第三話
「サム! どこでもいいからしっかり掴まってて!!」
母に言われた通り再びアシストグリップを強く握りしめる。唯は恐ろしい未知の生命体を振り切ろうとでたらめに車を走らせた。バックミラーを確認すると何体もの生命体が車を捕まえようと縦横無尽に我先にと手を伸ばしてくる。
「ママ怖いよ!!」
「大丈夫、大丈夫よ!! 絶対、大丈……っ!!」
怯えて泣くサミュエルを励ましながら己にも喝を入れようとした時だった。
突然、横から乗用車が空中を回転しながらサミュエル達の乗る車の上へと降ってくる。唯はその車を避けようと急ハンドルを切るが、後方右側面に直撃すると乗っていた車は一回転した後、横転してしまった。
「……うっ、マ、マ?」
「……大丈夫、サム、は?」
「僕も、平気……」
体を回転させられ、激しく着地をした衝撃で頭を打ちつけ目の前がゆらゆらと揺れている感覚に吐きそうだったが、サミュエルも唯も何とか五体満足であることに安堵する。
だが、車内にはないはずの砂がパラパラと落ち、砂塵も舞っているため悠長にはしていられない。すぐさま車内から逃げ出すため、唯は自分とサミュエルを固定していたシートベルトを外すと壊れたフロントガラスを踏みしめ、前から這い出た。
「あっ! 待ってママ! リュックが……」
唯に続いて車から這い出ようとしたサミュエルだったが、リュックの紐が座席に引っかかってしまい、力一杯引き抜こうと頑張るが上手くいかない。
「サム! もういいから、急いでここから離れるわよ!」
「でも、人形が……!」
ドンッという重い音と共に車体が大きく上下に揺れた。
慌てて上を見上げると、一体の生命体が車の上に飛び乗り、その重みと衝撃で巨体が沈み込んでいる。その周りを次々と別の生命体が追いかけてきていた。
「あ……あ……っ!」
唯は震えながらも我が子を守るために、リュックを引きずり出そうと悪戦苦闘していたサミュエルの体を引っ張り出し、手を掴むと全速力で走り出す。
「あ、お菊!」
まだ車内に取り残された人形に手を伸ばそうとしたが、無数の生命体を視認したことによって、サミュエルは初めて自分の行動が母を危険に晒していたことに気づき手を下ろした。
「ママ、ごめんなさ……!」
「大丈夫! 大丈夫よ! ママがあなただけは絶対に守るから……!!」
後ろを振り返らず全力で走る母に必死についていくその背後から、二人を殺そうと生命体が飛び掛かろうとした。
サミュエルの背に鋭く変形させた腕が大振りに振り下ろされそうになった瞬間、生命体は横からの爆風で吹き飛ばされ、建物に叩きつけられる。
「こっちだ! 地下鉄に逃げ込め!!」
大勢の軍人が現れ、その場が激しい戦場と化す。
「あぁ! ありがとう、助かったわ!」
「さぁ、早く下へ!」
唯に手を引かれ地下鉄へと駆け下りながらサミュエルは後ろを振り返った。大柄な男達がサブマシンガンを手に必死で戦っている。その後方から戦車の砲塔も見え始め、轟音が鳴り響いた。
砂埃で何も見えなくなったが、悲鳴も怒号も消えることはない。
地下鉄に下りるとそこには数多くの避難者が暗い顔をし潜んでいた。体を恐怖で震わせる者、行方不明者を探してほしいと軍人に詰め寄る者、天井の一点を只々見つめている者。その他の者達は軍人に誘導されて線路の奥へと進んでいた。
地下鉄内は突然訪れた世界の終末に混迷を極めているようだ。
「ねぇ、誰か銀行がどうなったのか知ってる人いない?」
「さぁ、分からない。突然のことに皆パニックで逃げ回ってたから」
「そう……ありがとう」
何の情報も得られない事に項垂れる母の袖を引く。
「パパ大丈夫かな」
不安そうに瞳を潤ませる息子に唯は視線を合わせるために膝をつくとサミュエルの腕を安心させるようにさすった。
「きっと大丈夫よ。おばあちゃんが守ってくれるわ」
「……うん」
母が自分を安心させ、励まそうとしたことは痛い程わかったが、市松人形を一緒に連れ出せず恐ろしい外に置いてきてしまっていたことをサミュエルは申し訳なく思っていた。
苦しい気持ちを誤魔化すように母に抱きつく。寂しがり屋なお菊はまだあのへしゃげて埃まみれになってしまった車の中なのだから。
上から地鳴りが鳴り、大きく揺れながら天井からパラパラと砂が降ってきたことに辺りが息を呑む。そしてただでさえ頼りなかった地下鉄中の電気が突如消えてしまった。
その暗闇に辺りが騒然とする。
今この場で頼りになるのは軍人が常備しているウェポンライトだけで、その小さな明かりに向かって怒号が押し寄せ、泣く人々も現れ始めた。人々のざわめきにサミュエルは体を持っていかれないように強く母の体にしがみつき、唯もサミュエルを離すまいと肩を抱き込む。
「皆落ち着け! ゆっくり線路のお、ぐッ……!」
突然呻き声を上げたかと思ったら黙ってしまった軍人の明かりが上へと上がっていく。そして重たい銃がガシャンと音を立てて地面に落ちたことがわかった。その銃は何かの上に落ち、角度がついたのかライトの光が上を照らした。
その光は呻き声の正体を照らし出す。
口から血を吹きこぼす軍人をまるで実験体を観察するように首を傾げてじっと見つめる生命体がいたのだ。
「きゃー!!!」
「逃げろ!!!」
「撃てぇ!!」
「民間人を守れ!!」
