小名に宿る
引き続き百鷺のターンです。というか前回の補足。
「白鷺さま」
稚い声に呼ばれて振り返った。其処には、緋羽と青鹿に連れられてきた、青鹿の従者だという少女が所在なさげに立っていた。
年の頃は十二くらいに見えるが、まあ十分に飯を食ってきたか分からないので、実際はもうちょっと上かもしれない。
「おォ、ちびすけ、起きたかァ」
昨日は早々に倒れるようにして眠ってしまったが、今見る限り顔色は良い。単なる旅疲れだったのだろう。
「緋羽と青鹿はどうした?」
「まだお休みでいらっしゃいます」
「……やっぱりなァ」
俺が五色の名を持っていたのは昔の話、今は単なるひよっこ町医者だ。
俺を拾ってくれたジジィと、今は二人でやっている診療所は有難いことにそこそこ盛況だったりする。とはいえ、そんな今の俺が住んでいる家に客間なんぞあるわけがなく、仕方なく押しかけて来た三人はそこそこ広い薬草倉庫に押し込めた。まあ俺に対する遠慮をいつまで経っても発揮してくれない幼馴染どもは、図太いことにそんな環境でも早々に寝息を立てていたが。
そして未だに惰眠を貪っていると。
おいいくら従者とはいえ一番体力なさそうなちびすけが頑張ってるんだぜ良いのかお嬢様、気張れや成人男性。
「ちびすけ、お前ももうちょっと寝てろ」
「いえ、わたしは……畏れ多くて」
最後はぼそぼそと、いかにも言いにくそうに呟いたが、なるほど納得した。
色々事情はあったんだろうが、こいつは確かに五色の使用人だ。確かに主と寝起きする場所を同じくするのは緊張するだろうし畏れ多いと感じるのだろう、慎ましいことだ。それでも部屋を分けてくれだの何だの言わない辺り、よく状況と自分の分を弁えている。幼い分未熟なところもあるだろうが、偏屈な青鹿が可愛がるわけだ。
思わず目の前で下がっている頭をぐりぐりと撫で回す。驚いたのか、ふわ、と猫の子のような声を出した。
「あの、白鷺さま?」
「あー、それやめろ。今の俺は『百鷺』っつんだ」
「すみません、失礼しました!」
「気にすんな。大方あいつらが白鷺白鷺呼ぶからだろォが」
ちびすけは姿勢正しく頭を下げたが、首を振る。
あいつらは俺が家を飛び出す前からの付き合いなのでつい昔の名前で呼びがちだが、五色の奴が家を出るということは『色』を捨てることだ、と考える。そういうわけで、自分の名前に入った色を、取るか発音の似た別の文字に差し替えるか、という話になる。これは事実上の絶縁になるし、名前を変えることで要らぬ騒動を招きにくくする効果もある。緋羽や青鹿も早急に変えさせなきゃならねェな、こりゃ。
「んで、ちびすけ、どうしたんだ?」
「あの、朝餉の支度をしたいのですが、厨をお借りしてもよろしいでしょうか」
「あー……貸してやりてェのは山々だけどよ。俺がやるのを見てろ」
「あ、すみません、図々しいお願いを…」
「そういう意味じゃねェって」
恐縮するちびすけを顎で促して、俺は今しがた持ち帰ってきた籠の一つを持ちながら厨へ向かった。
「正直に言うと、俺の食事は庶民そのものだ。緋羽や青鹿が今まで食べてたようなもん用意してたら、あっという間に俺の身代が潰れる。従者のお前としては、出来るだけ青鹿に不自由させたくないだろうが、俺が暫くお前ら三人を養う以上、ある程度質と量が落ちるのは我慢してもらわなきゃならねェ。…此処までは分かってくれたか?」
幽閉されていた青鹿はともかくとして、緋羽はある程度換金できる私物を持ち出しているだろうが、都から離れたこの街で、『赤』のお嬢様の持ち物を効果的に売りさばくにはちょっと手間がかかる。すぐにまとまった金にはならない。まあ青鹿はいずれ体質関係なしに出来る方法で働かせるとして、ついでに跳ねっかえりもじっとしてないだろうとはいえ、やはりあの二人がすぐ稼げるようになるかと言えばそれほど甘くはないだろう。当面は俺の稼ぎでどうにかすることになる。
ちびすけは暫し咀嚼するように間を取ってから、こくりと頷いた。
「よし。…で、飯の量やら何やらは、とてもじゃないが今までお前が準備してきたのと同じじゃ間に合わない。俺の生活に合わせてもらうことになる。そういうわけで、暫くは俺がどんなものを、どんな風に、どれぐらい使うか、傍で見て確認しとけ」
いくら幽閉されていたとはいえ、青鹿の状態を見るに、腐っても五色の一員、中堅の商人の食卓に並ぶものと同じ水準のものは食べていただろうと推察できる。それを思えば、随分貧相になるはずだ。見たとこ、ちびすけは物心つくかつかないかくらいの頃に親元から離されたようだし、だとしたらどんな生まれであろうと『青』での厨しか知らない。多分、今ちびすけに食材を渡しても何をどうして良いか分からないだろう。
ちびすけはやはり生真面目な表情で頷いた。
「それこそ、青鹿に仕えるお前には不満もあるかもしれねェが」
「い、いえ! 既に百鷺さまのご厚意に甘えているのですから!」
「そのうちいろんなことを結構任せるだろォから、その辺頼むわ」
ぱっとちびすけが顔を上げ、こくこくと何度も頷いた。
今回はたまたま帰っていたが、患者の状態によっては診療所で夜を明かすこともある。ジジィは年齢の割にぴんしゃんしているが、それでも俺のほうが体力あるし、何日も続きそうだったら必然俺があちらに泊まり込む頻度が高くなる。
それを思えば奴らがちびすけを連れて来たのはやっぱり正しかっただろう。緋羽も全く出来ないわけじゃないが、今までやっていたことを比較すればやはりちびすけのほうが覚えが速いはずだし、何かと目立つあいつよりはちびすけのほうが身動きがとりやすい。
「明日は市での買い物の仕方とかも教えてやる」
「はい!」
素直だ。
俺は少なからず感動した。
多分人の役に立つことが好きな性質でもあるんだろうが、いろんなことを吸収したくて、目がきらきら輝いている。たとえるなら拾われたばかりの仔犬か、覚えたての言葉を並べて喋ろうとする幼子か。その愚直さが好ましい。普段ジジィにしごかれ来襲した幼馴染どもはいろんな意味で相変わらず、とくれば、この素直さに癒されたって罰は当たるまい。
有体に言えば、こんな娘を持ちたいものだ、というか。
「白…百鷺さま?」
きょとんと問いかけて来るちびすけには勿論言わないが。仔犬だの幼子だの娘だの言われても困るだけだろうし。
「…………さて、やるかァ」
「はいっ!」
元気よく返事をするちびすけを伴い、俺は厨へ向かった。
こいつらの足を、新しい地面にしっかりと据えるために。