彼が愛せないもの
「すっごーい!雪が私の背よりも積もってる!」
「こら、引っ張るなリア!」
「皆さん、走っては転んでしまいますよっ」
「はっは。これだからお子ちゃまどもはっ!?」
「よっし、当たりー!」
「おまえ表でろフラム!」
リアに手を引かれて、真っ白な北方の町へ足を踏み入れる。心配そうにユノは私達の後を追い、その後ろではフラムがヘリオドールに雪玉をぶつけ、本気の追いかけっこが始まろうとしていた。更にその後ろでは、若いっていいですなあ、とレドがアルバに話し掛け、アルバはおまえも若いはずだろう、と言いたげな表情をしているものの、否定する事無く曖昧な相槌を打っていた。
四人とも王都の育ちで、見渡す限りの雪景色というものは初めて目にするらしい。その中でも、ほとんど王都から出た事がないと語っていたリアとフラムのはしゃぎようはすごかった。
ヘリオドールから逃げるフラムが、私達の横をすり抜けていく。ヘリオドールもその後を追おうと駆け出したところで、ユノが足を滑らせた。
「きゃっ」
思わず私も手を差し伸べ掛けたが、それよりも早く、ユノが転ぶ前にヘリオドールの腕が彼女を受け止めた。手を繋いだリアから、安堵の溜息を感じられる。
「あっ………すみません」
「いや、別にいい」
ユノは俯いて顔を背けたまま謝罪を口にし、ヘリオドールも素っ気無くそう応えると、すぐに彼女から離れて再びフラムを追い掛ける。私はその様子に強い違和感を覚えた。ユノはとても礼儀正しい女性だ。神官として、上等な教育を受けて来たのだと思う。そんな彼女が、転びそうになったところを助けてくれた相手へ向けるには、あまりにも礼を欠いた態度だと思った。
あの二人はいつもそうだった。遠慮のない態度を向けるのは、ヘリオドールが女性に対して鼻の下を伸ばしているときくらいで、それ以外はいつも一定の距離を取っている。必要以上に会話をする事もなく。
立ち寄った町からまだ北上していく予定だが、ここより北は更に寒さが増して行くらしい。今の装備では寒さが堪えるだろう、という事で、防寒機能の高いローブやマントを購入する為に、レドとリアと装備品屋に立ち寄ることになった。
そこで物色をしながら、リアに話し掛ける。
「ユノとヘリオドールは仲が悪い訳じゃないのか?」
旅に慣れているアルバは旅向きの食料を厳選しに向かい、フラムはそれに着いて行った。ユノだけは、この町の神殿の司祭と既知の間柄であり、挨拶に行くと言って別行動をしている。そんな中で、ヘリオドールだけが気付けば姿を消していた。どうやらサボりらしい。
フラムとリアはずるーい!と声を上げて怒り、アルバは呆れて溜息を吐いていた。しかし、誰よりも厳しく怒るだろう、と思っていたユノは困ったように微笑むばかりで、むしろ他の面々を宥めていたくらいだ。普段とは随分違う態度に、少し驚いた。
私の発言を耳に入れたリアとレドは、二人並んでくるりとこちらに顔を向ける。
「え、ヴィオラ本気?私でも分かるよ?」
「リアさん、ヴィオラ様にその点を期待してはいけませんよ。何しろこんなに愛くるしいペットを邪険に出来る方なのですから」
「そっか、そうだよねえ、レドも切ない想いをしてるんだね」
よしよし、とリアがレドの頭を撫でようとするが、全く届きそうになかった為にレドが屈んでようやくリアの手が彼の頭に届いた。仲が良いのは結構だが、それよりも早く私の質問に分かりやすい返答が欲しいと思う。
「ユノはね、もっと昔に一回だけヘリオドールに会った事があったんだって」
「昔と言うと、旅を始める前か?」
「うん」
一つ、女性物のローブを手に取り、リアは着丈を確認する為に私の前に当てる。そのローブは私にしては少し短かったが、私よりも少し背の低いリアにはちょうど良さそうだった。
「昔のヘリオドールはね、すっごく真面目な人だったみたい。あんまり様子が違うから、戸惑ってるって言ってたかな」
今度は大きめの男性もののマントを手に取り、リアはレドの背に当てる。それはレドには少し丈が長く、アルバにはちょうど良い長さとなるだろう。
「だから少しだけ、接し方に迷ってるみたい。ヘリオドールも、ユノが嫌いとかではないよ」
「何故言いきれるんだ」
「えー?ヴィオラにはちょっと難しいかなあ?」
ニヤニヤ、とリアが珍しく意地悪そうに笑う。別に物凄く興味があった訳ではないが、そういう態度を取られると無性に気になるというか、腹立たしい。
何とか吐かせようと試みたが、結局見ていたら分かるよ、と言う彼女が口を割る事はなかった。
「あ、やべっ」
買い物を済ませて宿に戻れば、食料を調達し終えたアルバとフラムと鉢合わせた。そのままアルバは部屋で休むと宿に入ったが、体力の有り余っているフラムとリアは雪で遊ぼうと言って広場の方へ出掛けて行った。私とレドも誘われはしたが、私が断ればレドもそれに従う。さすがに雪遊びに興じれるような精神構造をしていない。
それでも、夕飯の時間まで暇なのでレドを連れて町中を散策していれば、町の外れの丘の上で、ヘリオドールを見付けた。皆が買い出しに行く中、一人姿を眩ませてサボったヘリオドールだった。
「良い御身分だな」
「それほどでもあるな。何たって俺はお貴族様だからな」
