終焉闘争、あるいはこの世界への否定の叫び
予選を勝ち抜いた三ブロック上位各二名が決まってから一週間の時が経った。
その七日間は主に舞台の調整のために費やされる。
今回は例年とは異なることがあり、志望者リストが確認された時点から準備されていたのだが、だいぶん急ごしらえのフィールドが用意された。
能力を持たない人間が住まう空間とチート能力者が管理される空間は、空を模した天蓋に囲まれたドームの中に存在している。人間は自主的に内側にこもり最低限の衣食住と金銭、そして自身より力のあるものを差別することで自尊心を満たせる理想的な社会を形成しているのだ。
オプファの率いるチート能力者制圧部隊、通称警備隊の本部兼研究所は二つの空間を隔てる壁として存在しており、隣接するチート能力者たちの生活空間も比較的外側にあるということになる。
彼らへ与えられた空間の中心部には、巨峰が聳え立つ樹海が広がっている。一年周期で行われる殺し合いの戦場は、そこであった。
数多の血を吸い上げ、最期のひとりになるまで出ることの許されない蟲毒の坩堝。
それも今回で廃棄になるであろうと噂されていた。
今年はユウマが参加しているからだ。
彼の保有するチート能力の中には、歴代最高峰の破壊力と謳われるエクスカリバーがある。
能力を持たない人間の一部が裏で行っている賭けの倍率も青年は二倍に満たない。彼らにとって各所に設置されたカメラにより中継される殺し合いは、画面の向こうのエンターテインメントでしかないのだ。
カメラが研究煉の屋上を映す。世界を隔てる壁のひとつに人影があった。
火蓋を切るべく、その男は語りだす。白い髪を流麗にたなびかせ、大衆の沸き立つ血を体現したような赤い目を光らせて。
『六人のチート能力者による殺し合い。対価は命。報酬は個人の自由と願い。
前提条件は理解されたか? ならば、始めよう』
そう言って、チート能力者たちを管理する箱庭世界の統率者オプファは静かに笑った。
鬱蒼と生い茂る木々は、天蓋から降り注ぐ人口の太陽光を遮る。足下は湿った苔で滑りやすい。
リヒトは淡々と自身を環境になじませていった。少年の服装は変わらず動きにくそうな貫頭衣。
バラバラに配置された六人は、お互いの場所を知るすべはない。保有する能力も、自分自身の情報網が頼りだ。
少年は辺りを警戒しながら情報を脳内で列挙していく。
自分の他に本選へ出場したのは、誰もがその能力を畏怖されつけられた名が有名な人物ばかりであった。
〝鎌首〟。
〝逆さ吊り〟。
〝雨ざらし〟。
〝断頭者〟。
〝主人公〟ユウマ。
うち、後ろの二名の能力が割れている。
〝断頭者〟は反乱を起こしたチート能力者を断罪する警備隊お抱えの処刑人である。その能力は、自身が持つ刃に触れた者の首を刎ねるというもの。たとえ切っ先が指先に当たろうとも、問答無用で首が飛ぶ。
そして〝主人公〟だが、これは本人がダーインスレイヴとエクスカリバーを隠そうとしていないことから皆が認識しているのだ。分かっているからこそ、簡単に手出しができない相手でもある。
リヒトがつけ入ることができる部分があるとすれば、能力を示唆する名がないこと。交戦すればわかるだろうが、強大な力を持つものほどそれが能力の本質だとは思えないだろう。
拳をぎゅっと握りしめ、歩き出す。
——上から空気を切る音。攻撃は、上空から来た。
「っ!!」
弾丸の雨。
リヒトは顔を俯かせ露わになる後頭部を両手で守った。全身に降りかかる弾丸は少年の身体に弾かれてあらゆるところにはじけ飛ぶ。
「〝雨ざらし〟か」
どこから打ち込んできたのか。音も臭いもしない。
(いや、そういう能力か)
リヒトが予選で戦った相手の一人に似た能力者がいた。上目で空を窺う。
どこにも狙撃手の姿はない。
リヒトは防御を解いて、地面に拳を振り下ろした。
大地がささくれ立ち、湿った土が跳ね上がる。遅れて地殻が揺れ、小規模の地震が起きる。
リヒトはすぐに視線を巡らせた。のたくりながら再生する木々や地面を含めて異常は見受けられない。ここにある環境は、壊しても損傷個所を埋め合わせて元の姿に戻る。その個体が途絶えることを許されぬかのように。
(迷彩でもない。透明化なら後ろからゼロ距離で脳をぶち抜けばいい。なら、遠方から?)
