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共存虚栄、あるいは刻まれる終末世界の黙示録

 チート能力者たちによる自由と願いをかけたバトルロワイヤル。勝者となったのは、〝名無し〟のリヒト。大穴も大穴。賭け狂い(ギャンブルジャンキー)以外は誰も一銭たりと入れていないような少年が勝利した。それは平均的にと管理された人間世界に、一時的にも貧富の差を生むことになる。

 執務室の作業机上の小型モニターで観戦していたオプファは、その事態に思うことを呟いた。

「ディストピアを壊す希望リヒト)、か」

 椅子を回して腰を上げる。男には、勝者を迎える義務がある。

 扉を開け、横に控えた秘書に「腕を」と一言命じ、白い廊下を突き進む。

 くつくつ、くつくつ。そう、嗤いながら。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 少年が意識を取り戻したのは、熱を感じたからであった。

 薄っすらと開けた視界はぼんやりとした白の天井を映す。

 倦怠感がまとわりついて、胡乱な頭は思考力が鈍い。

 怠さを吐き出すように長い息を吐いた。幾分ましになる。

 明瞭になった瞳が身体中に通る管を映し、ここが医務室だと知る。力を込めなければ彼の身体は常人のそれと何ら変わらない。

 左腕に通る透明の管を右手で抜く。そこで右腕があることに気付いた。

 開閉してみると感覚の鈍い腕だった。

「義手だよ。安心したまえ」

 矯めつ眇めつをしていたら前方から聞き覚えのある胸糞悪い声。

 上体を起こし、その男を睨みつける。

「オプファ」

「おはよう」

 最悪だった。気を失っていただけにしても、この男の前で明確な隙を見せていたことという事実に胸やけがしそうだった。

 扉の横で丸椅子に座っていたオプファは、向けられた侮蔑の目を笑って受け流す。

「それで、その右腕はどうだい? 人工筋肉に人工骨、人工血管、人工神経、人工皮膚。コスト度外視な人工物のオンパレードなわけだが」

「……感覚が若干鈍い」

「それくらいならば、じきに馴染むだろう」

 さて、と立ち上がり、男は手を伸ばす。

「願いを叶えてあげよう、勇気あるものよ」

 少年はベッドから降り、その横を抜ける。

「誰がお前を殺すことなんか望むか。自惚れるなよ」

「……そりゃあ残念」

 肩を竦め、手を引っ込める。その手を引いて、脳や心臓を殴り飛ばせと言うことだったのだ。

 どうせオプファの遊戯だ。それがわかったから、不快げに鼻を鳴らす。

 男がドアの取っ手に手をかけ、横に引いた。

「じゃあ行こうか、外の世界に。途中であの子も待っている」

 研究煉を抜け、警備隊の区画に隣接する管理棟。オプファの執務室に着く。

「ここでユ……彼女は待ってるよ。私は廊下で待ってるから、これからのことをじっくりと話してくるといい」

 睨みつける気にもならないほど嫌味な男だった。

 或いは、この先に救われ、守りたいと思った少女がいるから、そんな些末なことに心がなびかなくなっているのかもしれない。

 扉に手をかける。白の風景から一転、木を中心とした部屋の光景が飛び込んできた。

 書籍の棚がびっちりと並び、机の上には重ねられた書類の山。

 それでもリヒトの瞳には――

 足の長い執務机。付随する椅子の上だ。

 襟足に向かって緩やかに波打つ白髪を躍らせる少女が、ユーベルが無表情でくるくると回っていた。

 リヒトの入室に正面でピタリ、と止まり首を傾げる。

「ユー……」

 ぼんやりとした少年の呟きに、少女は半眼となってさらに首を傾げた。

 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。

 覚えられていない。

 その事実に、心が、逃げたがる。

 一歩、無意識に下がっているのに気がついてリヒトは思考を切り替える。

(今逃げて、どうするんだよ!)

