44 私の分身(椿視点3)
椿視点はこれで終わります。次からはまた桜視点に戻ります。
家に着いて早々、神妙な面持ちでテレビに向かっていた桜が私を見るなり、こんなことを言った。
「椿。来週の月曜日、あたしの学校に行きなよ」
「桜、どうしたの。もう二度と入れ替わりはしないって、2人で決めたじゃない」
「そう。だけど椿は行くべきだよ。行って、彼ともう一度話してきて」
「え?」
帰って桜に聞かなければならないと思っていたことを、桜のほうから話してくれた。
* * *
昼休みのことだった。
桜はよく、中等部と高等部のフェンスのそばにある樹齢100年と言われる木によじ登っていた。そこに吹く風はとても柔らかくて、気持ちが良くて。ひとりになりたいときに来ていたそこに、今日は、随分久しぶりに訪れていたのだった。
「もしかしてそこにいるの、桜さん?」
声のするほうに視線を落とすと、フェンスの向こう側に誰かが立っているのが見えて、トン、と、飛び降りる。その高さからのスマートな着地に、彼は少し驚いたような目で振り返った。
「桜さんて、わんぱくな人なんですね。イメージ通りでいいよ」
この人は椿を知っている。直感で、桜はそう思った。
「なんか失礼じゃない? その言い方」
「まさか」
「……そんなところで、何してるの?」
探りさぐりに言葉を選んで、言ったつもりだった。
けれどその彼は、中学生であるはずの彼は、桜のぎこちなさに気づいてしまった。
「ああ、今日は本物なんですね」
「え?」
「いつもここで僕と会っていたあの人は、もう、来ないんですか?」
その彼の確かな瞳に、桜は、嘘をつくことなんてできなかった、と、言った。
* * *
「ごまかせなかったの。彼の瞳は、あたしを通して椿に問いていたような気がして。それならあたしは、椿と彼を繋げなきゃいけないと、思った」
「そう」
「ごめんね。2人でこの恋を終わらせようって、決めたはずなのに」
「ううん、いいの。あたしだって、同じだから」
「え?」
私は伝えなければならない。桜に、言わなければいけないことがある。
「桜。来週の月曜日、あたしたちはこの恋と、向かい合おう」
* * *
忘れるはずだった。
彼を想う心がまだこんなにもキラキラと輝いているのを分かっていても、彼を信じきれない気持ちだって確かにそこには、生まれていたから。
掴み処のない微笑み。曖昧な返事。中学生と思えない落ち着き。彼を成すものすべてが私の周りをふわふわと漂って、捕らえることなんてできないんだと、いつも、言い聞かせていた。
だから私は、彼から、逃げた。彼が、あまりに容易く、私の前から立ち去ることができるのが悔しくて、哀しくて。ついに、私から、逃げ出してしまった。
「僕はまだ、あなたに何も伝えてないんだから」
その彼の言葉でさえ、私は信じきれていない。彼の、妙に大人の世界観を持った部分が、私の反応をからかっているんじゃないか、と、疑ってしまう。
だけど、桜が行くなら――。同じ想いを共有して、誰よりも分かり合える、私の分身が、夏に会うと、決めたなら。
「桜が、夏と向かい合うなら、あたしも彼を信じる」
彼が私に伝えたいと言ったことすべて、信じて受け止める。




