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第8章:最初の飛翔 隊列走行

『プロジェクト・ヤタガラス』の発表から三ヶ月。高虫政権への風当たりは、依然として強かった。「選択と集中」という名の下に、多くの研究予算を削られた各省庁や業界団体からの抵抗は激しく、メディアは連日「絵に描いた餅だ」と政権の実行能力を疑問視していた。


そんな逆風の真っ只中で、「その日」は訪れた。

静岡県、東名高速道路。夜明け前から、空は厚い雨雲に覆われ、晩秋の冷たい雨がアスファルトを叩いていた。視界はもやで白く煙り、路面は滑りやすい。大型トラックを運転するには、最悪のコンディションと言えた。


しかし、安野貴は、この日をわざと選んだ。

高速道路の管制センターに設けられた臨時司令室で、彼は巨大なモニターに映し出された無数のデータを睨みながら、静かにつぶやいた。


「最高の実験日和じゃないか」

彼の周囲には、国内大手トラックメーカーの技術者たちが、緊張した面持ちで並んでいる。彼らは皆、この若すぎる大臣の無謀な要求に、半信半疑のまま、必死で食らいついてきた。


午前5時。司令室に、安野の冷静な声が響いた。

「実験を開始する。『ヤタガラス・フリート1』、発進」


モニターの一画面に、新東名高速のサービスエリアから、5台の大型トラックが静かに走り出す映像が映し出された。先頭の一台だけが有人で、後続の4台は、運転席に誰も乗っていない、完全な無人車両だ。

雨で煙る高速道路を、5台のトラックは、まるで一本の巨大な列車のように、完璧な等間隔を保ったまま滑らかに加速していく。車間距離、わずか10メートル。人間のドライバーであれば、この悪天候でこの車間を維持するのは、神業か自殺行為に等しい。


「すごい」

技術者の一人が、息を呑んだ。

後続の4台は、先頭車両から送られてくるリアルタイムの走行データと、自らが搭載するミリ波レーダー、LiDARライダー、そして高精度カメラからの情報を、AIが瞬時に統合・判断することで、自らのアクセル、ブレーキ、ハンドルを制御している。


同じ頃、官邸の執務室で、高虫もまた、固唾を飲んで同じ映像を見守っていた。


「総理、本当に大丈夫なのでしょうか。この悪天候では」

秘書官が、心配そうに声をかける。


「大丈夫です」と高虫は答えた。「安野大臣を、そして日本の技術者たちを、私は信じています」

実験は、最も危険なセクションに差し掛かった。下り勾配の急なカーブ、そして長いトンネル。

雨に濡れたカーブに、隊列が差し掛かった瞬間、後続の一台のタイヤが、わずかにスリップを起こした。


司令室のモニターに、一瞬だけ赤いアラートが表示される。


技術者たちが、息を呑む。

だが、人間の反応速度を遥かに超えた領域で、AIは即座に判断を下していた。


スリップした車両のトルクをコンマ1秒以下の単位で微調整し、同時に、その後ろを走る全車両のブレーキ圧を最適化する。隊列は、一瞬の乱れも見せることなく、まるで何事もなかったかのように、滑らかにカーブをクリアしていった。


「やった!」

司令室は、抑えきれない歓声と拍手に包まれた。


そして、夜明けの光が差し込み始めた午前6時半。

目的地のインターチェンジに、『ヤタガラス・フリート1』が、完璧な隊列を維持したまま、静かに到着した。


この歴史的瞬間は、並走していたメディアのヘリコプターから、全国に生中継されていた。

アナウンサーが、興奮した声で叫ぶ。


『ご覧ください! 日本の物流が、今、新たな時代を迎えました! ドライバー不足に苦しむこの国に、希望の光です!』


そのニュースは、早朝の日本を駆け巡った。

特に、人手不足と長時間労働で疲弊しきっていた全国の物流業界にとっては、まさに乾いた大地に降り注いだ慈雨だった。日本トラック協会の会長は、テレビカメラの前で、涙を浮かべて語った。


「高虫総理は、我々の苦しみを、本当に理解してくださっていた。本当に、ありがとうございます」


官邸でその映像を見ていた高虫は、そっと胸に手を当てた。

国民に背を向けられ、孤立した日々。その中で、自分たちが蒔いた種が、初めて目に見える形で芽吹いた瞬間だった。


これは、GAFAのような派手なプラットフォームではないかもしれない。

だが、この国の経済という身体の隅々にまで血液を送り届ける、最も重要な血管を守る技術だ。


「第一歩ですね」

高虫は、誰に言うでもなく、静かにつぶやいた。


それは、国民の不安を、具体的な希望で塗り替える、力強い反撃の狼煙。

ヤタガラスの、最初の飛翔だった。

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