良い御身分ってのは間違ってない、とヘリオドールは斜に構えた調子で応える。彼はいつもこうだった。女性を口説こうとしているとき以外は、大抵捻くれている。
「フラムとリアに謝っておけよ。あの調子だと、宿に戻った途端に雪玉をぶつけられるぞ」
「げっ…あいつら加減を知らないんだよ……」
雪深い丘の上でヘリオドールはうんざりしたように肩を竦めた。丘の上からは町の様子が一望できるが、雪深いこの土地では真っ白な大地の中に、ぽつぽつと灯が灯っている事しか伺えない。寒さと雪で、目の前まで白く暗く感じられた。一段と風も冷たく、辺りに人気はない。また、女性でも口説きに行っているのかと思えば、ずっとこんな所にいたのだろうか。
「そっちはデートか?俺より余程良い御身分じゃないか」
「ほう……そう見えますか?これはヴィオラ様、彼のイメージを真実にして差し上げる必要が…」
「ないな」
「ははは、大丈夫です。大丈夫大丈夫。大丈夫です。はっはっは」
「何がだ!?」
無表情のまま笑い声を上げるという器用な真似をされ、思わず声を上げる。大丈夫、という言葉を繰り返すだけで、こうも不安にさせられるとは思わなかった。レドは本当に、ふざけた事ばかり言う暇があるなら、さっさと表情筋を探してくれば良いのに。
「仲が良さそうで何より。俺はそろそろ宿に戻るよ」
「こんなところで何をしてたんだ?」
「んー…?」
ユノの事を尋ねてみようかとも思ったが、それよりも先に彼が買い出しをサボってまで何をしていたのかが気になった。彼は軽薄な態度が常だが、これまで特別買い出しをサボった事はなかった。丘を下ろうと歩き始めていたヘリオドールが振り返る。整った顔でにっこりと微笑んだ彼は、そのまま舌を出した。
「呪ってた」
予想外な言葉に何を、と私が問い掛けるよりも早く、ヘリオドールは人の営みを示す明かりを指差して嗤った。
「あの光と同じ数の人間が息をしてるんだぜ?ぞっとするな。なあ、ヴィオラ、人間は好きか?」
「………好きでも嫌いでもないな」
私にとって人間は、魔王陛下に逆らい、魔族に楯付く愚かで脆弱な生き物だった。その刃が私にまで届く事さえなければ、私にとって至極どうでもいい存在だった。
「俺は大嫌いだ」
今、まさに、人間を救う為に陛下の討伐を志す、勇者一行の台詞とは思えなかった。いつも女性の尻ばかり追いかけ、年下のフラムと言い合っては笑っているヘリオドールが、蔑むような目でそう語る。
リアが言っていた。ヘリオドールは昔、とても真面目な人間だったと。今の彼は、そういう風にも見えなければ、いつもの彼と同じようにも見えなかった。
「利己的で、自分勝手。勝手に他人に期待しては、裏切られたと詰る。そんな奴ら、どうして愛せるというんだよ」
「人は、他人への奉仕を尊ぶ生き物では………」
「違うな。他人へ奉仕出来なかった者を罵る生き物さ」
眉を寄せ、嘲笑を浮かべながら、そうヘリオドールは語った。そこで、ふと私は先程から彼に『ヴィオラ』と呼び捨てにされている事に気付く。彼はいつも軽薄な笑顔で『ヴィオラちゃん』と私の事を呼んでいた。なるほど、これまでのあの態度は、全てこの本心を隠す為のものだったのかと悟る。
「その癖、子を売る親など五万といるし、意味もなく他人を貶め、蹂躙し、踏みにじる。知ってるか?生命活動以外の理由で、己の欲求だけで相手を殺すのは人間と魔族だけだ。殺し合いはお互い様の癖に、清廉なフリして魔族の非道を責め立てる。虫唾が走るな」
「ヘリオドール」
彼の、剥き出しのまま叩き付けるような感情に息を呑めば、私の耳をレドの両手が覆い隠す。そして、彼の名前を呼んでレドはその言葉を遮った。
「そのくらいにして頂けますか。これ以上ヴィオラ様の耳を汚さないで頂きたい。素直な方には、悪影響です」
レドにそう言われると、ヘリオドールは喋り過ぎた、とでも言うようにはっとしてすぐに一度唇を引き結んだ。そして、苦笑して自身の頭を掻く。
「悪かった。変な話を聞かせたな」
「いや、別に構わんが………」
そう答えながらも、ヘリオドールの言葉を受け止めて、どうしても気に掛かった事があった。それをこの場で問うべきか少し思い悩んだものの、いつまでも人の耳に添えるレドの手のひらを振り払い、結局問い掛ける事にした。
「ヘリオドールは何故、人が嫌いなのに、人を救う為に旅をしているんだ」
「そこ聞いちゃうか。やめてくれよ、癇癪ぶつけて、今すっげえ恥ずかしいんだから」
片手で自身の目元を覆い、そうは言ったもののヘリオドールは口を噤む事無く、言葉を続けた。どうやら、私の疑問に答えてくれる気はあるらしい。
「頭では分かってるんだ。良い奴もいれば悪い奴もいる。それが人間だって。それにこんな俺でも、好きだと思える奴はいる」
そう言って、ヘリオドールは笑った。日が傾きかけ、雪の深いこの土地ではすでに辺りは薄暗く、向かって立つ彼の顔はよく見えない。それでも、何となく笑っているのだろうと思った。見たこともないような、晴れやかな顔で。
「そいつらが憎い事に揃って人間だった。理由なんざ、それで十分だろ?」
それじゃあ俺は先に戻るぜ、と一言告げてヘリオドールは私達に背を向ける。どうして、それで十分なのか、よく分からない。けれどそれを追い掛けて問い詰めたところで、それ以上の答えが返って来ないことだけは何となく理解出来た。




