トリトニアの伝説 外伝19 ジュ・トゥ・ヴ
この作品はトリトニアの伝説の外伝です。
第七部 守人讃歌 の中の一節です。
一平とパールの初めての逢瀬を少し詳しく書きました。
己の元に戻ったパールを一平は優しく受け止めた。
一糸纏わぬ身体を横たえ、自分も服を脱ぐ。
視線を感じた。
寝台にしがみつくようにして、パールが目だけを上げている。
一平の裸を見るのは初めてではない。大洋を旅していた頃何度もその身体に触れ唇をつけて傷の回復を願った。久しぶりに見た生の背中はその頃よりもさらに筋肉質になっていた。
ムラーラで心眼の技の練習台になってもらったことを思い出す。下履きを脱がそうとしたら一平はひどく嫌がったのに、今は自分から腰から下を晒そうとしている。
―そうか。こういう時しか、見せちゃいけないものだったのか―
なんとなく感じていただけだったことが不意に明瞭になった。
一平の手には汗が滲んでくる。
待ちに待った時がやってきたというのに、緊張で身体が強張ってくる。
上手くできるだろうか。
拒絶されはしまいか。
パールを満足させられなかったらどうしよう…。
この期に及んで、不安ばかりが立ち上ってくる。
パールの視線が痛い。このままぐずぐずしているわけにはいかない。
(パールが待っているじゃないか。他でもない、オレのことを…)
武者震いを追い払うかのように一平は勢いよく振り向いた。
パールの元に歩み寄り、いつものキスをする。
パールがおそるおそる一平の肩に手を乗せた。
これはいつもの反応ではない。一平は思った。パールも緊張しているのだ。オレ以上に。
当然だろう。フィシスはああ言ったが、オレが何をしたいのか、このパールが真実理解しているとは思えない。
それなら…。教えながらやるしかない。野暮の極みだが。
「パール…」
一平はパールを見下ろした。
「…今からオレがすることを…いやだと思ったり痛かったりしたら、言ってくれ…。オレは…無理強いはしたくない…」
「……」
「そうならないようにするつもりではいるが、オレには女性の気持ちはわからない」
「パールは一平ちゃんが好き。それだけじゃだめなの?」
無垢な瞳でそう言われ、心臓が締め付けられる。
「早く赤ちゃんをちょうだい…」
この段になってまだこれか、と一平は苦笑する。
「わかった…」
屈み込み、唇を啄んだ。
「おまえの全てに触れるから…そう思っていてくれ」
「パールはどうすればいいの?」
「何もしなくていい。おまえは、オレを感じていればそれでいい」
「うん…」
一平がキスをしてくる。唇だけじゃない。頬も、額も、首筋も、胸も手も足も…。
唇にされたキスは衝撃的だった。いつもの一平じゃない。パールの中に忍び込んでいつまでも離さない。離された時にはパールの方がもう一度と求めたくなっていた。
鼓動が早くなる。ドキドキが止まらない。一平の心臓の音を聞きたいが、それどころじゃない。吐息と共に出る声は自分でも聞いたことのない響きをしていた。
一平はそうっとそうっと、パールに触れてくる。
そんなに気をつけなくても大丈夫だよとパールは思う。
思うが、次第に大丈夫ではなくなってくる。今まで感じたことのない快感がパールを襲いくる。一平がしてくるすべてのことに、もっとしてほしいと身体が訴える。
「…一平ちゃん…パール…変…」
「変じゃないよ…」
「でも…変…」
「変じゃない。きれいだ。パールは大人の女性になったんだよ」
一平が触れる度、パールは声にならない声を上げる。
気持ちいいのだ。一平が身動きする度にパールのその思いは強くなる。
自分が一平を包み込んで抱き締めているのがわかる。 彼の方も同じなのだと、パールは本能で感じた。
厳密に言えば、一平の方は違った。
居心地がよすぎて止まらない。
身体の下から漏れ聞こえる吐息も喘ぎ声もたまらないのだ。
身体の奥深くにある何かが引き摺り出される。一平が触れる度に身震いをし、しがみついてくる誰より愛しい人。そのどこを触っても、何をしても、素直に受け入れてくれる。恍惚とした表情には微塵の翳りもない。
(こんなことなら…)
早くこうすればよかった。一平のことを受け入れないはずがないとわかっていたはずなのに。
いや。
そんなことは今だから言えるのだ。
一平は今でも怖い。
自分の欲望でパールを壊してしまうかもしれないことが。
パールはどこまで許してくれるのか。
どうしたら、パールをもっと喜ばせてやれるのか。
このまま突き進んでもいいのだろうか。
(オレたちは夫婦になった)
だったら、当然の権利だし義務でもある。パールは心底オレの子を産みたいと願っている。だけど、その気持ちを利用していいのか?
