人の意味
旅は変わりなく進んだ。まるで、何事も無かったかのように。相変わらずフラムとリアは騒がしく、ヘリオドールは女性を見掛けてはその尻を追い、ユノは手酷い仕打ちでそんな彼を止めた。何かと賑やかな一行を、アルバは保護者然とした様子で見守っている。
皆の気持ちとして、何よりもまずリアに根を張る植物を枯らせたい、という思いがあった。しかし、今のまま魔界に乗り込んだところで、その為の植物を手に入れることも出来ずに全員の命が絶えてしまう事だろう。まず、陛下に対抗できるように強くならなければならない。その為、聖剣の鞘を手にする必要がある。なかなか見つからない最後の石を探し求め、それらしき噂話を集めては一つずつ調査している段階だ。
「ヴィオラ様、顔色が優れないようですが」
野営をして朝を迎えれば、陰鬱な無表情をしているレドが、私の顔を覗き込んで話しかけて来た。相変わらず、驚くほど朝陽の似合わない男である。野営の際は交代で起きて火と獣に対する見張り番をしているが、私と同じく当番ではなかった癖に、レドの方こそ顔色が悪いように思えた。彼の場合はその状態が常ではあるが。
「………あまりよく、眠れなかっただけだ」
「ほう………」
正直に答えれば、何故かレドは自身の顎を指でさすり、目を細めた。
「それはもしや、遠回しに添い寝を希望……」
「してない」
「ははは、御遠慮なさらず」
無表情のまま笑い声を立てるという器用なことをやってのけたレドに、うんざりした気分になる。もういっそ放って無視しておこうかと思ったが、他の者がそれを許してくれなかった。
「わー!レドやらしいんだ!」
「何をおっしゃいますか、リアさん。ヴィオラ様の御身を心配すればこそです」
「いーや、今のは下心があった。仕方ない、真心しかない俺が代わりに添い寝を………」
「まあ。ヘリオドール様ったらご冗談がお上手」
「ヘリオドールってどうして懲りないんだろうね」
「………そういう性分なのだろう」
アルバまでこの騒がしいだけの会話に加わっている。睡眠の足らない身体に、その賑やかさは随分と頭に響いた。眉を顰めた私に気付いたのか気付いていないのか、歩み寄って来たリアが彼女らしい屈託のない笑顔で私を見上げる。
「でもいいなあ、一緒に寝るの。楽しそう!今度宿が取れたときは一緒に寝ようね、ヴィオラ!」
リアはまるで決まりきった事であるかのようにそう告げた。邪気はないが、少々強引だった。
「狭いだけだろう」
「そんな事無いよ!くっついてれば平気平気」
何故か得意気にリアが笑う。彼女はいつも笑っていた。出会った頃から、命を脅かされている今でさえ。私にはそれが、不気味で、気持ち悪くて、恐ろしい。どうして、彼女は笑えるのだろう。恐怖に怯えることなく、まるでそんな事実はなかったかのように振る舞えるのだろう。彼女は、死んでしまっても構わないのだろうか。
近くの町に辿りつき、いつものように買い出しを済ませばあとは自由時間となる。フラムとリアはいつものように面白いものを見付けたといって遊びに出掛け、知り合いがいるという教会に挨拶へ向かったユノ、それを良い事に羽を伸ばそうとヘリオドールは町中へ向かう。宿で読書をしていると言うアルバに断り、私はレドを伴って町中を散歩する事にした。
「レド」
「何でしょう、ヴィオラ様」
喧騒で声が掻き消えてしまうかもしれない、と思いながら彼の名を呼んだが、しっかりと届いていたらしい。彼からすぐに返事が上がる。
私は一度口ごもったが、思案した後に結局口を開いた。
「人は、死を恐れないのか」
恐れる生き物だと思っていた。魔族は闘う事に執着し、人は生に執着する。だからこそ、私は変わっていると揶揄されてきた。それなのに、リアを見ているとまるでそうは見えない。リアだけではない。彼ら全員だ。彼らは、揃いも揃って余りにも容易く命を賭ける。
「ヴィオラ様。意味が、人には必要なのです」
