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桜サク夏  作者: 綾瀬タカ
35/52

35 保健室に2人

 夏と付き合うことになった。どうしてそうなったのかはまったく分からないけれど、私と夏は、クラスのみんなにからかわれながら「そうだよ付き合ってるんだよ」と、2人で繋いだ手を見せびらかした。喬も涼平も笑ってくれて、私と夏は、顔を見合わせて、幸せだね、と頷く。


 



 そんな夢を、見ていた。



 *  *  *



「おう、起きたか」

 ゆっくり目を開くと、陽の光が眩しくて、またすぐ瞼を下ろす。窓辺から顔を背けると、目の前には保険医の姿があった。

「ここ、保健室ですか……?」

「ああ。もうすぐ5限が終わるころだ」

「え?」

「理科棟で急に倒れたんだ。覚えてないか」

 確かに、この先生と会ったのは覚えている。だけどそのあとに起こったことは何も――。ただ、私の体には、誰かの腕に抱き締められたらしい温もりが残っていた。

「倒れたって、先生がここまで連れてきてくれたんですか?」

 この、服の上からも感じる温もりは、先生のものなのだろうか。

「いや、俺じゃない」

「え?」

「ちょうど入来がいたから、あいつに運ばせた。野球部だし俺より力ありそうだったからな」

「……夏が、」

 無意識に、腕が肩へと伸びた。抱かれたこの温もりは、夏のもの。夏の熱が、私の体に染み込むようにして残っている。

 私を運んでくれた夏は、すぐに教室に向かったらしい。椿をよろしくお願いします、と、丁寧に頭を下げていったのだと。


 ――夏が、あたしを。


 さっき、屋上であんな風に話したばかり。しかも私はそこから逃げ出して、だけど知らないうちに、夏の腕に抱かれた。なんて恥ずかしいことを、してしまったのだろう。これでもう本当に、夏に会わせる顔がない。

「先生」

「あ?」

「名前、何でしたっけ?」

 今さらかよ、と言いつつ教えてくれた杏堂あんどう先生。ぶっきらぼうで、保健医のくせに他人に興味のなさそうな態度は、夏とまったく正反対。それがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまう。

「何笑ってんの。具合良いんなら帰れよ」

「だって先生、保健医のくせに清潔感ないんだもん。遊んでそうだよ」

「おいこら。俺は一応先生だぞ」

「だからちゃんと先生って呼んでるじゃないですか」

「お前なぁ、」

 先生は呆れた顔をして、だけどそのあと、ふっと口元を緩ませて、笑った。

「ほら、さっさと教室戻れ。ちょうどチャイム鳴ったぞ」

 5限の終わりを告げる爽やかな音楽。私にはそれが、警告音に聞こえた。まるでシンデレラの、午前0時の鐘のように、遠くの方で鳴っているのに、耳元にまでその存在を示している。

「……安堂先生。あたし、6限もここにいちゃだめですか?」

「あ? ここはサボり場じゃないんだよ」

「6限は体育で、マラソンなんです。もしまた貧血でも起こしたら、先生の監督不行き届きですよ」

 脅しかよ。そう言って先生は、デスクのほうに向いて、私から目を逸らした。ここにいてもいいということなのだと、私は勝手に解釈して、再び、ベッドに体を預けた。

 柔らかいシーツの清潔な匂いに包まれる。この先生が毎日シーツを洗濯をしている姿を想像するとまた笑えて、陽射しの気持ちいい午後に、少しだけ、気分が持ち上がった。

「先生。暇だから、話しませんか?」

「俺は忙しいんだよ。サボり生徒の相手してる暇はない」

「うそ。保健医って怪我人がいなきゃ仕事ないじゃないですか」

「いろいろあるんだよ、大人はな」

「子供だって、いろいろありますよ」

 そう言うと、先生から溜め息が聞こえた。もしかしたら聞こえるようにわざと、大きく言ったのかもしれない。

 しょうがないな、というように、再び私のほうに椅子を回してくれた先生。夏と正反対のこのひとは、このひとだったら、私の嘘をどんな風に受け止めてくれるのだろう。

「ほら、話してみろ。弥代椿」

 直感で、このひとは大人だと、思った。

 出会ったことのない、大人の男のひとだ、と。







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