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少年少女、あるいは何処にもなき理想郷(上)

 終末の音色(アポカリプスサウンド)

 怨嗟に似た慟哭が世界に響き渡る。

「……うるさいな」

 それは音。

 旋律に満たない、単調な怨嗟の声。

 だから、世界には響かない。

 この音に恐怖を感じるのはきっと、恐怖を言葉にしてしまった人たちだ。

 現実をそう見ている。ならば、それがその人の映す真実なのだ。

 ゆえにリヒトは怯えない。

 少年の知る世界は、そのような形をしていないから。

 走り続ければすぐ、『箱庭』は間近に迫った。

 崩落の起点、ぽっかりと空いた穴へ身を投じる。

「あつ……」

 蒸された暑さがリヒトを出迎えた。

 傷口があぶられる。肉の焦げた臭いが充満していた。どこかでまだ火の手が上がっているようだ。

 呼吸をするたびに、ざらついた感触が喉にからむ。

 紅色の風景の正体は、蒸気などではなく、血に色づいた砂。

 血の沁み込んだ土が炎熱に乾かされ、砂となって舞い上がっているのだ。文字通りの血煙であった。

 そんな不明瞭な景色の中でも迷わずひた走る。どこまで行けばいいのか、いや、そもそもユーべルが『箱庭』の中にいるのかもわからないままに。

 だけども、迷いはない。焦りもない。

 人を裁く喇叭は七つまで吹き鳴らされてしまった。

 だが、それでも。

 第五の喇叭は吹き鳴らされず、ならば、人の願いは失意の底へは堕ちない。

 いつの間にかイリスの吹く喇叭の音がやんでいた。

 はたして、それが契機だったのか。

 世界が、剥がれ落ちた。

 風景をめくりあげたような不可思議な欠落。

 その向こうには、血の色と似て非なるあかのいろ。

 それは、『神罰』により欠落した世界のようで。

 違いがあるとすれば、強大な力の負荷で砕けるか、無そのものが侵食しているか。

 連鎖は終わらない。すべての存在が怨嗟の海へ飲み込まれていく。

 これが〈終末黙示録〉の見せる末期の風景。

 今と終わりの齟齬は徐々に均される。

 その隙間から声がした。

 延髄をとろかすように甘く、それでいて包み込む暖かさのある声音。

〝名乗る必要はある? 私の愛しい子供〟

「……アリア」

 声を聞いただけで、脳は律儀にも記憶の中からあの銅像を浮き彫りにしていた。

 『第二の聖母』。またの名を、アリア。

 リヒトは、彼女の正体を知らない。ユウマやイリスが視た黙示録を、彼は視ていない。

 だが、なんなのかはわかった。

 それは少年が〈人類免疫〉であるから。

 たとえ怨嗟の残滓でしかなくても、それがアリアとしての明瞭な意思を伴っていると判別できる。

 この現象の根底にあるのは、〈終末黙示録〉を形作るに至った感情である。あまりに強く深い思いが世界にべったりとこびりつき、今に確固とした存在を確立させている。

〝滅びは必定。ああ、なのに抗って……奇跡だって起きないのに〟

 リヒトは答えない。

 残響が今を得ても、結局は過去でしかないのだから。

〝無視をしないで。お話をしましょ。この世界では、言葉だけが意味のあるものなのよ。だって行動は無意味なんだもの〟

「言葉だけ……」

 遺物であろうとしかし、それは今に届く言葉。

 意思の伴う声は、リヒトの堅い口を開かせた。

「……なんでお前は、〈終末黙示録〉なんてものを願ったんだ」

 アリアの声に喜の感情が混じった。

〝そうね……あなたは生まれた赤ん坊が初めて上げる声を知っている?〟

「……ああ」

 リヒトの知るそれは、鬱屈とした地獄に響く呪いであった。