パニックとなった民間人が雪崩のように逃げ出し、軍人達が生命体に向けて銃を乱射し始める。生命体は咆哮を上げながら細く鋭く変形させた腕に突き刺していた軍人の体を投げつけると、両腕を変形させ人々を無差別に襲い始めた。
生命体の外皮が硬いのか銃弾が弾かれ、傷をつけることもできずに地下鉄にいた軍人達は虫を潰すように命を散らされていく。
「サム、こっちよ!」
サミュエル達は線路に沿って逃げ出した群衆の流れに合わせて走っていたが、唯が別の通路を発見しそちらへと逃げ込んだ。
通路を駆けていると事務室のような一室を見つけ、駆け込むと内側から鍵をかけて部屋の奥まで行き、身を寄せ合い息を潜め危機が去るのを待つ。外ではまだ銃声や悲鳴が聞こえていたが徐々に消えていった。
何かがゆっくりとこちらに向かってくる音が聞こえる。
明らかに靴ではない重い足音が近づいてくる。親子は息を殺し震えながら抱きしめ合い、部屋に入って来るなと強く願った。だがその願いも虚しくその足音は部屋の前でピタリと止んだ。
ドアノブがガチャガチャと回されている。
開かない扉に諦めたのか一瞬静寂が部屋を包んだが、次には鉄の扉がぐしゃりと簡単にへしゃげ崩れ落ちた。そのけたたましい音に二人は肩を大きく震わせる。
生命体は小さな唸り声を上げながら暗い部屋の中を物色するように見回し一歩、また一歩と歩みを進め、とうとうサミュエル達が身を潜める奥まで近づいてきた。
怯えて母にしがみつく息子を守るようにその体を抱きしめる中、唯は自分を囮にしてサミュエルを逃がそうと決意する。そしてその時が来るのを生命体の足取りに合わせて、今か今かとタイミングを見計らっていた。
生命体が一歩踏み込んだ。今だ! と生命体に飛び込もうとしたが、ふいにその体を止める。
部屋の空気が冷たくなった気がした。
生命体もその不穏な何かを感じ取ったのか、ピタリと足を止めその何かを突き止めようと辺りを見回し始める。すると、消えていたはずの電気が何の前触れもなく突然点灯した。
眩しさに目を細めながらもサミュエルの体を自分の下に隠すように唯は小さな体を抱え込んだが、電気はまた消えてしまった。
また暗闇に包まれたが、パッとまた部屋が明るくなる。
その明暗はゆっくりと繰り返され、次第に激しさを増していく。その異様な雰囲気に訝しんでいただけだった生命体も当然警戒心を剥き出しにし、その鬱陶しい明滅に怒りを向ける様に部屋中に激しく咆哮した。
「キシャアアァァ!!」
耳をつんざくような音と痛みに親子は体を強張らせ、何とかやり過ごそうとぎゅっと目を固く閉じる。そのためサミュエル達は気づかなかった。
怒りで吠える生命体の背後に赤い着物を着た女の子が立っていることに。
「ギュッ、グッ!!!」
突如息を詰められるような苦し気な音を生命体が発し先程よりも静かになった。その音にサミュエル達が不審に思い、警戒しながらも恐る恐る顔を上げていく。
「……?」
そこには、まるで生命体が見えない何かで縛り上げられているような体制でその場に固まっていた。その様はまさに金縛りのようだ。
「グッ……ギャ……ッ!」
見えない拘束を振り払おうともがき苦しんでいる生命体の体は微動だにしない。それどころかその巨体は徐々に潰されるように体が中心へと寄っていった。
「ギィ……ッ、ガッ!!!」
声にならない声を発した後、抵抗虚しく生命体の体が有無を言わさずぐしゃりと潰れ、その場に倒れこんだ。そして一瞬の静寂のあと、ジジッと小さな音を立て明かりが何事も無かったかのように灯った。
親子は静かになった部屋の中で顔を見合わせ動かなくなった生命体に怯えながらも立ち上がると、唯はどうなったのかを確認するために部屋の中心で倒れている生命体にゆっくり近づく。
「死んだの?」
「……そうみたい。でも、なんで……ん?」
命を完全に断たれ黒々としていた目は白く濁り、口はだらしなく開いていた。唯はその口の中に違和感を感じてよく見ようと膝をつき、その違和感をつまみ上げ確認するために顔の前に持って行く。
「ママ、どうしたの?」
「黒い……髪の毛?」
細く糸の様な物が髪の毛であることを理解すると再び生命体を覗き込む。生命体の口の中にまだ黒い塊があることが分かると唯は気味悪がりながらも確認しようと生命体の口に手を当てる。
ごぼりと吐き出された黒い物体は、想像以上に大量であった。
驚き飛び退きそうになった唯の後ろからサミュエルが大きな声を上げる。
「え! なんでここにお菊が!?」
サミュエルの声にまた驚いた唯であったが、サミュエルが駆け寄った机の上に置いてある物を見て今度はぎょっとした。そこには、車内に置いてきてしまっていた母香織が大切にしていた市松人形が静かに立っていたのだ。
「……っ」
この場にあるはずのない人形に唯は驚きと恐怖から全身が強張っていたが、サミュエルはこの怪現象にも関わらず嬉しそうに人形を抱き上げる。
「ママ見て! お菊だよ、お菊が僕達を助けてくれたんだ! 絶対そう!……ありがとう、お菊!」
サミュエルは市松人形をぎゅっと抱きしめ、優しく髪を撫でた。息子が無邪気に人形を可愛がる姿に何と言っていいのか困惑していた唯だったが、複数の足音に気づくと咄嗟にサミュエルを庇うように抱き寄せ入り口を警戒する。
「何だこれは、どういう状況だ?」
予想通り、軽快な複数の足音は軍人達であった。