〝雨ざらし〟。雨と言う単語からあの量の弾丸だということは分かる。
(〝雨ざらし〟さらす……相手に気付かれないように? なら、遠くからの狙撃で確定か)
チート能力者に既存の物理法則は当てはまらない。ただ、その結果が経過を無視して実行される。
ましてやこの場にまで生き残った能力者だ。それくらいの規格外は許容の範囲内と考えるべきか。
「射線予想ができないのがやっかいだな」
ぼやくも、相手の能力の考察がでいたのは大きい。既存の武装がベースならば、相性はいい方だ。
ひとまずは無視しようと結論付け、敵を探す。先手さえ取れれば一撃で仕留められる。
だが、
「ヤあ」
かすれた男の声。森の奥、深淵の暗闇から浮き出てくる姿があった。
包帯でくるくる巻きにされた全身は、骨と皮だけで形成されているかのように薄っぺらい。落ちくぼんだ紫色の瞳と弧を描く青白く乾ききった唇だけが露出している。
「しネ」
顔だけが迫ってきた――否、それは錯覚だ。前傾姿勢で一跳びに迫ってきたときの関節駆動があまりに少なく、まるで顔だけが飛び出たかのように見えたのだ。
視界の外から右腕が横薙ぎに迫る。浅く曲げられた手指は鎌のよう。
上体を逸らして鎌から逃れ、後ろへ向けて足を蹴る。吹き飛んだ土が男の視界を覆った。
返す手で土塊を払い、小動物を思わせる俊敏さで近くの木に登って左腕を絡ませて後ろ向きに身体を支える。
左半身を斜めに逸らし、少年は睨み上げた。
「〝鎌首〟か」
「見りゃアわかルカ。〝名無し〟、些か派手すぎるゼ。スグにわかっタ」
〝名無し〟。この男はリヒトの能力を知らない。
「〝雨ざらし〟ノ奴ノ能力は、遠隔かラの大量射撃かそうカ。オマエの所にも来たってことは、全域にマイたのかネェ」
リヒトの出した答えをすぐに看破した〝鎌首〟。しかし追加の情報を得られた。
話しながらも、お互いにじりじりと距離を測る。その脳内にあるのは、お互いの能力に関する思案だ。
(〝鎌首〟。鎌。あの手の形が関係しているのか? 切断能力……なんにしても、触らない方がいいな)
足場を消し飛ばし跳躍。消え去ったと思われた次の瞬間、〝鎌首〟の右の木を足場に止まる。クッションとした膝を伸ばして身を滑空させながら溜めこまれたエネルギーを身体の中軸に持ち上げ腰の捻りで伝導。拳に乗せ打ち出す。
〝鎌首〟は左手を鎌の形にして木に振るう。瞬き一つの間もなく、まるでコマ落ちしたかのように木が枯れ折れ、重さの方向に従って男は後ろに。
拳が大きく音を立てて空気を割く。
〝鎌首〟は両手で木の幹を掴み、振り子の要領で自身を前方に発射。すれ違いざまに脇腹を抉る軌道で左の鎌が迫る。
リヒトは拳が持つ勢いで下半身を持ち上げ、空を切らそうとする。〝鎌首〟は腕を返しその動きに追随した。
その肘に対して軽打を打ち落とす。速度に重きを置いた一撃でも、リヒトのそれは人間をも爆散させる威力を誇る。
〝鎌首〟の腕は骨肉の千切れる音を立てて失われた。
さらに衝撃は男の身体を巻き込んで墜落させる。
自由落下の途中で中ほどから上が消えた枯れ木を蹴り砕き、加速を乗せた追撃。
突き立てた拳。しかし感触が軽い。舞い散る砂塵は真っ白。
身体がどんどん地面に飲み込まれていく。目を凝らせば、その一か所だけ土が風化していた。
