5 作戦開始!!
入れ替わり大作戦決行日の朝。
「桜〜!! 制服これでいい?」
「えっと……、あっ!! 椿、リボン忘れてる」
「どこ〜?」
「クローゼットの左!!」
私こと桜の登校時間まで、あと5分。桜に扮した椿は、ドタドタと私の部屋を駆け回っている。
私たちは昨日、入れ替わったときの様々な場合を想定して、お互いに教え合った。例えば、椿はお昼はクラスで、大勢で机を寄せ合って食べているとか、桜は友達がいないのではないけれど、何かとひとりで行動することが多い、とか。これで完璧、と思った2人。揃って、制服の着こなしについては教えるのを忘れていた。
その結果が、これ。
「椿、リボンは3つあるでしょ。どれでもいいから!!」
「うん。今日は緑にする〜、っと、そろそろ出なきゃ」
「いってらっしゃい。あたしは10分後に出るから」
「了解。じゃ、ね〜」
椿が家を出た。
ああ、本当に桜として行ってしまったのか。往生際の悪い心が、まだ納得できずに呟いていた。
* * *
椿が言うには、7時40分に家を出て、57分発の電車に乗る。駅から徒歩10分のところに学校があって、20分過ぎには教室に着く。それで30分からのホームルームに余裕で間に合う、らしい。
だけど今、私は、走っている。時刻はすでに8時25分。学校はもう見えているけれど、校門まであと100メートルはあって、さらに「2−1」は3階の一番奥。
家を出て5分ほど経ったころ、携帯が鳴った。椿からだ。
「桜ごめん!!」
開口一番に、椿は言った。どうしたの、と私が返そうとしたところ、椿はさらに、続けた。
「ネクタイしてる? してないよね。うちの学校、ネクタイ常備なの。忘れたらペナルティなんだ。あたしの部屋のクローゼットの左に入ってるから、お願い!!」
椿はそれだけ言って、電話を切った。時間的に、どうやら電車を途中で降りて掛けてきたみたいだった。
「お願いって、これから戻れって言うの?!」
きっとすぐに電話を切ったのは急いでるせいではなくて、私に有無を言わせないようにしたんだと思う。電話がまだ繋がっていたら、私だって椿に文句を言うし、取りになんて戻らないと、きっぱり言える。
「ずるいよ、椿」
私は走って、今来た道を全速力で戻っていった。
「おはよ〜椿。どうしたの、ギリギリじゃん。まだコッシー来てないよ。良かったね」
8時28分に3階に着いて、そのままトイレに駆け込み、苦しい胸の鼓動を抑え、メイクと髪を整え直し、チャイムと同時に平静を装って教室に入った。
「ちょっと、電車に乗り遅れちゃって」
声を掛けてきたのは、前の席の乃李。椿いわく、「あたしのことがすっごい好き」な、女の子。
「椿、CD持って来てやったよ。ほら」
「あ、ありがと喬。返すの来週でいい?」
「またそのままパクるつもりじゃねぇの?」
「ちゃんと返すって」
「気長に待っとくわ」
よく遊ぶ男子のひとり、喬との会話はこれでいい。椿はこうも話した。1か月前に喬に告白されて断った。良い友達のままでいたいから、気を持たせるようなことは言ってはいけないのだ、と。つまり喬とは、重い空気を作ってはいけない。軽い会話を親しげにするのがちょうどいい距離なのだ。
「ホームルーム始めるぞ〜」
そのうち教室に入ってきたのは、担任の越丘先生。27歳のイケメンで生徒受けも良く、コッシーの愛称で親しまれている。担当教科は英語。
――よし、何とか乗り切れそう。
走ってきたことで、かえって余計なことを考えて緊張する暇がなかった。頭の中はぐるぐる、昨日必死に暗記したクラス名簿がフル回転している。
ホームルーム中、私は変にきょろきょろすることもなく、机と頬を杖で結び、気だるそうに前を向いていた。いつもの椿のクセだ。
私は椿だった。なりきっていた。いや、私は、“椿だった”。
なのに、なぜだろう。さっきから一瞬の逸らしもない視線が、背中に、私に突き刺さっている。




