第5章:旧世代の蜘蛛の巣
永田町に隣接する、とある老舗料亭。苔むした庭園を望むその奥座敷は、昼間だというのに分厚い襖が閉め切られ、濃密な陰謀の空気が澱んでいた。
上座にふんぞり返っているのは、与党・大和民生党の最大派閥を率いる重鎮、伊吹 大元幹事長。御年78歳。その皺だらけの顔は、日本の戦後政治史そのものを体現しているかのようだった。
伊吹を囲むのは、いずれも党内で「先生」と呼ばれる、当選回数を重ねたベテラン議員たちだ。彼らは、高虫が総理に就任して以来、自分たちの存在が軽んじられていることに、煮え繰り返るような屈辱と苛立ちを感じていた。
「けしからん! まったくもって、けしからん!」
伊吹は、分厚い湯呑みを畳に叩きつけるように置いて、唸った。
「あの小娘は、いったい何を考えておるのだ。アメリカ様を怒らせて、この国がどうなるか、分かっておらんのか!」
「まったくです」と、国土交通族の領袖である議員が同調する。「国家データ主権法案などと、聞こえのいいことを言っているが、あんなものが通ってみろ。ABCD・ジャパン様が進めてくれている、我が県への巨大データセンター誘致の話も、全て白紙に戻ってしまうかもしれん」
「それだけではない」今度はIT政策に明るいとされる議員が口を挟む。「GAFA各社は、我が国の大学や研究機関に、どれだけの寄付と技術協力をしてくださっているか。彼らのご機嫌を損ねることは、日本の科学技術の未来を閉ざすようなものだ」
彼らの言葉の端々には、「GAFA」や「ABCD・ジャパン」への、露骨なまでの配慮と忖度が滲んでいた。長年にわたり、彼らはGAFAの日本法人から手厚い政治献金を受け、選挙協力を得て、あるいは自らの選挙区への利益誘導を斡旋してもらうことで、その地位を盤石なものにしてきた。彼らにとってGAFAは「黒船」などではなく、自らの利権を保障してくれる、ありがたい「打ち出の小槌」なのだ。
高虫の改革は、その金のなる木を根こそぎ引っこ抜こうとする、許しがたい暴挙だった。
伊吹は、冷え切った茶を一口すすると、ねっとりとした声で言った。
「あの女には、一度、政治の厳しさというものを、骨の髄まで教えてやらねばならん」
その場の全員が、ゴクリと喉を鳴らした。伊吹がこの口調で語る時、それは、誰かを政界から「消す」ことを意味する。
「総理の椅子に座ったからといって、天狗になっておるが、所詮は後ろ盾のない、ぽっと出の小娘よ。スキャンダルの一つでもあれば、あっという間に燃え尽きる」
伊吹は、懐から数枚の写真を取り出し、畳の上に放った。
それは、高虫がまだ一介の議員だった頃、親密そうに談笑する数人の男女を捉えたものだった。その中の一人、若きIT企業の経営者を、伊吹は指差した。
「この男だ。数年前に、仮想通貨がらみの詐欺事件で立件されたが、なぜか不起訴になっている。当時、この男と高虫が、政策勉強会と称して密会を重ねていたという情報がある」
写真に写る高虫の笑顔は、一点の曇りもない。だが、伊吹の濁った目には、それが金と権力に群がる汚れた女の微笑みに見えていた。
「不起訴になった裏には、高虫による司法への圧力があったのではないか。クリーンなイメージで売っているあの女が、実は金で繋がった犯罪者を見逃していた。どうだ、面白い筋書きだろう?」
伊吹は、懇意にしている大手新聞社の政治部長と、週刊誌の編集長の名前を挙げた。
「あとは、こいつらにこの『ネタ』をくれてやればいい。尾ひれをつけ、面白おかしく書き立ててくれるだろう。証拠などなくとも構わん。『疑惑』という火種さえあれば、メディアが勝手に大火事にしてくれるわ」
それは、彼らがこれまで、邪魔な政敵を何人も葬ってきた、手練手管だった。政策論争などという面倒なことはしない。人格を攻撃し、イメージを汚し、疑惑の煙で大衆の目を曇らせる。旧世代の政治家たちが最も得意とする、陰湿な蜘蛛の巣だった。
「まずは、支持率を落とす。話はそれからだ」
伊吹の言葉に、その場にいた全員が、満足げに頷いた。
彼らは、自分たちの行為が、国益を損ない、改革の芽を摘む、ただの利権防衛でしかないことに、もはや何の疑問も抱いていない。自分たちの既得権益こそが、この国の「国体」そのものだと、本気で信じているのだ。
料亭の静かな一室で、高虫総理を絡めとるための、粘つく蜘蛛の糸が、静かに、しかし着実に張り巡らされていった。




