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第9章:黒船の砲撃

『プロジェクト・ヤタガラス』の最初の成功は、世論の空気を確かに変えた。

「高虫総理は、ただのスキャンダルメーカーではなかった」「日本の技術も、まだ捨てたものじゃない」

テレビやネットには、久しぶりに前向きなコメントが溢れ、下がりきっていた内閣支持率も、わずかながら持ち直しの兆しを見せていた。


官邸内にも、漂っていた敗北感が薄れ、かすかな希望と高揚感が生まれ始めていた。

だが、六本木ヒルズの最上階で、宮繰頁はその空気を冷ややかに見下ろしていた。


「猿回しの猿が、一つ芸を覚えたか。くだらん」

モニターに映るトラックの隊列走行の映像を、彼は侮蔑の表情で見つめている。


「社長。世論が、少し我々にとって厄介な方向に」

政府渉外担当の役員が、不安げに報告する。


宮繰は、その言葉を遮った。

「光が強ければ、影もまた濃くなる。それだけのことだ。奴らに、希望という名の麻薬を少しだけ長く味わわせてやったに過ぎん」


彼はデスクの端末を操作し、アメリカ本社のCEOに直接繋がる、最高レベルの秘匿回線を開いた。

「時間だ。予定通り、『フェイズ2』に移行する」


その翌朝。

日本の夜がまだ明けないうちに、アメリカの有力経済紙の電子版が、世界を揺るがすスクープ記事を放った。


『ABCD、日本市場におけるサービスの大幅な見直しを示唆』

記事は、匿名のABCD本社上級役員へのインタビューという形で構成されていた。


『我々は日本市場を尊重しているが、現在、日本政府が推し進めている「国家データ主権法案」は、データの自由な流通という、我々のサービスの根幹を成す原則と相容れない。この法案が成立した場合、我々は、日本国内のユーザーと企業に対し、これまで通りの安定したクラウドサービスの提供や、OSのセキュリティアップデートを保証することが、極めて困難になる可能性がある』


脅迫、という下品な言葉はどこにもない。

しかし、そこに書かれているのは、日本経済の息の根を止めかねない、冷徹な死刑宣告だった。


この記事が日本で報じられると、株式市場はパニックに陥った。日経平均株価は、取引開始直後から暴落。わずか1時間で、2000円以上も値を下げるという、歴史的な下げ幅を記録した。


「ABCDショック」の到来だった。

大企業の経営者たちは、悲鳴を上げた。自社の基幹システムを、ABCDのクラウドサービスに全面的に依存している企業は、あまりにも多い。もし、そのサービスが止まれば、生産ラインも、顧客管理も、給与計算さえも、全てが停止する。


「これでは、事業を続けることなど不可能だ!」

「政府は、我々を殺す気か!」

経済界からの突き上げは、そのまま永田町を直撃した。


伊吹元幹事長ら、反・高虫派の議員たちは、待ってましたとばかりに一斉に声を上げた。

「見たことか! 我々が言った通りになったではないか!」

「高虫総理の暴走が、この国を滅ぼす! 即刻、法案を撤回し、総理は国民に謝罪すべきだ!」


そして、その混乱に追い打ちをかけるように、アメリカ政府が動いた。

ホワイトハウスの定例会見で、報道官は「日本は、我々の最も重要な同盟国の一つです」と前置きしつつ、こう述べた。


「しかし、我々は、日本で起きているデジタル市場の急激な変化と、それがアメリカ企業に与える不利益、ひいては、サプライチェーン全体に及ぼす影響について、深い懸念を抱いています。高虫総理には、賢明なご判断を期待します」


それは、戦後の日米関係において、前例のないほどの、強い圧力だった。

企業間の問題を、国家間の問題へと引きずり上げ、安全保障さえも天秤にかけるという、剥き出しの恫喝。GAFAという黒船の背後にある、巨大な国家権力が、ついに牙を剥いた瞬間だった。


官邸の総理執務室は、鳴り止まない電話と、駆け込んでくる官僚たちの怒号にも似た報告で、野戦病院のような様相を呈していた。


その喧騒の中心で、高虫は一人、椅子に座って静かに目を閉じていた。

彼女は、この事態を、寸分違わず予測していた。

彼らが、必ずこの手で来ると。


目を開けた彼女の瞳に、恐怖や動揺の色はなかった。

あったのは、覚悟を決めた者だけが宿すことのできる、氷のように静かで、炎のように熱い光だった。

「受けて立ちましょう」


彼女は、官房長官と、数人の側近だけを見据えて言った。

「彼らが、これほど汚い手で来るというのなら、こちらも、国民に信を問うまでです」


それは、戦後最悪の緊張状態に陥った日米関係と、崩壊寸前の国内経済を前にした、あまりにも無謀な宣言。

彼女の最後の切り札が、今、切られようとしていた。

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