 こんな地獄に生まれたことを――そして路傍に捨て置かれ、朽ちるだけの運命を呪う声。

 騒がしいだけだった。なんの苦しみも知らない無垢な叫び。いら立つ娼婦は多くいた。

 だが誰も、その声を止めに行くことはしなかった。自由のあるなしではなく、そうしようとする意思がなかった。

 やがてその声は途絶える。多くは商館の主や興を削がれた客によるものであった。

 それを惜しむ感情が確かにあった。

 問われて、なぜと疑問が生じた。

〝生が生じること。それは祝福なのよ〟

「祝福……」

〝かつて私は九つの頭を持った龍の子を産んだ……いえ、正確には、黙示録の鍵を〟

「……」

〝けれど私に自由はなかった。化け物の子を孕んだと、人としての権利を奪われ、腹を裂かれた。だから、産んだという実感はない。なのに私は、産声を聞いた瞬間に涙した〟

「……」

〝その時からもう、私は私に降りかかるすべての不幸がどうでもよくなった。それで知ったの。生は生があることを祝福する。そこに理屈はない〟

「……」

〝その祝福こそが神の恩寵。……だから、神というものは存在しても、誰一人救いはしない〟

「……」

〝すべての生の結末は定められている。それは忘却することも、超克することも許されない呪い〟

「……」

〝生は死という終わりに向かって転げ落ちる。恩寵は、生まれ、産声を上げた瞬間には手放されるから〟

「……」

〝どんな幸福も刹那でしかなく、いずれ終わってしまう。幸福を知っても、不幸に抱かれる。なら、こんな世界に生まれ落ちたことが絶望じゃない〟

「……」

〝私は愛しているわ。私から生まれたすべての生を。だから選んだの。死という絶望から我が子を解放することを〟

「……」

〝神に与えられた終わりの権能を使い、私は願った。すべての生は死を定められている。ならば、それを是とする存在を、今に形あるものを無へと〟

 そして生まれたのが、〈終末黙示録〉。

 人類(こどもたち)に願われたリヒトと同じく、たったひとりの母が願い産声を上げた愛のカタチ。

「死を超えることも忘れることも罪か……」

 今まで聞くだけだった少年がようやく口を開く。

「そうだな……それは確かに絶望でしかない」

 リヒトはそれを肯定する。

 語りえぬ沈黙の下に置こうと、死とはいずれたどり着くものだから。

「――だけど、いずれ終わるからこそ今、走ることができるんだ!」

〝……そう。人は、自分で立ち上がれると〟

「いつまでも揺り籠にたゆたうわけじゃねえんだよ」

〝けど、その在り方は『666』を背負う人間には重すぎる……理想を夢見て、それを手にしたとしてもなお、死へ自ら足を踏み入れなければいけないなんて……あまりにむごい〟

「それが生きるってことだろ。死という絶望を誰もが知っている。だから、何かを形作る(、、、)し、何かを遺す(、、)。そもそもおれとユーはそう(、、)なんだろ?」

 そこで初めて、アリアが面を食らったように押し黙った。

 沈黙は長く続かなかった。転じて彼女は失笑をこぼしたから。

〝そういうこと……まるで呪いね、この愛は。なら見せてちょうだい。何が生を結実させるのか〟

「ああ。だから邪魔だ。死人がぐだぐだと今にへばりついてるんじゃねえ」

 リヒトは右腕で眼前を払う動作をとった。振りぬく直前、ふと少年はあることに行き当たった。

「……この(チート)も、お前が願ったものなのか?」

〝いえ、それは吐き出された黙示録という膨大な力の欠片よ。……けど、そうね……それがどんな形を持つかは、今を生きるあなたたちがどう在りたいかと願うかによるのでしょうね〟

