殺戮宴戯、あるいは傀儡子の序章たち
くすんだ赤髪の少年が躍る。
継ぎ目のない真っ白な部屋だ。照明も白い。距離感と現実感があやふやにとろけているかのように思える。
ここにいるのはふたり。
ほこりかぶった貫頭衣に身を包む少年と、微笑を絶やさぬ麗しい青髪の美女。
くるくる、くるくると少年は女の周りを踊る。
煽るように、誘うように、かどわかすように。
それを目で追い続けた女は、微笑をたたえたまま手を伸ばす。
――その指先がぱっくりと裂けた。
これを機先として全身にも同じことが起きる。
内側からやけに機械的な銃口が顔を出す。どういう構造になっているのか、音なく弾丸が吐き出された。薬莢は飛び出ない。
少年はしかし、不知の弾丸をくるりと紙一重に躱す。その顔に焦りはない。
ひとしきり弾幕の張られた後は、火薬のはじけた臭いが充満する。
真っ黒に焦げた壁が現実感を引き戻した。
白光に浮き彫りとなる赤色が女の目に焼き付く。
赤毛の一片たりとも失われた箇所はない。
お返しのように、少年が右の拳を振るう。踏み込みもなければ、そもそも軸足すらふらついている。
女は躱そうと身をよじるが、ふらふらと不安定な拳はそれをうまく追随した。
握り拳が柔肌にめり込む。
女の微笑は崩れない。そんな機能はもともと備わっていない。
しかし今日、喪失の恐怖を知った。
「ヒッ」というやけに低いうめき声を最期に、女は爆散した。血肉となって、はじけ飛んだ。
黒い部屋に紅はよく似合う。
口元にかかった肉を今しがた振るった手で拭い、少年は一息ついた。
鼻梁に絡む鉄臭さと焦げ付いた臭いは左の親指で拭う。
喉のでっぱりがなければ少女と見間違えるほど可愛らしい顔立ちだ。混沌を煮詰めたような真っ黒の瞳を覗けば、まだ外を活発に走り回っている歳のように見える。身体も小柄の細身で――どこから人ひとりを拳一つで爆散させるような力が出たのかもわからない。
白と紅のマーブル模様の部屋に放置されて暫く、少年の背後の一角が縦に裂ける。
扉が開いたのだ。そして向こう側にも、同じような真っ白の部屋が。
踵を返し、何の感慨もない瞳で肉片から視線を外す。
少年の視界の先には、対面にある扉から同じく部屋に入ろうとする少年の姿が。
赤毛の少年より背丈が頭一つ以上高い黒髪の少年。線の細く整った顔立ちをしているが、今は歪ませている。
彼の背後にも、血飛沫が舞った白い部屋がある。
ふたりとも部屋に踏み入ると、後ろの扉が閉まった。
「やっぱり君が残ったか、リヒトくん」
「……ユウマ」
「ねえ、僕たちはここまで上り詰めた。お互いに願うことがあるんだろう。参加権を得た今、戦う必要はないと思わないかい?」
純真無垢な表情での問いかけ。
リヒトと呼ばれた少年は、拳を構える動作でそれを拒否した。
腰を落とし、右半身を引く。乱雑な構えからでも人ひとりを触れただけで爆散させる力を見せた拳だ。力を溜めて放たれた時、及ぼされる破壊は一体どれほどのものになるのか。
ユウマと呼ばれた青年はその動作に困ったように肩を竦め、右手を前に突き出した。
「来な、ダーインスレイヴ」
突如、青年の手に中に黒い剣が現出した。刃の腹に赤い線がうぞうぞと脈動している。
「エクスカリバーじゃないのか」
「あれじゃあ君を殺してしまう」
リヒトは舌を打ち、後ろ脚で蹴り出した。作用で先程まで少年のいた地面が消し飛ぶ。
砕けた破片が舞い上がる刹那の間にユウマの視界から消えるリヒト。――瞬間、左側頭部を狙った拳が伸びる。
それを打ち上げる黒い影。ダーインスレイヴの刀身であった。
そのまま衝撃が上へ。持ち上げられる身体の移動を利用して蹴りを撃ち込む。
しかし、それは返す刀でたたき落とされた。
上半身と下半身で逆方向への力を受け、空中に遅滞する。腹部の辺りが悲鳴を上げた。
空いた胸へ突きの一閃。空気を吐き出しながら吹き飛ぶ。
背中から追突した壁をぶち抜きいくつもの部屋を、血肉にまみれた戦場跡を滑空する。
無数の扉が乱立する巨大な部屋の堅牢な外壁にぶつかり、ようやく止まれた。
