、例えば食事をする手の動きを。じっと見つめ、相手に気付かれる前に目を逸らしている。


 そのときの表情がまた、独特だった。普段の微笑みや明朗な表情は立ち消え、ただぼうと見詰め、それからまるで眩しそうに目を細める。それだけの変化であるのに、目を細めるその顔が、他のどんな表情よりも感情的だと思った。


 その、感情こそが、ユノの語った愛なのだろうか。これまで見たことのないその表情は、もしかしたら、これまで知る事の無かったその感情が当てはまるのかもしれない。

 その表情を見ていると、無性に胸がざわついた。とても不安定な気持ちにさせられた。まるでとんでもない過ちを犯し、その対処の方法が分からずに途方に暮れるような心持ちだった。


「ヴィオラ様」


 そんなとき、決まってレドが私に声を掛ける。彼に表情があったなら、きっと笑っているのだろうと思った。


「なんて顔をしているのですか」


 軽い調子のレドの言葉に、私は答えない。自分が今、どんな表情をしているかなんて、想像するだけで恐ろしかった。



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