「そうか。……じゃあな」

〝ええ。お話しできて楽しかったわ。私の遺したかたち。愛しき子供よ〟

 〝人類免疫〟の力が、確かに何かを打ち砕く。

 残響もなく、声はやんだ。

 この対話は短かったが、それでもリヒトの足であればそれなりの距離を稼げる。

 けれども、ユーべルはおろか手がかりの一つも見つからない。

 霧中の模索は永劫に続くのではないか。

 そんな疑念がよぎる中で、それは突如として現れた。

 ひときわ大きな亀裂。そこから伸びる二重螺旋が。

 足りないものを補うかのように絡み合う肉の塔。

 それは、雲を突き抜けどこまでも高く続いていた。

「ユー……いるんだな」

 誰に教えられるでもなく、見るまでもなく、理解できた。

 だから、足を止める理由はない。

 塔に足をかける。足場は、その見た目と裏腹に安定していた。

 進んでしばらくすると、紅い景色が晴れる。

 入れ替わりと、雨が少年を出迎えた。

 世界を侵す『死』の雨。〈人類免疫〉たるリヒトは、その黙示録を受け付けない。

 だが、雨であることには変わりない。増す冷え込みとあいまって体温が奪われていく。意識に霞がかかってきた。

 登るにつれて息苦しさも増していく。

 自然の摂理を前に、矮小な人間の願いは道草のように踏みにじられる。

 それでもまだ、命潰えぬ限り下を向き続けることは許されない。

 誰に。その選択を行った自分自身に、だ。

 分厚く、濁った雲へ突入する。間近であられと降る雨を受けた肌はもう、感覚がない。

 視界が暗い。自らの体すら見えない。

 本当に前へ進んでいるのか。倒れ、夢うつつと願望にすがっているだけではないか。

 鎌首もたげる疑念を叱責するには、脳髄の底まで麻痺が浸透しすぎていた。

 今はただ、信じることしかできない。信じ、信じ、信じ――そして、狭かった視界は開けた。息苦しさは変わらない。

 それでも、

「……ああ」

 息が白かった。心臓の音が耳にうるさい。

「世界ってやつは、そうか……」

 ぼう、と。リヒトは無自覚に言葉を吐き出した。

 淀んだ瞳に光が反射している。

 それもまた、多くが欠乏していた。

 満天と呼べぬ宙。しかし、未明を彩る星々の輝きは欠けない。

 月は皓々と(わら)っていた。身を侵されてなお、その存在を誇示していた。

 だが何より目を引くのが、それらを背に蕾開く肉の花弁。

 生誕を祝福され掲げられた赤子のように、ユーべルは終着点に(いだ)かれていた。

 何もかもがいびつなソラの色。

 それが何よりも、少年の世界を震わせた。

 明けることなき終末の夜空に、赤き光点がふたつ、芽吹く。

 赤い瞳が月を、そしてリヒトを睥睨した。

 それで、わかってしまう。

 わかっても、伸ばす手が止まることはなかった。

 だから、伸ばした手を拒絶され(、、、、、、、、、、)宙に放り投げられ(、、、、、、、、)ても、リヒトは納得していた。

「……」

 ふわり。

 肌をなでる感触が不釣り合いに心地よい。

 時間が緩慢に流れていく。

 それは体感でしかない。

 だから、美しかった空はくすみ、見慣れた景色へ。

 欠落した世界では、上下の判別はつかない。

 くるくる、くるくる、視界は回る。

 少年は下へ昇り、上へ落ちていく。

 掴むもののない空中では、重力が絶対の法則だ。

 世界の果てを目指してまっすぐに進もうと、人は地球に縛られる。最果てへは至れない。

 だから、伸ばした手が届くはずはなく。

「――って、あきらめるかよっっ!!」

 それでも、いや、だからこそリヒトは足掻くことをやめない。

 視界が明瞭となる。

 真隣で不動と立つ二重螺旋を認識し、殴りつけた。

 拳が埋まる。かかる荷重は腕一本で支え切った。

 少年の放った一撃は、衝撃となって横一文字に貫き、肉の螺旋を中ほどから折った。

 すぐに白い少女の姿が見えた。

 遠い。さっき見た星のように小さな姿だ。

 ほどけていく螺旋に身を寄せ、足蹴にする。

 もう一度、宙へその身を投じた。

 星は手に入らないからこそ美しい。けれど、それが星を手にしたいという願いを満たすことは決してない。

 願ったのならば、あとは叶えるだけだ。

 足掻く。二本の足で空中を駆け抜ける。

 どこかから、滑稽だと笑う声がした。

 リヒトは、だからどうしたと叫んだ。

 終わりの気配が近い。地も空も失われ、あるのは意味消失へ導く無だけだ。

 届かない。どんなに手を伸ばし、足掻いても。地上においての一歩分、それゆえ絶対に届くことのない距離があった。

 それを埋めることは不可能だ。

「……っ」

 だが、届かせられるものは存在する。

 言葉。

 形がなく、だからこそ何より雄弁なもの。

 それは、ユーべルには伝わらない。

 少年も伝わるとは思っていない。ただ、伝えようとする覚悟を決めてここまで来た。

「ユー! ユーべル! おれはお前が好きだ!!」

 言葉なき少女へ少年が伝えられるもの。それは純粋な意志だけだった。

「あの日あの時、ふれてくれた瞬間におれは生きることを知った。ふれてくれた意味や理由はわからないけど……いや、そんなものは必要ないんだ! だからユー、お前が好きだ!!」

 不思議と、言葉はあふれてきた。源泉にあるのは自らの感情だ。だけど、それを引き出しているのは、自分ではない。

 まるで何かに導かれるように、その最後の言葉は出た。

「おれに生をくれてありがとう!」

 伸ばした手の中に、熱が宿った。

 彼我を埋めたもの。それは、相手から差し伸べられた手だった。

 過去はそして、今へ追いついた。

 今はまた、未来から置いて行かれる。

 精いっぱいの配慮をしながら少年は少女を引き寄せた。

 あの日に得た熱のその先を求めて――抱きしめる。

 ユーべルという存在を、確かに感じる。

 だからこれで、終わり。伝えられることはない。

 リヒトは拳を振りかぶった。

 それは根底に定められた絶対の命令。ユーべルを守るためと振るってきた力の本質。

 前提を覆せば、過程は歪み、結果は崩れ去る。

「……」

 ゆえにリヒトは、〈終末黙示録〉を破壊した。

 少女の軽い体は、衝撃で浮いていく。

 反発する少年は、収束していく最中の無の中へ飲み込まれた。

 自己の意識が希釈されていく。

 朦朧とする意識。たゆたう暗闇の中、自らの実在性を認識できなくなった少年は、しかし遠く、遠くに光を見た。

「ああ……見間違えじゃなかったんだ……」

 微笑む少女の顔。それは、仕切られた箱の向こうに見た願望、だったはず。

 手を伸ばす。その笑顔を、信じようと思ったから。

 そして――


 少年少女の世界を救う旅は、こうして終わりを告げた。

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