35 保健室に2人
夏と付き合うことになった。どうしてそうなったのかはまったく分からないけれど、私と夏は、クラスのみんなにからかわれながら「そうだよ付き合ってるんだよ」と、2人で繋いだ手を見せびらかした。喬も涼平も笑ってくれて、私と夏は、顔を見合わせて、幸せだね、と頷く。
そんな夢を、見ていた。
* * *
「おう、起きたか」
ゆっくり目を開くと、陽の光が眩しくて、またすぐ瞼を下ろす。窓辺から顔を背けると、目の前には保険医の姿があった。
「ここ、保健室ですか……?」
「ああ。もうすぐ5限が終わるころだ」
「え?」
「理科棟で急に倒れたんだ。覚えてないか」
確かに、この先生と会ったのは覚えている。だけどそのあとに起こったことは何も――。ただ、私の体には、誰かの腕に抱き締められたらしい温もりが残っていた。
「倒れたって、先生がここまで連れてきてくれたんですか?」
この、服の上からも感じる温もりは、先生のものなのだろうか。
「いや、俺じゃない」
「え?」
「ちょうど入来がいたから、あいつに運ばせた。野球部だし俺より力ありそうだったからな」
「……夏が、」
無意識に、腕が肩へと伸びた。抱かれたこの温もりは、夏のもの。夏の熱が、私の体に染み込むようにして残っている。
私を運んでくれた夏は、すぐに教室に向かったらしい。椿をよろしくお願いします、と、丁寧に頭を下げていったのだと。
――夏が、あたしを。
さっき、屋上であんな風に話したばかり。しかも私はそこから逃げ出して、だけど知らないうちに、夏の腕に抱かれた。なんて恥ずかしいことを、してしまったのだろう。これでもう本当に、夏に会わせる顔がない。
「先生」
「あ?」
「名前、何でしたっけ?」
今さらかよ、と言いつつ教えてくれた杏堂先生。ぶっきらぼうで、保健医のくせに他人に興味のなさそうな態度は、夏とまったく正反対。それがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまう。
「何笑ってんの。具合良いんなら帰れよ」
「だって先生、保健医のくせに清潔感ないんだもん。遊んでそうだよ」
「おいこら。俺は一応先生だぞ」
「だからちゃんと先生って呼んでるじゃないですか」
「お前なぁ、」
先生は呆れた顔をして、だけどそのあと、ふっと口元を緩ませて、笑った。
「ほら、さっさと教室戻れ。ちょうどチャイム鳴ったぞ」
5限の終わりを告げる爽やかな音楽。私にはそれが、警告音に聞こえた。まるでシンデレラの、午前0時の鐘のように、遠くの方で鳴っているのに、耳元にまでその存在を示している。
「……安堂先生。あたし、6限もここにいちゃだめですか?」
「あ? ここはサボり場じゃないんだよ」
「6限は体育で、マラソンなんです。もしまた貧血でも起こしたら、先生の監督不行き届きですよ」
脅しかよ。そう言って先生は、デスクのほうに向いて、私から目を逸らした。ここにいてもいいということなのだと、私は勝手に解釈して、再び、ベッドに体を預けた。
柔らかいシーツの清潔な匂いに包まれる。この先生が毎日シーツを洗濯をしている姿を想像するとまた笑えて、陽射しの気持ちいい午後に、少しだけ、気分が持ち上がった。
「先生。暇だから、話しませんか?」
「俺は忙しいんだよ。サボり生徒の相手してる暇はない」
「うそ。保健医って怪我人がいなきゃ仕事ないじゃないですか」
「いろいろあるんだよ、大人はな」
「子供だって、いろいろありますよ」
そう言うと、先生から溜め息が聞こえた。もしかしたら聞こえるようにわざと、大きく言ったのかもしれない。
しょうがないな、というように、再び私のほうに椅子を回してくれた先生。夏と正反対のこのひとは、このひとだったら、私の嘘をどんな風に受け止めてくれるのだろう。
「ほら、話してみろ。弥代椿」
直感で、このひとは大人だと、思った。
出会ったことのない、大人の男のひとだ、と。




