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終末黙示録のディストピア  作者: 綾埼空
Märchen Liebe
6/12

愛憎表現、あるいは神をも略奪せし男

 軋む音は不快だ。

 安っぽい木の寝台は、少し体重をかけるだけで耳をつんざくように高い音で鳴く。

 画一化が生む理想的な社会(ユートピア)の影に蠢く人の醜悪さ。何度繰り返そうと湧き出る瑕疵。

 砕かれた骨にでっぷりとした腹を押し付けられ、苦痛に喘ぐ。

 眼前で湿った笑いを漏らす醜男(しこお)は、嗜虐の果てに欲望を吐き出した。

 行為を終え、荒れた息の中でその男は決まってその言葉を口にする。


「愛しているよ」



   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 りヒトは意識の浮上を自覚した。いつの間にかに眠っていたらしい。

(……嫌な夢を見たな)

 遠い男娼時代の記憶。娼館があった地下街と同じ臭いをスラムから感じて喚起させられたのか。

 もたげる倦怠感に顔をしかめながら起き上がる。岩肌には少年の形に汗が染み付いていた。

 下腹部の腫れは治まっていた。乾燥して張り付く感触が気持ち悪い。

「起きたわね」

 どこからともなくイリスの声が耳に届いた。

 音源に向けば、宿に置いてきた二人の姿が。

「……よくわかったな」

「何も考えずまっすぐに進んでたならここに行き当たっただけよ。それにしても」

 イリスが目くばせをする。その先には、茫洋と虚空を見つめるユーべルが。

「不思議なものね。寝ていた時はペタペタとあなたにさわっていたのに、今は上の空よ」

 それに、はあ、と気の抜けた返事を漏らす。

 さわられる理由に見当がつかないし、そもそも実感に乏しい。

 よくわからないことは、意識の端にもかからない。

 考えるべきは、先々のことだ。

 視線を二枚壁へと向ける。

「それで、どうやってあそこまでいくんだ? さすがに正面切って行くわけにもいかないだろ」

 イリスも同じ方向に目を向けた。少年のちぐはぐな感情の変移は認識しつつも、意識を割くことはしなかった。

「どこまで聞いてたかはわからないけど、わたしにはまだ、喇叭吹きの天使としての権能がわずかながらに残っているの」

「そこまでは聞いてなかったな」

「……ちなみに、どこまで聞いてたの」

「獣がどうのこうのってところまでだ。気になること聞けたから寝た」

「それ以降が私の理由だったんだけども……」

 言いつつも、彼女は胸をなでおろした。

「で、どうするんだ。このまま乗り込むのか?」

「そうね……と言いたいところだけど、先に宿へ戻りましょう。ひどい汗よ」

「そんな時間あるのか?」

「わたしがここにいるから大丈夫よ」

 意味の理解できない言い回しに首をひねるが、イリスは答えない。意図的に、だろう。

 だからといってわざわざ聞きさがることもしない。少年からしたら見ず知らずの男の命などどうでもよい。

 三人は宿へ歩を向けた。

 その道中、イリスにはどうしても問わねばならないことがあった。

 ユーベルへ窺う視線を向ける。

「本当に彼女も一緒に連れていくの?」

「当たり前だろ」

「けどわたしの目的は彼を取り戻すことで、最悪は天使たちと戦闘になりかねない。その時なんの力も持たない彼女が最前線にいることは、彼女の命を最も脅かすことになるわよ」