よろよろと立ちあがって身体の調子を確かめる。特に痺れも何もなかった。
空いた穴からユウマが姿を見せる。
「あれで無傷かぁ。真面目にやっただけに悲しいよ。なんならこっちが傷を負ってるし」
右腕は、落ちた果実のようにひしゃげていた。こぼれる血が刀身に流れていく。
リヒトの二撃に対抗した結果、遅れて青年の右腕は潰れたのだ。
だがその右腕は、巻き戻しのようにすぐに元の形を取り戻した。
「さて、どうする? これ以上やると流石にこの量の血じゃあ引っ込みがつかなくなるんだけれど」
「……いいよ。お前の勝ちで」
ユウマの言った通り、この戦いの勝敗自体に大きな意味はない。
リヒトの降参宣言を受け、その戦いを見ていた人間達により外へ繋がる扉が開かれる。この建物へ入った時と同じ箇所だった。
外に広がるのもまた、白い壁。円形の渦巻く構図の研究煉は、濃淡を変えた白色を基調としている。
「じゃあまた、本選で」
ダーインスレイヴを消し、さわやかな笑顔で退出するユウマ。
リヒトも遅れて出ていく。
研究煉には人っ子ひとりいなかった。皆研究室にこもり、来たる本選に備えているのだ。
「……大丈夫だ」
リヒトは胸の前で拳を握りしめてそう呟く。
しばらく歩くと、民間の住宅街が並ぶ一般煉への連絡口に辿り着く。
自動開閉式の扉の両脇に、幾重の鱗を身に纏った翼の生えた化け物に絡みつかれる裸体の少女の像があった。とても艶めかしく、しかし幼く、妖艶であり淫靡でありながら穢れを知らぬ笑顔の無垢な少女の像が。
苦しげに呻き、顔をしかめる。嫌に目を奪うそれの横を素通りし、通路を抜けた。
何枚かの扉を通りきれば、景色が一変した。
快晴の空は青く澄み切っている。床は整備された灰色の土瀝青。並ぶ家屋は石作りと木の作りが混合している。
かしましく賑わいお互いの肩と肩を躱しながら進まなければならないほど人間が密集した空間。そこがこの箱庭の全ての商いが集う場所だった。
そして、男しかいない。
リヒトは足に力を溜め、飛び上がった。身長の五倍の高さまで浮き上がり、背の高い建物の屋根に降りる。
ふんわり膨らむ裾からほっそりとしたふとももが覗く。色香に誘われ男の情欲が脚に集まるのを感じた。
吐き気がする。逃げるように屋根と屋根の間を驚くべき速さで跳び、目的の場所へ向かう。
はるか先の地平線の先に見える境界線という透明の壁に。自分自身が備える能力で。
足場を踏み抜かないように多分に加減しながら空を切る。街の至る所に少女の像が置かれているため、リヒトは正面をじっと見据え続けていた。
それでも襲い掛かる体の熱に少年は自身の遺伝子に刻まれた起源を忌々しく思う。
リヒトが振るう暴虐の力もユウマが行使した人知を超えた力も、この世界において決して特別なものではない。世界の物理法則を無視した反則的力。故にチートと呼ばれるものだ。その力の源流は、伝承の世界まで遡る。
かつて世界には、生活圏の区切りがあり、言語も異なる時代があった。人々は自身の武力ではなく、自然界から簒奪した物質をその頭脳で紐解いた自然の法則を応用して精製した武具で争いを続けていた。
しかしそれでも人間は種の繁栄を続け、人間の管理下にない生物たちは生存圏を奪われ死に絶えていった。
だがある日のことだった。予兆も何もなく、とある場所で突如空間が割れた。そしてその中から一体の、巨大な生物が現れた。
編み込まれた鋼のような筋肉で構成された四足は地面を掴んで離さない。黒い鱗が重なり合いできた堅牢な鎧を纏った体躯からは尾と羽が生えていた。血の滴る色をした瞳に鋭利な槍の穂先を生やしたがごとき歯が口内奥深くに列挙している。
その姿は神話に描かれる龍そのものであった。
後に『原初の魔物』と呼ばれることとなる怪物は破壊の限りを尽くした。
種など関係なく暴虐をまき散らす化け物に対して人間は、人身御供という古典的な方法をとった。処女の娘を差し出すことでその存在を沈めようとした。
そして数日後に、龍は姿を消し、少女は無傷で戻った。
彼女は子を宿していた。それも、彼女自身が処女のままで、だ。