地面がさらさらと砂時計のようにこぼれていく。もがけばもがくほど砂は絡みつく。伸ばす手も掴む地面が遠い。
「ふいィ」
少し離れた場所から男の声。地面から這い出て来ているところだった。
その声音からは腕を物理的な衝撃で失った痛みは感じられない。笑みがさらに深まっているくらいだ。
ケタケタと笑い声をあげて呑み込まれていく少年を見下ろす。
そして砂の拘束具に沈み切った少年の最期を一瞥し、次の戦場へ向かおうと身を翻す。――背後で、砂が爆散した。
砂吹雪の中、その中核にはリヒトの姿が。
「驚イた。どウいう能力シテんだ」
目を細めながら踵を返す。
「オレのチカらハばレちゃったカね」
「手を鎌の形にしたときのみ、触れた対象を殺す」
「ゴメイトウ」
男は右手とぐちゃぐちゃの傷跡を晒す肘を打ち合わせて気味の悪い拍手を送る。びちゃびちゃと耳障りの悪い音がする。
「刈り取リ、取リ除くチカラってわケさ。オマエの能力は何ダ? 自分のカラダを流動性の金属にカえルのカ?」
「言うわけないだろ」
リヒトはじっと敵を観察する。左腕を失った今、〝鎌首〟の軸は右にずれている。
(ま、だからこそ注意はしてるだろうけど)
左腕を振るって砂煙を吹き飛ばし、突撃。
右足で踏み込み牽制として左を大きく振り切る。跳んで躱す〝鎌首〟。
右側に振れた力を流して軸足で踏み切りながら回転。そのまま男の右半身に左の回し蹴りを鋭く斬り込む。
〝鎌首〟は右半身を斜めに逸らし、一撃を回避。リヒトはまたも勢いを生かして右斜めの軌道から縦に旋廻。右の踵を脳天に落とす。
それを予期していた男は、左足を横薙ぎにして少年の足をしなりを以て刈る。鎌のような形で。
「……ッ!!」
不味い。本能が警鐘を鳴らす。
膝を折り畳んで腿の裏に踵落としの衝撃を打ち当てる。きりもみしながら後方へ回避。地面でワンバウンドし、未だ死なぬ勢いを手足を使って地面を掴むことで殺す。
揺れる視界を戻して〝鎌首〟に焦点を合わせる。
「あれヲ見てカら躱スとは、いイ判断能力ト反射神経をシてるナ。……いンや今ノ……見てかラでも追いつける肉体をしていルのか」
言外であの足の一撃も死をもたらすものだと告げつつ、男は何かに気づいたように裂けた口角を吊り上げた。
「イやいヤ……けどなァ……ハハッ、そウかよ! しょッパいナぁ。たダの筋力。それガお前の能力か」
リヒトは表情一つ変えず何も答えない。だが、〝鎌首〟は自らの疑念が正しいと確信していた。
「サて、ネタがばれチまった以上は勝ちの目がないナ。身体能力勝負にナったら、誰も–—いンや、ユウマとかいウ餓鬼がいたか。まア、少ナくとも俺ハお前に勝てなイ」
そう言いながらも男は構えを解かない。右足を柄として二枚の刃を支える。
この戦いに棄権はないからだ。ルールではない。自らの命を捨ててでも叶えたい願いがある者のみがこの戦いに集う。参加した以上、生きるか死ぬかの二択だ。
「なア〝名無し〟、冥土の土産に教えてくレよ。お前、何のたメに戦っていル?」
リヒトは言葉を濁そうと考えた。
だが、スッと〝鎌首〟は初めて笑みを消した。
それを見て、込められた覚悟の重さを察し押し切られる。
「……救いたい女がいる」
「野暮な質問だっタか」
「……あんたは、なんで」
「聞くなヨ。野暮ダぜ」