「安全な場所なんてどこにもない。あの箱庭でだってユーは……だから、だからこそ連れ出してきたし、伸ばした手を取ってもらった以上、おれにはユーを守る責任がある」

「責任……そう」

 その言葉を出されれば、イリスに返せる言葉はない。

 宿に戻り、リヒトは浴場へ向かう。瓶に貯められた水は澄んでいた。

 汗と土ぼこりを流し終わり、やはり清潔な布で体をぬぐう。

 服にそでを通し、気づく。いつもより滑らかに入っていくことに。

 染みついたものはともかく、この短時間でべたべたとした汚れが洗い取られていた。

「少しはましになったわね」

 外で合流したイリスからの言である。

「さて、行きましょうか」

 宿は引き払った。この場所へ戻ってくることはないであろう。

 イリスが空間を掻く。今、自分の在る箇所が不明瞭となり、そして開ける。

 黄金の稲穂が香るあでやかな光景が広がり――背筋に冷や汗が伝う。

「……人間二人、か」

 いっそ無機質な声が、空から。

「腹の中を出入りする異物の存在に気づけないわけがないだろう。追わずとも釣果は得られると確信していたが――ここまでずさんだとは思いもしなかったよ、スミルナ」

 仰ぎ見れば、黒と青の異形が三人を出迎えていた。

「さあ来てもらうぞスミルナ。あの男の人質として、お前の生に意義を与えてやろう」

「お、前っ!!」

 言うも遅く、青の天使直々に組み敷かれる。

 できるのは、血走った眼でイリスを睨みつけるのみ。

 彼女もまた、隣で黒の天使に抑えつけられていた。

 伏し目で糾弾から目をそらす。口がわずかに動いた。

「黙っててごめん。けど、これも狙いのうちなの」

 声音は小さくとも、そこには諦めを感じさせぬ力強さがあった。

 その真意を問いただそうと口を開き、そこから放たれる音は最優先事項によって塗り替えられた。

「そっちの女も抵抗はやめておけよ。じゃなきゃ」

「ユーに手を出すな!!」

「っ!? 動くな!!」

 複腕がユーべルの細首に伸び、爆発させようとした力は発露されることなく霧散する。

「この子供二人はどうする?」

「投獄しておけ。時間があれば処分する。今はあの男から喇叭を吐き出させるのが優先だ」

「じゃあ、この狂暴そうな子供から入れてくる」

 ユーべルを人質に取られた以上、リヒトに抗う余地はない。

 尖塔の内部にある上下のらせん階段。地下へリヒトは運ばれていく。

 道は長く、光源は遠くなるばかり。下りきった後も長い廊下を進んだ。

 肌に触れる空気から開けた場所に出たのを感じる。

 どことも知れぬ場所に投げ捨てられる。鈍い音が目の前で響いた。

 瞳孔がわずかな薄光を頼りに視界を確保する。

 粗雑な監獄であった。宮殿の豪奢な造りとは打って変わり、岩肌がむき出しな場所だ。敷居となる鉄柵だけがやけに堅牢そう。――もちろん、リヒトには関係ないが。

 耳を澄ませる、足跡が遠くなっていくことを確認し、柵をぐにゃりとねじ切った。

 急がなくてはならない。どうにかユーべルだけでも連れ出して逃げださねば、

「誰か来たのか?」

 隣の牢獄から声がした。とてもじゃないが聞きずらい、ひび割れた男の声が。

「おーい……あれ、俺ちゃんと声出てる?」

 リヒトは警戒を露わに無言を貫く。

 男は勘違いをそのままに発声練習などを始めた。

「あーあー……よし。悪いな、ちょっとばかし浮き足立っちまったんだ。こんな場所に他人が来るのは初めてだったしな。俺はヘルトっていうんだ」

 ヘルト。その名に少年は聞き覚えがあった。

「お前、あの女の」

「その声、男か。……そうか……イリスを、知ってるんだな……」

 恐る恐るといった風な確認に、リヒトは肯定を言葉にした。

「……そうか、本当に……」

 震えた声であった。しかしそれは涙とは縁遠く、今にも吹き出しそうな感情をどうにか噛みしめているかのようであった。

 音源の箇所をのぞき込む。

 悲惨であった。色の違いまでは視認できない。それでも、失われた腕や眼球、深々と刻まれた裂傷が苛烈な経緯を想起させた。ねじ折られた足は、逃亡防止のためか。


「お前、それでよく生きてるな……」

「まあわりと痛い目に合ったが、どうにかこうにかって感じだ。俺が音を上げないことに効率の悪さを感じたんだろうよ。早々にイリスの奴を釣り上げる方に変えて、俺は冷たい牢獄で放置さ」

