宴戯終極、あるいは終末に哭く喇叭
リヒトとユウマの死闘。それを見届けたイリスへある変化が訪れた。
黄金の喇叭。それが彼女の手の中に、突如として現れたのだ。
不意なことで、正体へ行き当たる前にふれてしまう。
それですべてが理解できた。この黙示録の正体を。
知ってしまえばあっけない。
喇叭が伝えた人の業と怨嗟の招いた終末は、残酷であった。
わかったからと言って何ができるでもない。
なぜ、喇叭によって真実が知れたのか。それは、
「逆らうことのできない運命だから」
主に準ずる天使であろうと、根幹にある使命には逆らえない。逆らわない。
今なおこうして喇叭を吹かずにいられているのは、スミルナではなくイリスであるから。
しかし、あの少年はその運命を壊す役割を担わされているという。
疲弊した体を引きずりながらも前へ歩き出している。
ぼろぼろだ。右腕と左目を失い、全身の擦過傷まで注視すればきりがない。
満身創痍。されど、その膝は折れない、屈しない。
少年の力の本質は、つまりはそういうものなのだ。
悲愴|な姿である。真実を知り、そしてこれまでの彼を知っている今、その歩みの先に待ち受ける結末は何よりも救いがない。
イリスは地面へ降り立ち、静止の言葉をかけた。
その声にリヒトは肩越しに振り返り、彼女の手の中にあるものを視界に収めた。
言葉を逡巡しなかった。
「鳴らせよ、喇叭吹き」
「だけど……これを鳴らしたら彼女は〈終末黙示録〉として完全に目覚めるわよ」
「だからだ」
少年はわかっていた。わかっていて、言う。
「だから、やれ」
「やれって……だいたい、そんな体で何ができるっていうのよ!」
「おかしなことを言うな」
イリスのいうことが理解できないと言わんばかりの口調で首を傾げる。
「好きな女殺すなら、拳一本あれば十分だろ?」
「――ッ!!」
揺れぬ瞳を見て悟る。彼は本心から、愛する少女を殺そうとしていた。
荒れ狂う感情が抑えきれずに言葉となって飛び出た。
「世界なんて滅んだっていいじゃない! 好きな子を殺してまでこの世界を守る義理はないでしょう!!」
「自分が幸せになるために、誰かを犠牲にしていいわけじゃないだろ」
「誰にも迷惑をかけない人なんていないわよ……」
「それでも、だ。誰もかもが幸せになる方法なんてないのかもしれないけれど……誰かの不幸を前提にした幸福は、違う」
「だからって……こんな現実に準じる必要はないじゃない……あなただって、そう言ったわよね」
「おれはユーとちゃんと幸せになりたいんだ。叶わなくても、おれが戦ってきた理由はそうなんだ。だから、おれが終わらせたい」
決して折れることをしない在り方は、確かに直視に難い。
二度と誤らないと誓った罪人たちの尊い祈りは、呪いのようでもあった。
「ユーには言葉が通じない……いや、そもそもユーベルっていう存在すらなかったのかもしれない。ユーにとっておれは唯一の天敵でしかなかったのかもしれない」
本質的な事情を理解しているわけではない。当然だ。少年に突きつけられているのは結果で、そこに至る過程を知らないのだから。
聞きかじった言葉をどうにかつなぎ合わせて、真実を形作る。それに納得できるかは別として。
それでも、無知な少年がこの状況で唯一わかることがあるとすれば、それは、
「おれはさ、ユーが好きなんだ」
その言葉に、イリスの怒りが揺らいだ。
「なんで……だって、一緒にいられないのに! 好きだって言われることも、それを響かせることだってできないのに……なんでそこまで好きでいられるの!?」
彼女の恋は結実した。だからこそ何を求めるのかを知っている。
恋をするのに理由はいらない。それでも、愛し続けるには理由がいる。
「……救われたんだよ、おれは」
ぽつり、少年はこぼした。
「叫んでも祈ってもだれも助けてはくれなかった。熱くて痛くて……けど、ユーは温かさをくれた。ユーはさ、すごいんだよ。誰かを救うことができる。おれは、できない」
少年は、自分すら救うことはできなかった。
「だからおれはユーが好きで、それが俺の生きる意味だってその時に思ったんだ」
ユーベルに救われ、惚れたあの瞬間からリヒトにとって死は遠くに追いやられた。
身を切る苦痛も屈辱も、すべては生の過程でしかない。
「お前らを見てさ」
「え?」
「お前らを見て思ったんだ。好きってことは、求めることなんだって。愛するってことは、痛いことじゃないんだって。おれは、痛いのがいやだから……」
痛いのも苦しいのも嫌だった。そう泣き喚いても何も変わらなかった。
ユーベルと出会うまでは。
あの日、ふれられた温かさを一度たりとも忘れていない。
差し伸べた手にふれてもらうためではない。あの熱に届くために、少年は手を伸ばす。
「だから、ちゃんと伝えなきゃいけないんだ。通じないかもしれないけど、自己満足かもしれないけど……それでも届けなきゃ、後悔する」
「あなたは……いえ……そうね、あなたは最初からそうだった。最初に会ったその時から、あなたはそうだったわね」
イリスは述懐した。
「あなたは、愛されたかったのね」
ようやくイリスはリヒトを理解した――いや、彼が虚勢をやめたからこそ、正しく見れたというべきか。
なんの変哲もないただの少年。それがリヒトなのだ。
ヘルトがあんなにも気にかけていた理由を知る。
「子供を導くのが、大人の最低条件だものね……」
ならば、生き残った大人である自分が行うべきことは、ひとつである。
「わかったわ。あなたの好きにしなさい。わたしは裁定者だもの。この黙示録の行く末を、ただ見守らせてもらうわ」
「ありがとうな」
「……まったく……そうね。自己の満足ってやつはどうして他人には理解できないものね」
それでも人は幸福になっていいし、誰かを幸福にすることもできるらしい。
走り去っていくリヒトの背中に、イリスは少年のある言葉の本質を察した。
過程を歩むことに意義を得るのではない。艱難辛苦に抗う姿に生を見るのだ。
「幸福であることは、幸福を掴んだからこそ叶うことなのよね……」
喇叭に口をつける。
幸いあれ、と祈りながら。
終末を喚ぶ呪いの音を、吹き鳴らした。