第一話
日本の総合病院の個室にて、今まさに大好きな祖母は息を引き取ろうとしていた。
穏やかで優しい眼差しを向けてくれていたアジア人特有の真っ黒な瞳は白く濁ってしまい、虚ろな視線は一点に集中しもう動かせる気力もないようだ。
「おばあちゃん……」
孫であるサミュエルの言葉は届いておらず、娘である母、唯は悲しそうに息子サミュエルの頭を抱え込むように少し黒めの金髪を撫でた。
無慈悲にも、ピーッと終わりを告げる長い電子音が病室に響き渡る。
「午後15時37分、死亡確認とさせていただきます」
担当医が腕時計をチラリと見て、悲しみに暮れるサミュエル一家に頭を下げると、看護師もそれに倣った。アメリカにはなじみのない文化ではあるが、母、唯も父、ウィリアムも医師達に頭を下げたので、悲しい気持ちながらもサミュエルはそれに続く。
その後について話し合いを始める医師達の横でサミュエルは、今天へと旅立った祖母香織を見つめる。
「家族に囲まれて穏やかに眠りにつきたいわ」
生前、祖母が言っていたささやかな願いは叶ったであろうか。
アメリカ人と結婚をした娘を快く歓迎し、アメリカ文化を学ぼうと日々奮闘していたという祖母。そのおかげか、つたない日本語しか喋れないサミュエルにとって英語が堪能な祖母は、年に何度か日本へ行ったときのかけがえのない家族であり友でもあった。
日本の田舎での過ごし方、文化や伝統を教えてくれたのも祖母だ。特に記憶に焼き付いているのは野山を駆け回った虫取りと華やかな祭りである。
目移りしてしまう屋台に食欲を刺激する美味しそうな匂い。大人も子供も色とりどりの浴衣を身に纏い夜空に咲く大輪の美しい花々を誰もが眩しそうに見上げていたあの光景。
その日本での楽しい思い出の中には必ず祖母が隣にいてくれた。
「……うっ、おば、あちゃ……」
突然大きな悲しみと胸に大穴が開いたような寂しさに襲われ、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。サミュエルは火葬を終え、小さな壺の中に納まってしまった祖母をぎゅっと抱きしめた。
「寂しくなるわね、サム……」
胸に抱き寄せる母に顔を寄せ、小学校一年生以来、三年ぶりに人目もはばからず声を出して泣いた。上から鼻をすする母の声も聞こえて二人抱き合っていると、父ウィリアムも二人を抱え込み同じく悲しみにくれるのだった。
◇
祖母の死から一年が経とうとしていた。
悲しかった気持ちを徐々に回復させ、今では元通りの生活をサミュエル一家は送っている。少し変わった事と言えば、アメリカの自宅にいながら祖母の写真に皆で手を合わせることだろう。
「おばあちゃん、学校に行ってきます」
サミュエルはそう呟いて元気よく外へと飛び出す。丁度家の前に着いたスクールバスに駆け込み、運転手に挨拶をするといつもの自分の席へと座った。
「おはようサム!」
「おはようゲイブ」
同じく定位置に座っていたそばかすにふわふわの赤毛をした親友に挨拶を返し、グータッチを交わす。
「よう、サム! 今日こそお前ん家に行ってもいいよな!?」
「痛っ! おい、やめろよダニエル! お前しつこいぞ」
サミュエルが来たことに気づき、後ろの席に座っていた太めの体型をしたいかにも悪ガキという風貌の男の子が身を乗り出し、からかうようにサミュエルの頭をこずいた。
「いいじゃん別に。この根暗だけじゃつまんねぇだろ?」
じろりと横目で見られた親友ゲイブリエルは、ずれた丸眼鏡をかけなおしながら嫌そうな顔をしている。ダニエルは少し乱暴な奴だった。