 上手く呼吸ができない。空気が解けた鉛にでもなってしまったのかというほどドロドロとしたものに感じられた。

 永劫にも感じられる時間。リヒトにとって、あの戦いよりはるかな恐怖を感じながらユーベルの行動を待った。

 実際は、数秒の間で。一つ、音があった。

「……ぁ」

 それは言葉とも取れない空気を吐き出した音。『胎』に言葉は必要ないと、彼女たちは言語を教えられていない。

 それでも、気付きの反応というのは単純で。

 少女は机の上に這い、紙の束を蹴っ飛ばして少年の下に駆け寄った。

 ユーベルは、自分のためにリヒトが命を懸けたのを知らない。彼はそれを秘密にする。

 だから彼女の行為は、見知った顔に出逢ったもの。

 それでリヒトはよかった。涙が出そうにすらなる。

 一直線に歩み寄った少女は少年の前で止まり、頬に触れた。

 年齢は二つ違い、男女の差が明確となる年頃の彼らには大きな違いを生む

 背丈などはその最たるもので。ぐっと背伸びをして小さな手を当ててきた。温かなものが宿る。

 ただ、触れるだけ。その行為にリヒトは救われた。

 だから、どう言おうか、言葉にすることは無意味ではないのかとずっと自問していたが、そんなものは弾け飛んだ。

 言葉にする。思いを、世に刻む。

 逃げずに、まずはそこから始めよう。

「ねえ、ユー。ぼくと一緒に来てくれないかい?」

 もちろん、その言葉の意味が通じるわけもなくて、ユーベルはまた首を傾げた。

 赤い瞳は少年を見据える。

 理解されない一方通行の思い。だけど、そこから逃げないと彼は決めた。

 リヒトもまた、少女を見返す。

 感情のない瞳。

 ユーベルは差し出した手を降ろした。その後には何もない。

「そっか……」

 共に、外の世界へは行けない。

 それだけだ。

 願えば、『胎』としての使命からは解放してもらえるだろう。

 仮にも多くの強敵を撃ち破って得た一位の座。それが暴れたら、被害は甚大だ。

 だから、願いが破られることはない。

 元々は、それが望みなのだ。

 我が儘が叶わなかった。本懐は叶った。

(じゃあ、いい)

 身を翻す。

「じゃあね、ユー」

 いつもと同じ別れの挨拶。

 違うのは、二度と会えないことだけ。

 さようなら、と心の中で呟いて、ドアノブに手をかけた。

 扉を開き、前に進む。

 だが、

「ん」

 と、またしても音があって。

 後ろから服をつままれた。

「ユー?」

 一歩進んでみた。

 つまんだまま、一歩進む。

「?」

 今度はリヒトが首をひねった。

「鈍いねえ」

 横から、声。

「彼女には言葉が通じないけど、彼女にだって意思はある。それが、やりたいことなんだよ」

「……じゃあ」

 エゴによる希望的観測じゃなくて。

「君の願いは聞き届けた。二人で外の世界へ行くといい」

 オプファは、愉しそうに嗤った。




 管理棟東館。渦巻く内側へ進み、幾つかの分岐点を経て下りとなった道を速足になって抜けて再び外側へ直線に向かった先。厳重なセキュリティーが目に見えるだけでも無数にある扉の前に出た。