私には、彼らの事が理解出来なかった。それは私が魔族で、彼らが人間だからだろうか。しかし、例えばフラムは明るいけれど案外涙もろく、逆にリアは涙もろいが芯は強い。アルバは大柄な割に細やかな性格をしており、ヘリオドールは軽薄なようでいて周囲をよく見ている。清楚な印象のユノは、案外感情的だ。そういうことは、私にも分かる。ただ、彼らが死を恐れないその気持ちだけが、どうしようもなく理解出来なかった。
そんな私に、レドが語る。
「それがあれば、生きる理由になります。そして、その死に意味があるならば、笑って死ぬことも出来るでしょう」
意味。死ぬ意味とはなんだ。死んだらそれでおしまいじゃないか。一体その先に何が待ち受けていると、有り得ない夢を見ているのだろう。死の先なんて何もない。惨めで救いのない終わりだけだ。
「馬鹿馬鹿しい」
いつものように、人間の感傷を切り捨てようとしてそう口にした。馬鹿馬鹿しい。気持ち悪い。だからもう考えたくない。この不快感も、今の会話も全て振り払おうとして、ふと気付いた。
私が足を止めれば、斜め後ろを歩いていたレドも同じく立ち止まる。彼を見上げれば、じっと見つめ返された。
「おまえにも、意味があるのか」
あのとき、レドは『死んだ方がましだ』と言った。初めて出会ったときだ。父も母ももういないから、と。何故両親が生死の理由になるのか、私には分からなかった。けれど、どうやら当時の彼は本気でそれを望んでいたように思う。
そんなレドが、結局今、死なずに生きている。
「ヴィオラ様、俺は人間ではありませんよ。ただ、昔は確かに人間でした。そして、人間だった頃の俺は、こう思ったのです」
レドが語る。愛想笑い一つ浮かべられずに愛玩動物を自称する彼が。
「ヴィオラ様には、俺が必要だと」
それは、随分と覚えのない理由だった。彼を拾ったのはわずかな好奇心と気紛れだった。特別必要だと、繋ぎとめたつもりは毛頭ない。死んだら死んだで構わなかった。少し、片づけが面倒くさいと、そう思うだけで終わった事だろう。
「自惚れるな」
「ええ、自惚れてはおりませんよ。俺の願望と、ただの自負です」
勝手なレドの言葉に、私は耳を塞ぐような気持ちで歩みを再開した。
その、夜の事だ。リアが本当に私のベッドに入り込んで来た。夜も深まり、誰もが寝静まった時間だ。同じ部屋で眠るユノを気遣い、リアが小さな声で未だ寝付けなかった私に気付き、囁きかける。
「眠れないの。ね、ヴィオラ。一人で起きてるの寂しいし、一緒に寝ようよ」
口にするのは誘いの言葉だが、基本的に遠慮の欠片もないリアは私の了承を得る前にこちらのベッドに入り込んで来る。
「私は寝るぞ」
「うんうん。大丈夫。私も頑張って寝るし」
けして乗り気ではない様子を感じ取ってはいるだろうが、リアは笑って流すと私にしがみ付いて、ふふふ、と小さく笑い声を漏らした。
「誰かと一緒に寝るのって久しぶり。小さい時に両親と寝た以来だなあ。人肌って、何だか安心するよね」
リアは当たり前の事のようにそう口にした。私はそれに返事をしかねて口を噤む。私は両親と寝た経験などなく、誰かの体温に安心すると思った事はない。レドくらいならば何も思わないかもしれないが、それ以外の他者の温度など、寝首をかかれないかと不安に駆られるだけだ。
そう、考えて、目を閉じて眠ろうとするリアの温度を感じて、とても恐ろしい事に気付いた。
何も感じなかった。リアにベッドに入り込まれても、恐ろしいとも思わなければ、何の警戒心も浮かばなかった。このままそれに気付かず眠り、もしもリアに私への害意があったとすれば、私はあっさりと殺されてしまったことだろう。そんな重要な事に気付かなかった自分に、また一段と衝撃を受けた。
おかしい。何だこれは。私が、おかしい。こんなのは、私じゃない。
心臓が早鐘を打つ。驚きと、怯えが同時に襲ってきて、今夜もあまり眠れそうになかった。