 だからどうにか狂わずに済んだ、と笑った。乾燥した唇が裂ける。

「いちち……で、イリスの奴は?」

「……捕らえられた。一番大きな建物にいる奴らに」

「そーかい」

 どこかのんきな口ぶりだ。それに若干のいら立ちを得ながら、少年ははヘルトの牢獄もこじ開けた。

「ほら、行くぞ。早くしないと」

 開いた道。伸ばした手を、しかし男は取らなかった。

 代わりに、眉をひそめる気配が。

「うーん……お前はなにをそんなに焦ってるんだ?」

「……おれが好きな女も捕まってるんだ」

「そうか。お前はそれを願ったのか……」

 それは、ヘルトが諦めた道。それを選び、貫く者の存在に何を思ったか。リヒトには理解できない。

「なら、やっぱり機を待つべきだ。焦りすぎてもいいことはないぞ」

「おれには戦える力がある。だから、助けに行く」

「その柵を無理やりねじ切ったようにか?」

「そうだ」

「……偉そうなことを言うつもりはないけどよ、あまりに強大な力は親しい奴も……愛する奴も傷つけちまう」

 リヒトは言葉に詰まった。それは、すでに身をもって理解していた。だが、力を伴わない方法は、リヒトから選択肢を奪い去る。

「別に助けに行くなって言ってるわけじゃないんだ。焦れば仕損じる。ちゃんと自分が目指している場所に向かえているのか確認しないと……取り返しのつかないことになるぞ」

「でも、間に合わなかったらどうする!」

「間に合わせるんだよ。誰かを助けたいなら、それくらいはやり通せ」

 駄々をこねてるだけ(、、)では意味はない、と男は言う。

「つっても今は、向こうからやってくるだろうけどな」

 噂をすれば、と言えばいいのか。

 爪を石畳にはじく甲高い音が遠くから聞こえてきた。

 その歩行は早く、急速に音は近づいてきた。

 炯々とした眼が闇に浮かび上がる。

 逆立つ毛が特徴的な二足歩行の獣。それは宿屋の受付をしていたのと同じ種類だった。

 向こうがこちらの状況に対応する前に終わらせなければ。低く腰を落として飛びかかろうとしたまさにそのとき、

「おいおい少年、そんな殺気立つなって。もう終わってる(、、、、、、、)

 活力のある声が背後から響いた。

 振り返ると、ヘルトが自分の足で檻の外へ出ていた。

 右目と左腕が、獣のものへと変化している。

 打って変わり先程までいたはずの人狼が足音すらなく姿を消していた。

 これが〝簒奪〟の力。生の所有権すら盗む無慈悲なまでのチートである。

「食いもんすらまともな方法で持ってこなかった天使さまがここにきて失敗する、か……」

 その独白は、どこかきな臭いものを感じさせた。しかし、

「んじゃあまあ、囚われのお姫様を救いに行きますかね」

 こきこき、と骨の鳴る音がする。ヘルトが久しぶりに動かす筋肉をほぐしていた。

 予想以上に衰えていたのか。顔をしかめつつ準備運動を終えた男は、上を指差した。

「真正面からじゃ奴らとぶつかる。奇襲かけるぞ」

 その意図を察し、リヒトは拳を握りしめる。

 跳躍。持ち上がる力を拳に乗せ、天井を吹き飛ばす。

 少年はそのまま破砕面を掴み体を持ち上げて地上に。

 ヘルトも、床を一蹴りしただけで外の世界へ脱出した。

 二つの外壁の狭間にある空間のただ中に二人は居た。

 一面の荒野。草木の生えぬ荒れ地に、しかし生がうごめいていた。

 その様子にヘルトは辟易としたため息を漏らす。

「そりゃそうだ。試練なしに突破できるほど都合はよくないわな」

 宮殿を囲う壁の前に構えるゴブリンとスケルトンの混淆部隊。空一面を埋め尽くすワイバーンが暗い影を落とす。

「どっちにしてもやることは変わらない」

 リヒトはぎゅっと拳を握る。

 ヘルトが肩を抑えた。今、まさに飛び出しそうとした少年の気概がまたもやくじかれる。

「まあ待て少年。はやる気持ちはわかるけど、君にはやってもらわなきゃいけないことがあるから待機だ」

「あ? なんだよ、それ」

「さっきの話したことは覚えてるな。なら、見てればわかるさ」

 それにな、と男は敵を見据えながら呟く。

「一年ぶりの再会なんだ。格好ぐらいつけさせてくれや」

「知るか。そんなのお前の都合だろ」

「お前のお姫様もきちんと見つけ出すさ。そんで、隙を見て掻っ攫え。人の花を持っていくほど俺もがめつくはないからな」

 スケルトンが弓に矢をつがえた。短剣を握るゴブリンが波のように押し寄せる。亜種たるワイバーンを従え、純粋種のドラゴンが一体、ちり芥に人がするのと同じ目で泰然と外壁の上に構えた。

 極限まで引き絞り、矢が放たれる。無数の矢は前線を駆けるゴブリンの頭上を越え、二人めがけて降り注ぐ。

 ――突如、それらは消失した。

 リヒトは隣に立つ男を見る。不遜で不敵。襲い来る化け物など敵でない。そう笑みを浮かべる男の姿を。

「んじゃあ、何もかも盗み取ってやるよ!」

 男は走り出す。

 逡巡したリヒトの手は伸ばされることなく、吹きすさぶ風のように進む男とゴブリンの群は衝突した。

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