リヒトは視線を固定したまま立ち上がった。腰は落したまま、右手と左足を引いて突き出す左の拳で距離を測る。呼吸とまばたきで攻め時を計る。
少年は男へ、背負う者をも見据えて告げる。
「行くぞ〝鎌首〟」
「ハッ、良いゼ。来イよ〝名無し〟」
リヒトは握りしめた右の拳を、地面に突き立てた。彼を中心に辺り一帯が捲れ上がる。
衝撃に呑み込まれた男は草や土と共に浮かび上がった。
少年は後ろ足で蹴り上げ反転。先程防がれたのと同じ、脳天へ踵を落としにかかる。
待つのは死の鎌。右の手が外から内に刈り込む。
だが、空中で振り落されるはずの足が止まった。そのまま両足を折りたたんで上体を持ち上げる。返す刀の鎌を右手で弾き飛ばし、振り上げる二つの刃は折り畳んだ足を槍のように伸ばして膝の皿を砕いて折る。
最後に残ったのは、少年の左拳。胸骨に心臓をぶち抜く。
勝敗は決した。
崩壊した地面に〝鎌首〟は叩きつけられる。
死闘を制したリヒトがその亡骸を見やることはない。次の敵への警戒をしなければならないから。
リヒトが着地した瞬間、巨峰の左半分が音もなく消し飛んだ。
巨峰の麓。鉛玉の雨が降り注いだ直後に、煌く剣の一閃で一つの勝負の幕が下りた。
「なん……で、ここ、が」
腹部を切り裂かれ、腸がはみ出ている。だくだくと流れる血の海に自身を浸し霞んだ瞳で〝雨ざらし〟の女は下手人を見やった。
霊峰を背にした青年、〝主人公〟ユウマを。
「ん? ああ、これはあんまり目立つものではないですから」
青年はダーインスレイヴを握る右とは逆の手の指を二本立て、両の目の下に添えた。
「邪視眼。魔眼と呼ばれるものの一種ですね。僕に敵対する邪まなものを視ることができるんです。どんな距離でも、どんな速度でも」
ダーインスレイヴの刃に走る赤い線が血を求めて脈動する。剣先を空いた腹に突き刺した。
痛みを感じるには女性の意識は乖離しすぎていた。
「いやあ、貴女の能力はすごいですよ。弾丸の無限精製に対象が見えている必要もなくただ相手を狙うことができる不可視の射線。『胎』として消費するには惜しいからと、卵提供だけで済んだ稀有な例だという理由もわかります」
ユウマは刃を捻って剣を抜く。
「ただまあ、僕にも願いがあるのでこんなところで殺されるわけにはいかないんですよ」
女性はすでに息絶えていた。
「貴方もそうは思いませんか、〝断頭者〟」
ダーインスレイヴの腹を肩に乗せ、首だけ後ろに向ける。
そこに壮年の男が立っていた。両手に分厚い斧を構えている。
「警備隊お抱えの処刑人が参加とは、いったいどのような願いがあるのか興味がありますね」
「抵抗もしない同胞の首を刎ねるのに飽きてきただけだ。俺はもっと、血肉沸き立つ闘争がしたい」
「命を懸けた理由は、それだけですか?」
「ああ」
「くそ野郎ですね」
ユウマは男を唾棄するべき存在として、冷淡な侮蔑の眼差しを向けた。
「そこの女は『胎』の解放を掲げていたが、俺の正義はそんなものだ」
「ああ、そこの女性は僕と同じ願いを掲げていたのですか。それは惜しいことをした」
青年は本当に残念そうにうなだれた。
だがそれはそれ、とダーインスレイヴを消した。
「貴方みたいなのがいると、この世界に平和は訪れない。だから、願いを踏み潰して差し上げます」
「なにを」
「来な、エクスカリバー」
