番外:雪見草
※活動報告に載せた小話の再録。
『悪名を笑う』の少し前、紅雪一人称。卯木の名前の由来。
その一枝に目を惹かれた。
「……ああ、お気づきになられたんですね」
卯木が僕の視線の先に気づいて、ふと目元を和ませる。
「朝はなかったよね? 今日貰って来たの?」
少し口の広い一輪挿しに生けてあるのは、空木の花――卯の花の枝だ。
「私ではありません。緋羽さまが寄越して下さったんです。紅雪さまはこの花が好きだからと」
そう言付けた妹の表情まで分かる気がして、僕は少し顔を顰めた。茶目っ気の強い妹のことだ、きっと意味を重ねて含んでいると分かるような、悪戯っぽい顔をしていたのだろう。
でも、この花が好きなのは本当。
そっと散らせないように優しく触れる。少し冷たく、しっとりした花弁の感触が柔らかくて、思わず顰めていたはずの顔が綻んだ。
「緋羽さまも、紅雪さまを案じてみえるんです。お好きな花を見て、和んでくださればとお思いなのでは」
「うん。今年は、見に行くことが出来そうにないからね」
僕は昔から卯の花が好きだったから、その盛りの頃にささやかな野点をするのが恒例だった。参加者は僕と妹、あとは卯木を含む少しの供。昔は幼馴染たち二人も加わっていたのだけど、今は滅多に外出できないのが一人、都から離れたのが一人で、どちらにも気軽に誘いはかけられない。しかも今年は、僕も『赤』の当主としての公務が忙しくて、どうにも計画すら出来そうにない。つまり妹は、今年は花見も出来ず侘しい春だという意味も込めているのだろう。
小さな恨み言と軽い皮肉の裏に、たくさんの心配が入っている。
「………うん。来年はちゃんと、花見したいね」
「ふふ、今から楽しみです、紅雪さま」
これほど早く楽しみにし過ぎては鬼に笑われますね、なんて冗談めかしながら、卯木は白湯を差し出した。ありがたく飲み干すと、疲れた身体に温かさが染み入って、少し甘く感じる。
こんなところで思い知らされる。卯木の仕草は全て自然でさり気ないが、しっかりと僕のために気を回されているんだ、と。
「そういえば、届けた使用人に尋ねられたのですが、私の名前はこの花から取られたのですよね?」
頷く。卯木は此処に来るまで名無しだったので、従者として訓練を始める時に僕が名前を付けたのだ。好きな花から名付けるなんて少女趣味だ、と幼馴染に揶揄われたものである。
「そればかりじゃないけどね」
びっくりしたように僕を見上げる卯木に微笑み、こっそりと秘密を打ち明けるように声を潜める。
これは、今まで誰にも言っていない、命名理由。
「僕の『紅雪』という名前において、雪は僕個人を指すものとして扱われる」
基本的に五色の本家の者は、その系統の色の名を、自分の名前かその一部として持つ。僕の場合は、“紅”の文字が『赤』という僕の出自を示す。そして、一族内外で僕を示す紋は雪を象ったものだと、卯木が知らぬはずはない。
「ところで空木の別名を雪見草という」
「………は」
「分かった?」
つまり、元から僕の従者と育てるべく引き取った、ということ。
きょとんと目を瞬いて、卯木は少しだけ苦笑交じりに、けれどはっきり微笑んだ。
「光栄です、紅雪さま」
うん、と頷いておく。
多分彼女は、もう一つの意味には気づいていない。今は何も言ってないから、当たり前だけれど。
表さなかった意味。
雪見草。君は、僕を見ていて。