009 苦戦 ~奪う者たちと紅の剣士~
<ユーエッセイ>から<ハイザントイアー>までは、瓦礫の山と化した神代の高速道跡を馬で行くのが早い。<ビグミニッツ>を過ぎたところまで行ければ、あとは川沿いを延々と進めばいい。それでもまだ、道程の半分といったところだが。
このルートをあまり人が通らぬのは、誰も地図など持たぬゆえにそんな長距離移動をしようと思わないことと、盗賊やモンスターの格好の標的になってしまうことである。
たんぽぽあざみは<ユーエッセイ>を抜けると、桜童子をはじめ、友人たちと念話で連絡を取ることができた。中でもシモクレンとは旧い仲なので無駄話も多くなってしまう。
(まったくどこほっつき歩いてたんよ、このナマケギツネ!)
「<ユーエッセイ>じゃ念話が通じなかったって、言ってんにゃろ。それともなーに、脳みそのほとんどはそのムダ巨乳にしまわれてて覚えちゃいないんかい」
(お姉ちゃんのおっぱい恋しくなったなら早う帰ってきーね)
「かー! どこまでもポジティブやな。このあざみ様がクエスト受けたったからしばらく戻れんで」
(まったく、どうせソロでなんとかしようと思ってるんやろうけど、いい? あなた<武士>なんよ。大立ち回りは得意かもしれへんけど、そのあと気ぃ抜いたら寝首をかかれるんやからね)
「そこで死んだらそれまでの女やと思って」
(かっこつけとる場合やないで。あんた死んだらいつまでたっても<サンライスフィルド>に戻れへんのよ。いつまでたっても合流できんやない。期間限定クエストやないんなら、一度こっちと合流する手を考えといて)
「あー、考えるのはにゃあちゃんの役目っす。あたしは前進あるのみ」
(もう、リーダー。あざみに何とか言ってやって)
念話をシモクレンから桜童子に切り替える。
(あー、もしもし、無理するな、たんぽぽ)
えー、それだけ? という声が桜童子の念話越しに聞こえてくる。たしかにそれだけだったが、あざみにとってはひどく懐かしい感覚を覚えて、目にじんわりとした熱さがこみ上げてくる。
こうギルドマスターが判断したときは、やれるだけやってよいという合図だ。それだけ信頼されていると考えていい。ここ数日孤独だったことをこんな形で思い知らされるとは思わず、動揺を隠すように念話を切った。
しばらくは、よく晴れた中を順調に進んだ。モンスターも盗賊も現れなかった。随分とそうしていると、だんだんと海風が強いゾーンに入ってきた。硫黄の匂いが立ち込めてくる。昼であるのに視界は霧に覆われてくる。
あざみの狐耳が風切り音をキャッチした。小太刀を抜いて払う。
切り落としたのは一閃の矢だった。
「ついにおでましかい」
あざみは馬の背に張り付くようにして身を低くする。
もう一閃。正確に狙われている。道の脇は丘陵状になっていて、射手が潜むには絶好の場だ。向こうからは何らかの手段で見えているのだろう。
敵は偵察能力を備えた<暗殺者>か。
いや、違う。あざみは馬から飛び降りざまに、馬の尻を蹴って走らせた。馬のいたところを太い雷撃が走る。
「まさかこの霧、<コールストーム>なのか」
となると、敵は<森呪遣い>か。いやいや、そうじゃない!