青年は身を翻し右腕を立てに振るった――瞬間、全てが消し飛んだ。
音はなく、男も、砂礫も、木々も、空気も、山の左半分も、全てが消え去った。
残心をとり、一息。
「甘いな坊ちゃん」
突如逆さ姿で背後に現れた道化姿の男がユウマに触れ、青年の心臓が破裂した。
地面が揺れる。活火山が蠢き出す。エクスカリバーの一撃により休眠していた山が目覚め、奥底に溜めこんだマグマを爆発させた。
灼熱の嵐が吹き荒れる。赤く輝くドロドロの溶岩が大地を巡り、火山石があられのように降り注ぐ。火山灰は世界を暗黒を落とそうと漂い、赤い風と混じり合って空を血色に染め上げていた。
終末を、黙示録の始まりを描いたが如き光景が広がる。
――そして、最後の戦いの時は刻一刻と迫っていた。
「〝逆さ吊り〟、か」
道化姿の男の頭が青年の足下に転がる。その顔は驚愕で固まっていた。
血を求めてダーインスレイヴが喚き立つ。
自分と〝逆さ吊り〟の血が混じった池に切っ先を刺し込みつつ、爆散した血液でべとべとになった上着を脱ぎ捨てる。
「すべてを逆さまにするチート、ね……血液を逆流させるとか、僕じゃなかったら即死だったろうに。ねえ、リヒト君」
「……」
巨峰の麓に少年は行き着いた。ゆるやかに流れるマグマの熱でここだけ干上がっていた。
ユウマは右手でダーインスレイヴの柄を握る。
交わすべき言葉はない。誰が火蓋を切るでもなく、向かい合う二人は動き出した。
リヒトが消える。あとに残るははじけ飛ぶ土。
ユウマが剣を振るう。あとに残るは黒の軌跡。
胴を狙った横薙ぎを上体を後ろに倒すことで潜り抜け、すれ違いざまに伸び切った腕を砕く。
「グ……」
苦悶に呻くユウマの背後で急停止。溜めこまれた勢いを反発させて肘鉄を後頭部に打ち込む。
その瞬間、ダーインスレイヴに走る赤の線が乖離し、びるびると蠢動してリヒトを拘束する。
引き千切って距離をとる。赤い筋から血が大量に噴出していた。
「無駄だよ」
ユウマは右手で剣を振るう。
「僕は死なない。だって、すぐに回復できるから」
ユウマが保有するチート能力は、四つある。
魔剣・ダーインスレイヴ。
邪視眼。
聖剣・エクスカリバー。
超回復。
たとえ心臓が破裂しようと、手足を砕こうと、瞬き一つの間に傷は回復してしまう。
「君の願いは大体想像できる。オプファ氏の娘さんを『胎』から救いたいんだろう? なら、安心してくれ。だって僕も同じ願いを――全『胎』の解放を願っているのだから!!」
「のたまうなよ、〝主人公〟」
気負いのない表情で語るユウマにリヒトは静かに猛る。
「てめえのそれは、だれかを助けるだけだ」
「はて? みんなを救うことの何が間違ってるのかな? それに、あれだけ僕によくしてくれた人たちを見捨てることはできないさ」
「それが一番のチート能力かもな」
きょとんと首を傾げる青年に少年は『何者にも好かれる性質』を思い出す。
「だけどな、それじゃあ駄目なんだ」
「否定は結構。だが、君は僕に勝てない」
「いいや、勝てるさ。今までおれが何回負けてきたと思っている」
予選が初めてじゃない。何度も何度も勝負を挑み、リヒトは負け続けてきた。
「だから、勝てる」
「よくわからないなあ。いいや、夢はここで終わらせてあげよう」
ダーインスレイヴから無数の赤い管が生える。今まで奪ってきた全ての血液が詰まった管が。