先程の行為でもう自分に赤ん坊が授かったと、パールは思っているのではないか?
今のうちに訂正しておいた方がいいのでは?
一平はパールから身を離した。
一旦お預けだ。
なに、お預けならこれまでいやというほど喰らっている。
妻を見下ろし、一平は言った。
「ありがとう、パール…オレの…妻になってくれて…」
何を言うのだ。お礼を言うのは自分の方だとパールは思う。
「パールをお嫁さんにしてくれてありがとうって、パールが言う方だよ。赤ちゃんができるようにしてくれて…パール嬉しい…」
そう言うと一平は少し困ったような顔をした。
「パール、ごめん…まだ言ってなかったことがあった。伝えそびれてた。…というか、言い足りなかった」
「なあに?」
「その…一度だけじゃ、赤ちゃんは授からないかもしれないんだ。運よくそうなることもあるけど、いくら頑張ってもできないこともある」
「一度だけじゃだめだってこと?」
こくんと一平は頷いた。なぜか顔を赤らめている。
「それなら…またして!?」
一平は顔を隠すように横を向き、再びパールを抱き締めた。
「いいのか?」
嬉しすぎてパールの顔が見られない。
「うん。…毎日…して!?」
そんなことを言われたら動悸の収まりようがない。一平は天にも昇る気持ちだった。どうやらパールは一平のことを男として認識してくれたようだ。
(勿論、してやるとも)
恥ずかしすぎて口に出せないでいるとパールが言った。
「早くできるといいな。一平ちゃんの赤ちゃん」
赤ちゃんの前にオレのことを考えてくれよと、一平はパールの口を塞ぐことにした。
一平を置き去りにして眠ってしまったくせに、起きるのも一平の方が早かった。
二人共に初めての経験ではあったが、細かいことを何も知らない分、また、体力が著しく劣る分、睡眠を必要とするのはパールの方だ。
一平は先に寝台から抜け出し、部屋着を羽織った。朝餐の時刻までまだ大分ある。普段しているトレーニングを一通りしたが、パールはまだ目覚めない。身なりを整えて背もたれ付きの椅子に腰掛けるが、思い直して椅子をベッドサイドへ移動した。椅子に座り、背もたれを抱えるように寄り掛かった。
すやすや寝ているパールの寝顔を見ているのが一平は好きだ。
一平の腕の中で眠ってしまうパールを見下ろすのは珍しいことではないが、朝のこんな時間に今起きるか今起きるかと待つのは久しぶりだ。
あの長い旅のことを思い出す。
トリトニアへ帰還したと同時に自動的に剥奪されてしまった権利を、自分はやっと取り返すことができたのだと感慨深い。
―パールを守るため、ひとときも離れず傍らで眠ること―
夜毎パールを迎え入れて包み込む物言わぬ寝台を、どれほど羨んだことだろう。
そろそろ起こした方がいいだろうかと、一平が思った時だった。
パールがパチリと目を開けた。
「やっとお目覚めかい?眠り姫くん」
「いつからそうやってたの?」
「さあてな…いつからだったかな…」
目覚めて一番最初に目に入ったのが一平の微笑んだ顔で、パールの気分は最高だった。まだ夢を見ているのかと思ったが、そうではない。見慣れぬ部屋の見慣れぬ調度の中に一平の姿は溶け込んでいる。
とにかく起きなくては、と身を起こすと何も身につけていなかったので、慌てて貝の肉を引き寄せた。
―ああ、そうだ。自分はこの人の妻になったのだった―
昨夜彼は自分のことを妻にすると言って、優しくその手ほどきをしてくれたのだ。自分の中に潜んでいた感情や感覚を引き出して至福の境地へ誘ってくれた。
「お…おはよ…」
今更ながら恥ずかしくなって、目だけ覗かせて朝の挨拶をする。
「いつまでそんな格好してるんだ?オレを誘惑してるのか?」
誘惑というのはいまだによくわからないが、そんなつもりなんかないのに。
いじわる、と抗議したら、おはようのキスは?と聞いてくる。
それはパールの権利だ。誰にも渡さない。渡せない。
花びらのような唇をそっと重ねると、一平に押し倒された。