群れだ! 霧の中に敵の姿が見えてきた。
両手に斧を構えたバーバリアンタイプの<森呪遣い>に、<猛猪>が三体。
頭に輝く荊冠を頂いたアブソーバータイプの<森呪遣い>に<灰狼>二体。
さらに<森熊>一体。その後方のウィッチドクターは他人の傷をも引き受けるがごとく、気脈を仲間たちに張っている。
左手の丘に見えるのは、雷を落としたシャーマンだ。
「<フォレストバンディッツ>……森の野盗ね。<盗るドル>くらいのギルド名でちょうどいいんじゃないの? ま、いいさ、刀の錆にしてやんよ」
あざみの呟きが終わらぬうちに、無言で蛮人が突進してくる。
斬られる恐怖を抱いていない躊躇ない突進。ゲームの中だけならまだしも、生身でその攻撃ができるとは、この数日のうちに随分と実戦経験を積んできた証だ。
「血腥い斧だねえ」
あざみは腰から二刀を抜いた。
「放つよ、<暮陸奥><一豊前武>」
どちらも気の置けない刀匠の打った刀である。自分の腕よりも自在に操ることができるとあざみは信じている。「激おこプンプン丸」と「激おこスティック」と名付けようとして叱られたがあざみは大のお気に入りだ。
にやりと笑ってバーバリアンに向かって駆け出す。間合いが詰まる。斧が振り下ろされる。カウンター狙いですれ違いざまに胴を払うぐらいでは、重いバックブローのように繰り出す反撃を避けられない。避けた先には猛猪の波状攻撃が待っている。
刀で受ける構えもない。あざみは逃げもしない。
斧があざみを両断した、かに見えた。
バーバリアンの目の前にいたあざみは幻に過ぎなかった。
<朧渡り>だ。わずかに後退し攻撃を刹那で躱してから、首を狙って薙ぐ。蛮人の背後に周りこみ、重いもう一撃。致命傷を負い放心状態に陥ったバーバリアンはあっさりとあざみの姿を見失った。
そこから波状攻撃に出ようとしていた猛猪のもとに一瞬で迫る。
<トリックステップ>と<火車の太刀>の併用だ。狐尾族ならではの特技の習得で、本来の武士にはありえない動きが可能になっている。あざみの戦い方をみて「二刀流の武闘家」と呼ぶものもいるほどだ。
円の動きを維持したまま猛猪の首を薙いだ。
「右薙・袈裟・左薙」
予想以上の連撃ダメージにシャーマンが離れた位置で悶え苦しむ。ダメージを肩代わりする甲斐もなく、次々と一刀で切り伏せられていく。
「逆袈裟・返して右切上」
灰狼二体が大気の泡と化す。怒り狂った猛猪が飛びかかる。
あざみは真っ向から一刀両断する。
「唐竹」
「しめた! これで動けまい! バーニングバイドォオオオ」
武士の特技<兜割り>とみて、アブソーバーは隙をついたつもりだった。だがこれは秘伝級にまで高めた<火車の太刀>の動作の一部に過ぎなかった。
ゴーグルをつけた<森呪遣い>の足下に転がるように潜り込み、股下から頭の先まで切り上げた。両断されたゴーグルも泡と化す。
「逆風」
「ぐあぁああああああああああ」
叫びを上げる森熊の口に暮陸奥を突き込む。
「刺突」
ウィッチドクターは自らの失敗を悔やんだ。なぜ、従者のダメージまで肩代わりしようとしていたのかと。こうなったらそんなことはどうでもいい。落とせ、ストームコーラー! 怒りのイカヅチを―――。
「左切上――発動」
煌く泡と化して大神殿へと送られる最中にウィッチドクターは哄笑した。
ストームコーラーの放った光の束が自分たちを包んだのが見えたからだ。
「ライトニングフォオオオオオオオオオル」
たんぽぽあざみを中心に幾条もの雷が落ちる。
「ざまあみろ! オレたちに適う奴らなどいねえ」
ストームコーラーと呼ばれる攻撃魔法型のシャーマンは、当初の目的も忘れて勝ち誇った。いや、そもそも目的などなく単純で身勝手な鬱憤晴しに過ぎなかったのかもしれないが。
信じられない光景が現れた。
雷の音も光も衝撃も、瞬間的にあざみの刀にすいこまれるように消えた。
振り払った刀が、雷を切り捨てた。
ゆらりと立ち上がったあざみの姿はもうそこにはなかった。
「まさか、<叢雲の太刀>だと!?」
「まあね」
シャーマンが驚いて振り向くと同時に、あざみは斬り払う。
音もなく突如背後に現れたあざみによほど驚いたのだろう。断末魔もなく大神殿へと消えていった。
サブ職業<武侠>の特殊能力の発動条件を、あざみはゲーム時代から知っていた。発動すると神仙的な身のこなしが可能になる。発動させるには九つの正確な連続攻撃が必要になる。実践で使うのは初めてだが、毎日一日一万本の素振りが役に立ったらしい。
「ふう」
息を吐いたあざみの胸の谷間から、刀が突き出ていた。
ぐぶ、と口から血を吐いて、あざみもまた己の失敗に気づいていた。霧に包まれた時、矢を二本払い落としたことがよぎる。
<森呪遣い>に弓は装備できない。
もう一人の敵、<暗殺者>の存在。
あざみは<一豊前武>を逆手に持ち替え、背後の敵を差し貫いた。
これには<暗殺者>の方が仰天した。必殺の一撃を背後から仕掛けて差し貫いたのだ。反撃など予想だにしていなかった。膝から崩れ落ちる。
「貫け、激おこスティック!!!」
あざみは止めを刺す。煌く音と泡。
「<武侠>じゃなきゃ、ハア、ハア。死んでた、な」
HP残量わずかに一。<武侠>のもうひとつの特技、<ガッツ>だ。
敵が足元に散らばした回復アイテムを拾い、あざみはそれを飲み干し終わると、その場にうつ伏せに突っ伏した。