 オプファがロックを解除して、その先の道が姿を現す。

 暗灯の光が呼応しており、等間隔に継ぎ目がある無機質な廊下が見れた。

「さあ、行こうか」

 先導するオプファの後に、リヒトと彼の服をつまんでついて行くユーベルは歩を進める。

 変化のない通路だ。ただ、真っ直ぐに続いている。

 三人分の足音だけが残響する中で、不意にオプファが口を開いた。

「なあリヒト君、お話しないかい」

「あ? 嫌だよ。大体、人の名前を気安く呼ぶな」

「おいおい、君の名前も、彼女の名前だって本来は私がつけてやったんだ。それに、源氏名に戻るのは嫌だろ」

 リヒトは不快感と怒気を混じらせ顔を歪めた。

「……おれはいい。だけど、ユーと呼ぶことは許さない」

「ありがとう。ついでにお話も許してはくれないかな」

「んでてめえと話さなきゃいけねえんだよ」

「君はどうにも、外の世界に出る、と言うことに意味を求めてないように見えるからね」

「……」

「だんまりか。じゃあいいよ。私の独り言として聞き流してくれ」

 オプファの声を除いてしまえば、あるのは足音すら響く静寂だ。嫌でも耳に届く。

「ねえ、チート能力者って何だと思う?」

 問いかけだった。無視する。答えを知るわけもない。

 構わず、男は独りで続ける。

「遺伝子的にも体質的にもなんら普通の人間と変わらない私たちが、何故物理法則や既存の物質からかけ離れた力を有しているのか、考えたことはないかい?」

 あるわけなかった。

 生まれた時からあるものだ。脳みそがあることを考えないのと同じだ。

 何故、そのような力が宿ってしまったのかと思ったことはあったが。それは過去の話だ。

「とある神話がある。『第二の聖母』の逸話だよ。誰も彼もがお伽噺だと笑ってるけどね、残念ながらあれは事実なんだ」

 そこまで言って、オプファの足が止まる。

 話半分、右耳から入る音を脳で理解して左耳から流す程度で聞いていた故、突き当りの存在は既に目に入っていた。

「ほら、着いたよ」

 上へと伸びる梯子。昇る男の後に続き、

「……」

 後ろのユーベルを抱きかかえ、腹筋と体幹を軸に右腕を支えにして上へと進む。ひんやりとした手触りとつん、とした臭いから鉄だと予測する。

 先にぐいぐいと昇り切ったオプファの元から、金属音。扉の錠を解除した音のようで、光が差し込んだ。――いや、それは落ちているだけ、と言う形容が正しいか。

 曇天の空。今にもこぼれそうなほど重く、鈍く広がっている。

 出入り口の円形の穴から這い出て、その世界を見渡す。

 鈍色で固められた厚ぼったい雲がどこまでも続いている。風化した砂礫の白砂が地面一杯に広がっており、遮蔽物はなく全体を見渡せた。

 背後には、白い絵の具を塗りたくった色のドーム状の建設物がその様相をむき出しにしている。全体の姿が視界に収められないほどの大きさだ。

「これが私たちの住む箱庭だよ」

 男が言った。瞬間だった。

 ——ギャアアァァァァアァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!

 重低音の叫び声が、空から。辺り一帯に影が落ちる。

 視線を走らせる。

 奇妙な姿の生物が、リヒトたちに向かい頭から空を疾走していた。

 大きく平べったい羽。蜥蜴のような頭から尾の先までを光沢のある鱗で覆われた巨大な生物。

「ワイバーンか」

 オプファの囁きが間に合ったかどうか。

 その生物は、リヒトの眼前まで顔が寄ったところで上体を起こし、鋭利な爪の輝く四本の指を対の手で計八本として突き立てた。

「ッ!!」

 ユーベルを抱えたまま手と手の間に右身で走らせ、鱗のない腹へ拳を突き立てる。

 衝撃が伝播し、皮を破らぬまま中で臓物を破裂させた。

 血の混じった泡を吹き、落ちるワイバーン。

 横で、空虚な拍手の音が響いた。

「お見事。ま、この程度で死なれる程度じゃ、どうしようもないんだけどね」

「なんだよ、これ」

「ようやく対話してくれる気になったかい?」

「……話を聞く。それだけだ」

 それでいい、とオプファは笑った。

「男性のチート能力者たちは『第二の聖母』の像を見て精通する。それはね、私たちの中に流れる力の根源が覚えているからなんだ。『原初の魔物』が『聖母』に感じたものを、私たちは追体験している。君はどうにか抗っているようだけど、ね」

 男娼として乱暴され続け、最悪を想起することしかできないはずなのに、あの石造を見るたびにぐわんと頭が浮つく感覚を得ていた。

 性の欲求。

 それが、内側に眠る本能として訴えかけてきたのか。

「『原初の魔物』の血脈。それが私たちの力の根源で、共通するものさ」

 化け物の血。化け物の力。

 それが、人の身を超えた力の正体だとオプファは言った。

「力についてはわかった。それが本当とかはどうでもいい。でも、この世界はなんだ!?」

「あの神話には続きがある。『原初の魔物』の怒りは収まった。だが、他の魔物たちが現れたことで状況は変わったんだ。『次元の裂け目』と呼ばれる、空間が砕けたような穴が各地に生まれた。そこから色々な異形がうじゃうじゃと溢れ出して、ニンゲンを滅ぼし始めた。保有する兵器もその多くは効果がなく、人類はその数を多く減らしたようだよ。巨大殲滅兵器は、代償が大きすぎるからね」

