第二話
ゲイブリエルは詰めていた息を吐きだした。
「大丈夫か? サム。ごめんな、お菊を守れなくて……。サムの宝物なのに」
「いいんだ、どこも傷ついてないし。ダニエルの言っていることもわからなくもないしな。でも、おばあちゃんが大事にしていた人形だから、僕も大事にしたいんだ」
この市松人形はもとは祖母の寝室に飾られていた人形だった。
祖父は早くから天へと旅立ち、娘の唯しかいなかった祖母は一人日本に残って広い家で寂しく過ごしていたのだが、その人形をお菊と名付けもう一人の娘のように大切にしていたのをサミュエルは見ていた。在りし日の光景が蘇る。
「ごめんねおばあちゃん。日本に少ししかいられなくて……」
「いいのよ。サムはアメリカにお友達が沢山いるんでしょう? 慣れない日本より、アメリカの方がサム達のためだし、ほら最近はスマホっていう便利な物があるからちっとも寂しくないわ。……それに」
その先を言わなくなった祖母の視線の先を追うとお菊がいた。まだ小学校低学年であったサミュエルにとって見慣れない異国の人形はどこか不気味で怖い。
慈しむように見つめる祖母の服の袖をきゅっと握る。
「うふふ、サムには怖いかもしれないわね。でもあの子、お菊ちゃんは優しいのよ。おばあちゃんが小さな頃からいつもおばあちゃんの側にいて話し相手になってくれるの。いつの間にかあの子よりも随分と年を取ってしまったわ」
「え? あの人形喋るの……?」
祖母の嘘か本当か分からない話にサミュエルは増々怖くなって祖母に隠れるように身を縮こまらせ人形を観察した。
「うふふ、そうよ。物にはね、魂が宿るのよ」
「魂?」
「おばあちゃんが、お菊ちゃん今日も可愛いわねって話しかけて大事にしてるからあの子もちゃんとおばあちゃんに応えてくれるのよ」
「えー嘘だぁ。だって今喋らないじゃない」
何の反応も示さずただそこに立っているだけの市松人形に白い目を向ける。そんな子供らしい反応を見せるサミュエルの頭を祖母は笑って撫でた。
「おばあちゃんが死んだらサムがお菊ちゃんを大事にしてくれる? あの子は寂しがり屋だから、できたらアメリカのお家に迎えてくれると嬉しいわ」
「えー……」
祖母の言葉に市松人形が愛想よく笑った気がした。祖母の話を信じたわけではなかったが、物事を頼むようなことをする祖母ではなかったのでその物珍しさからきっと情が移ったのだ。サミュエルは自分にそう言い聞かせ頷いた。
「いいよ。僕がお菊をおばあちゃんの代わりに大事にするよ」
「ありがとうサム。おばあちゃん安心だわ。良かったわねお菊ちゃん、サムは優しい子だから仲良くしてね」
喜ぶ祖母の笑い声に混じって小さな女の子の笑う声も聞こえた気がしたが気のせいだろうとサミュエルは一人納得させた。
大好きな祖母がとても喜んでいる。それだけでサミュエルも嬉しかったのだが、残念ながらこの会話をした一か月後に祖母は静かに旅立つことになる。
サミュエルは懐かしくも悲しい思い出から帰って来るとゲイブリエルに向き直った。
「明日から僕達ダニエルのせいで噂の的かもな」
「そうなったらさ、あいつの秘密も思いっきりばらしてやろうぜ」
等価交換ってやつになるかな? とゲイブリエルの大好きな日本の漫画を持ち出して笑い合う。
人の噂も75日。これも祖母が教えてくれたこと。時が経てばまた話題は変わっていつもの日常が戻って来るだろうと、明日からの登校の衝撃に備えようとゲイブリエルと一緒にグータッチを交わした。
◇
スクールバッグを背負い深呼吸する。TVのニュースを確認すると、今話題の小惑星を特集していた。サミュエルはその特集には目もくれず左上に記されている時計を見る。時間だ。いつものように祖母の写真に手を合わせ挨拶をする。
「おばあちゃん、行ってきます」