そうして生まれたその子供は、人知の及ばぬ力を宿していた。少女は『第二の聖母』として奉られ、全てのチート能力者の母として今は神格化されている。
様々な場所に点在する像は、彼女の姿と龍の存在を模したものであるらしい。
――そんなものは、この街が管理体制を維持するために創り上げた架空の話である。
なんだ、魔物とは。そんなものがいるわけがなかろう、とリヒトを含め誰もが冷笑する。
チート能力者は常人とは遺伝子的に異なる部分があり、それが人の身を超えた力に関与している。あくまで人間の話だ。
あの石造だって男性がそう反応する淫靡な造りをしているのだ。
遺伝子上の変化。この箱庭にいる誰もがそう理解し、管理される現状に諦観している。
そう観測されているからこそ、チートの能力の定義も解明されていた。決して同一の能力や規模としては遺伝はしない。能力者の遺伝子は何よりも強く、子供は必ずチートを保有すること。だからこそ、この街には女が居ない。
「……くそったれが」
吐き捨てて頭を振るう。思い浮かべなくてもよいことまで付随して浮かんできた。
無心で跳び続けていくと、整備だけがされた生気のない一角に出た。最後の家屋の屋根から降りる。いつもは人気のないはずの一角が喜悦の声で溢れていた。
(またか……)
視線を端の方に向ければ喧騒の原因が見て取れた。
この世界にはチート能力者とそうでない人間とがいる。能力者の変質した遺伝子は相手の遺伝子を確実に変質させるほど遺伝能力が高いが、早くに隔離し管理されたため純粋な人間の数は減っていない。
そしてここは、普通の人間が生活をする空間の内側に存在する箱庭。世界から隔離された『揺り籠』だ。
『揺り籠』は、空を模した天蓋に囲まれた半球の中に存在している。チートを持たない人々は、最低限の衣食住と金銭のやり取り、そして自身より力のある少数派を管理することでささやかな自尊心を満たす理想的な社会を形成している。
ふたつの営みが触れ合う場所が、ここにある。
普段なら善良な市民が家畜を見ようと集まる場所だ。日替わりで誰かが道化となることでエンターテインメントを提供している。
だが、あの青年の時だけは別だった。
ユウマは、誰からも好かれる性格をしている。見てくれがいいとか性格がいいとかではなく、ただ好かれるのだ。過程など殆どすっ飛ばして、誰からも好かれる性質。或いは、彼が保有するチート能力のひとつ。
リヒトのようにそれを気味悪がる人間もいる限り、それは歪な現象だ。
いつもだったら躊躇なく殴りかかりに行くが、先の戦闘の余韻は冷めやらぬ。
何度見ても気味の悪い光景だと視線を切り、地面を蹴り出す。
跳躍に似た疾走を続けて数十分。境界線に着いた。
透明に見えるそれは、景色を映すスクリーンとなっている大きな壁だった。
下部に設置された扉を開く。大きく円形にくり抜かれたエントランスに入る。
奥にも、鈍色の扉。希少な鉄でできている。その横に、敷居で区切られた受付がある。
受付には妙齢の女性が二人。その実は情報の記録、参照、抽出だけが行える機械仕掛けだ。娘盛りの女がこんな場所にいるわけがない。
リヒトは受付を通り過ぎその横の扉に向かおうとする。
じっと少年を見つめた女性二人がかくかくと言葉を紡ぎ始める。
「認証。リヒト様。記録を検閲。精通がまだのようですが、どのようなご用件でしょうか?」
「うるせえな」
扉に手をかけていたリヒトの姿が消える。瞬間、女性二人の頭部を撃ち抜く拳が。
女性二人はくずおれる。
彼は手を引いて後ろに跳ぶ。扉の前で着地し、扉へ裏拳を叩きこんだ。
本来横開きのドアが前に開く。
消毒液臭い灰色のうす暗い通路を進み、次にある扉は、
「……」
一瞬思案にふけった後、手刀で叩き切った。斜めに切り落として半分になった扉の下を右足で踏み潰して潜り抜ける。
高さ、面積、ともに広大な空間へ出た。住居の一室分はありそうな大きさの透明なケースが連なり、積み上がっている。その中には、下は十のほどから上は三十ほどの年齢と見受けられる女性が一人ずつ入っていた。中の様子を監視するために外からは透けて見えるが、内側は白っぽい内装を基調に床は木目調だ。