根は悪くないのだろうが、いつも4、5人で固まり弱そうな奴にちょっかいをかけてはニヤニヤと笑う所はたちが悪い。気弱そうなゲイブリエルはいつもからかわれているためダニエルを苦手としている。
そんなダニエルは、なぜかいつもサミュエルの家に遊びに来ようとした。いや、理由なら何となく分かっている。ダニエルは秘密にしているが、彼は日本のアニメが好きなのだ。
だがそんな事を公言するほどオタクじみていないと強がっている。それゆえに堂々と日本のアニメや漫画が好きだと楽しそうに話すゲイブリエルが気に入らなくて、気になっているのだろう。
日本文化を他のアメリカ人よりは知っているサミュエルに近づきたくてしょうがないうえに、その親友のゲイブリエルが内心羨ましいのだ。
「はぁ……しょうがないなぁ。ゲイブはダニエルが来ても大丈夫?」
「う、うん。僕は構わないよ」
ここらで了承しなければダニエルはいつまでもしつこい上に鬱陶しい。それが分かっているサミュエルとゲイブリエルは今回だけだ、仕方ないとばかりに嫌々頷いた。
「よっしゃあ! じゃあ学校終わったらサムん家に集合な!」
元気よく声を上げるとダニエルはもう興味ないとばかりに自分の席に勢いよく腰を下ろし、他の生徒達と騒ぎ出した。サムはチラリと親友を見る。
「ゲイブごめんな」
「ううん、しょうがないよ。あいつしつこいし。でもさ、サムの部屋にアニメや漫画がないって知ったらあいつがっかりしてもう二度と絡んでこないかもよ?」
サミュエルの耳に口を寄せて小声でそう言うとイタズラが成功したようにクスクスとゲイブリエルは笑ってみせた。
「ゲイブのそういうとこ最高」
「僕も、サムの日本人みたいな気遣い最高だと思う」
日本人みたいは余計だろと軽くこずきながらもケラケラと笑い合った。
◇
学校が終わり、サミュエルの家に集合したゲイブリエルとダニエルはさっそく二階のサミュエルの部屋へと駆けこんだ。
ゲイブリエルはいつもの定位置へと腰を下ろし寛ぐ中、ダニエルは辺りを物色するように部屋中を見回すと分かりやすく顔をしかめる。
「……なんだ、普通の部屋じゃねぇか」
ぽつりとつぶやくダニエルをゲイブリエルは見つからないように口角を上げ、内心舌を出しながら早く諦めて帰ればいいのにと視線をずらす。
ゲイブリエルの内情など知るはずのないダニエルは、サミュエルが飲み物を準備してこの場にいない間にサミュエルの定位置である勉強机にドカリと無遠慮に座った。
「ん?」
その時ふと、ダニエルの視界に黒と赤の何かが目に飛び込んでくる。視線を外さずゆっくりと立ち上がり、その物体へと足を動かす。
「げっ! 気持ち悪い人形」
悪態をついた後、その人形を乱雑に掴み上げ、しげしげと観察する。
「それはサムの大事な物だからダメだって!」
「は? こんな気味の悪いのが?」
慌ててダニエルを制止するゲイブリエルをダニエルはめんどくさそうに軽く突き飛ばした。そしてまたその人形をじっくりと観察する。
細い目に真っ黒な瞳と同じく真っ黒な髪。肩にかかるくらいの髪は前も後ろもきっちりと切り揃えられているが、その正確さがどこか重々しさを感じさせ気味の悪さを強調させている気がした。
真っ赤な着物は手触りが最高に良く、細々とした裁縫と装飾は高級品だとわかるが赤すぎる色彩は目に痛い。
「やめろ! その人形に触るな!!」
「お、おい! そんなに怒んなよ」
飲み物といくつかのお菓子を手に部屋へと入って来たサミュエルは、ダニエルが乱雑に掴み上げている自身の宝物を取り戻すために、持ってきた物を乱暴に机の上に置くとダニエルの手から人形をひったくった。
「お菊に触んな! この子は大好きだった日本人のおばあちゃんが大事にしていた人形だ!」
