43 家路を急ぐ(椿視点2)
後半に書くつもりのなかったものを入れてしまいました……。詳細はあとがきにて。
私が別人に見えるか、と聞くと、夏は言葉を失った。きっとそれは、私があまりに突拍子もないことを口にしたからではなくて、夏が考えていたことをずばりと当てた私への、驚きだったのだと思う。
「あたしが椿じゃないって、思ってるの?」
「いや、お前は、椿だけど……」
「じゃあ誰が別人なのよ」
夏は少し躊躇って、ぐっと口を噤んだ。やはり別人がいるなんて、そんなことはあり得ないと思い直しているのか。それとも、別人に見えたときの私を思い返しているのか。
やがて沈黙を破ったのは、夏が、私を別人だと思ったときのことを思い返したあとだった。
「屋上で会ってたのは、みんな、椿じゃないような気がする。あとクラスマッチのときも、その、もっと前にも。……いや、椿なんだ。椿にしか見えないはずなんだけど。でも、何か違うんだよ」
夏は頭を掻きむしって、頭の中でぐるぐる巡っている考えを追い払おうとしていた。もしここで私が「そんなことあるわけないでしょ」なんて言葉をさらっと口にしたら、夏は、それを信じていたと思う。
だけど私は、さらに夏を誤魔化そうとする、そういう気持ちを捨ててしまっていて、分からないなりにも真剣に伝えてくれた夏に、ちゃんとぶつかるべきかもしれないと、悟った。
「もし、次に夏の前に現れるのが、夏の思う“別人”だったなら――。そのときは、夏が見抜いてあげてくれる?」
「え?」
「来週の月曜日、この学校に私じゃない“別人”が来て、それに夏が気づいたら、全部話すから。だから、週末の2日間だけ、時間をくれない?」
「……!! それって、」
どういうことだ、と言いかけた夏の言葉は私のひとことによってかき消され、そのまま喉の奥へ、沈んでいった。
「あたしが絶対連れてくるから。だから夏、お願いだから、分かってね」
夏の過去を知らない私は、夏が嘘つきは嫌いだということも知らなくて。
もう一度2人が会って今までのことをすべて話せば、桜と夏の2人はこれで幸せになれるだろうと、単純に、そう、思っていた。
* * *
早く帰って桜に今日のことを伝えなければ。家路を急いでいたら、駅でばったり、彼と再会してしまった。もう二度と会わないと、もう忘れようと決めたはずの、彼。そういえば家が近いことをすっかり忘れてしまっていて、思わぬ巡り合わせに、1拍遅れて鼓動が疼く。叫ぶように強く、倒れてしまいそうなほど速く、脈打って、胸が高鳴りを知らせる。
「椿さん」
と、彼が、私の名を呼ぶ。「桜」を名乗っていた私に、「椿」と。
「……どうして、」
「桜さんに聞きました。でも僕、分かってましたから。あなたが桜さんではないことくらい、初めから知ってました」
「うそ。そんなこと、あるわけ、」
「嘘なんかじゃないです」
私を包む、ふわりと感じるバラの香り。高等部と中等部を結ぶフェンスの下にひっそりと身を隠し、バラの香水をいつも纏っている彼の香りと、同じもの。その香りが、私を包み込む。初めての感覚に、微かにも身動きが取れない。
「な、に? からかってるの?」
「椿さんさ、気にしてるの? 僕がまだ中学生だってこと」
「え?」
「だから、僕の前から逃げ出したの?」
「ちが、そんなんじゃ、」
彼の腕に力が一層こもって、身動きどころか、息さえ、できない。
「痛いから、離して」
そう言うと、彼はすんなりと、私を彼の中から放り出した。
「来週は来てよね。椿さん、僕はまだ、あなたに何も伝えてないんだから」
去っていく後ろ姿は、大人ぽく見えても、中学生のもの。
だけどこの彼に、私は心惑わされている。
――そっちから、逃げ出したくせに。
「帰らなきゃ」
数分で起こった、数分で終わった、再会。彼は桜に、何を聞いたのだろうか。
早く帰って、桜に、今日あったことを伝えなければ。
そして、今日あったことを、すべて、聞かなければ。
椿の恋はもとから彼の設定も決まっていたんですが、この中で書くつもりは全くありませんでした。次回作として発表しようかと考えていたものです。結局次回作にはしないつもりですが……。
ここで登場してしまった椿の恋の相手は、物語の展開に大事なところだったので、今回限り、出しました。