少し視線を上げれば横幅の広い通路が傾斜をつけつつ階段状に巡っていて、どの箱へも歩いて行けるるようになっている。その道には手に持った紙に目を落としながら練り歩く男性や貨物を運送する動力車が行き来していた。
『胎』たちの管理施設。
リヒトは一つの方向に向けて歩き続ける。音を立てないように扉を壊したおかげでまだ少年が侵入して来た人物だとは知られていない。
道中で何度も男から乱雑に抱かれる女の姿が視界に入った。侮蔑の目を向けるのにも飽き淡々と進むと、今までの区画とは雰囲気の異なる場所へ出る。
連なり重なる透明の箱があり、動力車は行き来しているものの、人の姿がない。
箱の中にいるのは、乳飲み子から純真無垢な少女たち。まだ初潮を迎えていない、『胎』に満たない蕾らだ。
『胎』。それは能力者を量産するための母体である。能力を持つ女が男に抱かれ、精を吐き出されることで次世代へ繋がる子供を量産するための装置。能力は遺伝しないが、潜在的な力を秘める遺伝子のかけ合わせが特殊な反応を生む例が稀に存在し、ユウマのような規格外が生まれることもある。
そして、使いものにならなくなった瞬間に用済みとされ殺処分となる。幼き頃から『胎』となる為の教育がなされているため、その運命に決して疑問を持たない。寧ろ生かし、開放することで常識を知り反逆されては困るということだ。
リヒトは道を経由することなく己の能力で跳び、五つ上の道で着地する。
その階層にいるのは、ただ一人の少女。
感情の薄い赤の瞳に緩く波打ち肩で整えられた白い髪。成長促進剤が打たれ年齢に対して肉体が熟れた蕾たちの中で、彼女は十二という年齢に見合った肉感の薄い体躯をしている。
ユーベル。リヒトの恩人であり、戦う理由だ。
彼女はいつものごとく、ぼうっと虚空を見つめている。
「久しぶり、ユー。まあ、見えてないし……覚えていないだろうけどね……」
ユーベルとの出会いは、全くの偶然によるものだった。
外の人間が内へ忍び込み、能力をまだまともに使えない幼少期の子供を誘拐するという事件が、過去にあった。
能力者の管理は『揺り籠』が請け負っている。
チート能力の研究と不変的な実用化をもくろむ外の研究者を中心に、その希少価値から引く手あまただと踏んだのだ。
リヒトも被害者の一人であった。幼年期から美少女と見間違えるほど見目麗しい容貌をしていた彼は、娼館が高値で買い取った。
男娼として長い間男に身を汚され続けていた。
この街の管理者を中心とした内部の警備隊により首謀者たちは検挙され、被害にあった子供たちは保護された。
リヒトは娼館に売られていたのと、その美貌から始めはこの『胎』の管理施設に入れられた。
意見の解決により急激に増えた少女たち。全員を収容しきる箱を用意するまで特例として幾つかの相部屋が認められた。
たまたま相部屋となり、たまたまそこにいたのがユーベルだった。
何を考えているのかわからない少女だった。興味深げにペタペタと触ってきたり、何もせずに近くにいるだけだったり。次第に何も考えていないということが分かった時、雪溶けたかのように涙があふれた。
人間の汚いところをたくさん見た。痛みを与えることで快楽する人間や、相手を蹂躙することで絶頂する人間ばかりだった。
ただ触れるだけ。ただ傍にいるだけ。ただそれだけが、たまらなく暖かかった。
彼女は何もしていない。だから、リヒトにとってユーベルの存在そのものが救いとしてそこに在るのだ。
男と分かりこの場所から出されてからの人生は、彼女を救うことだけに捧げてきた。
あの日から近寄りもしなかった『胎』の管理施設に来たのは、自身の中の覚悟を明確にするため。
「今度の戦いで勝ち残って、きっとそこから出してみせるよ」
一週間後、チート能力者たちによる殺し合いがある。年に一回あるそれは、外の世界に出る権利と一つだけ願いをかなえるという条件を掲げ、参加者を募る。
