大人の手
聖剣の鞘への鍵となる赤い石は、大陸の西方に隠されていた。目の前が眩むほどの熱気を放つ溶岩地帯の真っ只中に、それを守る聖獣が住んでいる。火属性の魔法を放つ聖獣の破壊力はこれまでで飛び抜けており、何度もユノに回復魔法を掛けてもらう事で、ようやく聖獣を倒す事ができた。
しかし、聖獣を倒したところで、完全に勇者一行の憂いが晴れる事はない。石を手に入れた事にはフラムとリアが飛び跳ねて喜んでいたが、溶岩地帯の最奥まで足を踏み入れたということは、当然帰りもまた、溶岩地帯を通らなければならない。出現する魔物の倒し方も心得ているので、行きよりは容易い道のりだろうが、それでも人間から気力を奪うには十分な熱さだった。
溶岩地帯を抜けた頃には、すっかり全員がばててしまい、その場にへたり込んでしまう。私は魔族である分熱さにも寒さにも耐性があるが、人間にはさぞ堪えた事だろう。痛みなど、感覚が鈍い分、レドはまだ平気そうな顔をしているが、それでも身体の水分は抜けているはずなので、いつも青い顔が心なしか更に青く見えた。
「ヴィオラ」
そんな中で、唯一まだ元気そうな顔をしたアルバが私の名前を読んだ。旅慣れしているらしい彼は、ああした極端な気温の場所にも慣れているのかもしれない。
「少し動けるか?」
「ああ、大丈夫だ」
そう答えれば、アルバにいくつかの手拭いと革袋を渡される。
「少し行った先に泉があるはずだ。手拭いを濡らして、水を汲んで来ようと思う。手伝ってくれないか?」
「そうだな。分かった」
全員、水分を必要としていることは明白だが、とても自ら汲みに行けそうになかった。まだ体力の残っている私達二人で行く方が効率的だろう。
手拭いと革袋を受け取って立ち上がろうとすれば、レドが座り込んだまま挙手をした。
「ヴィオラ様、お供致しましょう」
「いらん、身体を休めておけ」
「なんと酷い…!ヴィオラ様は俺を捨ておくと言うのですね?」
わざとらしく傷付いたフリをして、口元を隠すレドに呆れて溜息を吐く。
「わああレド可哀想ー!」
「置いてかれちゃうなんて寂しいよ!」
「あーあ、見ろよ。レド泣いてるぜ」
「…………それだけ元気があるなら全員自分で汲みに行けるな?」
「嘘です。冗談です。よろしくお願いします」
フラムとリアとヘリオドールが調子に乗って囃し立てたが、革袋を突き付ければ素直に頭を下げてきた。面倒なふざけ方をするが、分かりやすい奴らである。ユノとアルバは呆れたように苦笑している。
いざというとき、近付いてくる魔物を退ける程度の体力は残っていることを確認し、私はアルバに案内されて泉へと向かった。
「君は大丈夫か?」
泉まで辿り着くと、そうアルバに声を掛けられた。私は胸元に手を入れ、ペンダントの形をした紫色の石を彼に見せる。
「この石の力が、私を守ってくれている。両親の形見だ」
「………そうか。確かに、魔力を感じるな」
実際は、私が今平然としていられるのは私が人間では無く、魔族だからに他ならない。この石はこういうときに誤魔化しが利くように、とあらかじめ自分の魔力を込めて用意しておいたものだ。当然、両親の形見でも無い。レドから、そう言っておけば深くは追求されないだろう、と教えられていたので、そのようにしただけだ。
革袋に水を汲んでいくアルバに倣い、私も同じように水を汲む。手拭いは汗を拭いて体温を下げる為のもののようだったので、固く絞った。
溶岩地帯を抜ければ、途端に緑の多い山道となる。この泉も木々や草花に囲まれており、どことなく穏やかな空気を感じさせる。思えば、こんなに静かな時間は久しぶりだった。いつも人懐っこいリアに何かと手を引かれているので、少しの間とはいえ、この静けさが珍しかった。
「疲れたか?」
知らず溜息を吐けば、アルバにそう問い掛けられた。すぐに否定の気持ちを込めて首を横に振ったが、彼はそれでもまだ、物言いたげに私を見下ろしている。
「君はあまり、人と騒いだりする子ではないようだ」
「まあ、そうだな」
これまで生きてきて、誰がいつどうやって私に危害を加えようとするか、警戒してもし足りなかった。だから、私は他者との関わりは可能な限り避けていたし、業務連絡以外の会話はレド以外とではほとんどした事もない。
「リアやフラムは元気が良過ぎると言って良い。君にとって負担になってはいないかと、そうだな。その………少し、心配している」
アルバは忙しなく水を汲み、手拭いを絞りながら、少し躊躇いがちに口にした。屈強な印象のこの壮年の男は、無口な気質で一行の会話に積極的に加わる事もない。端から見ていて、いかにも保護者という印象を受けた。そんな彼と、こうして二人で会話をすることは、思えば初めてのことだった。
「二人とも、悪い子じゃない。むしろ、素直過ぎるというか………」
「別に、負担になど感じていない」
確かに二人は騒がしく、それにヘリオドールまで乗っかればうるさい事この上ないが、その騒がしさは、それほど嫌悪の対象にはならなかった。彼らの言葉はあまりに正直で、明け透けで、分かりやすく、私を陥れようとしているのでは、と疑う必要がなかった。それは私にとって何よりも重要な事だ。
「………そうか、それならいい」
ちょうど全ての手拭いを絞り、水を汲み終えれば、アルバは納得したようにそう呟いた。それらを両手に提げて立ち上がると、彼は黙って私と向き合う。
すると、右手を持ち上げ、その手のひらが私に向かって伸ばされた。相手は人間であるとはいえ、わずかばかりの恐怖と警戒心を抱く。
「何かあれば、頼りなさい」
しかし、私のそんな警戒は杞憂であったようで、彼の大きな手のひらは私の頭にぽん、と軽く乗せられた。何をされたのかと一瞬身体が強張ったが、すぐに思い至る。リアやフラムのように、どうやらアルバに頭を撫でられてしまったらしい。
私は人間からすれば、十代の小娘に見えるそうなので、アルバからすれば、私もまた、頭を撫でる対象である子どもに見えているのだろう。実際は私の方が倍以上年上だとは思うが。
「皆が待っている。早く戻ろう」
そう言ってアルバは背を向けて歩き始める。私は、その背を追いながら彼の手のひらの感触を思い返していた。
高い位置から迫ってくる手のひらは、恐怖を抱くに値する。しかし、実際に触れられてしまえば、最大限の気を使っているのだろう、と分かるほどささやかな感触で、不快感を抱くには至らなかった。人は、余りにも容易く他者に触れる。
それは、ただ違和感として私の中に残った。




