49 終わった恋の小さな希望
家に帰ったら帰ったで、今度は椿が私を攻め立てた。
「何で?! どうして夏に『さよなら』なんて言ったのよ!!」
「どうして、って、別に。だって、そう言わなきゃ終わらなかったじゃない」
「終わらせる必要なんてないよ。そこから始まるんじゃない」
「始まらないよ、何も」
だって、分かっていたの。「よろしくね」と始まりの言葉を口にしたところで、夏は、私が差し出した手を握ってはくれない。私を、許してなんてくれないのだと。
「はっきりと拒絶される前に、あたしが終わらせたの。……恐かったのよ。それ以上夏に、嫌われてしまうことが」
「桜……」
「認めない」と、夏は言った。それは、“桜”の存在を認めないということ。たぶんあのとき、夏の心に残っていた一緒に過ごした時間さえも、消されてしまった。
だからもう、私が失うものは何もない。
だけど、まだ、希望だけは捨てられない。
「夏が、たとえ私と過ごした時間を消し去っても、最後の言葉は夏の心に残ったままだと思うの。人って、出会いと別れの言葉を結構覚えてるものでしょ。だから、夏の中にあたしの名前が生き続けているんなら、それだけでいいかなって」
「何がいいのよ。それじゃ桜の気持ちはどうなるの。夏だって本当は――」
「いいんだって。あたしが、それでいいと思ったの。椿と入れ替わりをしたこと、嘘をついたこと、夏にさよならをしたこと。あたしは、後悔してない」
「桜ぁ……」
「椿が泣かないでよ」
「だって、桜が泣かないから、」
そう言って私の胸に額をついて、椿は泣いた。自分は彼と上手くいったというのに、椿の涙は嬉し涙ではなくて、心の底から滲み出た悲しみの涙だった。私が今、泣くことができていたら、きっと、こんな涙を流すのだろう。
だけど、泣けなかった。涙が椿にすべて奪われてしまったように、心の貯水タンクは空っぽになっていた。
――後悔してないから、なのかな。
だけど、できることなら、椿と入れ替わりをしたことも、嘘をついたことも、夏にさよならをしたことも、みんな、なかったことに、したかった。
そんなことできやしないと分かっていたから、後悔という形で気持ちは残らなかったけれど。
だけど、できることならば――。
* * *
朝、起きると、椿はもういなかった。母は「学校に行った」と言って自分も出て行き、私は、ひとりきりになった。
「椿、どうしたんだろう」
クローゼットを開くと、ちゃんと私の制服はそこに掛かってあった。ということは、彼に会うために私の学校に行ったのでもないらしい。椿の部屋のクローゼットには、制服は、なかった。
「日直、か、朝練の助っ人……?」
一言声を掛けてくれても良かったのに。もしかして、気を遣ってくれたのかもしれない。私が、眠れずに一夜を明かしたことに、気づいていたのかもしれない。
「あたしも支度しなきゃ」
体がだるく感じられるのは、ベッドに横になった状態でも尚、体を休めることができなかったせいだろうか。ベッドに入ったのが午前1時ごろで、6時間は眠れたはずだった。それなのに、その長い時間すべて、私は夏のことを考えていた。人は考え出すと時間の経過を早く感じてしまうものなのか、想うことは、ちっとも消化しきれなかった。6時間では、まだ全然足りないくらい。
「もう終わったことなのに」
それなのに、何を延々と想ってしまうのだろう。
「そろそろ行かなきゃ」
制服を着て、いつもと同じ時間に家を出る。
私と椿は双子で、だけど、漫画にありがちなテレパシーなんて使えるわけもないから。
そのころ椿が、夏と会っていたなんて、まさか、知るはずもなかった。