今年集まったのは約百五十名。三つのブロックに分かれて参加資格を得られる上位二名までに絞り込んだ。
計六名のバトルロワイヤル。
リヒトはユーベルを『胎』としての運命から救い出すために拳を握る。
例え彼女にとってそれが当たり前だとしても、ユーベルを決して自分と同じ人生を辿らせない。
「じゃあね、ユー」
見えていないと分かっていながら手を振る。ユーベルは虚空を見つめながら、手を振り返した。
「っ!!」
驚き目をしばたたかせもう一度見る。だがユーベルはぼけっとよくわからない方向を向いているだけだった。
「向こうから見えるわけないし……」
気のせいだろう、と踵を返そうとしたその時、突如背後から生まれる気配。臨戦態勢をとりながら振り向く。
「困るな、あんな侵入方法は。金属物質を精製できる能力者はそうそう生まれないんだぞ」
へらへらと軽薄に笑う男だった。澄んだ川のように腰まで流れる白髪に、獰猛に輝く赤い瞳を眼鏡の内に秘めている。
「オプファ!」
リヒトは牙を剥きその名を告げる。この街の管理者である男の名を。
「本当に君はユーのことが好きだね」
「お前が軽々しくそう呼ぶな」
「君にとやかく言われる筋合いはないだろう? だって、ユーは私の実の娘なんだから」
「実の娘を『胎』として教育している奴が親とか名乗るんじゃねえ」
「そんなのはどこも変わらないさ。君も、私も、ユーだって『胎』から生まれた人間だ。自分の都合のいいことだけ並べるなよ、偽善者」
未熟な理論を振りかざす少年を赤の瞳が射抜く。
だが急に表情が一転。くつくつと喉を鳴らしてオプファは笑い始めた。
命じて着させた服を指差して。
「いやはや、本当に似合っていると思うよ、その服。男娼時代の有能さが窺い知れる」
「ッ!!」
「どうだい、そろそろ口の中に吐き出された精液の味は忘れられたか? あばらをかばう癖は治ったみたいだね。大した嗜虐趣味を持つ人もいるもんだ」
「……めろ」
「そろそろ前は使い物にはなってきたか? ああ、そうだ。ユーが初潮を迎えた暁には、君に処女をあげてもいいぞ。お互いに損はないだろ?」
「やめろつってんだろうがァ!!」
反動で床が隆起するほどの蹴り出し。その薄っぺらい笑みを浮かべる面を弾き飛ばすために右の拳を振り切った。
しかし、感触はなく空を切る。風圧で床がへこんだ。
「駄目じゃないか。拳を振るう時はしっかり尻の穴を引き締めなきゃ」
背中に触れる感触。足を絡め左の裏拳を後頭部に向け打ち込む。
「その能力を自覚するのが早ければ、あんなことをしなくても済んだのにな。まあ、それじゃあユーと出逢えずに、ここに群がり女性を抱くだけの種馬と化していただろうけどね」
ふいに感触が消え、上から声が降ってきた。
「何度やっても無駄だよ。私の能力は入れ替え。万物を入れ替えることができる。場所も、臓器の位置だって」
チート能力者を管理するのは、チート能力者にしかできない。
男は誘うように手を伸ばした。
「私が憎いか。なら、一週間後のバトルロワイヤルに優勝して願えばいい。願われれば、どんな殺され方でも私は受け入れよう」
戦え。そう言い残しオプファは消えた。
侮辱の限りを尽くされうなだれるリヒト。だが、瞳に宿る意思は消え去っていなかった。
「……てめえ如きにそんな価値があると思うなよ、オプファ」
自身がどんなにけなされようと、リヒトにとってはユーベルだけが戦う理由だった。
立ち上がり、今度こそ帰る。外の喧騒が箱の中に届くことはないのだが、少年は少女の方を見ることができなかった。
帰路に着く中、辺りの景色にオプファの言葉を思い出す。
女を抱いて快楽に溺れるだけの愚者にならなくてすんだことだけは、本当によかったと思えた。
視界の端に、ユウマの姿を見つけた。彼がこちらの方面にいたのは、大衆と変わらずそれが目的だったらしい。
「偽善者が」
そう吐き捨てた言葉はオプファに投げつけられた言葉と同じで、どうあっても本質は同じだという現実を突きつけてきた。
それでも戦うしかない。拳を握る理由は個々人の正義のためであり、だからこそ――超越者たちの殺し合いが始まる。