不安を払拭するように勢いよく家の外に飛び出し、今来たスクールバスへと駆けこむ。だが何か様子がおかしい。いつもの賑やかさが感じられず首を傾げたが、先に乗っている親友が肩身狭さに縮こまっているかもしれないと、まっすぐにいつもの自分の席へと向かった。
「サム! 大変なんだ!」
サミュエルを見つけて立ち上がったゲイブリエルはずれた眼鏡をかけ直しつつ、慌てたようにサムを席へと座らせ小声で説明しだした。
「聞いてくれ! ダニエルの奴あの後事故に合って大怪我して今入院してるらしい!」
「え! まじ!?」
だからいつもは騒がしい車内が静かだったのか。興奮冷めやらぬゲイブリエルを置いてサミュエルは、ダニエルの定位置である後ろの席を覗き込むが誰も座っていない。
暫く様子を伺っていたサミュエルの袖をゲイブリエルが引っ張って座らせる。まだ話すことがあるようで興奮していたがどこか怯えを含んでいた。
「ゲイブ大丈夫か?」
「大丈夫! 僕はいつも通りだ! それよりも、怖いことを聞いたんだ」
「怖いこと?」
ゲイブリエルは何度か深呼吸をし自分を落ちつかせると奇妙な話を口にする。
「事故に合った直後、レベッカのママが通報したらしいんだけどダニエルの奴、救急車を待つ間ずっとうなされてたんだって。黒い髪の女の子がって」
「え……?」
レベッカとは同級生の女の子である。この近くに住んでいて、偶然母親と車で買い物に出ようとしていた親子の前に自転車を走らせていたダニエルと別の車が派手に衝突し、ダニエルが吹っ飛んだところを目撃したそうだ。ゲイブリエルはさらに続ける。
「しかもそれだけじゃないんだ。救急車が来る間、ダニエルが嘔吐した時口の中から大量の長い黒髪が出てきたって……」
「なん、だよ……それ」
この辺りに黒髪は母である唯しかいない。だがあの日唯は外出していたため、ダニエルには合っていなかった。言葉にはしなかったがゲイブリエルも同じことを考えていることは明白で顔を見合わせる。
「ゲイブは、お菊だと思ってる?」
「ま、まさか!……そ、んな」
そんなわけない、とはなぜか言い切れなかった。言い知れない不安と恐怖が二人を包み込んだが、何も言えなかった。
その後はただそのままいつものように学校へと行き、いつものように授業を受け何事もなかったように休み時間を過ごす。
まるでダニエルが最初からいなかったかのような平和さではあったが、やはりどこか不気味な雰囲気に包まれているような気がしてならなかった。
◇
「ただいまー」
「おかえりサム。おやつあるけど食べる?」
「あー……今日はやめとく。そんな気分じゃないんだ」
「そう、珍しいこともあるのね。まぁ、気が変わったらいつでも言ってちょうだい」
「はーい……」
洗濯物を取り込みに行った母を見送りながらため息を吐く。その向こうには興奮しながら小惑星を報道するニュースキャスターが視界に入った。
空を指さし早口で捲し立てる横で散歩中の犬が空へと向かって吠えているところでサミュエルはおもむろにTVの電源を消した。
黒い画面の向こうでしけた顔をした自分の姿が映っていることに気づくとまたため息を吐いて部屋へと戻るため階段へ向かう。サミュエルのいなくなったTV画面に着物をきた女の子が静かに映っていた。
サミュエルは部屋に入るとベッドへと転がり込む。自分が大怪我をしたわけではないのに物凄く疲れていた。
「……」
暫く静かに考え込んでいたサミュエルだったが棚の上に飾ってある市松人形を何気なく見て首を傾げる。ベッドから降りて立ち上がるとお菊に近づきようやく若干の違和感に辿り着いた。
「ちょっとずれてる……。ママが掃除したのかな」
いつもの位置より少しだけずれていた。几帳面なサミュエルはいつも定位置を決めている。それこそ物を置いた跡がつくくらいに。
人形をしっかりと定位置に直すとサミュエルはまたベッドへと倒れ込み、今度は倦怠感から瞼が重くなっていき、いつしか深い眠りへと落ちていくのだった。
◇
