40 私たちの失敗
校門を出ようとしたとき、夏を見た。野球部のトレーニング中、こっちには気づいていない。
チャンスだ、と思った。このままさよならを言えずに離れたところで、私の心は夏ばかりをいつまでも追ってしまうような予感がしていたから。ここでちゃんと別れを言っておけば、その気持ちも少しは治まるかもしれない、と。
「夏、これでさよならだよ。バイバイ」
夏が気づかないように、ひっそりと。
それでも私の心は穏やかな海のように、波立っていた鼓動も、大きく寄せては返していた気持ちも、平坦で落ち着いた水面をつくり出していた。
これで、前に進めるような気がした。
* * *
家に帰ると椿はいなくて、だけどどうやら帰ってきたらしい跡だけ、残っていた。椿が学校から帰ってすぐに飲み干したミネラルウォーターの、空になったペットボトルが、キッチンのカウンターに転がっている。
「椿……?」
部屋のドアをノックしても、椿のいる気配はない。どこかへ行ったのだろうか。玄関には、バランスの悪い揃いのローファーが1足分、置いてあった。
――家にいるはずだよね。
だけど椿はやっぱりどこにもいなくて、仕方なく、制服を着替えた私はリビングにいた。
「ただいま〜!! あっ、桜。帰ってたの」
「椿!! どこに行ってたの? 心配してたんだから」
「へっ?!」
椿が帰ってきたのは、私がソファに座って20分ほど経ったあと。椿はあっけらかんとした表情で私を見た。
「椿、靴はあるのにいないから、どうしたのかと思ったの」
「えぇ〜?! 気にしすぎだよぉ」
制服姿の椿は、例の、あの彼を送ってきたのだと言った。さっきまでこの家に、彼が来ていたらしい。
「えっ。……ってことは、付き合うことになったの?」
「それがね――」
そのあと椿が説明してくれたことを、あまり私は理解することができなかった。まずは前置きに、と、告白は結局できなかったのだと教えてくれた。
「好きです、とはね、言えなかったの。ううん、彼が言わせないようにしてたのかも。たぶん、あたしの気持ちには気づいてると思う」
「じゃあ彼は、椿の気持ちには応えられないってこと?」
「うん。でもね、あたしもそれは分かってた。彼の態度で、気づいてたの」
この家に来たのは、と切り出すと、偶然帰り道が一緒だったの、と、椿は答えた。無理を言って送ってもらって、そのあと彼を途中まで送ってきたのだ、と。
「何で椿も送るのよ」
「彼にも言われた。それじゃ意味ないだろって。でも、少しでもそばにいたいなって思って。どうせ、今日でさよならだし……」
「椿……」
「答えが分かってても、告白するべきだったのかな」
椿は溜め息とともに笑顔を吐き出して、力なく笑う。どうしようもないよね、と、自分自身にも言い聞かせているように。
「そんなことないよ、椿。そのあとに何が起こるか分かってるなら、伝えないほうがいい気持ちも、ある」
「え、じゃあ、桜も……?」
「……うん」
夏を傷つけてしまうことは分かっていた。もう側にいられなくなることも、分かっていた。
それでも自分の気持ちを優先して伝えようとするほど、私は子供じゃない。
それでも相手を無視して自分の気持ちを伝えられるほど、大人でもない。
「どうするべきか、分かってたの。ひっそりとさよならだけを告げて、あたしは夏の元から離れるべきだって。好きだからこそ、それしか、できなかった」
「……あたしたちって、どこから失敗してたのかな」
「もしかしたら、この恋自体が、あたしたちの失敗だったのかもね」
そうかも。椿は頷いて、また、笑った。私たちは自分の失敗に、笑うことしかできなかった。
恋をしたこと、間違ったなんて思わない。私は夏を好きになって、人生が花開いたように、楽しかったんだ。
だけど私たちは、この恋を、恋した相手を思うあまり、臆病になりすぎた。
それが、私たちの予測していなかった、失敗。