「オレを置いていったお仕置きだ…」
訳のわからないことを言って一平が胸を啄んでくる。
昨夜の幸せな夢が蘇る。
パールはおとなしく、また夢を見ることにした。
そんなことをしていたから朝餐の支度はバタバタと慌ただしかった。初日からこれでは先が思いやられると不安に思いながら、でも頑張らなくちゃと、パールは気を引き締める。
「静かだね」
部屋にはパールと一平の二人きりだ。
昨日までは国王夫妻とキンタも一緒だった。沈黙が気まずいわけではないが、新しい生活が始まるのだと感じざるを得なかった。
「二人きりだからな」パールの感想に肯んじ、一平は続ける。「前はそうだったじゃないか」
旅をしていた頃のことを一平は言っている。
「うん。でも、もう違うよ。あの時はまだお嫁さんじゃなかったから」
なぜかパールは嬉しそうだ。もっと笑顔を引き出したくて一平は言う。
「…料理…上手くなったじゃないか」
「えへ。まだ、怖いけどね」
それは嬉しい褒め言葉だ。副科で成績が悪かった分野だから、褒められると顔がニヤけてしまう。朝餐の支度には料理刀の使用が不可欠だったので、甚だ心許ないものだったのだ。
「でも頑張るから、パール。やっとなれたから。一平ちゃんの家族に。…一緒に幸せになろうね」
今後の意気込みと希望をそんな可愛い言葉と笑顔で伝えてくる。
その姿に一平は溜飲を下した。
―ああ、そうか―
(おいしいものを食べさせてあげると言ったのも、赤ちゃんをいっぱい生みたいとしつこいくらい口にしたのも、全て、オレのためか…)
―天涯孤独の身となったオレに、家族を作ろうとしていたのか―
勿論、根底にあるのは一平への想いだろう。揺るぎのない、慕う心。
パールの目には一平しか映っていない。それを疑うには、関わりが深すぎた。パールが一途に一平を想っていることは信じる以前の前提にすらなっている。
けれどその上で、パールは一平に家族をあげたいと痛切に願っていたのだ。
父母を亡くしてのち家族同然に愛してくれた伯父の一家から一平を引き離したのは、自分だと思っていたのかもしれない。一平が海へ旅立つ原因の一端を作ったのは自分なのだと、負の気持ちを抱えていたのかもしれない。
幼い頃、それは違うとはっきり言ってやったが、心の片隅で静かに眠らせ、成長と共に目覚めさせていたのだろう。パールは賢いから、自分のせいだと思わないように一平が暗示をかけたのだと理解するに至った。そのことを口に出さない聡明さがパールにはあった。
口にすれば、一平は逆に苦しむ。申し訳なかったと謝まれば、二度とそんなことを言うなと怒るだろう。パールにそんなふうに感じさせることをこそ、あってはならないと思い詰めているのだから。
だからパールは言わない。優しいあどけない笑顔で一平を慕う想いだけをぶつけてくる。
けれど一平は気づいてしまった。
(パール…)
目頭が熱くなる。
鼻歌を歌いながら朝餐の片付けに勤しむパールの後ろ姿がぼやけて見える。
地上でならツーと一筋、何かが頬を流れただろう。でもここは海の中だった。
自分で選んだ自分の道。
トリトニアへ無事にパールを送り届けることも、守人となってパールを娶ることも、目標としていたことは達成できた。が、目標がなくなったわけでもない。
これからは今までと同じように、いや、今以上に、己の鍛錬に励まなければならない。
トリトニアを守るために。
―オレに家族をくれた、愛する妻のために―
(おまえのためならどんなことでもしてやろう。オレはここで生きる。このトリトニアで)
パールの鼻歌が聞こえる。
もう少ししたらブルッフに右宮を案内してもらう予定なのに、眠くなったらどうしてくれる、と思いながら、傾聴してしまう一平だった。
(トリトニアの伝説 外伝18 ジュ・トゥ・ヴ 完)
本編ではあっという間に終わりを告げた二人の新婚生活。
その日常を断片的にお届けできればと思っています。
次回もイチャイチャです。




