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桜サク夏  作者: 綾瀬タカ
11/52

11 否定

「あたし、そろそろ道場に戻る。試合終わってるかもしれないから」

「ああ。俺も行かなきゃ監督に怒られる。遅刻したのせっかく校庭20周で許してもらったのに、サボってるなんてばれたら、今度こそ絶対丸刈りの刑」

 夏は、坊主ではなかった。まだ短髪と呼べるくらいの長さで、野球帽を被ったら、少しだけ襟足がはみ出ている。

「いいじゃない。野球部は坊主が1番でしょ」

「あ、椿また前と同じこと言ってる。俺は野球部だから坊主っていう固定概念、嫌いなんだよ」

 そして私は思う。前に椿が私と同じことを言ったというときも、夏は、同じように返したのだろう、と。

「じゃあね、夏」

「ああ、また明日な」

 夏はグラウンドを向くと、一度もこっちを振り返らずに走っていった。銀杏並木の道を、遠ざかる白いユニフォームが、上下に揺れている。

「夏。助けてくれて、ありがとう」

 聞こえないと分かっていたから、私は声に出して、言った。

「夏。あたしは椿じゃないんだよ。あたしは、桜なんだよ」

 おまけに、もうひとつ。

「夏。あたしを見て。あたしに気づいて」

 言ったあと、どうしてこんなことを口走ってしまったのか、分からなくなった。

 でも、夏だったから、というわけではない。偶然ここを通りかかって助けてくれたのが夏で、今日の椿はいつもと違うと気づいてくれたのも、夏だったから。

 


 ただ、それだけのこと。



 だから、この胸に溢れている苦しさは。この、荒々しく動き出した鼓動は。



 恋じゃない。



 恋なんかじゃ、ない。



 *  *  *



「ただいま」

 家に着くと、午後7時を過ぎていた。この時間に帰宅するのはいつものことだけれど、今日は特別、1日中感じていた緊張が、今更滝のように落ちてきた。椿として振舞った長い時間。それからやっと解放されたことへの安堵も、一緒に落ちてきた。

「桜、おかえり〜。遅かったね。もしかして、部活の助っ人頼まれた?」

 リビングでは椿が、私の制服を着たままで、ソファに座っていた。

「椿、今帰ったばっかり?」

「ううん。5時には家に着いてたけど」

「そうだよね」

 私の高校の剣道部は、週に1度、体力作りのトレーニングをしている。そしてその日はいつもより、部活が早めに切り上げられる。私は椿にあまり負担が掛からないようにと、部長に頼んで今日をトレーニングにしてもらっていた。

「何でまだ制服なの?」

「だって、せっかく桜になったんだもん。もうちょっと楽しみたいっていうかさ」

「冗談!! あたしはもう、絶対嫌よ」

 すぐに答えを出した私に、椿は「えぇ〜、何でぇ?」と、甘ったるい口調で抗議する。

「ずるいよ椿。ネクタイ取りに戻らせるし、部活の助っ人なんてやらせるし」

「だって、あたし既に4回も忘れてんの。5回注意で1ヶ月、職員トイレの掃除だよ?! そんなの絶対無理!! それに部活は、あたしにだって分からないんだもん。みんな大体、前の日かその日の昼休みまでに言いに来るの。昨日は何も言われなかったから」

 

 それにしても、よりによって剣道だなんて――。

 

 あのとき、夏に言えなかった言葉の続きを、私は心の中で、ひっそりと、読み返す。

 なぜ剣道を続けているのか。なぜ、あの道場から逃げ出したいと思ったのか。

 答えは簡単。

「たぶん、嫉妬しているんだと思う」

 2人して大好きだった剣道を、あっさりと捨てることができた、椿に。

 いつも一緒だったのに、ひとり、颯爽と新しい世界へ足を向けていった、椿に。



 嫉妬、している。

 


 桜が、椿に。

 


 ひとひらでは小さくしか咲けない桜が、ひとつでも大きく咲き誇れる、椿に。



「椿が途中で放棄したものを、私は続けてみせる」

「剣道を捨てた椿がここに立っていたなんて、何だか、許せないような気持ちになる」



 でも、そんなこと言えない。私は椿が大好きだから。



 言えないから、言わない。





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