「さあ喰らえ、ダーインスレイヴ!」
波打って管が迫る。前後左右上下あらゆる方向から。
少年は駆けて躱す。追尾を掻い潜り、手足で潰して一瞬の停滞もないように流れる動作で応戦する。
血の津波が視界と足の動きを奪う。リヒトと言う血袋を求めてダーインスレイヴは喚き散らす。
「自然も僕に味方する」
言葉の意味は、肌身を以て理解している。焦げ付く感覚。マグマ溜まりがすぐそこまで迫ってきていた。
「邪魔ぁ、だァァァァァァァァ!!」
全体重を込めた拳を地面にぶっ放す。広範囲に蜘蛛の巣状のひびが入り、深淵を覗かせるまで地面が陥没した。
余りの速度で舞い散る砂は風圧で押し固められ、擬似的な弾丸と化して管を撃ち抜く。
溶岩はリヒトの空けた穴にこぼれていき、広範囲の掃射で管は全て消滅した。
マグマの輝きに血みどろの身体が照らされ、リヒトは仄かな赤の光を宿す。
ただの黒剣と化したダーインスレイヴを消し、ユウマは右手を振りかぶる。
「さあ来い、エクスカリバー!!」
何ものをも消滅させる剣が握られる。陽炎の如き揺らめきだけが存在を示す、絶対勝利が確約された聖剣。
少年は右半身を引き、腰を落とす。一定のリズムで大きく息を吸い込んでいく。掴まれた地面が耐え切れず、少しへこみ、ぎゅっと固まる。筋肉はばね、間接は溜め込んだ力を伝導させる滑車だ。
(あれを防げなきゃ、勝利はない!!)
――そして、振り下ろされる。
リヒトは、全身全霊を以て振り上げる。牙を剥いて歯を食いしばり、左足を軸に腰を、腕を捻り打ち出す拳。
エクスカリバーと、衝突する。
拮抗する二つの力に大地が耐え切れず、陥没していく。
「グ、グ、グゥアアアアァァァァ!!」
獣のような呻き声が喉から漏れる。
熱量に、皮が剥げる。斬れ味に、肉が削がれていく。重さに、骨が砕けた。
それでも、それでも、それでも――
「ッッッ!!」
少年は、振り抜いた。代償として右腕を蒸発させながら、リヒトの能力はユウマの能力に打ち勝った。
切断され生まれた真空。その空白を埋める空気のせめぎ合いで嵐が吹き荒れる。大地を抉り、巻き上げられたマグマが肌を焦がす。
明滅する意識に頬の裏を噛むことで活を入れ、駆け出した。
上手く走れずに足を絡ませながら崩落する大地をそれでも前へ。
ダーインスレイヴを握った右手を左の手刀で斬り落とす。
リヒトは荒れた息に言葉を混じらせる。
「何で回復できるのに、脳を守った」
「っ!!」
「それがお前の限界だよ」
何度も負けて、何度も確かめてきた。躱す必要のない、防ぐ必要のない一撃を脳の時だけは応対していたことを。
返す刀で左を斬り、復活した右を再び落とす。
「なんで!? 僕は、みんなを、守らなきゃ!!」
「そこがおれとお前の違いだ」
〝主人公〟に〝名無し〟の少年は叫ぶ。
「たった一人の女だけを守らないお前なんかに、おれは負けないっ!」
懐に踏み込み、握りしめた左の拳をユウマの顔へ。
今度は、捉えた。
頭蓋がひしゃげ、脳漿を散らす。体躯が衝撃に飲み込まれ吹き飛んでいった。
ユウマの行方は、霞む視界では見えない。
それでも、リヒトは。
チート能力者たちの自由と願いを賭けたバトルロワイヤル。その勝者たるリヒトは。
嵐の霧散する中で、高々と拳を突き上げた。