閉じているはずの視界の端がチカチカと瞬く。そして爆撃のような音も遠くで鳴っている。
「うるさいな……」
まだ眠い目を擦ると空はもう真っ暗であった。だがその下はいやに明るい。
「……火事?」
良く目を凝らしてみるとそれは炎であった。それは一カ所だけではなく街中が燃えているのだ。街が火の海と化しているそんな非日常な光景に呆然としていると、家の真上を五機の戦闘機が列をなし轟音を立てながら街の中心地へと飛んでいった。
「な、なに? 何が起きて……」
「サム!」
「! びっくりした……ママ!」
サミュエルの部屋の扉を乱暴に開け、大股で入ってきた母に驚かされたサミュエルは少しだけ不機嫌そうに肩を怒らせる。母はそんなサミュエルを無視してサミュエルに急ぐよう促した。
「サム、大変なことが起きてるの! とにかくパパを迎えに行くから大事な物だけ持って早く車に乗って! 急いで!!」
また外で大きな爆発音が響いた。ここからは遠いが危険に晒されていることは間違いない。何が何だか混乱する頭でとりあえず言われた通り大事な物をリュックに詰めていく。
「お菊、窮屈かもしれないけど我慢してね」
市松人形を同じくリュックに入れ、とにかく母のもとへ走った。準備を終え、車に荷物を載せていた母と合流し、少し手伝ったあと一緒に乗り込む。
「とにかくまずはパパを迎えに行って、それからえぇーと……」
頭の中でいくつもの算段を立てながら器用にエンジンをかけているが、母も突然のことに混乱しているようだ。車を運転しながらも隣でぶつぶつ段取りを呟く母に悪いと思いつつ話しかけた。
「ママ、何が起きてるの?」
「ごめん、ママにもわからないの。ただ、爆発が大規模なのと、そう! 軍が緊急避難命令を出したの。でもスマホは繋がらないし、パパがどうなってるのかもわからないし……」
火の手が周り始めている街中を、逃げる人々の流れに逆らう様に車を進める。父がいる銀行までまだかかるが、祈るような気持ちで人形の入ったリュックを抱きしめ、揺れの激しい車内に耐えるためにアシストグリップを強く握った。
その時、車体が大きく揺れる程の地響きが辺り一面を襲った。急ブレーキをかけた唯は助手席の息子を気遣う。
「サム! 大丈夫?」
「へ、平気……あ、ママ見て!」
サムが指を指した方を唯は視線で追いかける。そこには数人の軍人が建物の奥に向かって一斉射撃をしているところだった。
「何を撃ってるの……?」
二人は揃って目を凝らし、じっと観察するがわからない。すると奥の見えない場所にいたであろう一人の軍人が信じられない高さと距離を吹っ飛ばされ、車に叩きつけられるのが目に入って咄嗟に体がのけ反った。
「おい! こんな所で何をしている!!」
突然運転席の窓を血に濡れた軍人が激しく叩いたことにまた親子で飛び上がらんばかりに驚いた。唯は慌てながらも車窓を開ける。
「何が起きているの!?」
「宇宙人だ! 小惑星に乗って別の生命体が……!!」
今話していた軍人の体が何かの衝撃によって一瞬にして後ろに吹き飛んだ。
「ママ、前!」
「!!」
サムの言葉にすぐさま前を向くと、そこには地球上に決して存在しないであろう人間の二倍はあろうかという巨体生命体が立っていた。
「……! サ、サム、動かないで……」
「……っ」
真っ黒な大きな目は瞬きをする機能がなく、体毛は一本も存在しない。手足は棒の様に細くしわがれているが大柄な軍人をいとも簡単に吹き飛ばす力は紛れもなく怪力だ。
そいつは図体のでかい体をやや折り曲げ、前かがみの体勢で車内をしげしげと観察していた。
「キシャアアァァ!!」
空に向かって咆哮する未知の生命体。その声にもならない声がサム達の耳の奥を殴りつけるようなやかましさと痛みに恐怖が止まらない。
サムは思わず耳を塞いだが、唯はこの隙にとハンドルを素早く切り替えしアクセルを全開に踏み込み生命体の横をすり抜け、全速力でその場を逃げ出した。