「おきくって……ぎゃはは! お前、人形に名前つけてんのかよ!? お菊ちゃん今日も元気でしゅか? って?」
「ダニエルやめろよ、サムにとってその人形は本当に大切な物なんだよ。亡くなったおばあちゃんの形見だぞ。お前本当は日本のアニメとか好きなんだろ? よくお菊っていうのが名前だってわかったな。こんな種類の人形何て見たことないんだから、普通はお菊人形っていう種類かなんかだって思うだろ」
「は、はぁ!? そんなわけねぇだろ! 叔父さんが日本に行った時にお土産で買ってきた市松人形を見たことあったから知ってただけで、お前みたいな根暗オタクと一緒にすんな! それより、お前らお似合いだよ。根暗オタクとお人形遊びが好きな変態野郎だなんて」
尚もからかい続けるダニエルにサミュエルはきつい眼差しを向けた。その迫力に一瞬たじろいだダニエルだったが負けじと睨み返す。
「ダニエル、これは日本のおばあちゃんが言ってたことだけど、日本では物に魂が宿るって本気で信じられてるんだ」
「た、魂?」
「そうだ。長く大事に使えば使う程魂は宿りやすいんだって。だから日本人は物を大切に扱うんだよ。物にも命があるって信じてるから。その市松人形はおばあちゃんが大事にしてたから、ちゃんと魂が宿ってるんだ。わかるか? お菊はただの人形じゃない。生きてるんだ」
真剣に説明するサミュエルの気迫にダニエルは思わず生唾を飲み込んでしまった。
「う、うるせぇ! 魂が宿るからなんだってんだよ! その気味の悪い人形が生きてる? そんなわけないだろ!!」
「やめろ!!!」
サミュエル如きに本気で怯えてしまったという事実が許せなかったダニエルは、サミュエルから人形を無理矢理奪い取るとその人形を苦し紛れから床に叩きつけた。
「お菊!」
サミュエルはいち早く人形を抱きかかえると人形に損傷がないか念入りに確認をする。その間、あまりにも横暴なダニエルにゲイブリエルが掴みかかった。
「お前いくらなんでもやりすぎだ! サムに謝れ!」
「うるせぇ! 男が人形遊びなんかして気持ち悪いんだよ!」
ダニエルよりも小柄で細いゲイブリエルは突き飛ばされると、いとも簡単に床に転がされてしまった。それでも怒りが収まらないゲイブリエルは親友のために再度ダニエルへと挑もうとする。
「ゲイブ、もういいよ。こいつには理解できないことだから無駄な争いになるだけだ。お菊も無事だし、これでゲイブが怪我する方が悲しいよ」
「サム、でも……」
人形を手に微笑むサミュエルにゲイブリエルは、サムが言うならと何とか怒りを引っ込める。
「は、はは! お前ら揃いも揃って気持ち悪い! このことはみんなに言いふらしてやるからな! 明日にはお前らの人形遊びのことが学校中に広まってるぜ! 楽しみにしとけ!!」
負け惜しみのように指を指して笑うダニエルを一瞥することもなく、サミュエルは少し乱れた市松人形の髪を整えてから元あった棚の上にそっと人形を置いた。
ダニエルはそれを面白くなさそうに睨みつけ部屋を出ようと一歩踏みしめるが、背中に視線を感じて振り返る。
「……?」
サミュエルはダニエルに背を向け、ゲイブリエルはダニエルの右側で悔しそうに睨んで唇を噛んでいる。では背中に感じた視線は誰のだろうか。
「……っ!! じゃあな!!!」
得体の知れない恐怖を押し殺し、慌てて家の外へと駆けだすと乗ってきた自転車にもつれそうになる足でまたがり逃げるようにサミュエルの家をあとにする。
その様子を二階にあるサミュエルの部屋の窓から黒髪の女の子がじっと見つめていることには誰も気づかないのであった。