 世界は、人類は滅びの一途をたどり――今。

 人間は生きている。それは、

「そんな時だ、対抗手段が見つかった」

「チート能力者……」

「ご明察。数は少なくとも個人で殲滅兵器級の力を保有する私たちのご先祖様の登場だ。彼らに守られながら、残った人類は一か所に固まって自らを隠した。それがこの箱庭さ」

 男は背後にそびえる巨大な建築物を指差した。

「知ってるのか、人間は。だって……」

 もし攻め込んで来たら、真っ先に被害を受けるのは外側にいる普通の人々だ。

 あの欲深く、浅ましい人種がそれを許容しているとは思えなかった。

 オプファは、その考えを肯定した。

「知るわけないよ。ニンゲンはね、忘却が得意なんだ。思想の画一化の中で淘汰され、擦り切れた。ただ外に出てはいけないという話だけがあり、それに従って日々を安寧に暮らしている。ただの肉壁とも知らず、アホ面を晒しながらね」

 冷笑を携え、男は確定事項のように告げる。

「数が多いだけが取り柄の普通の人間が、私たちチート能力者より優れているわけがないだろ?」

 もしもの際。

 有事に対応する時間稼ぎのための肉壁。オプファはそう切り捨てた。

「だが愚かなニンゲンは、数が多いからこそ私たちのようなチート能力者を管理、量産することを画策した。それが内側に囲った『揺りかご』社会であり『胎』」

「……どうやってだよ。普通の人間は魔物とかいうやつらに追い詰められていたんだろ? それを斃したチート能力者たちに普通の人間がどうやって勝ったんだよ」

「人の常識から外れた化け物を狩ることはできずとも、化け物じみた人間を追い込むだけなら卑小なニンゲンにも叶うんだよ。毒も薬も使いようさ。狡猾な蟲は数だけは多い。チート能力者だって万に囲われれば一の刃くらいは食らうさ。その刃が致命的過ぎた」

 男の言葉に少年は犬歯を剥いて叫んだ。

「だったら、今は、今はもう、数だっているだろう! 『胎』なんてくそったれな制度、廃止しろよ!!」

「それでなんになる。世界はこんなありさまだ。時が経ち過ぎた。そこのワイバーンですらあいつらにとっては使い捨ての、吐き捨てるほど数のいる斥候に過ぎないんだろうよ。一番多く観測されてきた。抜本的な解決が見えなければ、私たちに本当の自由はないんだ。ならば、『胎』により一人でも多くの優秀な能力者を量産し、この世界から奴らを消し去る手立てを掴み取る可能性を探し続けるしかない」

 リヒトはそれに反論することはできない。それでも、その言葉が刺さることはなかった。

 睨みつける少年に苦笑しつつ、男は広大な大地に目を向ける。

「私たちがあのトーナメントを開いているのはね、力あるものを測るためなんだ。自由を餌に、最も強き者を選出してこの終わった世界を変える方法を探してきてもらうために」

「終わった……世界」

「そうだ。私たちはこの世界をこう呼んでいる」

 大仰に腕を広げ、白髪を揺らす。赤目が歪む。

「終末黙示録のディストピア、と」

 人類史は終わりという断頭台に手首をかけている。

 化け物が跳梁跋扈するさまは、黙示録の一説がごとし。

 そして、それらにより人類は閉鎖社会ディストピアに追い込まれている。

「さあ、説明は終わったよ。自由を謳歌するといい、この終わった世界でね」

 笑う、嗤う。だけど、細められた瞳は無味乾燥しているのをリヒトは見逃さない。

「ついでに、このディストピアを終わらせてくれ、リヒト君」

 オプファは元の道を戻る。二人を拒絶する金属音が響いた。

 砂交じりの乾いた風がリヒトの頬を撫でた。

 腕の中でユーベルが身じろぎをして、身体が固まっていたことに気付く。

 ほんの僅か、本当に僅かだけ、リヒト自身が意識していない程度の力が入っていた。

 だがそれは、この白い少女を傷つけるには十分なものだ。

 純白の色に暗がりへ沈んだ心が晴れるのを感じながら、リヒトはユーベルを引きはがした。

 代わりに今まで彼が歩んできた人生で二番目の、ユーベルと共に歩みたいと告白した時に次ぐ勇気を抱えて、手を伸ばした。

 純粋の無垢なる少女は、差し伸べられた手を取った。

(今は……自己満足かもしれないけれど)

 真っ白な彼女の本心は窺い知れない。それでも、手の平に宿る熱だけは本物だ。

「行こうか、ユー」

 終わりの世界。一歩、歩みだした。




 ――少年少女の冒険は、まだ始まったばかりである。

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